大和出撃10
- 山崎行政書士事務所
- 2025年12月30日
- 読了時間: 50分

第三十六章 昭和五十五年(1980) 盆灯籠
盆が来ると、町の空気はふっと甘くなる。甘さは砂糖の甘さではない。線香の匂ひと、蒸れた畳の匂ひと、夕立のあとに立つ土の匂ひが混じって出来る、いかにも「家の中」の匂ひだ。その匂ひがすると、私は毎年、胸の奥に畳の影が一枚増える。
畳の影には、座る人がゐる。父。母。そして――位牌には入らぬ人。
入らぬ人を、私は胸の中の仏壇へ置いてきた。胸の中の仏壇は、人に見えない。見えないから、誰にも壊されない。けれど、見えないものは、ときどき自分の手でも触れなくなる。触れられなくなると、人は「形」を欲しがる。
昭和五十五年の盆、私はその「形」を川へ流すことになった。
盆の支度は、暑さと一緒に始まる。
七月の終りから、母は何度も言った。
「盆じゃねえ。……早いねえ」
早い――と言ふ母の声には、嬉しさよりも、数へる癖が混じってゐる。盆が来れば、また一年が過ぎた証しになる。一年が過ぎるのは、ありがたいことでもあるが、怖いことでもある。母の身体が一年ぶん薄くなるからだ。
私は仏間――と言ふほど立派ではない小さな一角を片づけ、盆棚を出した。胡瓜の馬と茄子の牛を作るほど器用ではないから、私はいつも市で売ってゐる簡単な飾りを買ふ。それでも、茄子と胡瓜だけは供へる。「迎へに早う来られて、帰りはゆっくり」と母が言ふ、あの言ひ方が好きだった。
迎へ火の日、私は小さな皿に麻殻を置き、火を点けた。火はあっさり立ち上がる。あっさり立ち上がる火を見るたび、私は思ふ。火は、こちらが望めば、すぐ来る。来ないのは、火ではない。人だ。
母は縁側に座り、火を見てゐた。火の光が、母の頬の皺の影を濃くした。
「父さん、帰って来るかねえ」
母がぽつりと言った。父の名を口に出せる母が、少し羨ましかった。私は、口に出せぬ名を胸の奥でだけ呼ぶ女だから。
「帰って来るよ」
私は答へた。父が帰るかどうかを、私は知らない。けれど、母が「帰る」と思へるなら、それでいい。盆の習はしは、事実の話ではなく、心を生かす話だ。
火が消えかけるころ、母がこちらを見て言った。
「百合……あんたの人も、帰って来るんかい」
“あんたの人”。その言ひ方が、母の精一杯の言葉だった。許嫁、と母は言はない。婚約者、とも言はない。「人」と言ふ。人と言へば、関係を説明せずに済む。説明せずに済むところが、ありがたい。
私は一瞬、息が詰まり、すぐに笑ってごまかさうとした。けれど、母の目はまっすぐで、逃げ道をくれなかった。
「……帰って来るんじゃない?」
私は、曖昧に言った。帰る、とは言ひ切れない。帰らない、とは言へない。その間に、私の人生がある。
母は小さく頷き、
「なら、迎へてやらにゃ」
とだけ言った。その言葉で、私は胸の奥が少し温かくなった。迎へる、と言っても、私には位牌がない。墓もない。それでも母は「迎へてやらにゃ」と言った。“やらにゃ”が、生活の言葉で、祈りの言葉だった。
盆の終りが近づくと、町内の掲示板に紙が貼られた。
「灯籠流し 八月十六日 午後七時 川岸集合」「供養 交通整理にご協力下さい」
灯籠流し。川へ灯籠を流し、祖霊を送る。海へ続く川へ流せば、霊は水の道を行くと言ふ。水の道――といふ言葉が、胸の奥でざわついた。
水の道は、私にとっては、連絡船の白波の道でもあり、沖縄の海鳴りへ続く道でもある。水の道の先に、君がゐる。ゐる、と思ってしまふ。思ってしまふから、私はその紙を剥がして持ち帰った。
家へ戻り、母に見せると、母は紙をじっと見つめた。
「灯籠流し……昔は、こんなに大っぴらにはせんかったねえ」
昔。昔は、灯籠など贅沢だった。紙も蝋燭も足りなかった。足りない中で、人は手を合わせるしかなかった。
「今年は、行ってみようかと思って」
私が言ふと、母は少し眉を寄せた。
「わたしも?」
「母さんは……川岸は滑るし、人も多いし……」
私は言ひかけて、言葉を飲んだ。連れて行けない、と言ふのが正直だ。母の足腰では危ない。それでも、母を置いていく罪悪感が、胸を刺す。
母は、その刺さり方を知ってゐる顔で、小さく笑った。
「ええよ。わたしは家で送る。房子さんも寄ってくれる言うとるし。百合は、行っておいで」
行っておいで。母の「行っておいで」は、いつも背中を押す。押すのは優しさだけではない。押さねば、娘が自分を責め続けると知ってゐるからだ。母は、私の罪悪感の癖まで含めて、抱へてゐる。
私は台所の棚の奥から、去年の残りの蝋燭を探し、灯籠の組み立てを買ひに行った。紙の枠。薄い和紙。指で触ると、紙はすぐ破れさうだ。破れさうなものに灯を入れて、水へ流す。儚い。儚さを、自分で作るのが盆の作法だと思った。
家へ帰り、机に灯籠を広げた。糊の匂ひ。紙の匂ひ。戦後の混乱のころ、紙を探して闇市を歩いた年を思ひ出す。紙は、いつも私の胸の中の「言へぬもの」を抱へてきた。
灯籠の側面に、名前を書く欄がある。誰の名を書くのか。祖父母の名。父の名。それなら、母が書けばいい。けれど、私は――。
私は筆ペンを持って、手が止まった。止まった手の先で、紙の白が眩しい。
朝比奈篤志。四文字を書くことは出来る。何度でも書いてきた。便箋に。帳面に。心の中に。けれど、ここへ書いていいのか。私は“遺族”ではない。妻でもない。私の勝手で、君を「送る」などと言っていいのか。
送る。送る、といふ言葉が、急に重たくなった。
私は、送ることでしか生きられなかった女だ。父も、篤志も、幾人もの人も、送った。送って、戻らなかった。送ってしまった、といふ後悔が、毎年の桜の下で膨らむ。
送るのが怖い。怖いのに、送らねば盆は終らない。終らない盆の中に居続けたら、私は来年へ行けない。
筆ペンを握り直し、私は小さく書いた。
「篤志さま」
苗字も階級も書かない。呼び名だけ。私だけが呼ぶ呼び名。それなら、誰に咎められても、これは私の祈りだと言へる。
書き終へると、胸の奥が少し痛んだ。痛みは、嘘をついてゐない証しだ。
八月十六日の夜、川岸へ向かふ道は、浴衣の匂ひで満ちてゐた。
女は浴衣を着ると、普段より少し背筋が伸びる。帯が背中を支へるからだ。男は浴衣を着ると、どこか子どもに戻る。祭りは、皆を少しだけ昔へ戻す。
川へ近づくほど、人の声が増えた。屋台の焼きそばの匂ひ。金魚すくひの水の匂ひ。太鼓の練習の音。盆踊りの歌の端っこ。賑やかさが、供養の顔をしてゐる。供養の顔が賑やかであることが、私は時々不思議だ。けれど賑やかでなければ、死者の側へ引かれてしまふ者が出るのだらう。生きるために、祭りは賑やかに出来てゐる。
川岸へ出ると、闇の中に灯が点々と浮いてゐた。まだ流す前の灯籠が、係の人の手元で火をもらひ、ふっと明るくなる。紙の中の火は小さい。小さい火が、闇の中でやけに頼もしい。
私は列に並び、胸の前で灯籠を抱へた。紙は軽い。軽いのに、胸の奥は重い。重いものを、軽い紙が抱へる。その矛盾が、盆の儀式の形だと思った。
係の青年が言った。
「蝋燭、ここで点けます。手、気ぃつけて」
青年の手つきは慣れてゐる。慣れてゐる手つきで火を渡されると、死が日常の中へ収まっていくのが分かる。死は特別ではなくなる。特別ではなくなるぶんだけ、私の中の死は、逆に特別として浮き上がる。
蝋燭に火が移る。紙の内側が、橙に透ける。灯籠は一瞬で「顔」を持つ。顔を持った灯籠は、生き物みたいに見えた。
私は灯籠を両手で抱へ、川の縁へ進んだ。川面は黒い。黒い川面の上に、灯が映る。灯が映ると、黒が少しだけ和らぐ。
「そっと、置いてください。押さんで」
係の声がする。私は膝を曲げ、川の水の匂ひを吸った。川の匂ひは、海の匂ひとは違ふ。泥と草の匂ひ。生き物の匂ひ。それでも川は海へ行く。川は、海へ繋がる道だ。
私はそっと、灯籠を水へ置いた。
水が紙の底を舐め、灯籠がふわりと浮いた。浮いた瞬間、灯籠は自分の意志で動き出したやうに見えた。川の流れが、灯籠を引く。引かれて、灯籠は少しずつ下流へ向かふ。
