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大和出撃11


第四十一章 昭和六十年(1985) 鎮魂の鐘

鐘の音は、空を満たすだけではない。胸の中の“空白”まで満たしてしまふ。

 

昭和六十年の八月六日、私はそれを思ひ知らされた。

母が逝ってから、家の朝は、音が少ない。

 

目覚ましのベルの金属音。やかんの湯の沸く音。隣の家の戸の開く音。そのくらゐしか、こちらを現実へ引き戻すものがない。

 

返事がない朝に慣れたつもりでゐても、慣れは、いつも薄い。薄い慣れの下から、母の声が時々ふいに顔を出す。

 

「百合、寝坊したらあかん」「湯、熱うないかい」「咳が出るけえ、窓を閉めえ」

 

声はもう出ないのに、耳の奥で鳴る。耳の奥で鳴る声は、優しいほど痛い。痛いから、私は朝を急ぐ。急げば、考へずに済む。考へずに済めば、泣かずに済む。

 

八月六日の朝も、私は早く起きた。起きた、といふより――目が覚めてしまった。

 

外はすでに暑さの匂ひを持ってゐた。夏の朝の匂ひは、夜の涼しさを押しのけてくる。押しのけてくる匂ひの中に、線香の匂ひが混じってゐる気がした。気がしたのは、昨日の夜、仏壇の前で長く手を合わせたせゐだ。母の位牌の前の線香を、いつもより一本多く焚いた。

 

私は台所へ行き、やかんに水を入れた。水の音が、妙に澄んで聞こえる。夏の朝は、音がよく響く。響く音に紛れて、今日の“日付”だけが胸の奥で重くなる。

 

八月六日。

 

この日付を、私は子どものころは知らなかった。戦のさなか、女の耳へ入るのは配給の話と、警報と、誰それが出征したといふ噂ばかりだった。“広島”といふ地名は、ただの地名だった。呉の軍港に近い、賑やかな街――そのくらゐの認識でしかなかった。

 

昭和二十年の八月、あの朝のことは、いまでも身体が覚えてゐる。焼け跡の灰がまだ足の裏に残ってゐて、瓦礫の匂ひがして、闇市が立ち始めたころ。「新しい爆弾が落ちた」といふ噂が、昼前に流れた。噂はいつも、最初は薄い。薄い噂が、時間と一緒に濃くなる。濃くなるにつれ、誰かが泣き、誰かが黙り、誰かが「そんな馬鹿な」と怒り、そして皆が空を見上げた。

 

空は広かった。広い空の下で、広島は燃えた。――と、あとから知った。

 

その年、私はもう篤志を失ってゐた。失ってゐたから、広島の悲しみを聞いたとき、胸の中の悲しみが“場所を変へただけ”のやうに感じられてしまひ、私はそれが怖かった。怖くて、私は長いこと原爆の話を避けてきた。避けてきたくせに、八月が来るたび、胸の奥に鐘の影が生まれる。

 

鐘、といふ形でしか私は死を扱へない。

 

今年――昭和六十年は、戦後四十年だと人が言った。四十年。三十年のときに私は慰霊碑へ行った。四十年の今年は、なぜか「原爆忌」に引かれた。

 

引かれたのは、母が居ないせゐだ。母が居ないと、家の中で私を現実へ繋ぐものが減る。減ったぶん、私は外へ“形”を探しに出たくなる。

 

私は小さな水筒に水を入れ、白いハンカチを鞄へ入れ、桜袋を懐へ押し込んだ。桜袋は、いまではもう護符に近い。護符を持たぬと、人混みの中で心が揺れる。

 

駅へ向かふ道で、すれ違ふ人が皆、どこか静かな顔をしてゐるやうに見えた。八月六日を知る町の人は、黙る。黙り方が、生活の黙り方だ。声高に嘆かない。嘆けば息が続かないと知ってゐる。

 

