清水港の借金取りと、私の詩
- 山崎行政書士事務所
- 2025年12月22日
- 読了時間: 9分

私は借金がある。 こう書いた瞬間、もう半分、私の負けである。借金のある人間は、文章の最初から「言い訳の匂い」をさせる。私はその匂いを自分で嗅いで、まず気分が悪くなる。気分が悪くなるから、さらに何かを書いて誤魔化す。誤魔化すために文学をやる男ほど、みっともない。みっともないのに、私はそれをやってしまう。
借金の相手は、立派な人ではない。だから余計に返しづらい。 立派な人には、私は頭を下げられる。立派な人の前では、私の卑屈がちゃんと機能する。ところが相手が、私と同じ程度にだらしない人間だと、私は何をどうしていいか分からない。分からないまま、ずるずる逃げる。逃げれば逃げるほど、私は「逃げる才能」だけを磨く。
それで私は、清水港へ行ったのである。 海へ行けば、何かが洗われるだろう、という、あの卑怯な期待だ。私はいつも、自然に人格の仕事を押しつける。海は便利だ。港は便利だ。潮風は、私の恥を、薄く広く散らしてくれるような気がする。気がするだけで、何も変わらないのに。
清水港の夕方は、匂いが多い。 魚のうろこ、濡れた縄、軽油、鉄、そして塩。匂いが多いと、私の頭の中の言い訳が少しだけ黙る。言い訳は、たいてい乾いた部屋でよく育つ。匂いのする場所へ出ると、言い訳は息ができなくなるらしい。
倉庫の壁は灰色で、クレーンの腕が空へ伸びている。伸びているのに、何も掴んでいない。私はクレーンに親近感を持った。掴むふりだけは立派で、実際には何も掴めていない。私そのものだ。
私は岸壁の端に座った。 コンクリートは冷たく、ズボン越しに、正確な冷えが伝わってくる。正確なものは少しだけ心が落ち着く。私はそういう正確さに救われるくせに、人生の正確さは嫌いだ。期日とか、返済とか、約束とか。自分に都合のいい正確さだけを愛する。最低である。
私はポケットからメモ帳を出した。 詩を書こうと思ったのである。詩。詩なんてものは、借金のある男が書くには贅沢すぎる。贅沢すぎるのに、私は詩を書く。借金の利息より先に、比喩が増える。私はそういう順序の狂い方を、昔から律儀に守ってきた。
私は潮の匂いを吸い、鉛筆を舐めるようにして、こう書いた。
> 港は、夜になると > 逃げた男の肩を > そっと叩く
書いた瞬間、私は赤くなった。 叩かれるのは、借金取りの手のほうだ。港が叩いてくれるわけがない。私は、叩いてくれるものを勝手に作って、勝手に泣きそうになる。泣きそうになって、それをまた詩にする。詩は便利だ。自分の情けなさを、少しだけ綺麗に見せてくれる。綺麗に見えた瞬間、私はまた自分が嫌いになる。私は嫌いになることに関しては、ほとんど職人である。
そのとき、背後で足音がした。
「幹夫さん?」
私は、背筋が凍った。 名前を呼ばれると、私はたいてい二種類の怖さを感じる。一つは、親しみの怖さ。もう一つは、責任の怖さ。借金取りが私の名前を呼ぶとき、その二つは合体して、最悪の一匹の動物になる。
振り返ると、男が立っていた。 借金取りである。――と書くと、まるで鬼みたいだが、実際は、普通の服装をした、普通の顔の男だった。普通の顔がいちばん怖い。普通の顔は、こちらの言い訳を受けつけない。鬼なら、鬼のせいにできるのに。
「偶然だね。ここで会うとは思わなかったよ」
偶然。 私は「偶然」という言葉が嫌いである。偶然を信じる人は、だいたい自分の責任を信じない。私は責任を信じたくないから、偶然が嫌いなのだ。矛盾している。矛盾が私の骨格だ。
「……どうも」
私は、詩を書いたメモ帳を、あわてて裏返した。 借金取りに見られたくないものが二つある。通帳と、詩である。詩のほうが恥ずかしい。通帳は現実の恥だが、詩は魂の恥である。
「きょう、少しでもいいからさ」
男は、にこりともせず、怒りもせず、ただ事務的に言った。 その事務性が、私の胃をきゅっと縮める。