私は、その灯を見送った。見送る、といふ姿勢が身体に染みてゐる。染みすぎて、背筋が勝手に「別れ」の形を取る。
灯籠が流れていく。ひとつ、またひとつ。川面に灯が増え、灯の列が出来る。列は、まるで白波の航跡のやうに見えた。白波ではない。けれど、水の上に出来る道だ。道は出来て、やがて消える。
私は、灯籠の影を追った。灯の真下に落ちる影。揺れる影。揺れる影は、灯よりも頼りない。頼りないのに、私の目は影ばかり追ふ。
——君をのせたか。
私は心の中で問ふた。問ふても返事はない。返事のない問いを、私は何十年も繰り返してきた。繰り返すうち、問いは答へを求めるものではなくなる。問いは、祈りになる。
灯籠は下流へ進み、他の灯籠と並び、そして混じっていく。混じると、どれが私の灯か分からなくなる。分からなくなるのが怖くて、私は川岸を歩き出した。歩いて、歩いて、灯の列を追ふ。
砂利が足の下で鳴り、草の露が足首を濡らす。露の冷たさが、石碑の冷たさを思ひ出させた。冷たさは、いつだって現実の形だ。
灯籠は流れる。私は追ふ。追ふほど、灯は遠ざかる。遠ざかるほど、私の胸の奥の海が動く。
——もし。——もし、君がこの灯に乗ってゐたら。
乗る。乗って、川を下り、海へ出て、深い底から浮かび上がり、私のところへ戻る。そんなことがあるはずがない。あるはずがないのに、私はそれを願ふ。願はずにはゐられない。願ふことだけが、私の「嫁がぬ誓ひ」の形だった。
灯籠の列が、橋の下へ入っていった。橋の下は暗い。暗いところへ入ると、灯は一瞬、見えにくくなる。見えにくくなると、胸がざわつく。闇が灯を吞む。闇が吞むと、私はまたオイル灯の年の闇を思ひ出す。闇に喘ぐ炎。錆びず響く軍靴の音。
橋を渡る人の足音が、頭上でどん、と鳴った。その音に、私は一瞬、息を止めた。息を止めても、灯は流れる。流れは止まらない。止まらないものの前で、人はただ追ふ。
私は橋の向こうへ回り、灯の列を探した。探す目が痛む。痛む目の先で、灯がまた見えた。見えたとたん、胸の奥が熱くなった。
「あれ……」
と、隣の女が言った。浴衣の女だ。「きれいねえ」と続けて、笑った。その笑ひの明るさに、私は少し救はれ、少し刺された。供養の灯を、きれいと笑へる。笑へるのは、生きてゐるからだ。生きてゐる者の特権だ。
私は、笑へなかった。笑へないまま、灯の影を追ひ続けた。
やがて、灯の列は遠くなり、川の曲がり角で、ひとつひとつが点に戻っていった。点は揺れ、揺れて、ついに見えなくなる。見えなくなると、私の足も止まった。
止まった場所で、私は川面を見つめた。灯が消えた川は、ただの黒い水に戻る。戻る速さが、残酷だ。あれほど沢山の灯があったのに、戻る。戻って、何もなかったやうな顔をする。
海も、きっと同じ顔をするのだらう。大和が沈んでも、海は翌日、ただ青いだけだったのだらう。海は何も覚えてゐない顔をする。覚えてゐるのは、残された者だけだ。
私は、川に向かって小さく頭を下げた。
——篤志さま。——もし、今夜、少しでも乗れたなら。——どうか、帰り道は迷はぬやうに。
誰に向けた祈りか、私にも分からない。死者へ向けたのか、自分へ向けたのか。祈りは時々、向き先を失っても形だけ残る。形だけでも残るから、人は倒れずに済む。
家へ帰ると、母がまだ起きてゐた。
縁側の灯は落としてあり、部屋の中は薄暗い。薄暗い中で、母の白い寝巻の襟だけが、少し浮いて見えた。
「おかへり」
母の声は、眠りかけの声だった。眠りかけでも、帰りを待つ。待つことが、この家の盆の作法なのだらう。
「……灯籠、流してきた」
「流れたかい」
「流れた。……きれいじゃった」
“きれい”と言へたのが、自分でも意外だった。きれいと言へたのは、灯の列が、ほんたうにきれいだったからだ。きれいと言へたのは、きれいと言はなければ胸が裂けさうだったからだ。きれいと言へば、悲しみが少し薄まる。
母は、小さく頷いた。
「流れるもんは、流れる。……けど、流したもんは、無うならんよ。胸へ戻る」
胸へ戻る。母の言葉は、いつも正しいところへ落ちる。胸へ戻る。戻って、また一年を回す力になる。
私は母の枕元へ湯を置き、背をさすった。背骨の薄さの下に、母の命がまだ温かくある。温かい背をさするたび、私は「まだ」を数へる。
母が目を閉ぢる前に、ぽつりと言った。
「百合、灯は追へたかい」
追へたかい。その問いに、私は答へられなかった。追へた、と言へば嘘になる。追へなかった、と言へば、それこそ灯籠の意味が折れてしまふ。
「……影を、追うた」
私はやっと言った。母は、それで分かった顔をした。分かった顔をして、眠りに落ちた。
夜更け、私は机に向かった。
川の匂ひが、まだ鼻の奥に残ってゐる。蝋燭の煤の匂ひが、指に少し残ってゐる。灯の橙が、まだ目の裏に残ってゐる。
私は帳面を開き、今年の夜を思ひ出した。灯籠が浮く瞬間。流れる列。橋の下の闇。消える灯。追ふ足。追ふ影。そして、問い。
——君をのせたか。
問いは、これからも消えない。消えない問いを抱へたまま、私はまた来年の桜を待つのだらう。待つことが、私の「嫁がぬ誓ひ」の続きだ。
私は鉛筆を握り、静かに書いた。
盆灯籠 川面に浮きて 流れゆく君をのせたか 影を追ひけり
書き終へると、胸の奥が少しだけ静かになった。静かになったのは、答へが出たからではない。問いを、今年の場所に置けたからだ。
窓の外で、川の方角から微かな風が来た。風は熱を含みながらも、どこか水の冷たさを連れてゐた。私はその風を胸いっぱいに吸ひ、そっと吐いた。
灯は流れた。影は消えた。それでも私は、生きてゐる。生きてゐる限り、追ふ影は変はっていく。変はっていく影の中で、君だけが変はらない。
次の年、町の空はさらに狭くなり、ビルが空を映すやうになると聞く。空が狭くなっても、桜だけは、私の胸の中で君に咲く。そんな年へ、私はまた歩いていく。
第三十七章 昭和五十六年(1981) 狭くなる空
空は、広いものだと思ってゐた。
子どものころ、田の畦に座って見上げた空は、端が見えなかった。若いころ、戦のさなかに見上げた空は、広すぎて怖かった。広い空のどこからでも、警報が来る。爆音が来る。火が降る。空が広いほど、逃げ場所がない――そんなおかしな感覚を、私はあの頃に覚えてしまった。
けれど、昭和五十六年の空は、別の仕方で怖かった。
狭い。
狭いのに、誰も怖がらない。狭いのを、便利と呼ぶ。狭いのを、発展と呼ぶ。
私はその呼び方に、ついていけないところがある女だった。
その春、市内へ出る用事があった。
母の薬が変はった。咳は増えてゐないが、胸の音が少し重いと医者が言った。「大きな病院で一度、検査しませう」と言はれたのだ。“検査”といふ言葉を聞くと、胸がざわつく。戦時の「検閲」と音が似てゐるからではない。検査は、身体の中の「見えない現実」を引きずり出す。見えない現実は、見えないままなら抱へられるのに、見えてしまふと、抱へ方が変はってしまふ。
母は湯呑を両手で包みながら言った。
「行っておいで。……わたしは房子さんがおるけえ」
房子は、いまも変はらず時々来て、薬のことも覚えてくれてゐた。女同士の助け合ひは、声高には言はれない。言はれないまま、暮らしの骨になる。骨があるから、私もたまに外へ出られる。
私は、薄い鞄に診察券と保険証、母の薬手帳、そして自分の帳面――年の歌の帳面を入れた。帳面を持つことは、ただの癖になってゐる。癖になってゐるほど、私はいつでも「今年」を言葉にして、胸の中に置いておかないと、歩けなくなる。
駅へ向かふ道で、私はふと立ち止まった。
前まで、そこには低い商店が並んでゐた。古い薬局、文具屋、魚屋。それが、いまは壁のやうな建物になりつつある。工事の足場。青いシート。鉄の骨組。クレーンが、空へ伸びてゐる。
クレーンは、鶴に似てゐる。けれど、鶴のやうに優雅ではない。鉄の鶴は、空を掴むやうに動き、音を出し、影を落とす。影が落ちるところだけ、空が少し暗くなる。
「マンションが建つんよ」