私は列車に乗り、窓の外を眺めた。瀬戸内の光は朝から強い。水面がきらきらして、眩しい。眩しい水面を見るほど、私は“深い底”を思ってしまふ。深い底は光が届かない。光が届かないところへ、私は名を落とした。

 

広島へ近づくにつれ、人が増えた。白いシャツの男。黒い喪服ではないが、どこか慎ましい色の服。学生の集団。紙袋から折り鶴の束が見える。折り鶴は、私の時代にはなかった。なかったが、いまはある。“いまはある”ことが、平和の形だと言ふのなら、それを否定する気にはなれない。

 

私は鞄を抱へ直し、胸の奥で小さく言った。

 

――篤志さま。今日は、広島へ行くよ。

 

返事はない。返事はないのに、言はずにはゐられない。言ふことが、私の呼吸になってしまった。

平和記念公園へ向かふ道は、人の流れがゆっくりだった。

 

急ぐ人がゐない。急がないのではない。急げないのだ。気持ちが急ぐと、足が止まる。足が止まるほど、胸が重くなる。皆それを知ってゐるから、歩幅を揃へる。

 

公園の入口で、若い子が水を配ってゐた。紙コップの水。「どうぞ」と言ふ声が、少し震へてゐる。震へてゐる声を聞くと、胸がざわつく。震へは、こちらへ移る。

 

私は水を受け取り、ひと口だけ飲んだ。水が冷たい。冷たい水が喉を通ると、一瞬だけ身体が現実へ戻る。戻った現実の中に、すぐ「水を欲しがって死んだ人」の話が差し込んでくる。差し込んでくるから、私はすぐ飲み干せなかった。飲み干すのが、申し訳ない気がした。

 

「……ありがとう」

 

と言って、私は紙コップをそっと返した。返したとき、相手の若い手の温さが指先に触れた。温さがある。温さがあることが、今日の意味なのだらう。

 

公園の中へ入ると、木々が思ったより大きく、影が深かった。影の深さに救はれる。空が狭くなる年に、木の影は有難い。

 

遠くに、原爆ドームが見えた。骨のやうな形。骨は、剥き出しになると残酷だ。けれど、剥き出しだからこそ嘘がない。嘘がないものの前で、人はやっと正直になれる。

 

私はドームを見上げ、すぐ目を逸らした。正直になるのが怖い。正直になれば、私は篤志の死の“正直”にも向き合はねばならぬ。向き合ふのは、まだこはい。

 

公園の中心へ進むと、人がさらに増えてゐた。白い帽子の列。杖をついた老人。焼けた腕を見せるやうに袖を捲った人。皆の顔に、それぞれの年月が刻まれてゐる。年月が刻まれた顔は、私の母の顔に似る。似るから胸が痛い。

 

私は、慰霊碑のあたりへ行った。そこには花が積まれ、水が供へられ、線香の匂ひが薄く漂ってゐた。線香の匂ひは、どこでも同じだ。同じ匂ひが、死を“ひとつ”にする。ひとつにすることで、人は倒れずに済む。倒れずに済むやうに、匂ひはある。

 

八時が近づくにつれ、空気が変はった。人の声が低くなる。歩く音が減る。紙袋の擦れる音まで小さくなる。静けさが、街全体の中で編まれていく。

 

私は時計を見た。八時十三分。胸が早鐘を打ち始める。早鐘は、歳のせゐか、記憶のせゐか。

 

八時十五分。

 

その瞬間――

 

鐘が鳴った。

 

いや、まず、空気が止まった。止まった空気の中へ、鐘が落ちてきた。落ちてきて、街に広がった。

 

鐘の音は、丸い。角がない。角がないのに、胸の奥へまっすぐ入ってくる。胸の奥へ入ってくるから、私は息を止めた。

 

同時に、どこかでサイレンのやうな音も聞こえた気がした。けれど、私の耳が拾ったのは、鐘の余韻だった。余韻が、遠くへ伸びていく。伸びていく余韻の中で、人々が一斉に頭を垂れた。私も頭を垂れた。

