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第2話 「氷温の密室」

  • 山崎行政書士事務所
  • 8月24日
  • 読了時間: 7分


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序章 白い息の港

午前四時台の清水港・日の出埠頭は、白い息でできた街のようだった。フォークリフトのビー音、台車の振動、氷砕機の鈍い唸り。**河岸の市(いちば館/まぐろ館)**へ向かう通路には、朝の匂い――鉄と潮と、砕いた氷の冷たい甘さ。

南まぐろ解体ショー 本日十一時」と書かれた看板の横で、フロアマネージャーの吉岡が額の汗を袖で払っている。「**頭(かしら)**が消えた。低温倉庫から。ログは正常、カメラは曇ってて何も映ってねえ」

その言葉は、氷よりも冷たく場を締めた。

第一章 河岸の市にて

「まぐろ丼の予定が、事件丼になったね」蒼の冗談に、圭太が「笑えない」と眉を寄せる。幹夫少年探偵団の五人――幹夫、理香、蒼、圭太、朱音――は、圭太の顔なじみの声に呼ばれていちば館の裏搬入口へ回り込んだ。

「状況、聞かせてください」理香がタブレットを構えると、吉岡は手短に説明した。

  • 展示用の認証タグ付き・南まぐろの頭部が、低温倉庫の棚から消えた。

  • 倉庫は二重扉で、開閉ログは異常なし

  • 庫内カメラは結露で真っ白

  • 朝イチの点検時、認証タグだけが別の頭部に付いていた。

  • 現場にいた技能実習生の青年に疑いが向きはじめている。

「ちょっと待って。実習生の彼、ロンって名前でしょ?」圭太が食い気味に口を開く。「港の掃除も誰よりまじめにやる人だもんで。濡れ衣はいやだ」

「いいから、見てくれ」吉岡は低温倉庫への通路へ案内する。まぐろ館の裏手、ステンレスの扉に「氷温」の表示。青いランプが点き、数字がゆっくりと瞬いた。

氷温――凍りきらず、しかし限りなく凍結点に近い温度帯。鮮度を保つための微細な管理が、ここでは日常だ。

第二章 二重扉の向こう

外扉を抜けて前室に入ると、空気が刺すように冷たく変わった。内扉の先に、白い世界。床は薄い霜を含んだ氷の膜で、天井近くにはドームカメラが一台、涙のように雫をたらしている。

「カメラ、完全に役立たずだったのは何分くらい?」理香が訊く。

「五時すぎに点検したやつが“曇ってる”って。戻ったら何も映ってなかった」吉岡は肩をすくめる。「ログじゃ扉は開いてない。なあ、どうやって入るんだよ

幹夫はしゃがんで、床の氷柱に目を近づけた。「ここだけ溶け方が速い」指先で触るまねをして、位置を頭に刻む。換気口の前、霜がわずかに流れた跡がある。

「理香、温度ロガーの記録、ある?」「あるよ。五分間隔」表示された折れ線は、ほぼ直線だ。ただ、一箇所だけ幅広い“谷”が塗りつぶされたように見える。平均値に均されて、真の変化が埋まっている。