と、バス停で隣に並んだ女が言った。“マンション”といふ言葉は、まだ私の口に馴染まない。マンションと言ふと、欧羅巴の石造りの屋敷みたいだ。けれど実際のそれは、コンクリートの箱で、窓が揃ひ、ベランダが並ぶ。箱が積み上がると、空が切り分けられる。
女は続けた。
「便利になるらしいよ。下に店が入って、上が住まひで、エレベーターがつくんじゃって」
エレベーター。昇り降りを機械がやる。膝の鳴る私には、ありがたいはずのものなのに、なぜか胸が落ち着かない。便利は、身体を助ける。助けるはずなのに、便利はいつも「自分で出来てゐたこと」を奪っていく。奪われると、人は知らぬうちに弱くなる。弱くなると、心は古いものに縋りつく。
私は黙って頷き、バスに乗った。
窓の外を流れる町は、昔より明るい。看板が増え、車が増え、歩く人の歩幅が速い。速い歩幅は、時代の歩幅だ。時代はいつも、私の歩幅より先へ行く。
市内へ近づくと、建物が一気に高くなった。ガラス張りの建物が、空を映してゐる。映してゐるのに、空は広く見えない。ガラスに映った空は、四角い。四角い空が、何枚も並ぶ。
私はふいに思った。
――空が、細切れになってゐる。
細切れの空の下で、人は忙しく歩く。忙しく歩く人の背中は、どれも同じやうに見えた。背広の黒、スカートの紺、鞄の茶。色が揃ふと、街がひとつの流れになる。流れになると、個々の胸の中が見えなくなる。
見えなくなるのは、平和の証しでもある。誰が何を抱へてゐても、表に出さずに暮らせる。暮らせるから、街が回る。
それでも私は、ガラスに切り分けられた空を見上げて、少し息が苦しくなった。息が苦しいとき、私はいつも胸の奥の“海”を意識する。海は、空よりも広い。広いのに、私の恋人はそこに沈んだ。広さは、救ひではない。広さは、隠すためにも使へる。
病院へ着くころには、首の後ろが汗ばんでゐた。白い建物。白い廊下。白い灯。白は清潔の色なのに、私には時々、焼け跡の灰白にも見える。色は、こちらの記憶で勝手に変はる。
母の検査の説明を受け、紙を受け取り、次の予約を入れた。病院の受付の女は手際がよい。手際のよさが、優しさに見える。戦後、女は“手際”で生き延びた。手際がよい女は、家庭でも職場でも重宝される。重宝される女は、時々、自分の悲しみを後回しにする。私はその癖を知ってゐる女だから、受付の女の横顔に少しだけ胸が痛んだ。
用事が終はって外へ出ると、また高い建物が目に入った。ガラスに映った空が、狭い。狭い空の端に、雲が一つ浮いてゐる。雲は、どの時代でも同じやうに浮く。同じやうに浮くから、私は雲に救はれる。雲は、人間の都合で四角くならない。
学校へ戻ると、職員室でも「建物」の話が出てゐた。
「駅前の新しいビル、もう何階まで行ったんですかね」「市のほうも、再開発だって言ってますよ」若い先生たちは、どこか楽しさうに言ふ。
私は笑って聞きながら、机の上の出席簿を整へた。整へる手つきは、私の仕事の癖だ。癖の中にゐるときだけ、私は“過去”と“今”の境目を保てる。
そこへ用務員の田島さんが入ってきた。
「先生、校庭のあの桜、ちょっと見てくれんかね。工事の人が、枝を落とす言うとる」
枝を落とす。
その言葉で、胸の中が一瞬、冷たくなった。枝を落とす――それは剪定だ。必要だ。必要だと分かってゐるのに、桜に関する“落とす”は、私の胸を過敏にする。桜は、落ちるからこそ美しい、と人は言ふ。落ちることを美と呼ぶ言葉が、私はいまだに苦い。
「どの桜?」
「正門の近くの。……新しい渡り廊下つけるけえ、邪魔になるんじゃと」
渡り廊下。便利のための渡り廊下が、桜の枝を邪魔者にする。便利は、いつも何かを邪魔者にする。
私は職員室を出て、校庭へ急いだ。急ぐと膝が少し鳴った。鳴る膝を無視して、私は桜の木の下へ立った。
その桜は、私がこの学校へ来たころからあった。何十年も、毎年咲いてきた桜だ。生徒が卒業写真を撮るとき、必ず背後に入る桜。先生が転勤するとき、最後に見上げる桜。桜は、この学校の“顔”だった。
工事の男が二人、ヘルメットをかぶって枝を見上げてゐた。男の一人が言った。
「ここ、当たるんですよ。枝、ちょっと落とさせてもらいます」
“ちょっと”。その軽い言ひ方が、胸に刺さった。
ちょっとで落ちる枝もある。ちょっとで戻らなくなる人もある。ちょっとの命令で、若者が海へ行った年を私は知ってゐる。
「……その枝、どのくらゐ落とすんですか」
私の声が、思ったより硬くなった。工事の男は少し驚いた顔をして、「先生ですか」と聞いた。
「はい。……この桜、なるべく残してほしいんです」
男は困ったやうに頭を掻いた。
「いや、こっちもね、図面があるけえ。通路を通すには——」
図面。図面は正しい。正しさは、いつも弱いものを押しやる。弱いもの――樹も、そして女の胸の中の思ひも。
私は、その場で上手い理屈を言へなかった。理屈を言へばいいのに、理屈より先に喉の奥が熱くなる。
私は、桜の幹に手を置いた。幹はざらざらして、温い。石碑の冷たさとは違ふ、生きものの温さだった。温さがあるから、私は言へた。
「……枝を落とすのは仕方ないとしても、木を弱らせるほどは、やめてください。子どもが、毎年ここで写真を撮るんです」
子ども。その言葉は、社会で一番強い。子どもを盾にすると言ふと卑怯みたいだが、私は教師だ。子どものため、と言へる場所にゐる。その立場を、今年だけは借りた。
工事の男は、田島さんと目を合わせ、しぶしぶ頷いた。
「分かりました。最低限にします。……でも、枝、少しは落ちますよ」
少し。
私は小さく頷いた。少し落ちるだけなら、桜は咲ける。咲けるなら、私は呼べる。呼べるなら、今年の空が狭くても、桜は私の胸の中で咲ける。
その日の夕方、枝が落とされた。太い枝が一本、細い枝が数本。落ちた枝の切り口は、白くて、生々しかった。生々しい切り口を見てゐると、胸の奥がひりひりした。
それでも、幹は立ってゐる。根は残ってゐる。残ってゐる限り、春になればまた芽が出る。
私は、落ちた枝の先に残った小さな蕾を一つ見つけた。もう咲かない蕾。咲かないのに、形だけ残ってゐる蕾。
私はそれをそっと拾い、制服のポケットに入れた。はしたない、と昔なら言はれただらう。女が木の欠片を拾って持つのは、みっともないと。けれど、いまの私はもう“みっともない”を恐れるほど若くない。恐れないと言へるほど強くもない。ただ、拾はずにゐられなかった。
家へ帰ると、母が縁側で待ってゐた。
「おかへり。……今日は街へ行ったんかい」
「うん。病院で予約してきた」
母は小さく頷き、湯呑を受け取った。湯呑を受け取る手が、去年より少しだけ震へる。震へる手を見るたび、私は自分の胸の奥の“狭さ”を意識する。時間が、狭くなる。出来ることが、狭くなる。それでも、やらねばならぬことは減らない。
「街は、どうじゃった」
母が訊いた。母はもう、街へ行くことが少ない。少ないから、私の言葉で街を見ようとする。
「……高い建物が増えとった。ガラスで、空が映るやつ」
母は少し笑った。
「空が映るんかい。……空は、映さんでもそこにあるのにねえ」
母の言ひ方は、いつも生活の側へ戻す。空はそこにある。そこにあるのに、四角いガラスに切り分けられる。切り分けられても、空は空だ。そう言へる母が、少し羨ましい。
私は、ポケットの蕾を取り出して見せた。母はそれを見て、目を細めた。
「桜?」
「学校の桜、枝を落としたんよ。……通路を作るけえって」
母は、しばらく蕾を見つめてから、ぽつりと言った。
「焼け跡のころは、空が広かったねえ」
その言葉が、不意打ちだった。
焼け跡のころ。空が広かった。広かったのに、空は怖かった。広い空の下で、家は焼け、町は瓦礫になった。広い空は、何も守らなかった。
母は続けた。
「広いのがええとは限らん。……狭い空でも、人が生きとるなら、ええ」
狭い空でも、人が生きとるなら。
私は息を吸って、吐いた。母の言葉は正しい。正しいのに、私の胸の奥はまだ、別の答へを探してゐる。