 

黙祷。

 

黙る祈りの中で、私はなぜか、坊ノ岬沖の海を思ってゐた。沖縄の海。深い底。大和の艦が沈んだ青。青の底は、静かだ。静かだから、鐘の音など届かない。届かないはずなのに――

 

私は、届かせたくなった。

 

鐘の音は空を渡る。空から川へ落ちる。川は海へ行く。海は、広島の海も、呉の海も、沖縄の海も、どこかで繋がってゐる。繋がってゐるなら、音も――

 

私は、胸の中でそっと言った。

 

――篤志さま。聞こえるかい。――いま、鐘が鳴ったよ。――街が黙って、鐘だけが鳴ったよ。

 

返事はない。返事はないのに、黙祷の静けさの中で、私は確かに“誰かが聞いてゐる”気配を感じた。気配は、科学ではない。けれど、科学で説明出来ないものを抱へて、人は生きてゐる。

 

黙祷が終はると、人々はゆっくり顔を上げた。顔を上げた瞬間、誰かの嗚咽が聞こえた。嗚咽は、風のやうに一瞬で消える。消えるところが、生活の嗚咽だ。いつまでも泣けば暮らしが回らぬ。回らぬことを、皆が知ってゐる。

 

私はハンカチを握りしめた。白い布が汗を吸ふ。吸はれた汗が、塩の味を思ひ出させる。塩の味は、海の味だ。海へ繋がる味だ。

 

――君の海。

 

私は、目を閉ぢて、もう一度だけ鐘の余韻を胸の中で反芻した。余韻は消えかけてゐた。消えかけてゐるのに、消えない。消えないものを、私は知ってゐる。消えないものの名を、私は毎年書いてきた。

黙祷のあと、公園の人の流れはゆるやかにほどけた。

 

帰る人。川辺に座る人。折り鶴を供へる子ども。新聞記者らしい男が走る。走る足音が、今日だけは少し乱暴に聞こえる。乱暴に聞こえるのは、静けさを知ってしまったからだ。

 

私は、原爆死没者慰霊碑の近くで、小さな水の入った盥を見つけた。盥の水面に、空が映ってゐる。空は四角くない。水面に映る空は、揺れてゐる。揺れてゐる空を見ると、私は灯籠流しの影を思ひ出す。影は、揺れて、消えていく。消えていくものを追ふ癖が、私にはある。

 

私は鞄から水筒を出し、少しだけ水を盥へ足した。足す行為が、供養の形になる。形があると、掌が落ち着く。落ち着いた掌で、私は盥の縁に指を置いた。

 

水は冷たい。冷たい水は、石碑の冷たさとは違ふ。冷たいのに、生きてゐる冷たさだ。水は流れる。流れる水は、海へ行く。

 

私はそのまま、胸の中で呟いた。

 

――この水が、海へ行きますやうに。――鐘の音も、行きますやうに。

 

誰に向けた祈りか分からない。原爆の人々へか。母へか。篤志へか。それとも、自分自身へか。

 

祈りは時々、宛先を失ふ。宛先を失っても、祈りの形だけが残る。形が残るから、人は立ってゐられる。

 

盥のそばで、年配の女が私に声をかけた。

 

「暑いですねえ」

 

私は頷いた。

 

「暑いですね」

 

女は、私の胸のあたり――桜袋の位置を一瞬見て、すぐ視線を戻した。見たのは偶然かもしれない。けれど、私はその視線に、妙に救はれた。人は、言葉にしないで、互ひの荷を感じ取ることがある。

 

女が言った。

 

「毎年来よるんです。……来んと、落ち着かんけえ」

 

落ち着かん。その言ひ方が、私と同じだった。私は思はず、口が勝手に動いた。

 

「……私は、今年が初めてです」

 

「そうですか」

 

女は驚いた顔をせず、ただ頷いた。

 

