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結びの黒い縄

縁(えにし)というものは、結ばれている間は軽い。軽いから人は、それを信じたがる。信じたがるから、軽さはいつのまにか「幸福」という名にすり替わる。だが、ほどけた瞬間——その軽さは裏返り、急に重さになる。重さになった縁は、骨に似る。折れた骨は、自分の身体の輪郭を初めて教える。

出雲へ向かう列車の窓に、冬の海が貼りついていた。日本海の青は、東京の青と違う。東京の青は広告の青で、どこか嘘の香を持つ。だが日本海の青は無関心の青だ。無関心は残酷で、残酷だから正しい。正しい海は、こちらの事情をいっさい祝福しない。その祝福しなさが、むしろ救いに似て見えることがある。救いに似たものほど危険だ。人は救われた気になると、簡単に自分を許してしまう。

私は許されに来たわけではない。許される資格など、最初からない。

バッグの底には、封の切れた手紙が一通入っていた。紙は軽い。軽い紙が、人間をここまで運ぶ。封を切ったときから、紙はもうただの紙ではない。紙は匂いになる。匂いは時間を知らない。知らない匂いほど残酷だ。私はその匂いを、まだ捨てられないまま、出雲の駅に降り立った。

風が、駅前の看板の隙間を鳴らした。鳴る風は、喉の奥まで塩を運び、肺を少し硬くした。硬さは安心に似る。似ているから危険だ。硬くなった胸は、泣くことを忘れる。

参道へ向かう道すがら、土産物屋の軒先で、赤い柿が揺れていた。揺れる柿は美しい。美しいものほど危険だ。美しさは、破滅を「風雅」に見せる。私は柿の赤を避けるように目を逸らし、代わりに石畳の黒い濡れを見た。黒い濡れは正直だ。正直なものほど、こちらの嘘を剥ぐ。

松並木の入り口で、空気が変わった。変わったのは温度ではない。音の密度だ。町の音が、松の葉に吸われて薄くなる。薄くなる音は、こちらの心の声を増幅させる。心の声ほど厄介なものはない。厄介だからこそ、人は神の前へ来る。

松の根元に落ちた小枝を踏むと、乾いた音がした。乾いた音は正しい。正しい音ほど残酷だ。私はその音に叱られるように歩いた。歩くという行為は、決意のふりをする。ふりをするうちに、決意は形になる。形になった決意は、後で自分を縛る。縛られることが怖かったのに、私は縛られに来ている。

二の鳥居をくぐると、砂利が白く、白い砂利は陽に反射して眼を刺した。白は潔白ではない。白は、汚れを目立たせるための背景だ。白い背景の上で、私の影だけが妙に黒く、細く伸びた。影は、己の魂の素朴な形をしている。素朴なものほど、あとで人を苦しめる。

やがて神楽殿の前に出たとき、私は立ち止まった。巨大な注連縄(しめなわ)が、そこで黙って垂れていた。

縄は、ただの縄ではない。縄は、願いの集合体だ。恋人たちの軽い期待、老夫婦の静かな祈り、見知らぬ誰かの焦げるような未練、それらが撚(よ)り合わされて太くなり、太くなりすぎて、もはや誰の縁なのか分からぬほどの「黒い力」になっている。私はその黒さが怖かった。怖いのは、そこに自分の未練も混じってしまう気がしたからだ。

隣で若い男女が笑っていた。女は白いマフラーを鼻まで上げ、男は手袋の上から女の指を握っている。握るという行為は、いつでも誓いのふりをする。ふりをする誓いほど、簡単にほどける。ほどける誓いを見せつけられると、ほどけた自分の誓いが、急に骨のように疼いた。

私は賽銭を投げた。硬貨が木に当たって乾いた音を立て、また砂利の白に落ちた。乾いた音は正しい。正しい音ほど残酷だ。神は硬貨の音で動くのではない。動くのは、音を聞いたこちらの心だけだ。

本殿へ向かう道で、巫女が通り過ぎた。白衣の白は清潔ではない。白は「汚れを引き受ける覚悟」の色だ。朱の袴が揺れた。朱は血の色に似ているが、血ではない。血でない赤ほど不吉だ。私は巫女の後ろ姿を見ながら、不意に、彼女がこの世の縁の束を抱えて歩いているように思えた。

拝殿の前で、私は作法を思い出した。二礼、四拍手、一礼。拍手を二つ増やすということは、願いを二つ増やすことに似ている。願いが増えれば、現実が遠のく。遠のいた現実ほど、後でこちらの皮膚を剥ぐ。