「ここ、何が起きた?」朱音が倉庫の図面を見つけ、指でなぞる。製氷室、搬入口、フォークリフト充電室。図面の隅に、小さく書かれた**「点検ハッチ」**の文字。

「充電室と倉庫の間に、メンテの通路がある?」蒼が顔を上げた。

吉岡は記憶を掘り返すように目を細めた。「……昔の改装前のやつだ。今は塞いでるはずだけどな」

幹夫は足で床の縁を軽く踏み、音を聴いた。――空洞のような、わずかな沈み。「塞いでる“はず”は、あまり当てにならないよ」

第三章 タグと穴と、氷の音

認証タグ、見せてもらえます?」理香が手袋を付け、タグをのぞき込む。薄い金属板に刻印、細いワイヤで留められ、ホッチキス穴のような痕が二つ。

「穴のピッチが微妙に違う」朱音が言う。「本来の位置より、半針分ズレてる。元の穴に合わせたならぴったりのはず」

「凍ってるワイヤを一瞬だけ温めてやれば、外せる」理香がぼそりと呟く。「短時間ならロガーは平均に飲み込む。冷たい部屋で温かい空気を一点だけ通せば、カメラは曇る」

圭太が顔を上げる。「さっきの換気口充電室のファンを全開にして、そこから温い空気を吸い込ませた?」

「外扉も内扉も開かないまま、ドラフトだけ作る。結露は一気に広がり、ドームカメラは白。床の氷柱は偏って溶ける」幹夫は自分の手帳に短く書く。

・扉のログは正常。・温度ロガーの死角に短い温度上昇。・タグの穴がズレ。・点検ハッチの可能性。

「でも、頭はどこへ?」蒼の問いに、幹夫は床に視線を落とした。氷の膜の下、断熱材の境目がかすかに浮いている箇所がある。「ここ、音が軽い床下に空間がある」

吉岡が工具箱を取り、カバーをそっと外した。白い息が一斉に濃くなる。穴の奥、黒いビニールに包まれた塊が見えた。

「……いた」圭太が声を奪われる。南まぐろの頭。認証タグのない、本物のほう。

第四章 港の朝の値段

「誰が、どうしてこんなことを」吉岡がビニールをやぶきながら言う。

「**“発見のドラマ”**を作れば、値が上がる」蒼が静かに言った。「**イベント前に“見つかった”**なら、話題になる」

「扉は開かず、倉庫に入れない。でもここには手が届く。充電室側から点検ハッチに手を入れて、短時間の仮置き」理香が補う。

幹夫は、凍った床に残る台車の細い跡を追って、充電室側へ回り込んだ。換気ファンのスイッチには、拭き残した指の油が新しい。充電器の横に吊られたブレーカ表には、ファンの回路だけ鉛筆の小さな印が付いている。

誰が、だよ」吉岡が低く言う。

そこで、小商社の若手社員・杉浦駿が、隅で固まったまま立っていた。まだ二十代。腰には荷受けの端末。幹夫たちの視線と、吉岡の視線を、同時に受けた。

「……すみません」杉浦は絞るように言った。「盗むつもりはなかった。見つけるつもりだったんです。電気代が上がって、手数料は上がらない。話題があれば、が、少しでも――」

誰に疑いが向くか、考えた?」圭太の声が震えた。「ロンに目が向いた。“外から来た人”に。お前はそれを利用した」

杉浦は言葉を失い、視線を落とした。「……最初から彼に向けたわけじゃない。けど、そうなるのは想像できた。逃げだった。最悪の保険をかけた」

沈黙が倉庫をさらに冷たくする。吉岡の白い息が太くなる。

港の朝を上げたいなら、嘘のドラマじゃなくて、本当の朝を見せればいい」幹夫が言った。「氷を砕く音、タグの管理、氷温の意味。**“どう守っているか”**を、見せたらいい」

杉浦はゆっくり顔を上げた。眼の中の悔しさが、罪悪感に形を変える。「……謝ります。ロンさんにも。見せ方を変えます」

第五章 氷温ツアー

午前十時三十分。人の流れがまぐろ館の前にできはじめた。「急ごしらえだもんで、段取り悪かったらごめんね」吉岡が照れ笑いをし、臨時の見学導線を示す。日本語/英語/ベトナム語のミニ解説ボードがの手で用意され、理香温度ロガーの画面を拡大表示。朱音認証タグの意味と仕組みを説明する。圭太氷砕機の前で安全柵を固め、合図を出す。

「ここは氷温。凍らないギリギリの冷たさで、繊維を壊さずに守ります」蒼の声が、冷たい空気のなかで柔らかく響く。「カメラが曇ることがあるから、温度差を作らないようにしています。開ける扉は一つずつ記録も、も、同じ方向を向く」

ロンは控えめに頷き、笑った。手に持つアルコールスプレーの動きは滑らかで、見学の子どもたちに「ありがとう」と小さな声で日本語を添える。

十一時。南まぐろ解体ショーの包丁が入り、歓声が立ち上がった。その背後、倉庫の壁には青いランプが静かに点り、**「氷温」**の文字が脈打つように光っている。

終わってから、杉浦が深く頭を下げた。「ロンさん、ごめんなさい。あなたの仕事を、盾にした」ロンは少しだけ躊躇し、それから、はっきりと首を横に振った。「わたしも、この港の人。みんな、同じ

言葉は拙くても、意味はまっすぐだった。

終章 氷の記憶

港の午後は、朝ほどの鋭さを失い、日差しが氷の端に斜めの光を落とした。幹夫は倉庫の前でノートを開く。

風:充電室→倉庫のドラフト痕。氷:溶け方の偏り。記録:五分間隔は、一分を語らない。道:点検ハッチの“はず”は揺らぐ。倫理: 疑いの矢印は、弱いほうへ向かいやすい。 物語で値は上がるが、で上げるとが下がる。 氷温は、守りたい温度。人にも、場にも。

ノートを閉じると、エスパルスドリームプラザの観覧車が、港の向こうで静かに回っているのが見えた。氷はいつか溶ける。けれど、朝の冷たさは記憶として残る。次の朝も、この港は白い息でできた街から始まるだろう――正しい手順と、正直な見せ方で。

幹夫は顔を上げ、「」の字を心の中でなぞった。松、氷、火、仮、平――五つの字が、少しずつ線になっていくのを感じながら。

 
 
 

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