「初めてでも、遅いことはないですよ。……鐘が鳴ると、胸がね、少しだけ整うんです」

 

胸が整う。

 

その言葉に、私は息を吸った。整ふ――といふのは、私が毎年、歌でやってきたことだ。乱れた胸を、言葉の形へ整へる。整へて、翌年へ行く。原爆の鐘も、同じ働きをするのだらうか。

 

女は続けた。

 

「……うちはね、子どもを取られてしもうて。水ばっかり欲しがって……」

 

女はそこで言葉を切った。切った言葉の端に、四十年の重さが垂れてゐた。私は「大変でしたね」とも「おつらいですね」とも言へなかった。言へば軽くなる気がした。軽くしたくなかった。

 

私はただ、深く頭を下げた。頭を下げるしか出来ない自分が、情けなくもあり、また正しい気もした。言葉で埋められぬものを、無理に埋めるのは傲慢だ。

 

女も頭を下げ、そして、私を見て小さく言った。

 

「あなたも……戦争で、取られたんでしょう」

 

取られた。

 

その言葉が、胸を突いた。取られた。私はずっと「沈んだ」と言ってきた。沈んだ、と言へば海の静けさの中へ収まる。けれど本当は、取られたのだ。国に。戦に。命令に。時代に。

 

私は小さく頷いた。

 

「……はい」

 

女はそれ以上問はなかった。問はないことが、女同士の礼儀だった。礼儀の中に、慰めがある。

帰り道、私は市電の窓から街を見た。

 

八時十五分の静けさが嘘のやうに、人々はまた歩き、車が走り、店のシャッターが上がる。日常は強い。強い日常があるから、人は死を抱へて生きられる。抱へられるから、また八月六日が来る。

 

市電が川を渡るとき、私は水面を見た。水面は光り、空を映し、ゆっくり流れてゐた。流れは、海へ行く。海へ行けば、沖縄の海へも繋がる。

 

私は懐の桜袋を押さへた。刺繍の凹凸が指先に触れ、生活へ戻れと言ふ。生活へ戻る。戻らねば、母の位牌の灯を守れない。戻らねば、来年の歌も書けない。

 

家へ戻ると、仏壇の前の空気がひんやりしてゐた。母の位牌が、静かにそこにある。父の位牌が、静かにそこにある。ふたつの形が、私の家の夜を支へる。

 

私は線香に火を点け、灯を見つめながら、今日の鐘を思ひ出した。鐘の余韻が、まだ胸の底で鳴ってゐる。鳴ってゐる余韻を、私は君へ渡したかった。渡せたかどうかは分からない。分からないままでも、私は渡したいと思ったこと自体を、今年の形にして置きたい。

 

机に向かい、帳面を開いた。鉛筆を握る指は、去年より少し硬い。硬い指で、ゆっくり書く。ゆっくり書けば、胸の中の鐘もゆっくり落ち着く。

 

私は今年の一首を置いた。

原爆忌 鎮魂の鐘 街に満ち君も聞きゐむ 海の底にて

書き終へたあと、私はしばらく鉛筆を置けなかった。置けば、鐘が消えてしまふ気がしたからだ。消えてしまふ気がするものほど、人は手放したくない。

 

けれど、消えてしまふものの中から、消えないものだけが残る。残るものが、私の恋だ。残るものが、私の祈りだ。

 

窓の外で、遠くの寺の鐘が小さく鳴った気がした。本当か、幻か分からない。分からないまま、私はその音を胸の奥で受け取った。

 

鐘は、街に満ちる。満ちた鐘は、やがて消える。消えても、胸の奥に沈む。沈んだ音は、深い海の底まで届く――と、私は信じたい。

第四十二章 昭和六十一年(1986) 抱くもの

紙は、時々――人の手より冷たい。

 

冷たいのに、紙はよく覚えてゐる。指の脂も、涙の塩も、線香の煙も、年月の湿り気も、黙って吸ひ込んで、薄い顔のまま持ち続ける。

 