私は、蕾を桜袋の近くに置いた。押し花の桜は色褪せ、形だけが残り、そこへ今年の“咲かない蕾”が加はる。咲かないものを加へるのは、悲しい。悲しいのに、なぜか落ち着く。咲かなかった年も、私の年だからだ。
夜、母が眠りについたあと、私は机に向かった。
窓の外を見ると、遠くの街の光が見えた。ビルの灯が、空を下から照らしてゐる。照らされた空は、ますます狭く見える。狭い空の中で、星は探しにくい。星が探しにくい時代は、地上の光が強い時代だ。
強い光は、便利で、賑やかで、明るい。明るいのに、私の胸の中の光は、昔の薄紅の桜にしかならない。薄紅は、強い光に負けさうになる。負けさうになっても、桜は咲く。咲くから、私はまだ呼べる。
今日、ガラスのビルに映った空は狭かった。校庭の桜は枝を落とされ、形が少し変はった。母の手は少し震へた。私の膝は鳴った。狭くなるものが増える年だ。
それでも、春になれば桜は咲く。咲く桜は、誰のために咲くのか――世間の言ひ方を借りれば、「皆のため」だらう。けれど私の胸の中では、桜はいつも一人のために咲く。君のために。
私は鉛筆を握り、今年の一首を置いた。
高層の ビル映す空 狭くなりそれでも桜 君にこそ咲く
書き終へると、胸の奥が少しだけ広がった気がした。広がったのは空ではない。狭くなっていく現実の中に、なお咲かせる場所を、自分の中に作れたからだ。
窓の外の街は、まだ光ってゐる。光の下で、人は眠り、働き、笑ひ、怒り、また明日を回す。私はその明日を、母の背をさすりながら回す。
そして、来年。来年は、私の指が震へるやうになる。“退職”といふ二文字が、現実として机の上に置かれる年が来る。机の裏に残すものを、私はまだ決めてゐない。決めてゐないのに、胸の中では、もう鉛筆の先がそこへ向かってゐる。
第三十八章 昭和五十七年(1982) 机の裏
紙は、薄いのに重い。
薄い紙一枚が、ひとの暮らしを区切る。薄い紙一枚が、ひとの肩書きを外す。薄い紙一枚が、昨日までの「当たり前」を、今日から「過去」にする。
それを私は、二度、知ってゐる。
一度目は、昭和二十年。電報と紙片で、君が戻らぬことを知った。二度目は、昭和五十七年。辞令といふ名の紙片で、私がもう“先生”ではなくなることを知った。
三月の終り、校舎は妙に明るかった。
卒業式が済み、教室の黒板は消され、廊下の掲示が剥がされ、窓ガラスだけがよく磨かれてゐる。人が居なくなった場所は、物がよく見える。物がよく見えると、音が少なくなる。音が少なくなると、胸の中の音が大きくなる。
職員室の時計が、秒針を立てて進んでゐた。「ちっ、ちっ」といふ小さな音が、机の上を歩くやうに聞こえる。
私は、いつもより早く学校へ来てゐた。用もないのに早く来るのは、今日が“最後の日”だと身体が分かってゐるからだ。最後の日は、遅れてはいけない――そんな妙な律儀さが、私にはまだ残ってゐる。戦後を生きた女の律儀さは、時々、自分を苦しめる。
机の引き出しを開けると、チョークの粉が薄く溜まってゐた。消しゴムの欠片。赤鉛筆の短くなった芯。古い名簿の端。ガリ版の鉄筆はもう使はないが、癖で一本だけ残してある。指に黒がつくと落ち着く――そんな自分の古さが、今日は少しだけ愛しくもあった。
そこへ、校長が職員室へ顔を出した。
「綾瀬先生。少し、こちらへ」
“先生”。
その呼び名が、今日は胸に刺さった。刺さって、すぐ抜ける。抜けるのが分かってゐるから、刺さり方が痛い。
校長室へ入ると、机の上に封筒が置いてあった。白い封筒。角がきちんとしてゐる。封筒の白さが、病院の廊下の白さに似てゐる。白は清潔の色なのに、私の目にはいつも“決定”の色にも見える。
校長は咳払いをひとつし、いかにも「公式」の声で言った。
「辞令。綾瀬百合――本日付をもって退職を命ずる」
命ずる。
その言ひ方が、ひどく古く、ひどく硬かった。“命ずる”といふ語尾に、私は一瞬、軍の命令を重ねてしまった。篤志が受け取ったであらう「出撃命令」。それは紙で、人を海へ送った。
いま、私に渡される紙は、私を海へ送らない。送らないのに、胸の奥の海が動いた。紙の重さは、行き先が違っても、ひとを動かす。
「……はい」
と私は答へたつもりだったが、声が少し掠れてゐた。校長が封筒をこちらへ滑らせる。
受け取る指が、震へた。
老いの震へか、気持ちの震へか、私には分からない。分からないまま、指の震へを隠すやうに、私は両手で封筒を持った。両手で持てば、震へは見えにくい。見えにくくする癖が、私には染みてゐる。女は、震へを見せぬやうに教へられてきた。震へを見せれば「弱い」と言はれる。弱いと言はれれば、守ってもらへない。守ってもらへない時代を、私は知ってゐる。
校長は、少しだけ声を柔らかくした。
「長年、お疲れさまでした。……綾瀬先生のおかげで――」
私は、校長の言葉の半分を聞いてゐなかった。聞いてゐないといふより、耳が勝手に別の音を拾ってゐた。
“命ずる”“辞令”“退職”
そういふ語が、紙の匂ひと一緒に頭へ入ってきて、胸の中で回る。回る語の隙間に、君の声が入りかける。
――百合。――よくやった。
そんな声は、聞こえるはずがない。けれど、聞こえた気がしてしまふ。聞こえた気がするほど、私は今日の“区切り”に弱くなってゐる。
校長室を出ると、廊下の窓から校庭が見えた。去年、枝を落とした桜が、そこに立ってゐる。枝は少し減った。けれど幹は太く、芽はちゃんとついてゐた。今年も咲く。咲くと分かってゐるだけで、息が戻る。
私は封筒を抱へ、職員室へ戻った。
職員室には、もう数人の先生が来てゐた。
「先生、辞令、来ました?」若い先生が、何でもないやうに訊く。何でもないやうに訊くのは、今の時代の軽さだ。昔なら、辞令はもっと重かった。転勤の辞令は家族の暮らしを動かし、赴任先で結婚が決まり、また別れが決まった。いまも重いはずなのに、言葉だけは軽くなった。
「来たよ」
私は笑って答へた。笑ふと、紙の重さが少しだけ薄まる。薄まるぶんだけ、涙が出にくくなる。
机に座ると、いつもの椅子のきしみがした。この椅子の音を、私は何年聞いてきただらう。きしみは、私の年輪みたいな音だ。音があるものは、存在を確かめられる。存在を確かめられるのは、ありがたい。
昼前、職員会議があり、そして送別の会があった。花束。寄せ書き。ひとりずつの「お世話になりました」。
私は、こういふ場が得意ではない。女教師は、あまり感情を表に出してはいけない、と昔から自分に言ひ聞かせてきた。泣けば「女々しい」と言はれ、笑へば「軽い」と言はれる。だから私は、いつも“ほどほど”の顔を作ってきた。ほどほどの顔で、子どもを叱り、励まし、成績をつけ、親と話し、夜に帳面へだけ本音を書く。
送別の席で、若い先生が言った。
「先生、これからはゆっくりできますね」
ゆっくり。
その言葉に、私は返事が詰まった。ゆっくり――とは、何だらう。ゆっくり出来る人は、ゆっくり出来る理由を持ってゐる。家族がゐる。趣味がある。旅へ出る相手がゐる。私は、何を“ゆっくり”するのだらう。
ゆっくり出来る時間が増えるほど、君を思ふ時間が増える。増えるほど、胸の奥の海が大きくなる。海が大きくなれば、私は沈みやすくなる。
「……母がゐるけえね。まだゆっくりは出来んよ」
私は、生活の言葉に逃げた。生活の言葉は、人を安心させる。人を安心させる言葉は、場を守る。場を守ることが、戦後の女の礼儀だった。
退職の挨拶を求められ、私は壇の前に立った。体育館の床が、ワックスの匂ひをさせてゐる。体育館の匂ひは、どの学校も同じだ。同じ匂ひの中で、私は何十回、卒業を見送ってきたのだらう。
子どもたちが並んでゐる。制服の紺が揃ひ、髪が揃ひ、視線がこちらを向く。揃った視線は、少し怖い。揃った視線の前で、人は「正しいこと」を言はねばならぬ気になる。
私は、正しい言葉を探した。
「ええ、皆さん。……先生は今日で学校を離れます。けれど――」
そのとき、ふいに喉の奥が熱くなった。離れる。離れるといふ語が、君の離れ方に繋がってしまふ。君は、学校を離れたのではない。私の人生そのものを、海の底へ置いていった。
