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緑走る台地 ~希望~

  • 山崎行政書士事務所
  • 5月6日
  • 読了時間: 5分

第一章 野焼けの町

 汽車がトンネルを抜け、幹夫の目に飛び込んできたのは、どこか乾いた色彩が広がる静岡の景色だった。五月の日差しが田畑や家並みを照らす一方、幹夫には灰色がかった空気が町を覆っているように感じられる。 駅のホームへ降り立つと、昔の記憶よりもずっと活気を失った人通りが目についた。慌ただしく軍服が横切り、行商人がか細い声で何かを呼び売りしている。 「父さん……」 鞄を抱えたまま、幹夫はざわつく胸を抱えつつ、一目散に実家へ足を向ける。もし大事なら一刻も早く、あの家の戸を開かなければならない。

第二章 閉ざされた戸口

 幹夫の実家は、昔と変わらぬ路地の奥に建っていた。だが玄関先へ近づくと、いまだに雨戸が閉まったままで、妙な静寂が漂っている。 (まだ朝早いから……? それとも……) 胸が詰まる思いで声をかける。 「父さん、母さん……。幹夫です」 すると、奥から足音が近づいてきて、戸をガラリと開けたのは母だった。 「幹夫……来てくれたのね。お父さんが……」 母の顔には疲れと安堵が入り混じった表情が浮かぶ。 「とりあえず中へ。いま寝ているわ」 幹夫は深呼吸し、家の中の空気を確かめる。土間の匂い、昔のままの畳の香りが懐かしいが、同時に何かのんびりしていられない空気を感じ取る。

第三章 父の病床

 部屋に通されると、そこには布団に横たわる父・明義の姿があった。息が荒いわけではないが、顔色が悪い。 「父さん……」 幹夫が声をかけると、明義はうっすらと目を開き、「ああ、幹夫か……間に合ってよかった」とかすれた声を出す。 「電報で……すぐに来られなかったんだ。ごめん……」 「いい。俺はおまえが東京で何をしているか、だいたい察している。おまえを呼んでしまったのは……いま、茶畑が、もう……」 言葉を途切れさせながら、明義の目に涙がうっすらと宿った。 「飛行場はどんどん拡張され、合併で町はまとまりを失い……おまえには苦労をかけてばかりだな。だが、病状は大したことない。少し体を壊しただけで、命に別状はない……」

 幹夫は安堵するやら申し訳ないやら、複雑な感情が交錯する。**「来てよかった、でももっと早く来るべきだったのかもしれない……」**という葛藤が胸を襲う。

第四章 朽ちゆく牧之原

 翌朝、幹夫は父の枕元に寄り添いながら、外の景色を見た。かつての牧之原台地がどれほど変わったのか、彼はまだこの目で確かめていない。 「ああ、あそこから飛行場が見えるんだ。茶畑だった場所に滑走路が伸びてね。農民たちは補償金目当てで地を手放す者もいたし、合併によって税や規制も変わって……」 父が悔しそうに語るのを聞きながら、幹夫は唇を噛む。この光景を東京で想像してきたが、実際に目の当たりにするとどれほどの衝撃を受けるか。 「父さん、俺、見に行ってくるよ。今の牧之原台地を、この目に刻んでおきたい。そして俺も何かできることを探す……」 父は穏やかに首を振って制止する。 「今はあまりうろうろしないほうがいい。軍や新町役場の監視が厳しいんだ。もしおまえが余計なことをして捕まれば、東京の仲間がどうなるか……」 その言葉に、幹夫ははっとする。東京に残した堀内、山岸、井上のことを思えば、自分もまた軽率には動けない。父もそこまで考え抜いたうえで幹夫を呼んだのだと、痛感する。

第五章 旧友との再会

 その夕刻、母が「あんた、少し外の空気吸ってきなさい」と勧めてくれた。幹夫は少しだけ家を離れ、かつての友人たちがいるという町へ足を向ける。 途中、偶然出会ったのは中学校時代の同級生・溝口だった。彼は「久しぶりだな、幹夫」と遠慮がちに声をかけてきたが、その背中にはどこか落胆が漂っている。 「父さんが体壊したって聞いた。大丈夫か?」 「ああ、なんとかね。溝口はどうしてるんだ?」 聞けば溝口も飛行場建設の影響で、家の田畑が取り上げられ、今は町役場で雑務をしているという。 「地元を背負うとか、そんな気概もとうに削がれたよ。どこを見ても軍人ばかりだし、反対しても村の人から白眼視されるだけだ……」 その苦い言葉に、幹夫は東京で味わった“表向きの協力”の苦しさと妙に重なり合うのを感じた。

第六章 風のない夜

 夜更け、父の家の離れで床についた幹夫は、窓を少し開けて夜風を呼び込もうとした。だが外はしんと静まり、風さえ感じない。 「……風鈴がないと、こんなにも静かなものなのか……」 東京の下宿では、あの鈴のわずかな音に励まされてきたが、ここにはない。代わりに耳をそばだてば、遠くから低いエンジン音が聞こえる。飛行場で軍の演習でもやっているのだろうか。 (父さんや仲間たちにいつか“風鈴の音”を響かせられる日が来るのか……) 瞼を閉じて問いかけるが、答えは暗闇のまま。幹夫は東京とはまた違う静寂を感じながら、父の看病と、茶畑を取り戻す術を考え続ける。**「明日、もう少し動いてみよう……」**と。

エピローグ

 そうして朝を迎えた幹夫。父の寝顔を確認し、胸をなで下ろす。容態はまだ深刻ではなさそうだが、長くはもたないという不安も拭えない。東京に戻るタイミングを見極める必要がある。 「東京の風鈴は、堀内さんたちが守ってくれている。俺はここで父を守り、できることをする。いつかこの地にも、あの小さな音が響く日が来るだろうか……」 曇天の空を見上げても、飛行場の方角には軍の旗が見えるばかり。だが幹夫は、ふと胸のうちにあの鈴の余韻が蘇るのを感じた。遠く離れていても、あの音の記憶は消えない。 令和の世……ではなく、激動の昭和のただなか。小さな音が希望をつなぐ。その思いを携えながら、幹夫は父の病室に足を向けた。

 ——(続くかもしれない)

 
 
 

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