昭和六十一年の春、私はまた一枚の紙に、暮らしを動かされた。

郵便受けに、封筒が刺さってゐた。

 

白い封筒。角の立った封筒。差出人は、教育委員会の名と、管理の課の判。この手の封筒は、開ける前から胸が硬くなる。退職の辞令も、母の死亡届の控えも、みなこんな顔をしてゐた。

 

私は封筒を持ったまま、しばらく玄関の上がり框に立ち尽くした。風が廊下を抜け、畳の匂ひが少し動く。動いた匂ひに、母の気配を探してしまふ癖は、まだ抜けない。

 

封を切ると、紙が二枚出てきた。

 

「職員住宅明渡しのお願い」「〇月〇日までに」

 

“お願い”と書いてある。書いてあるのに、お願いではない。これは決定だ。決定は、いつも丁寧な言葉を纏って、こちらへやって来る。

 

私は紙の上の期日を指でなぞった。なぞると、指先がざらりとする気がした。紙はつるりとしてゐるのに、ざらりとしたのは私の胸のほうだ。

 

母が逝って二年。私が退職して四年。この家も、もう「私の居場所」ではなくなるのだと、紙が言ってゐる。

 

――どこへ行けばいい。

 

そんな問いが、喉の奥で鳴りかけた。けれど、問いはすぐ生活の手順に押し返された。

 

まず、片づける。片づけて、荷をまとめて、移る。女の暮らしは、いつだって手順で自分を救ってきた。手順があるから泣かずに済む。泣かずに済むから、明日も湯を沸かせる。

 

私は、押し入れの襖を開けた。

押し入れの中は、冬の匂ひがした。

 

古い毛布。母の寝巻の残り。仏具の箱。そして、段ボールが二つ。

 

段ボールの側面に、昔の私の字で「文」「写真」と書いてあった。“文”――と書いたのは、自分でも意外だった。手紙、と書くより、文と書くほうが、ずっと私らしい。文は、出さなくても文だ。手紙は、出して初めて手紙になる。私は、出さずに書き続けた女だ。

 

段ボールを引き出すと、底が畳に擦れて、低い音がした。擦れる音が、まるで歳月の音みたいで、私は息を吸った。

 

蓋を開ける。中から、便箋が束になって出てくる。黄ばんだ紙。角が丸くなった封筒。罫線の上に、細い字が並ぶ。インクの色の濃淡で、年が分かる。若いころの字は、尖ってゐる。中年の字は、整ひすぎてゐる。老いた字は、少し息を含んでゐる。

 

私は、一番上の便箋をそっと持ち上げた。

 

「篤志さま」

 

と書いてある。それだけで、胸がふっと痛む。痛むのに、手放せない。

 

紙の束の奥から、小さな袋も出てきた。桜袋。刺繍の薄紅。その中に、押し花になった桜がいくつか、薄い紙に挟まれて眠ってゐる。

 

私は、桜袋を掌に載せてみた。軽い。軽いのに、重い。重いのに、軽い。この矛盾が、私の恋の重さだ。

 

畳の上に座り込み、私はしばらく、文と桜を並べた。並べた途端、この家の中で私が抱へてきたものが、はっきり形になった気がした。

 

血の繋がりでもない。夫婦の暮らしでもない。子や孫でもない。私が抱いてきたのは、紙と花びらと、そして名だけだ。

 

名だけを抱く女――と、世間は言ふだらうか。けれど私は、その名を抱かなければ、ここまで生き残れなかった。

 

私は段ボールを閉ぢ、ガムテープで仮止めした。仮止め、といふところが情けない。本決まりにしてしまふのが怖い。荷造りを本決まりにしたら、ほんたうにここを出ていくことになるからだ。

 

そこへ、廊下の向こうで戸が鳴った。

 

「百合ちゃーん」

 

声がした。

 