私は息を吸った。吸って、吐いた。吐く息で、言葉を現実へ戻す。
「――けれど、桜は毎年咲きます。皆さんも、毎年変はっていきます。変はっても、今ここで学んだことを、どこかで思ひ出して下さい」
桜。桜なら言へる。桜なら、君の名を出さずに、君の影を言へる。私はそのやり方だけを、ずっと磨いてきた。
拍手が起こった。拍手は温かい。温かい拍手の中で、私はふと、君の掌を思ひ出した。石碑の冷たさではなく、あの頃の温かい掌。温かい掌の記憶があるから、私は拍手の温かさを“受け取っていい”と思へた。
夕方、職員室が空になった。
送別の人の波が引き、片づけが済み、誰も居なくなると、学校は急に「物の場所」になる。校舎は人の声があって初めて学校になる。声が消えると、建物はただの箱だ。
私は自分の机に戻り、引き出しを全部開けた。
古い通知表の控え。卒業アルバムの端切れ。保護者から貰った手紙。チョークの粉にまみれた布巾。そして――桜の花びらの押し花を挟んだ、小さな紙片。
私はそれを指で撫でた。撫でると、紙が少しだけ波打ってゐる。波打ちは、年月の跡だ。年月は、紙にも残る。残るなら、きっと、人にも残る。
机の中を空にしながら、私は思った。
この机は、私の半分だった。私の昼の半分。夜は家で母の背をさすり、帳面に歌を書き、桜袋を押さへて眠った。昼はここで、子どもの名を呼び、先生と呼ばれ、紙に判を押し、時代の新しい教材に戸惑ひ、コピー機の音に慣れた。
私はこの机に、どれだけの「言へぬもの」を隠してきたのだらう。
引き出しの奥の隅に、私は小さな彫刻刀を見つけた。図工の準備で使ったものを、いつの間にか入れっぱなしにしてゐたらしい。刃は小さい。けれど、刃は刃だ。刃は、木に跡を残す。
私は、刃を手の中で転がした。転がすと、指先が少し冷える。冷える感覚が、石碑の冷たさに似てゐた。冷たさは現実の形だ、と私は知ってゐる。
ふいに、心の中で誰かが言った気がした。
――置いていきなさい。
誰の声か分からない。母の声かもしれない。沖縄で木札を整へた男の沈黙かもしれない。それとも、君の声を私が勝手に作ってゐるのかもしれない。
私は机の天板の縁に手を当て、ゆっくりと身を屈めた。机の裏。誰も見ない場所。誰も見ない場所なら、私は“勝手”に出来る。
彫刻刀の刃先を、木に当てた。
最初の一画を入れるとき、木が「きゅっ」と鳴った。
小さな音。小さな音なのに、胸が一気に熱くなる。木屑が、ほんの少しだけ落ちる。その木屑が、桜の花びらのやうに見えて、私は目を瞬いた。
私は、ゆっくり彫った。急げば、手が滑る。滑れば、線が乱れる。乱れた線は、私の気持ちを乱す。
一画。また一画。
木に刻む字は、紙に書く字よりも遅い。遅いぶん、心が一緒に動く。心が動くぶん、息が詰まる。
「朝……」
苗字から彫るべきか、名だけでいいのか、迷ひが来た。迷ひが来た瞬間、私は刃を止めた。止めると、木の匂ひが立つ。木の匂ひは、教室の机の匂ひだ。子どもの机の匂ひだ。その匂ひが、なぜか君の不在を薄めてくれた。
私は、名だけを彫ることにした。
篤志
私が胸の中で呼ぶ名。私が桜袋の中で守ってきた名。世間に言へぬまま、三十七年抱へてきた名。
彫り終へるころ、指が少し震へてゐた。震へは、退職の辞令を受け取ったときの震へと同じ種類だった。老いの震へか、気持ちの震へか――分からない。分からないまま、私は彫った溝を指でなぞった。溝はざらりとして、少し痛い。痛いのが、ありがたかった。痛いのは、ここに“ある”証拠だからだ。
「……置いたよ」
私は、机の裏に向かって小さく言った。声は誰にも聞かれない。聞かれない声だから、嘘にならない。
私は彫刻刀を元の場所に戻し、机の脚をそっと撫でた。撫でると、木の温さが掌に残る。石碑の冷たさではない。学校の机の温さ。生きてゐる者が毎日触れる場所の温さ。
君の名は、ここで温さに触れ続ける。私はそれが、少しだけ救ひに思えた。
家へ帰ると、母が縁側で待ってゐた。
「おかへり。……今日で終わったんかい」
終わった。母の口から出ると、言葉が柔らかくなる。終わるのではなく、一区切りだと言ってくれるやうな柔らかさ。
「終わったよ」
私は湯呑を受け取り、湯を啜った。湯の温かさが喉を通ると、学校の廊下のワックスの匂ひが少し遠のく。
母は、しばらく私の顔を見てから言った。
「百合、お疲れ」
その一言が、今日いちばん胸に沁みた。校長の言葉より、拍手より、花束より。母の「お疲れ」は、暮らしの底から出る。
私は、ほんたうに少しだけ笑った。
「……うん。疲れた」
疲れたと言へた自分に、少し驚いた。疲れたと言へるほど、私はもう若くない。若くないことを、今日はちゃんと認めてしまった。
夜、母が眠りについたあと、私は机に向かった。学校の机ではない。社宅の小さな机。けれど、机は机だ。机は、女が言へぬものを置く場所だ。
私は帳面を開き、今日の紙の重さを思ひ出した。辞令の白さ。指の震へ。机の裏の木の匂ひ。彫刻刀の刃の冷たさ。“篤志”の四文字が木に残るときの、胸の痛みと安堵。
私は鉛筆を握り、今年の一首を書いた。
退職の 辞令受けとる 指震え机の裏に 君の名を彫る
書き終へると、胸の奥が少しだけ静かになった。私は学校を離れた。けれど、君の名を置いてきた。置いてきた名は、誰にも見えない。見えないのに、私には見える。
見えるものがある限り、私はまた来年も桜を待てる。桜が咲けば、君の名は机の裏で木の匂ひを吸ひ、私は社宅の窓で空を見上げる。
そして次の年、朝の目覚ましのベルが、私の暮らしの孤独をいっそうはっきりさせる。返事のない「おはやう」を、私はまた言ふことになる――。
第三十九章 昭和五十八年(1983) 返事のない朝
ベルの音は、眠りの中へ遠慮なく踏み込んでくる。
時計の針が刻む「ちっ、ちっ」といふ音なら、こちらも息を合わせられる。雨樋のたぷたぷも、扇風機の唸りも、洗濯機の回り出す低い声も、暮らしの音として受け入れられる。
けれど、目覚ましのベルは違ふ。わざと驚かせに来る音だ。
がぁん、がぁん、と金属が鳴る。鳴り方が、妙に容赦ない。容赦ない音は、昔の警報に似る。似てしまふだけで、身体が先に跳ねる。
昭和五十八年のある朝、私はその音に「こはして」起きた。怖がって――と書くと大袈裟に聞こえるが、あれはたしかに“怖い”に近い。夢と現の境目で、音だけが命令のやうに響く。命令の音は、女の胸を黙らせる力を持ってゐる。
私は跳ねるやうに上体を起こし、胸を押さへた。心臓が早鐘を打ってゐる。早鐘は、歳のせいだけではない。音の記憶が、身体の奥で錆びずに残ってゐるせゐだ。
布団の中はまだ温いのに、部屋の空気はひやりとしてゐた。窓の外は薄い灰色。明けきらぬ朝の色は、何年経っても同じやうで、しかし同じではない。同じなのは空の色。違ふのは、こちらの身体の重さだ。
ベルはまだ鳴ってゐる。私は手を伸ばし、止めた。止めると、急に静かになる。静かになった部屋は、音が少ないぶんだけ、不在が大きい。
その静けさの中で、私はいつもの癖を口にした。
「……おはやう」
声は小さく、布団の上でほどけるやうに落ちた。言った瞬間、私は自分に腹が立った。いま、誰に言ったのだ。母は隣の部屋で寝てゐる。声は届かない。届かせるなら、母の部屋へ行って言へばいい。
なのに、私はここで言った。ここで――この自分の布団の中で。昔から、君に向かって言ふときは、いつもそうだ。誰も居ないところで、声だけが先に出る。声だけが出て、返事がない。
返事がないことに慣れたつもりでゐても、朝の返事のなさは、胸をひやりとさせる。夜の返事のなさは、まだ「眠り」といふ言ひ訳が出来る。朝は違ふ。朝は、始まりだ。始まりに返事がないと、今日といふ一日が、最初から片方欠けたやうに感じられる。
私は、ふっと笑ひさうになった。笑ひさうになったのは、可笑しいからではない。可笑しさの形でしか、やり過ごせないからだ。
「……おはやう、って。誰に言うとるんじゃろ」
自分に言ってゐるのか。君に言ってゐるのか。昔の私に言ってゐるのか。