「いや、いま、ちょっと……」
私は言った。言った瞬間、すでに「ちょっと」が嘘だと分かる。私は「ちょっと」しか持っていないのに、「ちょっと」がないふりをする。「ちょっと」がないのが恥ずかしいのではない。「ちょっと」しかない人生が恥ずかしいのだ。
男は、港のほうを見た。漁船の灯が、いくつか浮いている。 灯は美しい。私は、美しいものがあると、すぐ言い訳を始める。
「きれいだね」
男が言った。 借金取りが「きれいだね」と言う。私はその事実に、妙に腹が立った。借金取りは美しさを言ってはいけない、などと私は思ったのだろうか。そんな資格は私にないのに。借金取りも人間だ。人間が美しさを言うのは当然だ。そう分かっているのに、私は腹が立つ。私は世界の秩序を勝手に決めて、その秩序から外れたものに腹を立てる。自分が秩序の外側にいるくせに。
「……ええ」
私は、そこで不意に、あの詩を見せたくなった。 つまり私は、借金を返せない代わりに、詩を差し出して、自分の存在を「少しは価値のあるもの」にしたかったのである。最悪だ。借金を美化して、芸術に変える。私は自分の卑怯さに、思わず笑いそうになった。笑いそうになったが、笑えない。
「……あの、これ」
私はメモ帳を開いて、男に差し出した。 男は怪訝そうに受け取り、読んだ。読んで、黙った。 私はその沈黙に耐えられず、先に言い訳した。
「いや、詩っていうほどじゃないんですけど。なんとなく。港が、こう……」
男は、メモ帳を返して言った。
「うん。悪くない。けど、幹夫さん、詩では返せないよ」
私は、胸を撃たれた。 撃たれたのに、死ねない。 こういう時、私はいつも、きちんと絶望できない。絶望できれば、少しは潔いのに、私は中途半端に「分かっている顔」をする。分かっている顔は、世界でいちばん卑怯な顔だ。
「……ですよね」
私は言った。 言いながら、頭の中では、もう次の卑怯を組み立てていた。逃げるか、泣くか、怒るか、笑うか。どれも芝居だ。私は人生を芝居でしか処理できない。
男は、ため息をついた。 そのため息が、潮風に混じって、少しだけ白く見えた。借金取りもため息をつくのだ。借金取りがため息をつくとき、それは私のためではない。彼の生活のためだ。彼だって、誰かに叱られ、誰かに頭を下げ、誰かの期限に追われている。私はその当たり前に気づいて、急に恥ずかしくなった。恥ずかしいのに、だからといって払えない。私は恥ずかしさの上に住んでいる。
「きょう、いくらなら出せる?」
男が訊いた。 私は財布を出した。財布の中身を見せるのは、裸を見せるより恥ずかしい。裸なら、まだ誇張ができる。財布の中身は誇張ができない。
私は数えた。 硬貨が、少し。千円札が一枚。あとは、ポイントカードと、レシートの墓場。レシートの墓場ほど、私の人生をよく表すものはない。何かを買って、何も残らない。残らないのに、紙だけ残る。
「……三千円、なら」
私は言った。 言った瞬間、三千円が急に大金になった。私の中では、三千円で人格が買える。いや、人格は買えないが、少なくとも「今日は許してもらえる」。私はいつも、今日だけを買って生きている。
男はうなずきかけて、ふと視線を逸らした。 港の端のほうで、小さな子どもが、転びかけたのだ。子どもは走っていて、足元のロープに引っかかった。釣り糸か、縄か、よく分からない。転びかけて、手に持っていた紙袋を落とした。紙袋から、何かがばらばらとこぼれた。おにぎりのようなものと、小さなペットボトルと、――おそらく、誰かの弁当だ。
子どもは泣きそうな顔をした。 私は反射的に、そちらへ走り出していた。 私は善人ではない。善人になりそこねる男である。だが、子どもが泣きそうになる場面には、どうにも弱い。泣きそうな顔は、私の顔に似ているからだ。
「大丈夫?」