房子の声だ。

房子は、近所へ越してきてから、いつの間にか一番の“身内”みたいになった女だった。母が居たころは、薬の順番も覚えてくれ、夜に咳が続けば駆けつけてくれた。母が逝ってからも、線香を持って来て、黙って台所を片づけ、私の湯呑を洗って帰る。言葉が少ないところが、私にはありがたかった。

 

戸を開けると、房子が立ってゐた。そしてその腕の中に、小さな子が居た。

 

赤い頬。短い髪。掌ほどの足。その小ささが、眩しい。

 

房子は、子をあやしながら笑った。

 

「ほれ、見て。孫よ。今日は娘が用がある言うて、預かったんよ」

 

孫。

 

その言葉が、私の胸の中で一瞬、跳ねた。跳ねて、すぐ静まる。静まるのに、跳ねた跡だけが痛い。

 

「……あら。可愛いねえ」

 

私は、精一杯ふつうの声で言った。ふつうの声で言へる自分に、少し安心し、少し寂しくなった。昔なら、声が震へたかもしれない。震へないほど、私はもう色々を飲み込むのが上手くなった。

 

房子は玄関で靴を脱ぎながら言った。

 

「百合ちゃん、これ、来たろ? 明け渡しの紙。うちの旦那が言うとった。そろそろ厳しゅうなるって」

 

やっぱり。私は苦く笑った。

 

「来たよ。……紙は丁寧じゃけど、言うことは一つじゃ」

 

房子は「そうじゃろうねえ」と言って、抱いてゐた孫を少し持ち直した。子は房子の胸に顔を埋め、もぞもぞ動いた。

 

その“もぞもぞ”が、私には眩しかった。生き物の重み。生き物の温さ。紙の重みとは違ふ重み。

 

房子が言った。

 

「荷造り、しよるん?」

 

「……しよる。押し入れ、開けたら、紙が山ほど出てきてね」

 

房子は少し目を細めた。私が“何の紙”を持ってゐるか、房子は詳しくは知らない。けれど、知らないふりをしながら、だいたい分かってゐる顔をする。その分かり方が、女同士の距離だ。

 

「ほう。……まあ、紙は軽いけえ、ええがね」

 

軽いけえ――と言ひながら、房子の腕の孫が手足をばたつかせた。房子は「こらこら」と笑って、その子の手を握る。握った手の小ささ。握られる手の頼りなさ。頼りないのに、世界を全部信じてゐる手。

 

私は、目を逸らしかけて、逸らすのをやめた。逸らせば負けると思った。何に負けるのか分からないまま、私はその小ささを見届けたかった。

 

房子が、ふいに言った。

 

「百合ちゃん、抱いてみん?」

 

抱く。抱く――といふ言葉が、胸の奥の別のものを動かす。抱くといふ行為を、私はずっと知らないまま来た。知らないまま来たくせに、知ってゐるふりは出来る。教師だったから、子どもに触れることはあった。けれど、抱くのは違ふ。抱くのは、責任の重さが違ふ。

 

「……ええよ、落としたらいけんし」

 

私は笑って逃げた。逃げたのが自分でも分かった。分かった途端、房子はそれ以上押さなかった。

 

「落とさんよ。ほれ、しっかりしとるけえ」

 

房子は、そう言って、子の身体をこちらへ少し寄せた。寄せられると、断り切れない。断り切れないところに、房子の優しさと、少しの意地悪が混じってゐる気がした。意地悪といふより、“生きてゐる方へ引っ張る”手つきだ。

 

私は両腕をそっと出した。

 

子は軽かった。軽いのに、ずしりと来た。ずしりと来るのは、骨があるからだ。骨が温いからだ。温い骨を抱くと、私は自分の身体が空っぽだったことに気づいてしまふ。

 

子は私の胸の前で、少しだけ顔を上げた。目が合った。黒い目。黒い目が、私をまっすぐ見る。まっすぐ見られると、私は妙に身構へる。子どもの目は、こちらの取り繕ひを知らない。