答へは出ない。答へが出ないままでも、朝は進む。進むから、私は布団を抜けた。
退職してから、私は「朝」が変はった。
学校があるころの朝は、時間が先へ走ってゐた。目覚ましが鳴る前に目が覚め、弁当の代りの握り飯を作り、母の薬を並べ、職員室の鍵のことを考へ、教室の黒板の文字を頭の中で並べ――自分の朝ではなく、人の朝を生きてゐた。
いまは、自分の朝だ。自分の朝――といふ言ひ方は聞こえがいい。けれど実際は、母の朝だ。母の体調に合わせ、薬の時間に合わせ、湯の温度に合わせ、咳の具合に合わせて回る朝。
それでも、学校の朝に比べれば、急がされることは減った。減ったはずなのに、私はいまでも目覚ましをかけてゐる。目覚ましをかけないと、朝がどこまで流れていくか分からないからだ。人の暮らしは、締めがないとほどける。ほどけてしまへば楽になりさうなのに、ほどけると怖い。ほどけたら、胸の奥の海へそのまま沈んでしまひさうで怖い。
台所へ行くと、畳より少し冷たい板の感触が足裏に来た。やかんに水を入れ、火にかける。火がつく音が小さく鳴り、青い炎が立つ。炎を見ると、私は落ち着く。炎は「生きてゐる側」の色だ。
湯が沸くまでの間、私は母の部屋の雨戸をそっと開けた。すきまから朝の光が入り、母の寝巻の白が浮いた。母は横を向いて、細い息をしてゐる。息がある。それだけで、私は毎朝、胸の底で小さく拝む。
「母さん」
声を落として呼ぶ。母の肩がわづかに動く。それが返事になる。
「……おはやう」
私は今度こそ、母へ向かって言った。母は目を開け、しばらく私を見てから、やっと唇を動かした。
「……おはやう」
声は小さい。昔の母の声は、もっと張りがあった。張りのあった声で、私を叱り、笑ひ、泣いた。いまの声は、息の上に乗るやうにやっと出る。出るだけで、ありがたい。
ありがたいのに、私はふいに胸が痛んだ。母の返事が小さくなるほど、私の「返事のない朝」が近づく気がしたからだ。
母は、私の顔を見て、少しだけ笑った。
「目覚まし、うるさいねえ。……びっくりする」
母もびっくりする。びっくりするけれど、母は「こはい」とは言はない。こはいと言へば負けると思ってゐる世代の強情が、そこにもある。
「もう少し小さう鳴ればええのにね」
私が言ふと、母は喉の奥で笑った。
「小さいと起きん。……百合は、寝坊したらあかん」
寝坊したらあかん。その言ひ方が、娘のころのままだ。母が私を“娘”として扱へるうちは、家の形がまだ保たれてゐる。
私は湯を持って来て、薬をのませ、背をさすった。背骨の薄さが掌に伝はる。薄さは、年の現実だ。現実は冷たい。冷たいから、私は掌で温める。
朝の支度が済むと、私は縁側に座り、庭の端を眺めた。
退職して、家にゐる時間が増えた。増えた時間の中で、私は「音」に敏くなった。学校があったころは、音が多すぎて、胸の奥の音が紛れた。いまは、音が少ない。少ないから、胸の奥の音がはっきりする。
目覚ましのベル。やかんの沸く音。母の咳。そして、返事のない沈黙。
隣の家から、男の声がした。「行ってくるぞ」といふ声。それに女が「はい、気をつけて」と返す声。声の往復が、朝の空気を整へる。
往復がある家は、朝が丸い。往復がない家は、朝が尖る。
私はふと、自分の胸に刺さる尖りを感じて、湯呑を強く握ってしまった。湯呑の温かさが掌へ移る。温かさは、ありがたい。ありがたいほど、君の不在が浮き立つ。
君と暮らしたことはない。一度もないのに、私は「もし」を持ってゐる。もし君が帰ってきてゐたら――朝、私はあなたに「おはやう」と言ひ、あなたは「おはやう」と返しただらうか。返しただらう。返しただらうと、私は勝手に信じてゐる。信じることで、返事のない朝をやり過ごしてきた。
けれど、退職して朝の形が変はったいま、返事のなさが際立つ。際立つほど、私は時々、わざと声を出す。
「おはやう」
と、誰も居ない台所で言ってみる。言ってみて、返事がないことを確認する。確認して、胸が痛む。痛むのに、また言ってしまふ。傷口を触って確かめる癖のやうに。
痛みの中に、少しの諧謔を混ぜなければ、私は朝を回せない。だから私は時々、目覚まし時計に向かって言ふ。
「おまへだけは元気じゃのう。返事の代りに鳴きよって」
目覚まし時計は返事をしない。しないのに、次の日もまた鳴く。鳴くことだけは怠けない。その律儀さが、腹立たしくも、どこか頼もしくもあった。
春が近づくと、庭の端の木に小さな芽が出た。
桜ではない。社宅の庭に桜はない。それでも芽を見ると、私は勝手に桜を思ふ。桜はもう、植物ではなく、私の季節の呼び名になってゐる。
母が縁側で芽を見て言った。
「今年も、咲くねえ」
何が咲く、と母は言はない。花の名を言はなくても、私の顔を見れば分かると思ってゐる。母は、私の胸の中の桜を知ってゐる。
「咲くよ」
私は答へた。答へながら、胸の奥で君に向かっても言ってゐた。咲くよ。今年も。君の返事はない。返事がないのに、私は言ふ。
返事のない相手に言葉を投げることが、いつの間にか私の日常になった。教師をやめても、その癖だけは残る。呼びかけ。呼びかけて、返事がない。返事がないまま、日が暮れる。それでも、次の日も呼びかける。
呼びかけが癖になるほど、私の恋は「生活」に沈んだのだと思ふ。生活に沈んだ恋は、派手に燃えない。派手に燃えない代りに、灰になりにくい。灰になりにくいから、長く残る。
長く残る残り火を、私は毎朝の目覚ましの音で揺すられる。揺すられて目を覚まし、まず最初に「おはやう」と言ってしまふ。言ってしまひ、返事がないことにまた少し驚く。
驚きは、悲しみとは違ふ。悲しみは慣れる。驚きは慣れない。慣れないから、私はまだ生きてゐる。
その年のある朝、いつものやうにベルが鳴り、私はまた跳ね起きた。
胸がどくどく鳴る。息を整へる。窓の外は淡い光。布団の温かさ。そして、静けさ。
私は、また言ってしまった。
「おはやう」
言ってから、少し間が空いた。返事はない。母の部屋からも、まだ音がしない。隣の家も、まだ静かだ。町全体が一瞬、息を止めたやうな時間。
その時間に、私は君の不在をまっすぐ受け取ってしまった。受け取ってしまったから、逆に、ふっと笑ひが出た。
「……返事、せんのう」
返事をしない相手に、返事を求める自分が、可笑しい。可笑しいけれど、可笑しさの奥は痛い。痛いのをそのままにすると、朝が崩れる。だから私は笑って、布団を抜けた。
台所へ行き、火をつけ、湯を沸かし、母の部屋へ行く。母はやがて目を開け、少し遅れて「おはやう」と返す。その遅れが、来年の予告のやうに胸へ刺さる。刺さっても、私は背をさする。背をさするのが、私の朝の仕事だからだ。
夜、母が眠りについたあと、私は机に向かった。退職して、昼の言葉は減った。減ったぶん、夜の言葉が増えた。増えた言葉を、帳面へ落とす。落とせば、今年が形になる。
目覚ましのベル。こはして起きる朝。返事のない「おはやう」。返事のなさに慣れたふりをする自分。慣れたふりの中の、小さな諧謔。
私は鉛筆を握り、今年の一首を書いた。
目覚ましの ベルにこはして 起きし朝「おはやう」と云へば 君返さざり
書き終へると、部屋の静けさが少しだけ柔らかくなった。柔らかくなったのは、返事が戻ったからではない。返事のない現実を、言葉の中へ置けたからだ。置けたから、私はまた翌朝、ベルに驚きながらも起きられる。
窓の外では、遠くで新聞配達の自転車の音がした。生活の音が、町を走っていく。走っていく音を聞きながら、私はふいに思った。
母の返事が、いつか消える。消えたとき、私はどこへ「おはやう」を置けばいいのだらう。
その問いが、来年の扉の音になった。来年――母が逝き、位牌が増える。けれど君の位牌は胸の中に残り続ける。そんな年へ、私はまた、返事のない朝を積み重ねて行くしかない。
第四十章 昭和五十九年(1984) 位牌の灯
母の返事が、いつか消える――。
