駿府城にて剣を思ふ
- 山崎行政書士事務所
- 2025年12月22日
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駿府城公園の堀は、冬の光を吸い込んだ水をたたえていた。水面はひどく静かで、そこに映る松の影も、石垣の鈍い稜線も、まるで最初から“絵”として印刷されたもののように動かない。幹夫は、堀端の小道を歩きながら、かすかな藻の匂いと湿った土の匂いが、彼の鼻腔に古い時間を呼び戻すのを感じた。都市の中央にありながら、ここだけは世紀を一枚はがした場所である。
しかし、その古さは贅沢な古さだった。犬を連れた老人が穏やかに笑い、ベビーカーが規則正しく石畳を叩き、ジョギングの青年が耳に白い線を差し込んだまま、呼吸だけを近代的に整えて通り過ぎる。いかにも平和の、管理された気配が漂っている。城は、守るべきものを失ったあと、ようやく人々に愛される。
幹夫は天守跡へ向かった。石垣の階段は低く、手すりもついていて、危険は丁寧に排除されている。危険が排除されていること自体が、ここに「天守」と呼ばれたものの不在を、いよいよ露骨にした。
天守台の上に立ったとき、彼は思わず空を見上げた。天守があったはずの場所には、空があるだけだった。空は、建築よりもずっと巨大で、ずっと無責任で、ずっと美しい。石垣の上に置かれた欠落が、むしろ誇らしげにさえ見える。欠落は、形あるものよりも雄弁である。
幹夫は、欠落の下に自分の身体を立たせているのが、ひどく場違いに思えた。背広の肩は、何かを担うために作られた形ではなく、ただ布を吊るすための骨格である。手は、書類に印を押すためにしか使われず、脚は、事故の起こらない通勤路を往復するためにしか働かない。彼の肉体は、用途を忘れた器具のように温存されている。
剣を持たぬ現代人――という言葉が、ふと彼の胸の中で形を結んだ。剣がないのは手元だけではない。剣を想像する筋肉がない。剣を握るときに必要な緊張がない。緊張の欠如は、肉体を甘やかし、肉体を曖昧にする。曖昧な肉体は、どれほど磨いても、美になりきれない。
幹夫は自分の腕を眺めた。袖口から覗く手首は白く、血管が青く透けている。それは健康の証拠であるはずなのに、彼には虚弱の印のように見えた。剣を握ったことのない手は、握手のためにしか鍛えられない。握手は他者を拒まないが、他者を切り捨てもしない。拒まぬ手はやさしい。しかし、やさしさは美の条件になり得るだろうか。やさしさは、ただ安全であるにすぎない。
石垣の縁へ近づくと、堀が足元に開けた。水は深く、底は見えない。底の見えぬものだけが、古い城にふさわしい。幹夫は、石に掌を当てた。石は冷たく、指先がかすかに痺れた。痺れは、紙の感触にはない確かさを持っている。言葉よりも先に、肉体が世界の硬さを受け取っている。
この石の上を、かつて武装した身体が歩いたのだ、と幹夫は考えた。帯刀した腰の重さ、鞘の擦れる音、歩くたびに揺れる柄の位置。剣を帯びるということは、単なる装備ではなく、肉体に常時の決意を与えることである。決意は筋を作り、筋は姿勢を作り、姿勢は人間を彫刻に近づける。剣が身体に与えるのは、死の可能性だ。そして死の可能性は、皮膚の張りまで変える。
幹夫は、現代の公園の平和な音を聞いた。子どもの笑い声、遠くの車の走行音、鳥の羽ばたき。どれも「生」の音である。だが生の音だけが満ちている場所では、かえって生が薄まる。死の影がない生は、永遠に続く広告のように、どこか作り物めく。
天守台の下を見れば、制服姿の高校生が通りかかった。剣道具の袋を肩にかけている。袋は長く、無遠慮に空間を切り取るように伸びていた。その袋の中身は竹刀に過ぎないのに、袋が運んでいるのは明らかに“刃”の観念だった。少年の首筋は汗でわずかに光り、背中の線は若い硬さを保っている。幹夫は、あの背中に一瞬だけ宿る緊張が、どれほど美しいかを認めざるを得なかった。
美は、筋肉の量でも、顔立ちの整いでもない。美は、いつ破壊されてもおかしくない均衡の上にだけ立つ。危うさこそが、形に神経を通わせる。戦わぬ身体は、危うさを失う。危うさを失った身体は、単なる生活の容器になる。容器に美が宿るのは、花瓶のように、内部が空であるときだけだ。だが、人間の肉体の空虚は、花瓶の空虚とは違う。そこには、怯えが混じる。使われない武器の鞘の中に、錆が静かに増えていくような怯えが。
幹夫は腹のあたりに手を当てた。そこには柔らかさがあった。柔らかさは生存に都合がよい。だが、都合のよさは美に敵対する。美はいつも不都合だ。美は、身体にとって、精神にとって、生活にとって、危険である。危険であるからこそ、人間は美を拝む。
彼は思った。
戦わぬ身体は、美たり得るのか。
問いは、天守のない空へ投げ上げられ、答えの代わりに雲の形を持って降りてきた。雲は、何も断言しない。断言しないことが、最も残酷な返事である。
幹夫は天守台を降りた。降りる途中、彼は堀の水面に自分の姿が映るのを見た。そこにいる男は、剣を差していない。剣の代わりに、ポケットの中で小さな鍵束が鳴る。鍵束は扉を開けるが、何も切れない。切れないものは、汚れを断ち切れない。汚れを断ち切れない身体は、どれほど清潔でも、どこか濁って見える。
出口へ向かう道の途中、売店の棚に、模造刀のような土産が並んでいた。軽い金属光沢。握っても、腕の芯まで重さが届かぬ安っぽさ。幹夫はそれを手に取らなかった。模造は、最初から「危険の不在」を保証している。保証された危険など、危険の名に値しない。安全な刃ほど醜いものはない。
公園の外へ出ると、街の音が戻ってきた。信号の電子音、店先の呼び込み、遠くの工事の響き。すべてが現代の、戦わぬ社会の音である。その音の中で、幹夫は不意に、自分の身体が“これからも戦わずに済むように”設計されていることを悟った。骨も、筋も、皮膚も、未来の傷を避ける方向へと教育されている。
その悟りが、ひどく甘美で、ひどく汚らしく思えた。
幹夫は歩きながら、何度も掌を握りしめた。そこにあるべき柄の感触を、空の中に探るように。空は何も返さない。しかし空が返さないことこそが、彼の問いを生かし続ける。天守のない天守台がそうであるように、剣のない彼の肉体もまた、欠落によって逆に形を持ち始めていた。
美は、欠落に宿る。
だが武は、欠落を許さない。
幹夫はその二つの矛盾の間で、ひそかに、自分の身体の空虚がいま初めて「重さ」を帯びたのを感じていた。




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