 

「……こんにちは」

 

私は、誰にともなく言った。こんにちは、と言へば、まだ昼だ。昼の言葉に逃げられる。朝の「おはやう」より、夜の「おやすみ」より、こんにちはは軽い。軽い言葉に逃げたのに、子は笑はない。ただ、私の指を掴んだ。

 

掴まれた指が、少し痛い。痛いのに、嬉しい。嬉しいのに、すぐ怖くなる。怖くなるのは、掴まれたら離されることを知ってゐるからだ。離される痛みを、私は知りすぎてゐる。

 

房子が笑って言った。

 

「掴んだねえ。百合ちゃんの指、好きなんじゃ」

 

好き。その軽い言葉に、私は喉の奥が熱くなった。好き、といふ言葉を、私は長いこと口にしてゐない。好きと言へば、必ず篤志の名がついてくる。篤志がついてくると、世間が黙る。黙る世間の空気が怖くて、私は好きと言はない女になった。

 

子は、私の胸の前で、またもぞもぞ動いた。もぞもぞの動きが、まるで“まだ先へ行く”といふ意思みたいで、私は目を瞬いた。

 

房子が手を伸ばして、子を受け取った。受け取られると、腕が急に軽くなる。軽くなると、胸が少し痛い。痛いのは、重みを一瞬知ったからだ。

 

房子は子を抱き直しながら、さらりと言った。

 

「うちの娘もねえ、今の子はよう泣く言うて、夜が大変じゃって。……百合ちゃんは、静かなもんじゃろ」

 

静かなもん。

 

静かだ。静かすぎて、夜の音がよく聞こえる。静かすぎて、紙の擦れる音さへ大きい。静かすぎて、君の不在がいつも膝に乗る。

 

私は笑った。

 

「静かよ。……その代り、目覚ましがうるさい」

 

房子は「まだ目覚まし鳴らすんかね」と笑った。笑ひがある間は、救はれる。救はれるけれど、笑ひの底に小さな影が落ちる。

 

房子は、孫の背をぽんぽん叩きながら言った。

 

「百合ちゃん、荷造り、手伝うたげようか。……この子連れじゃ、あんまり出来んけど」

 

「ええよ。……でも、ありがたい」

 

ありがたい、と言ってしまったのは本心だった。手伝ひが欲しいのは荷造りより、たぶん心の方だ。

 

房子は部屋へ上がり、押し入れの前で私が開けた段ボールを見つけた。蓋が少し浮いてゐる。

 

「これ、文?」

 

房子が訊いた。訊き方は軽い。軽いのに、優しい。

 

「……うん。文」

 

私はそれ以上言はなかった。房子もそれ以上訊かなかった。その“訊かない”が、私にはいちばんの手当てになる。

 

孫が急に声を上げた。「うー」といふ、まだ言葉にならぬ声。房子はすぐ揺すり、背を叩き、手際よくあやした。その手際に、私は母を思ひ出した。母もまた、手際で生きた女だった。

 

房子がぽつりと言った。

 

「百合ちゃん。……あんた、よう頑張ったね」

 

それは、孫の世話のことを言ってゐるやうで、違ふ。荷造りのことを言ってゐるやうで、違ふ。房子は、私の三十年を一言で撫でたのだ。

 

私は返事が出来なかった。返事が出来ない代りに、段ボールの蓋を押さへた。押さへる手が少し震へた。

 

房子は、震へを見ないふりをして言った。

 

「ほいじゃ、また来る。……この子、昼寝させにゃいけんけえ」

 

「うん。……気ぃつけて」

 

房子が帰るとき、孫がこちらを一度だけ見た。見た目が、さっきより眠たげで、まぶたが重い。重いまぶたの下に、次の世代の時間が詰まってゐる。

 

戸が閉まる。廊下が静かになる。

 