私は四度手を打った。乾いた音が、空へ飛び、松の葉に吸われて消えた。消える音ほど胸に残る。消える音は、こちらの祈りがどこにも行かないことを、はっきり教える。

それでも私は、目を閉じた。閉じた眼の裏に、彼女の顔が出た。彼女の声が出た。最後に交わした言葉が出た。

「あなたは、縁を大切にするふりをして、縁の重さを怖がってる」

あの言葉は、刃だった。刃は、肉を切るだけではない。肉の下の骨を露わにする。露わになった骨は、こちらの形を否応なしに見せる。私はその形を見るのが怖くて、仕事に逃げ、忙しさという免罪符に縋り、縁を「大人の事情」で薄めた。薄めた縁は、ある日突然、無味の水になる。無味の水は、喉を潤さない。

私は息を吸った。出雲の空気は冷たく、冷たい空気は正しい。正しい冷たさが、私の甘い言い訳を叱った。

——縁を結び直したいのか。——それとも、切りたいのか。

切る、という言葉が胸の中で鋭く光った。だが切ることは、自由ではない。切ることは、別の結び目を作ることだ。結び目は、切った場所に必ず残る。残る結び目が、こちらの人生を後から締め付ける。

私は目を開けた。拝殿の柱は黒く、木目が波のようにうねり、千年の時間がそこに沈んでいた。沈んだ時間は、こちらの軽薄を笑わない。笑わないものほど残酷だ。笑わない木の前で、私は自分の小ささを知った。小ささは、救いではない。小ささは、ただの事実だ。

そのとき、背後から老人の声がした。

「神さまに頼むなら、結んでもらうより先に、ほどいてもらうことや」

私は振り返った。社務所の方から来たらしい、白髪の男が箒を持って立っている。箒の先には、白い砂利の上の落葉が集められていた。落葉は軽い。軽い落葉を毎日集めることが、神域を神域にする。軽いものほど、重い役目を持つ。

「ほどく……」

私が呟くと、男は箒の柄を握り直した。握り直す手つきが、妙に穏やかだった。穏やかさは優しさに似る。優しさは油断を生む。だがこの穏やかさは、油断ではなく、反復の手つきだった。

「結び目ってのはな、見えんとこで固くなる。固くなるほど、ほどくのに時間が要る。焦って引っ張ると、糸が切れる。切れたら、元に戻らん」

元に戻らない。その言葉が、胸を刺した。刺さる痛みは生の証拠だ。生の証拠がある限り、私はまだ、何かを失う資格がある。

私はありがとうございました、と言って頭を下げた。礼という所作は美しい。美しい所作ほど危険だ。礼は、心の中の汚れを一瞬隠す。隠したい汚れほど、あとで強く匂う。

参道を戻りながら、私は海の方角へ歩いた。稲佐の浜の砂は湿っていて、波が寄せては引く。その反復は秩序に似る。秩序は安心に似る。安心に似たものほど危険だ。だが波の秩序には、人間の「意味」が混じらない。意味が混じらないから、波は正しい。

私は靴の中に入った砂の感触を確かめながら、手紙を取り出した。封はもう切れている。切れているものは戻らない。戻らないものほど、こちらに責任を迫る。

私は手紙を破かなかった。破けば、きれいになる気がした。きれいになるのは危険だ。きれいになれば、臭いが消える。臭いが消えれば、私はまた同じことをする。私は代わりに、手紙の端を指で撫でた。紙の繊維が、指先に微かに刺さった。刺さる痛みは小さい。小さい痛みほど長く残る。

——ほどく。ほどくために、まず触れる。触れて、痛む。痛むまま、時間を渡す。

出雲大社の注連縄の黒さが、遠くで思い出された。あの縄は、誰かの縁を結ぶ縄ではない。あれは、人間の欲望が「ほどけないふり」をして太くなった姿だ。太くなりすぎた縁は、いつか自分の重さで落ちる。落ちる前に、少しずつほどくしかない。

帰りの列車の窓に、また海が貼りついた。海は無関心に青い。無関心は残酷で、残酷だから正しい。私はその正しさの中で、手紙を膝の上に置いたまま、ただ息をした。

縁は、結ぶものだと思っていた。だが出雲で私は、縁はほどくものだと知った。ほどきながら、なお結び目の形を覚えている——その不器用さこそ、人間の「縁」の正体なのだろう。

私はまだ、答えを持たない。答えを持たないまま生きることが、こんなに苦く、こんなに誠実だとは知らなかった。苦さは真実だ。真実は甘くない。だから腐らない。

出雲の冷たい風が、窓の隙間から入り、私の喉を一瞬だけ締めた。締まる喉の痛みの中で、私はもう一度だけ、四度の拍手の乾いた音を思い出した。どこにも届かなかったはずの音が、いまになって胸の内側で、遅れて鳴っている。

 
 
 

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