あの年(昭和五十八年)の冬、私はそんなことを帳面の端で考へて、すぐに振り払った。考へたくないことは、考へた瞬間に現実へ寄ってくる。寄ってきて、戸口に立つ。戸口に立たれたら、こちらは生活の手を止めねばならなくなる。だから私は、考へないふりをした。考へないふりの上に、湯を沸かし、薬を並べ、背をさすり、「おはやう」を繰り返し、返事のある朝にしがみついた。
けれど、昭和五十九年は――その「ふり」を許さない年だった。
正月は、いつもより静かに始まった。
昔の正月は、音が多かった。近所の子どもの凧が鳴り、門松の藁の匂ひがし、台所では餅を焼く煙が出て、誰かの家からは笑ひ声が漏れた。いまの正月は、テレビの音が一番大きい。駅伝の実況、歌番組の拍手、ニュースの軽い言葉。画面の中は賑やかなのに、こちらの部屋は小さく、暖房の風だけが回る。
母は、雑煮を少しだけ口に含んで、すぐ箸を置いた。
「……餅が、喉に引っかかる」
喉に引っかかる――その一言が、私の胸に刺さった。餅が引っかかるのは年のせゐだ、と皆は言ふ。年のせゐ――便利な言ひ方だ。けれど私は、年のせゐの先にあるものを見てしまふ。喉が弱る。肺が弱る。息が弱る。弱るものの先に、ある日ぷつりと切れるものがある。
「無理せんでええ。汁だけ飲み」
私はそう言って、母の椀から餅を抜き、汁を小さな湯呑へ移した。母は湯呑を両手で包み、ゆっくり啜った。
「……今年も、桜は見られるかねえ」
母がぽつりと言った。桜、と言はれると、私は反射で胸の奥を押さへたくなる。桜は、私の恋の合言葉で、母の生の合言葉でもあった。母が桜を言ふとき、それは「来年も生きる」といふ宣言なのだ。
「見られるよ」
私は、強く言った。強く言ひすぎて、逆に怖くなった。強く言ふと、言葉が呪ひになることを、私は知ってゐる。
母は小さく笑った。
「百合は、言ひ切るねえ」
言ひ切る――それは、母の褒め方であり、心配の言ひ方でもある。言ひ切らねば、娘が崩れると知ってゐるのだらう。私は、その知り方に救はれながら、同時に、母の目が少し遠くを見てゐるのを感じて胸が痛んだ。
冬が深くなると、母の咳が増えた。
増えると言っても、激しい発作ではない。ただ、夜中に二度、三度、痰を切るために起きる。起きる回数が増える。回数が増えると、こちらの眠りが細切れになる。細切れの眠りは、心を薄くする。
私は薬を変へ、加湿器代りに湯を沸かし、濡らした布を部屋に掛け、背中をさすった。背中をさすると、母の皮膚が紙のやうに薄い。薄い皮膚の下に、骨が浮く。浮いた骨が、あの人の骨を思ひ出させる――と、私はすぐ自分を叱った。骨を比べるのは、母に失礼だ。母はまだ生きてゐる。生きてゐる人の骨は、温い。
温さを確かめるやうに、私は掌を置き続けた。
ある夜、母がふいに言った。
「百合」
「なに」
「……わたしが居らんようになったら、どうする」
言はせてはいけない言葉だ、と身体が先に思った。そう思った瞬間、母の問いの重さが倍になった。
「居らんようにならん。まだ居る」
私は反射で言った。けれど、母は笑はなかった。笑はない母の顔は、もう答へを知ってゐる顔だった。
「居るうちは居る。……けど、人は居らんようになる」
母は、生活の言葉で死を言ふ。死を大袈裟にしない。悲劇にしない。悲劇にしないから、余計に本当らしい。
私は喉の奥が熱くなり、声を落とした。
「……母さん。そんな話は、まだ」
「まだ。……でも、百合」
母は息を整へながら、言葉を続けた。
「わたしは、父さんの位牌があって助かった。……形があると、泣けるけえ」
形があると、泣ける。その言ひ方が、私には痛かった。
父の位牌。母は、父を形にして泣けた。私は、篤志を形に出来なかった。形に出来ないから、泣き方も分からず、泣く場所も持てず、胸の中でだけ泣いてきた。
母は続けた。
「百合の人は……形がないねえ」
形がない。母の口からそれが出たのは、初めてだった。私がずっと胸の底に沈めてきた言葉を、母は静かに掬ひ上げてしまふ。
私は何も言へなかった。言へないまま、母の背をさすった。背をさする掌だけが、私の言葉だった。
春が近づくころ、母は急に弱った。
弱り方は、劇のやうに派手ではない。ただ、食べられる量が減り、水を飲むのにも時間がかかり、立ち上がるとふらつく。ふらつくたび、母は笑ってごまかす。「年じゃけえ」と言って済ませる。済ませる癖が、戦後の女を支へてきた。
私は病院へ連れて行き、医者の言葉を聞いた。医者は白い顔で、白い廊下で、白い紙に数字を書く。
「心臓も、肺も、年相応に弱ってます。……ご家族としては、無理をさせないことです」
無理をさせない。それは正しい言葉だ。正しい言葉は、いつもあっさりしてゐる。あっさりしてゐるから、こちらの胸だけが重くなる。
家へ帰る道、母は窓の外を見てゐた。桜の蕾が、まだ硬い枝の先に膨らんでゐる。
「ほら、今年も準備しとる」
母が言った。“準備”といふ言ひ方が、まるで桜が人間みたいで、私は少し笑った。笑ったのに、笑ひの奥が痛い。
「準備しとるね」
「……百合。あんたも、準備しとき」
母は、急に私を見た。準備。何の準備か、言はなくても分かる。分かるから、私は目を逸らした。
準備など、出来ない。死の準備は、どれだけ考へても、当日になって間に合はない。
その朝は、風が静かだった。
目覚ましのベルが鳴る前に、私は目を覚ました。母の咳が、夜中に一度もなかったからだ。咳がない夜は、ありがたいはずなのに、私は胸騒ぎを覚えた。静かすぎる夜は、怖い。静かすぎるのは、息が薄い証拠にもなる。
私は布団から出て、母の部屋へ行った。障子の向うに、母の寝息が聞こえない。
「母さん」
声を落として呼ぶ。返事がない。私は一歩近づき、母の肩にそっと触れた。
肩は、温くはない。冷たくはない。けれど、温さが弱い。
「母さん」
もう一度呼ぶ。母の瞼が、ゆっくり開いた。開いた目が、私を見た。見たのに、焦点が少し遠い。遠い焦点の目で、母が小さく息を吐いた。
「……百合」
母の声が、糸のやうに細い。細い糸の声で、母は言った。
「……おはやう」
私は息を呑んだ。返事がある。返事があるのに、その返事が「最後の返事」みたいに聞こえる。そんなふうに聞いてしまふ自分が、憎かった。
「おはやう。……湯、持ってくる」
私は台所へ走り、湯を沸かし、薬を用意した。戻ると、母は目を閉ぢてゐた。閉ぢた目の下で、息が小さく動く。私は母の唇へ湯を含ませ、背をさすった。
そのとき、母が急に私の手首を掴んだ。掴む力が弱い。弱いのに、必死だ。
「百合……」
「なに」
母は、息を整へるやうに一度目を閉ぢ、また開いて言った。
「……篤志さんに、よろしく」
篤志さん。
母が、君の名を口にしたのは初めてではない。けれど、こうしてはっきりと、何の比喩もなく、何のごまかしもなく呼んだのは、これが最初で最後だった。
私は喉が詰まり、声が出なかった。声が出ないまま頷くと、涙がこぼれさうになった。母の前で泣いてはいけない、といふ古い癖が、最後まで私を縛る。縛るのに、母はもうその縄をほどいてくれるやうな目をしてゐた。
母は、ふっと笑った。笑ったのに、次の瞬間、呼吸が浅くなった。浅い呼吸が二度、三度。それから、ふっと止まった。
止まった瞬間、私は声にならない声で母を呼んだ。
「母さん……!」
呼んでも、肩が動かない。胸が動かない。目が開かない。
私は母の口元に手を当てた。息がない。息がないことを、掌がいちばん先に知る。掌が知ると、頭はまだ認めたがらない。認めたがらない頭の上で、身体だけが勝手に動く。
私は電話を取り、かかりつけ医へかけた。震へる指で番号を押す。押す指が、辞令を受け取った日の震へと同じだ。震へは、悲しみのせゐか、老いのせゐか。分からないまま、私は医者の声を聞いた。
医者はすぐ来た。胸に聴診器を当て、時計を見て、静かに言った。
「……ご臨終です」
ご臨終。
その言葉は、丁寧で、残酷だった。丁寧に言へば言ふほど、決定が動かなくなる。動かなくなると、こちらの希望が行き場を失ふ。
医者が帰り、私は次に寺へ電話をかけ、房子さんへ電話をかけ、町内の世話役へ電話をかけた。電話の受話器は、ぬるく湿ってゐた。何本も電話をするうち、私は自分が泣いてゐないことに気づいた。泣けないのではない。泣く前に、やらねばならぬことが押し寄せる。押し寄せることが、死後の世間の仕組みだった。
