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静岡駅、終電前の告白(改札は私の良心)

 私は、静岡駅の改札が怖い。 改札が怖い、などと言うと、読者は笑うだろう。笑ってよい。笑われるのは慣れている。私は、笑われるために生きているような顔をして生きてきた男である。だが、ほんとうに怖いのだ。改札というものは、私のような半端者に、いちいち「決めろ」と言う。

 改札の前に立つと、あの機械の口は、黙っているくせに、たいへん高圧的である。 「通れ」か「通るな」しかない。 「まあ、きょうはここまで」も、 「ちょっと考えます」も、 あそこにはない。 私は「ちょっと考えます」で人生をつないできたのに、改札はそれを許さない。だから私は、終電前になると、駅へ来てしまうのである。逃げるために、いちばん逃げられない場所へ行く。私はこういう矛盾を、手帳に書き留めて「自分は繊細だ」などと勘違いする趣味がある。繊細なのではない。単に、だらしないだけだ。

 その晩も、私は静岡駅の北口側の人の流れに混じって、ぐるぐる回っていた。 コンコースの明るさは、いつも私にとって残酷だ。あの明るさは、善人にも悪人にも等しく降りて、等しく白くする。白くされた顔は、みんなそれなりに「帰る顔」をしている。私は帰る顔ができない。帰る場所がないのではない。帰る場所はある。あるのに、帰れない。帰るだけで、なぜこんなに怖いのだろう。帰ったら、また明日が来るからだろうか。明日が来ることが怖い、というのは、ずいぶん贅沢な怖がり方である。贅沢なくせに、私にはそれしか怖がる材料がない。

 改札の前の時計が、じりじりと進んでいた。 終電というものは、神さまのように正確で、しかも意地が悪い。 終電が近づくほど、人間の言い訳は増える。 私は終電に向かって、言い訳を育てている。まるで温室栽培である。言い訳のトマト。言い訳のきゅうり。そんなものを大事に育てて、私は何を食べて生きる気なのだろう。

 私は改札の手前のベンチに座った。 座った瞬間、私は安心した。改札を通らないで済むからではない。改札の“前”にいることで、私は「行く気はあるのだ」と自分に嘘がつけるからだ。改札の前で座っていれば、まるで私は今にも帰る男みたいに見える。見えるだけで、帰らない。見えるだけ、というのが私の得意技である。

 私のポケットには、ICカードが入っている。 入っているのに、私は出さない。 出せば終わるからだ。 終わるのが怖い。 終わらないのも怖い。 私はいつも、怖い怖いと騒いでいるうちに、人生の大事なところを取り逃がす。取り逃がしたあとで「本当は分かっていた」と言う。分かっていた、と言うと、少し賢く見えるからだ。賢く見えるのが、私は好きなのだ。好きなのに、賢くない。こう書いてしまうと、また読者は笑うだろう。笑ってよい。私は自分の惨めさを、先回りして差し出すことで、殴られる痛みを減らして生きている。

 改札の向こう側へ、何人もの人が吸い込まれて行く。 ピッ。 ピッ。 あの電子音が、私には「良心の音」に聞こえる。 ピッ、は「よし」。 ピッ、は「帰れ」。 ピッ、は「約束を守れ」。 ピッ、は「今夜はちゃんと眠れ」。 私はその音を聞くたびに、胸の奥が、すこしだけ痛む。痛むのに、私はその痛みを、どこかで誇らしがっている。痛むということは、まだ人間らしい、と思うからだ。 しかし、痛みを誇る人間ほど信用できない。 私は、私を信用していない。

 そこへ、改札のそばを走っていく学生がいた。 制服の上にコートを着て、鞄を肩に掛け、顔は真面目だ。真面目な顔は、いつ見ても腹が立つ。腹が立つのに、私は真面目になりたい。真面目になれないから腹が立つ。腹が立つから、真面目な人のことを「薄っぺらい」などと言って、勝手に勝利する。これが私の人生の勝利である。みじめな勝利だ。

