蒸気の白、ブロッケンの青――ドイツ・ハルツ国立公園 冬のブロッケン鉄道紀行
- 山崎行政書士事務所
- 2025年12月20日
- 読了時間: 3分

ブロッケン駅のホームに降り立った瞬間、空の色に息をのんだ。絵の具を溶かしたような深い青。その青を背景に、黒い蒸気機関車が白い噴煙を真上へ押し上げている。雪に覆われた線路は幾筋にも分かれ、遠くへカーブしながら消えていく。冬の山の世界は静けさで満ちているはずなのに、ここだけは生き物みたいに音と熱を持っていた。
機関車の車輪は鮮やかな赤。雪の白、空の青、車輪の赤が、驚くほどくっきりとした三原色の景色を作っている。客車はえんじ色とクリーム色の帯をまとい、窓には乗客の影が揺れていた。蒸気がしゅうっと吐き出されるたび、冷たい空気の中で白さがいっそう濃く見える。吐く息が白くなるのと同じはずなのに、機関車の白は「息」ではなく「体温」だと感じた。
この列車に乗ってここへ来るまで、ハルツ国立公園の冬は少しずつ表情を変えた。麓では雪は薄く、森の緑が勝っていたのに、標高を上げるにつれて雪が厚くなり、枝先が霜で白く縁取られていく。車窓の景色は、緑から灰、そして白へ。色が減っていくほど、木々の輪郭や斜面の起伏がはっきりして、風景が“骨格”を取り戻していくようだった。
客車の中は、外の凍てついた空気が嘘みたいに穏やかだった。石炭の匂いがほのかに混ざり、窓は端から少し曇る。あたたかい空間に座りながら、外の世界が白く冷たくなっていくのを見ると、旅の感覚が反転する。「どこへ行くか」というより、「冬の中へ入っていく」。そういう移動だ。
蒸気機関車の走りは、速さよりもリズムで記憶に残る。一定のテンポで響く車輪の音。カーブでわずかに軋む金属。ときどき短く鳴る汽笛。現代の鉄道のように滑るのではなく、山の勾配を一歩ずつ踏みしめるように登っていく。速くないのに退屈しないのは、景色と列車の速度が釣り合っているからだろう。目が置いていかれない。心も置いていかれない。
そしていま、ブロッケン。ハルツ山地最高峰、標高1,141メートル。冬の光は鋭く、雪面はきらきらと反射して目を細めさせる。ブロッケンと聞くと、霧と伝承の匂いがする。魔女が集う夜の物語や、“ブロッケン現象”と呼ばれる影の幻――そんな話が頭をよぎるのに、この日は皮肉なくらい晴れていた。霧はなく、影も幻も、出番を失っている。ただ、澄み切った青と白が支配している。
ホームの脇で、私はしばらく機関車を眺めた。黒い胴体には煤の艶があり、ところどころ凍りついた水滴が光る。足回りからは白い蒸気が細く漏れ、雪の上を這って消えていく。運転士が姿を見せ、短い動作で点検をしているのが見えた。旅人にとっては“名物列車”でも、この人たちにとっては今日も山を往復する日常なのだと思うと、機関車の迫力が急に現実味を帯びる。
私は手袋の上から、冷えた指を握りしめた。この場所には「到着した」というより、「時間の層に触れた」という感じがある。蒸気機関車は昔のものではなく、いまも動いて、いまも人を運び、冬の山の空気を白い噴煙に変えている。旅は最新の速度だけで成立するわけではないのだと、雪の線路が教えてくれる。
やがて、機関車がもう一度大きく息を吐いた。白い噴煙が青空に吸い込まれていく。その白さを見上げながら、私は次の行き先を決めた。まずはブロッケンの山頂へ歩こう。風が強いだろう。けれど、いまの私は妙に軽い。
山の冬は厳しい。でも、蒸気の白と空の青に挟まれたこの瞬間だけは、寒ささえも旅の祝福に思えた。





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