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証拠と矜持の狭間で

 昨今、巷で“カスタマーハラスメント(以下、カスハラ)”という言葉を聞く機会が増えた。しかし、その実態はまるで白日の下にさらされていない。それどころか、企業や現場で苦悩する従業員が「お客様は神様です」という昔ながらの“呪縛”に縛られ、正当防衛の方法すら示されないまま、消耗していく事例も後を絶たない。

 そこで私は「カスハラ対策の最前線」に動き出したという、とある中堅企業を取材することにした。都心部のオフィス街にあるビルの10階。会社名は仮に「アビマール社」としよう。ここでは先月、「カスハラ対応マニュアル」を全社に導入したばかりだという。その狙いと経緯を探るため、法務室長の一色真央(いっしき まお)氏とアポイントを取り、話を聞かせてもらった。

 応接室に通されると、壁一面に並ぶ書棚が目を引く。労働法や企業法務関連の専門書がずらりと並んだ一角に、数冊のファイルが置かれている。見ると、その一つにははっきり「カスタマーハラスメント対応マニュアル」と記されていた。

「以前から、従業員の退職理由が“無理難題のクレームで追い込まれた”というものが散見されていまして。経営陣のあいだでも“これを放置しては企業の存続に関わる”という共通認識に至ったんです」 一色氏はメモを片手にそう語る。キビキビした口調からは、かなり短期間で書類をまとめ上げ、社内外の調整を行ってきた苦労がうかがえた。

 私はまず、「どんなクレームが最も深刻だったのか」と率直に問いかけてみた。すると彼女は、“不当な要求”“暴言・差別的発言”“長時間の拘束”“場合によっては暴力”と、具体例を淡々と挙げていく。

「一方的に商品代金の返金を迫られたり、無料の追加サービスを強要されたり。拒否すると、『こんな会社はSNSで叩いてやる』と脅迫じみた言葉を吐かれたケースもありました。従業員はとにかく“お客様に失礼があってはいけない”と思い込み、限界まで対応してしまう。でも、そこにはもう“正当なやり取り”など存在していないんです」

 まるで“セクハラ”や“パワハラ”が社会問題化した時期に「それは言ってはいけない」と気づきはじめた人が多かったように、“カスハラ”の輪郭もようやくはっきりしてきたのだろう。しかし、一色氏曰く、企業内にはまだ“お客様を怒らせて売上を逃してはいけない”という心理が根強く残っているという。

「そこを突破するためにも、経営トップが『従業員の安全と健康を最優先する』と明示したんです。それで“カスハラは断固として許さない”という方針が固まり、具体的対策に乗り出した――いわば企業文化の変革期ですね」

 彼女が手渡してくれたマニュアルをめくると、対応手順が極めて整理されている。まず「不当な要求や暴言に対しては毅然と限度を示し、繰り返されるなら対応を中断し上司や法務部にエスカレーション」「必要に応じて警察や弁護士へ相談し、刑法上の暴行・脅迫などに該当するか精査する」など、従業員個人で抱え込まない仕組みが徹底されていた。

 そして、私がさらに注目したのは“記録を取る”という文言だ。会話を録音したりメモに残したり――それらが法的アクションの裏付けとなる。そこには「曖昧さを排し、正確な証拠を押さえる」姿勢がはっきりと読み取れる。

「ええ、実はここが最大のポイントなんです。誰もが“自分の主観”で記憶してしまうと、あとで対応があやふやになりますし、“言った言わない”の水掛け論になる。そうならないために、録音や詳細メモ作成が推奨される形です」 一色氏は言い切る。裏を返せば、それだけ内部の意識改革が難しく、記録が無いと“なんとなく丸め込まれる”リスクが大きいということなのだろう。

 私は「従業員の側に録音を推奨するなんて、少し強硬な印象を受けますが……」と水を向けた。彼女はやや微笑みを浮かべて答える。「確かに、強硬手段にも見えるかもしれません。ですが、客観的証拠を残すことが重要なんです。従業員を守るためには、企業として相手に“法的にはこうなります”と伝えられる材料が要る。お客様でも“違法性がある行為”は許されませんから」

 このあたりは私自身、経済分野の“裏側”を取材してきた経験からも、非常に納得がいく。企業コンプライアンスが不十分なままでは、いつまでも被害者が泣き寝入りをする構図が変わらない。 では実際、導入してから現場はどう変わったのか――?

 私はフロアを移動して、コールセンターのリーダーを務めるという男性・島崎に話を聞いた。現場の最前線では、クレーム対応こそ“日常業務”のひとつ。そこに「毅然とした対応」が加わったとき、混乱は起きなかったのか。

「初めはスタッフから『お客様を拒んでもいいなんて、本当ですか』という驚きの声が多かったですね。ずっと相手の要望を飲むのが当たり前だと思ってたら、いきなり“言葉に暴力性があったら録音して、対応を中断しろ”と指示されるわけですから、戸惑うのも無理はない。ただ、それでいくつか実例が出て、“会社が本当に守ってくれる”とわかった途端、意外なくらいスムーズに受け入れられました」

 島崎の表情は明るい。以前なら、長時間クレームでスタッフが泣きながら上司に報告するケースもあったという。だが今では、「マニュアルに沿ってどこで終わるか、どう伝えるかが決まっている」と、堂々と報告が上がる。結果として、従業員の士気向上にもつながっているそうだ。

 もっとも、すべてが順調というわけではない。なかには「昔からの取引先だし、そこまで厳しく言ったら商売が続かないんじゃ……」と悲観的になる管理職もいるらしい。それでも島崎は、「若い世代は特に『そこまでして取引を続ける必要があるの?』と冷静に見ている」と指摘する。

「本当に価値あるお客様なら、こんな一方的なハラスメントをしないんじゃないか――若手はそう考えるんです。確かに売り上げは大事ですが、それで社員を潰してしまったら結局損失だという意見も増えています」

 これは新旧世代の考え方の対立にも関わる問題だ。あえて“企業としての線引き”を示すことで、古い慣習が少しずつ崩れていくのだろう。その揺れ動きが今、アビマール社の至るところで起きている。

 取材を終える頃、一色氏が最後にこう付け加えた。「カスハラというのは、セクハラやパワハラと同じように“被害者が声をあげづらい”構造を持っています。そこを企業と社会が連携し、法的にも整備されていけば、理不尽なハラスメントが少しずつ減っていくはず。私たちはまだ第一歩を踏み出したばかりですが、どんな反発があろうと、ここで折れたら何も変わらないと覚悟しています」

 彼女のまなざしには、まるで捜査の依頼を受けた探偵か、それとも告発記事を書くジャーナリストのような強い意志が見えた。――証拠と矜持。それを手にしなければ、カスハラは“従業員の我慢”という曖昧な暗闇のなかに再び消えてしまうかもしれない。

 企業が“お客様は神様”という空気を脱し、「理不尽にはきっぱりNOを突きつける」土台を作り始めた。これは日本のビジネス文化において、大きな転換点になるかもしれない。私自身、こうした声がもっと広がりを見せれば、闇に埋もれた不条理が浮上し、次第に解消されていくのではないかと期待している。

 ――社会がどう動くかは、あくまで“我々がどう行動するか”次第だ。カメラのフラッシュが耐え間なく焚かれる政治の場だけでなく、経済・ビジネスの舞台裏でも、今確かな変化が生まれている。 この企業の一歩が、どこまで波紋を広げるか。私たちは引き続き、証拠と矜持を携え、その行方を追いかけていくことにしよう。

 
 
 

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