 学生は、改札の手前で何かを落とした。 小さな金属の音がした。 ころん、と床に転がったのは、鍵束だった。 鍵束は、つるつるした床の上で、情けないほどよく目立った。 私はその鍵束を見て、急に心臓が速くなった。 ――拾え。 私の中の「善人になりたい虫」が、むくむくと頭を出したのだ。

 私は立ち上がり、鍵束を拾い上げた。冷たかった。金属は、いつも正確だ。正確だから、嘘をつけない。私は金属に弱い。金属を握ると、私の言い訳が少しだけ黙るからだ。

 拾って、呼び止めればよい。 「落としましたよ」と言えばよい。 それだけだ。 それだけなのに、私は、また嫌なことを考えた。

 ――今呼び止めたら、私は「いい人」になってしまう。 ――「いい人」になった私は、家に帰ったあとで、鏡の前で自分を褒めるだろう。 ――褒めた瞬間、私はまた怠けるだろう。 ――つまり私は、善行をサボるための燃料にする。

 私は、自分のこの計算高さに吐き気がした。 吐き気がしたくせに、私は吐かない。吐けば少しは正直なのに、私は正直になる勇気がない。だから私は、鍵束を握ったまま、改札の前で固まった。学生はもう、十歩ほど先へ行っている。改札を通って、向こう側へ吸い込まれようとしている。

 ――よし。 ――ここで私は、善人になりそこねよう。 私は、そんな卑怯な作戦を立てた。 つまり、学生が気づくように、足元へ鍵束を転がしてやればいい。本人が拾えば、私は善人にならずに済む。私は何もせずに「事態が良くなる」を手に入れられる。これ以上の卑怯があるだろうか。私は卑怯の天才である。

 ところが、鍵束というものは、転がすと予想外のところへ行く。 私は軽く転がしたつもりが、鍵束は床の傾きに乗って、すいっと改札の機械の下へ入り込み、ほとんど見えなくなってしまった。

 「あっ」

 学生が振り向いた。 振り向いたというより、改札の音に混じった微かな金属音に反応したのだろう。学生は改札の前で立ち止まり、足元を見た。 鍵束は見えない。 学生の顔が青ざめた。 私は、その青ざめを見た瞬間、自分の卑怯が喉までせり上がってきて、今度こそ吐きそうになった。

 私は走った。 走って、改札の機械の下に膝をつき、手を伸ばして鍵束を引きずり出した。 その姿は、どう考えても立派ではない。犬みたいだ。いや、犬のほうが立派だ。犬は自分の欲しいものを迷わず取る。私は、人の鍵束を、自分の卑怯の尻拭いのために必死で取っている。これが人間だろうか。人間は、こんなことをしてまで体面を守るのだろうか。守ったところで、誰も私の体面など気にしていないのに。

「す、すみません! 落としましたよ!」

 私は、声が裏返った。 学生が駆け寄ってきた。 顔が近い。若い顔だ。まっすぐな眉だ。私は若い顔が苦手だ。若い顔は、まだ未来を信じている可能性がある。未来を信じている人間を見ると、私は勝手に責められている気になる。

「えっ……! あ、ありがとうございます……!」

 学生は鍵束を受け取って、深々と頭を下げた。 その「ありがとうございます」が、私の胸に刺さった。 刺さったのは、嬉しいからではない。嬉しいのに、嬉しがると気持ちが悪いからだ。私は善行をしても、それを自分のものにできない。できないくせに、善行の匂いだけは嗅いでしまう。匂いを嗅ぐと、また自分が嫌になる。

「いや、あの……たまたま……」

 私はまた「たまたま」を使った。 たまたま。便利な言葉だ。 たまたま、拾った。 たまたま、返した。 たまたま、生きている。 私はたまたまの上に立っている。だからいつも、ぐらぐらする。