近所の女たちが来て、手際よく動き始めた。湯を沸かし、布を用意し、母の身体を拭き、白い布を当て、髪を整へる。女たちは、言葉が少ない。言葉が少ない代りに手が早い。手が早いところに、戦後の暮らしが残ってゐる。
「百合さん、座っとき」
誰かが言った。座る暇などない。けれど座らないと倒れる、といふのがこの歳になると分かる。私は畳に座り、膝の上で自分の手を握った。握った手が、空っぽだった。母の手が、もうそこにない。
葬儀は、家では出来なかった。
社宅は狭い。長屋の廊下は狭い。人が集まれば迷惑になる。迷惑になる、といふ言葉は、戦後の女にとって最も怖い言葉の一つだ。迷惑をかけないやうに生きる。迷惑をかけないやうに泣く。迷惑をかけないやうに死ぬ。そんな無理な作法を、女は背負ってきた。
だから、葬儀社の会館を借りた。会館は、白い花で満ちてゐた。白い菊。白い百合。白い蘭。白い花は、弔ひの正しさを形にする。正しい形があると、遺された者は少し楽になる。楽になる代りに、悲しみが「手順」に押し込められる。
通夜。葬儀。告別式。
僧侶の読経が流れ、木魚の音が一定に続く。一定の音は、灯籠流しの川の流れにも似てゐる。流れに似てゐるから、私は少し安心し、少し怖くなった。流れは止まらない。止まらないものが、母を連れていく。
香典を受け取る手が、また震へた。「このたびは…」と口にする定型句が、口の中で乾く。人の顔が一枚一枚、遠くに見える。遠くに見えるのに、言葉だけは近い。
「ご愁傷さま」「お母さま、立派でしたね」「おひとりで大変でしょう」
“おひとりで”。
その言葉が、胸に刺さる。刺さるのに、私は笑ってしまふ。笑ってしまふのは、笑ひでしか受け取れないからだ。
「ありがとうございます。……皆さんに助けてもらって」
助けてもらって。そう言へば、場は丸く収まる。丸く収まる言葉は、いつも本音ではない。けれど本音を言へば、場が尖る。尖った場は、人を傷つける。人を傷つけたくない。傷つけるほどの力は、もう私には残ってゐない。
火葬場で、骨を拾った。
二本の箸で、白い骨を持ち上げる。骨は軽い。軽い骨が、母の重みだったものだと思ふと、胸がよじれる。骨を拾ふ儀式は、現実を突きつける。現実は、遺された者の掌に乗せられる。
骨を拾ひながら、私はふいに、君の骨を思った。君の骨は、私の掌に乗らなかった。坊ノ岬沖の海は、何も返さなかった。返さなかったから、私は骨を拾ふ手つきさへ知らぬまま、歳を重ねた。
いま、母の骨を拾ふ。拾へる骨があることに、ありがたさと罪悪感が同時に来る。ありがたいのに、なぜ罪悪感が来るのだらう。たぶん、拾へなかった骨が胸に残ってゐるからだ。
骨壺を抱へて帰る車の中で、私は窓の外の桜を見た。桜は、まだ咲いてゐない。蕾は硬い。硬い蕾を見て、私は泣きたくなった。母は今年、咲く桜を見ない。見ないのに、春は来る。春は来てしまふ。
四十九日までの間、家は「灯」を持った。
仏壇の前の蝋燭。線香の煙。供へた水の光。灯があると、夜が少し柔らかくなる。柔らかくなる夜の中で、私は初めて、母の不在をはっきり感じた。
朝、目覚ましのベルが鳴る。私は起きる。台所で湯を沸かす。母の部屋へ行く――と、身体が勝手に動きかけて、止まる。
止まるところで、胸が空洞になる。空洞になった胸の中に、去年までの「返事」が一気に落ちてくる。
「母さん。……おはやう」
言ってしまふ。言ってしまって、返事がない。返事がない朝が、当たり前になる。当たり前になるほど、私は怖くなる。怖くなるのに、誰にも言へない。言へないまま、仏壇へ手を合わせる。
仏壇には、父の位牌があった。父の位牌の隣に、母の白木位牌が並んだ。白木位牌は、まだ仮の姿だと言ふ。仮でもいい。形があるだけで、私は手を合わせられる。
夜、灯を点けると、位牌の影が壁に伸びた。伸びた影が、ふたつ。父と母。影がふたつあることが、ありがたい。ありがたいのに、私はふいに胸の奥が痛くなった。
――君の位牌が、ない。
ないことは、ずっと知ってゐた。知ってゐたのに、位牌がふたつ並んだ途端、ないことがはっきりした。家の中に「位牌の列」が出来ると、列に入らない者が際立つ。際立つのは、世間の仕組みのせゐだ。世間は、形に名前をつけ、関係を整へ、悲しみを収めようとする。収められる悲しみは、世間に受け入れられる。収められない悲しみは、置き場所を失ふ。
私は置き場所を失ふ悲しみを、ずっと抱へてきた。抱へてきた悲しみは、母の死でさらに重くなった。重くなったのに、私はその悲しみを「位牌」に出来ない。出来ない理由は分かってゐる。私は妻ではない。遺族ではない。名を刻めば、誰かが「何の関係」と問ふ。問はれれば、説明せねばならぬ。説明は、君を薄くする。薄くされるのが、私は耐へられない。
四十九日が済み、母の本位牌が出来た。
黒く艶のある位牌。金の文字。戒名。生年月日。没年月日。金の文字が灯に照らされて、少し光る。光る文字を見ながら、私は思った。人は、金で死を飾るのだ、と。飾るといふより、整へるのだ。整へないと、遺された者が立てないからだ。
私は仏壇の前の灯を点け、父の位牌と母の位牌を並べ直した。並べ直す指が、少し震へる。震へるのは、儀式の重さのせゐか、老いのせゐか。分からないまま、私は線香に火を点けた。火が、ふっと青く立つ。青い火は、オイル灯の年の炎を思ひ出させる。闇に喘ぎて燃ゆる頃。錆びず響く軍靴。
私は、そのまま仏壇の前に座った。
灯火が、揺れる。揺れる灯火の中で、位牌の影が壁に揺れる。影が揺れると、私は昔の影も思ひ出す。桜の影。海の底の青。そして、君の影。
「……母さん」
私は小さく呼んだ。返事はない。返事がないのに、灯火だけが揺れる。揺れる灯火は、返事の代りに見える。見えるものがあるから、私は呼べる。
私はふと、自分の胸に手を当てた。胸の奥に、重みがある。重みは、母の死で増えた重みだ。増えた重みの底に、ずっと昔からある重みがある。
――篤志。
君の位牌は、ここにある。胸の中の、誰にも見えない仏壇にある。見えないから壊されない。見えないから、世間の列に並べられない。並べられないのに、私はそれでいいと思ってしまふ。
位牌は「形」だ。形は、世間の中で悲しみを生かす。けれど、君の悲しみは世間に生かされたくない。生かされれば、薄くされる。薄くされるくらいなら、私はこの胸の奥で、古いまま、濃いまま抱へる。
母が、最後に君の名を口にした。あの一言で、君は母の側にも座った。座ったなら、私が胸の中で持つ位牌は、もう「私だけの勝手」ではない。母も認めた形だ。そう思へるだけで、私は少し救はれた。
私は灯火を見つめながら、息を吸って吐いた。線香の匂ひが、鼻の奥に残る。匂ひは、記憶を呼ぶ。記憶が呼べるうちは、私はまだ生きてゐる。
その夜、私は帳面を開いた。
退職してから、学校の机はなくなった。けれど家の机がある。机がある限り、私は言葉を置ける。言葉を置けば、崩れずに済む。
母が逝き、位牌が増えた。灯火の前で、私は手を合わせた。合わせた掌の中に、君の掌の温さが一瞬よみがへった気がした。よみがへったのは幻でもいい。幻があるだけで、私は今夜を越えられる。
私は鉛筆を握り、震へる指のまま、今年の一首を書いた。
老母逝きて 位牌並べる 灯火かな君の位牌は まだ我が胸に
書き終へると、灯火の揺れが少しだけ静まったやうに見えた。静まったのは灯ではない。私の胸の中で、母の死が「今年の場所」に収まったのだ。
窓の外で、春の風が小さく鳴った。桜の蕾は、きっともうすぐほどける。母の居ない春。返事のない朝。それでも、桜は咲く。咲く桜に、私はきっとまた君を重ねる。重ねて、生きる。
そして来年、八月六日の鐘が町に満ちる。鎮魂の鐘を聞きながら、私は海の底の君にも届くかと問いかけることになる――。



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