清水の港祭、太鼓と胸の鼓動
- 山崎行政書士事務所
- 2025年12月23日
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幹夫青年が清水の港へ出て来たのは、「祭りの賑はひが好きだ」といふ類の陽気からではない。むしろ賑はひは、彼にとつていつも少し厄介であつた。人の笑ひ声の輪の中へ入ると、自分の顔の硬さがよく見える。硬い顔が見えると、余計に硬くなる。――さういふ循環を、幹夫はもう何度も経験してゐる。
それでも今夜、港の方へ足が向いたのは、潮の匂ひが恋しかつたからである。 潮の匂ひといふものは、立派な理由を要求しない。海は、こちらの言ひ訳を聞かない代りに、こちらの気分を少しだけ洗つてくれる。洗ふと言つても、寺の説教のやうに清めるのではない。ただ、べたべたしたものを塩で拭く程度である。幹夫はこの「程度」が好きだつた。程度のよいものは、長持ちする。
清水駅の方から港へ歩くにつれて、空気が変つた。 鉄の匂ひが混じる。ロープの匂ひがする。どこかで魚を焼く匂ひもして、しかもその上へ、甘い綿菓子の匂ひがのつてゐる。生活と遊びとが、同じ鍋で煮えてゐる匂ひである。港の夜は、その鍋の蓋を少し開けて見せる。
提灯が並び、幟が立ち、法被の背中が行き交ふ。 「みなと祭」と書かれた字が、灯の下で揺れてゐた。クレーンの腕が闇に伸びて、その下を人間の小さな賑はひが動く。大きなものの下に小さなものが集まると、妙に安心する。大きなものは、こちらの細かい心配を相手にしないからだ。
幹夫は、最初から輪の中へ入る気はなかつた。 入る気はない――と自分に言ひ聞かせる癖がある。入る気はないと言つておけば、入れなかつた時の寂しさを「最初からの予定」に出来る。さういふ卑怯は、幹夫の得意である。
ところが、遠くで太鼓が鳴つた。
どん。
音は腹へ来る。腹へ来て、胸へ上がる。 幹夫はその瞬間、自分の胸の奥に、もう一つ太鼓があるのを思ひ出した。心臓である。心臓といふものは、普段は勝手に働いてゐるくせに、意識すると急に恥づかしがり屋になる。幹夫の心臓も、今夜は少しだけ照れてゐるやうに感じられた。
どん、どん。
太鼓の音が続くと、足の裏まで少し震へる。震へると、頭の中の裁判が黙る。裁判が黙るのはありがたい。幹夫は、何かを「どう思ふべきか」と決める前に、もう「鳴つてしまつてゐる」音が好きだつた。鳴つてしまつたものは、こちらの理屈で消せない。消せないものの前では、案外、人は素直になる。
人だかりの方へ近づくと、踊りの輪が見えた。 男も女も、子どもも老人も、同じやうに手を上げ、同じやうに足を運ぶ。上手い下手の差はある。差はあるが、差があつても皆、同じ顔をしてゐる。――「やつてゐる顔」である。やつてゐる顔は、どこか明るい。
幹夫は輪の外側に立つた。 外側に立つのは安心だ。安心だが、外側に立つまま、いつも少し置いて行かれる。置いて行かれるのを怖がりながら、置いて行かれる場所を選ぶ。幹夫はいつもその矛盾を抱へてゐる。
太鼓の脇に、若い男が水のケースを並べてゐた。 男は、幹夫を見て、うちわを一枚ひらひらさせた。
「兄さん、暑いでしょ。よかつたら、これ。余つてる」
うちわは紙の軽いものだが、手に持つと急に「参加者の手」になる。 幹夫は受け取るかどうか一瞬迷ひ、そして――駿府の春で覚えた「先の挨拶」を、思ひ出した。挨拶は、こちらの逃げ道を一つ減らす代りに、こちらの足元を少し安定させる。
「こんばんは。……ありがとうございます」
言つてしまふと、妙に胸が楽になつた。 男は笑つて、太鼓の方へ走つて行つた。走つて行く背中は、いかにも祭りの背中である。祭りの背中は、悩みを背負はぬ。背負はぬふりが上手い。
太鼓はまた鳴つた。
どん。
その音に合わせて、周りの人が手を叩いた。 ぱん、ぱん。 拍手といふより、合図の手拍子である。合図の手拍子は、立派な感動を要求しない。ただ「ここにゐる」と言へばよい。