 学生は何度も礼を言い、改札へ向かった。 学生のICカードが、ピッ、と鳴った。 機械は学生を通した。 私はその音を聞いて、妙に胸が熱くなった。 学生の良心は、改札に受け入れられた。 私の良心は、どうだ。私は改札の手前で、まだうろうろしている。

 私は、鍵束を返しただけで、もうヘトヘトだった。 善行というものは、どうしてこんなに疲れるのだろう。 善行が疲れるのではない。善行をする自分を、私はずっと監視している。監視しながら手を動かすから疲れるのだ。 監視をやめればいい。 やめればいいのに、やめられない。 自分を監視しない人間は、平気で悪いことをするような気がして、私は怖い。 怖いから監視する。 監視するから疲れる。 疲れるから逃げる。 逃げるからまた怖い。 私はこの輪の中で、ずっと回っている。駅のコンコースを回っているのと同じだ。

 時計を見た。 終電まで、もう数分だった。 数分、という数字が、急に刃物みたいに見えた。私は数字が怖い。数字は、容赦がない。私は容赦がほしい。容赦を乞うために、私はいつも言い訳を磨く。だが終電は、言い訳を聞かない。

 私は改札の前に立った。 改札の機械は、じっと私を見ている気がした。 (もちろん機械は見ない。だが、私の良心が見ている。) 私はポケットからICカードを取り出した。 手が少し震えた。 震えは怖さではない。怖さもあるが、それより、「決める」という行為の重さだ。

 私はふと思った。 帰る、というのは、立派なことなのだろうか。 帰らない、というのは、反抗なのだろうか。 どちらも違う。 帰るのは、ただの動作だ。 帰らないのは、ただの怠慢だ。 私はいつも怠慢を、反抗の顔で飾る。飾るから、余計にみっともない。

 私は改札にカードを当てた。 ピッ。

 音が鳴った。 ゲートが開いた。 私は通れた。 私はそれを、妙に恥ずかしいと思った。 良心に許された、という顔をするのが嫌だった。 だが、通れてしまった以上、私は通るしかない。通らないで戻ったら、私は一生この音に負ける。負ける、という言い方も変だが、私は負け方にこだわる男である。変なこだわりがあるから、私はいつも苦しい。

 ホームへ下りる階段を降りながら、私は自分に言った。 ――今夜は帰る。 ――帰って、ちゃんと眠る。 ――ちゃんと眠れなくても、布団には入る。 なんだ、それ。小学生の標語みたいだ。私は自分で自分を笑いそうになった。だが、標語みたいなことができないのが私だ。標語みたいなことを、私は命がけでやる。命がけでやるほどのことではないのに。

 終電が入ってきた。 ごとん、という音がして、風が起き、車内の灯が見えた。 灯はいつもの灯で、何も特別ではない。 特別ではないのに、私は救われたような気がした。 救われた、と思うと、また自分が嫌になる。 嫌になるが、私はもう、嫌になりながら乗り込んだ。

 座席に座って、窓に映る自分の顔を見た。 相変わらず黄ばんだ紙切れみたいな顔だった。 だが、さっき鍵束を引きずり出したときの犬みたいな顔よりは、少しだけましだった。 まし、という言葉が、今夜の私の幸福論だ。 立派な幸福ではない。 「まし」。 それで十分だ、と言い張る勇気が、今夜は少しだけある。

 電車が動き出した。 私は静岡駅のホームの明るさが遠ざかるのを見た。 改札は、もう見えない。 だが、あのピッという音だけは、胸の奥に残っている。 改札は私の良心である。 良心は、いつも遅れて鳴る。 遅れて鳴るから、私は時々間に合う。 間に合わない夜もあるだろう。 だが、今夜は間に合った。 その程度の奇跡で、私はもう十分に疲れて、十分に生き延びた気になっている。

 私は窓の外の暗い住宅地を眺めながら、ひとつだけ告白する。 私は、終電に乗れたことよりも、学生の鍵束を返せたことが、少しだけ嬉しかった。 嬉しいと言ってしまった。 ああ、また私は、少しだけ人間をやめそこねた。

 
 
 

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