私は声をかけ、散らばったものを拾った。 拾っている最中、私は自分の情けなさを思い出した。――借金も返せないくせに、弁当は拾える。弁当を拾って、何が偉い。偉くない。偉くないが、いま拾わないと、弁当が汚れる。汚れると、子どもの夜が、少しだけ嫌な夜になる。嫌な夜が増えることが、私はなぜだか堪えられない。自分の嫌な夜で手いっぱいのくせに。
子どもは、鼻をすすって言った。
「……お父さん、これ、持ってこいって。港で仕事してる」
私は、子どもの指す方を見た。 倉庫の影で、作業着の男がこちらを見ていた。男は、遠くから軽く頭を下げた。礼を言っているのだろう。私はその頭の下げ方が、妙にまっすぐで、まっすぐすぎて、胸がちくりとした。まっすぐな礼は、私の卑屈を照らす。
私は弁当を紙袋に戻し、子どもに渡した。子どもは、今度は泣かずに、ぺこりと頭を下げた。
「ありがとう」
その「ありがとう」は、さっき借金取りから言われた「詩では返せないよ」よりも、私に効いた。 効くから、私は困る。効く言葉は、私の中の卑怯な部分を、少しだけ黙らせる。黙ると、私は自分が少しは人間だと錯覚する。錯覚すると、また余計に苦しくなるのに。
振り向くと、借金取りが立っていた。 彼は、港の灯を見ているふりをしながら、私を見ていた。
「幹夫さん」
彼は、少しだけ声を柔らかくして言った。
「……三千円、でいいよ。今日は」
私は、胸が詰まった。 ありがたい、と思った瞬間、そのありがたさが、また私を恥ずかしくする。借金取りに温情をかけられる。こんな屈辱があるか。屈辱なのに、私は救われた顔をする。救われた顔をする自分が嫌いなのに、顔は勝手に救われる。
「すみません」
私は三千円を渡した。 渡した瞬間、財布の中が軽くなった。軽くなったのは財布だけではない。胸の中の、何かがほんの少しだけ軽くなった。借金が減ったからではない。借金は、まだある。軽くなったのは、「今日だけ」ではなく、「いまの手つき」が、少しだけまっすぐになったからかもしれない。まっすぐになった、なんて立派なことを言うのはやめよう。私はすぐ立派になろうとする。立派になろうとした瞬間、私はまた嘘になる。
男は三千円を受け取り、ポケットに入れた。
「来週、また連絡する」
そう言って去っていった。 去っていく背中は、悪役の背中ではなかった。生活の背中だった。私はその背中を見て、自分の詩が急に薄っぺらく思えた。港が肩を叩く、だって? 肩を叩くのは、いつも現実だ。現実は、詩より強い。詩は、現実に負ける。負けるのに、私は詩を書きたがる。負ける勝負にわざと出る。負けることで、自分を慰める。悪癖である。
借金取りが見えなくなると、私はメモ帳を開いた。 さっきの詩を、二本の線で消した。消して、代わりに、こう書いた。
> 港の灯はきれいだ > きれいだと言えるほど > まだ私は人間だ > だから、困る
私はそれを読んで、少しだけ笑った。 笑ったが、笑いは長続きしなかった。港の匂いが、また鼻の奥に刺さった。刺さって、私は現実へ戻った。現実へ戻ると、私はまた借金を思い出す。思い出して、また逃げたくなる。逃げたくなるが、逃げても港は逃げない。大根が逃げないのと同じだ。逃げないものは、いつも私を負かす。
私は立ち上がり、清水港の岸壁を歩いた。 潮風がコートの隙間から入り、背中を冷やした。冷えると、私は少し正気になる。正気になって、私は思う。――詩は返済にならない。だが、詩を書く手で、少しでも正しく財布を開ける日が来れば、それでいい、と。いや、また立派なことを言っている。私は立派になりたくない。立派になれないから。
それでも私は、港の灯を見た。 灯は、黙って揺れていた。 揺れているだけで、きれいだった。 きれいなものが、きれいなままそこにある、というだけで、私は少し救われる。救われると、すぐ自分が嫌になる。嫌になるが、それでも歩く。歩ける靴だけは、いま私にある。靴の中に小石がないことを確かめながら、私は静岡の夜へ戻っていった。




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