幹夫は、手を上げかけて止めた。 止めた瞬間、自分の手の中のうちわが、ひどく頼りなく見えた。 ――叩けばいいぢやないか。 ――叩いたつて、誰も見てゐない。 ――見てゐないのに、こちらだけが恥づかしい。 また裁判が開廷しさうになつた。だが太鼓が、その裁判を乱暴に閉ぢた。
どん、どん。
幹夫は、胸の奥の鼓動が、ほんの一寸、太鼓に引つ張られるのを感じた。 引つ張られるなら、少しだけ任せてしまへばいい。任せるのが怖いから、いつも固くなるのだ。
幹夫は、手を一つ叩いた。
ぱん。
たつた一拍である。二拍も三拍も続ける自信はない。 けれど、その一拍は、思つたよりよく鳴つた。自分の掌の音が、太鼓の音に混ざつて消えた。消えるのがよい。目立たずに混ざれると、人は急に安心する。
隣に立つてゐた年配の男が、幹夫の方をちらりと見て、うなづいた。 うなづきは大げさではない。だが、あの程度のうなづきが、幹夫にはひどく効く。目立たぬ承認ほど、胸に長く残る。
「兄さん、いいね。最初は一拍でいいんだ」
男が言つた。 声は潮風みたいに乾いてゐて、説教くさくない。 幹夫は笑つてしまつた。笑つてしまへば、もう一拍も出る。
ぱん、ぱん。
今度は二拍。 二拍叩くと、胸の中の鼓動も少しだけ見栄を張つて、きちんと鳴る。鳴るといふのは、不思議に前向きである。前向きといふのは、立派な決意ではなく、ただ「鳴る」ことかもしれぬ。
踊りの輪は、しばらくして場所を移した。 人だかりも、潮が引くやうにほどけて散る。散ると、港の闇が戻る。闇が戻つても、太鼓の余韻は残る。余韻が残る間は、心の裁判は開けない。
幹夫は屋台の方へ歩いた。 清水らしく、まぐろの串焼きだの、揚げものだの、茶の香のする飲みものだのが並ぶ。幹夫は、まぐろの串を一本買つた。口へ運ぶと、焦げた香が鼻へ抜け、脂が舌に触れる。うまい。うまいものは、うまいでいい。難しくすると冷める――この町の湯気の人たちが、口を揃へて言ふやつである。
串を食べ終へて、幹夫がうちわで風を送つてゐると、足元に小さな光るものが落ちた。 子どもの指輪かと思つたが、金の輪ではない。提灯の紙で出来た小さな飾りで、糸が切れてゐる。 少し先で、浴衣の女の子が泣きさうな顔をしてゐる。母親が「どこで落としたの」と探してゐる。
幹夫は、拾ひ上げて、先に言つた。
「こんばんは。これ、落ちました?」
母親が振り向き、「あっ」と言つて受け取つた。 女の子が、胸のあたりでそれを握りしめ、ふっと顔を明るくした。 その明るさは、太鼓より小さい。だが、太鼓ほど確かである。確かなものは、大きさではない。
「ありがとうございます!」
母親が言つた。 幹夫は、いつもの癖で「いえ」と言ひかけ、しかし今夜は逃げずに言ひ直した。
「どういたしまして。……いい祭りですね」
母親が笑つた。
「ね。終はるの、早いのがもつたいないくらい」
終はるのがもつたいない。 幹夫は、その言葉が気に入つた。もつたいない、と思へるのは、楽しんでゐる証拠だ。幹夫は、祭りに「もつたいない」と思へるほど、今夜は混ざれてゐる。
港の方で、また太鼓が鳴つた。
どん。
幹夫の胸も、どん、と返した。 返したのは心臓だが、心臓が返事をしたやうに感じられるのが、今日は面白い。返事をする癖がつけば、生活の中の返事も、少しだけ楽になるかもしれぬ。さう思つて、幹夫は自分を笑つた。笑ひは、祭りの灯に混ざつて消える。消えるのがよい。
帰り道、幹夫は清水の夜風に当たりながら、スマホを取り出した。 長文は書かない。長文は言ひ訳の巣になる。今夜は一拍の日である。
――「清水の港で太鼓を聞いた。手を一拍叩いた。胸も一緒に鳴つた。ちよつと元気。」
送信してしまふと、胸の内が少し軽くなつた。 軽くなつたところで、人生はすぐに変らない。だが、変る前に「鳴る」ことがある。鳴つた音は、明日を少し上等にする。
幹夫青年は、清水の港祭で、輪の中へ飛び込んだわけではない。 ただ、外側から一拍だけ手を叩き、自分の鼓動がまだ太鼓に応へるのを確かめた。 その確かめが、今夜のいちばん明るい土産であつた。




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