静かになると、私は急に、部屋の空気が広がった気がした。広がった空気の中で、私の胸だけが狭い。

私は、床に置いた段ボールの横へ座り込んだ。

 

さっき抱いた重みが、腕にまだ残ってゐる。残ってゐるのに、腕は空だ。空の腕を見て、私は自嘲が喉へ上がるのを感じた。

 

同じ年の女は、孫を抱く。抱けば、体温がある。息がある。未来へ行く重みがある。

 

私は――何を抱いてゐる。

 

段ボールの蓋を開け、便箋の束を両手で持ち上げた。紙が冷たい。紙が乾いた音を立てる。乾いた音の中に、若いころの私の息が閉じ込められてゐる。

 

私は、さらに桜袋を取り出して胸へ押し当てた。刺繍の凹凸が肌に触れる。触れる凹凸は、生き物ではない。それでも、私はそれを“抱く”と言ふしかない。

 

抱くものが、文と桜。

 

文は、出さぬ恋文。桜は、押し花。どちらも、手の中で朽ちる。朽ちるのに、私の中の君だけは朽ちない。朽ちない君を抱へるために、私は朽ちる紙を抱いてゐる。

 

滑稽だ、と誰かは言ふだらう。女が一人で、紙束を抱いて生きるなど。けれど、滑稽だと笑へる人は、きっと抱くものを持ってゐる。抱くものがある人は、他人の抱くものを笑へる余裕がある。

 

私は余裕がない。余裕がない代りに、紙と花で自分を支へてきた。

 

私は、押し花の一片を薄い紙から取り出し、掌に載せた。花びらはもう薄紅ではない。少し褪せて、黄みがかかり、端が欠けてゐる。欠けた花びらを見てゐると、枝を落とされた学校の桜を思ひ出す。落とされても、幹は立つ。欠けても、花は“花”だ。

 

花びらをそっと戻し、桜袋を結び直した。

 

そのとき、胸の奥で、ふいに声がした気がした。

 

――百合。――抱くものがあるなら、それでええ。

 

そんな声は、聞こえるはずがない。けれど、聞こえた気がする。聞こえた気がするほど、私は今年、孤独をはっきり抱いた。

 

孤独は、泣けば軽くなるものではない。孤独は、抱けば抱くほど重くなる。重くなるから、抱き方を覚えねばならない。私は、抱き方を文と桜で覚えてきた。

夜、机に向かった。

 

外では、テレビの音がどこかの家から漏れてゐる。歌番組の拍手。明るい笑ひ。明るい音が、薄い壁を越えてこちらへ来る。来るほど、こちらの静けさが際立つ。

 

私は帳面を開き、今日の光景を思ひ出した。

 

房子の腕の中の、温い重み。掴まれた指の痛さ。帰っていく背中。戸の閉まる音。そして、自分の腕の空。

 

空の腕の上に、私は紙束と桜袋を載せる。載せることを、抱くと呼ぶしかない。

 

私は鉛筆を握り、息をひとつ吐いた。吐いた息は、線香の匂ひを少し含んでゐる。母の位牌の灯は、今日も静かに揺れてゐた。位牌の灯が揺れるたび、私は“世代”といふ流れを思ふ。父から母へ。母から私へ。私から先へは、血は流れない。流れない代りに、文が流れる。桜が巡る。

 

それでいい。そう言ひ切るには、まだ胸が痛い。痛いまま、今年の形を置く。

 

私は、今年の一首を書いた。

旧友の 孫抱く姿 目に入りて我は抱くもの 文と桜ぞ

書き終へると、鉛筆の先が少し震へた。震へは、悲しみのせゐか、老いのせゐか。分からないまま、私は帳面を閉ぢた。

 

閉ぢても、明日が来る。明日が来れば、荷造りを続ける。続けながら、私はまた桜を待つ。桜は、世代が変はっても咲く。咲く桜だけが、君の名を時代の中に置いてくれる。

 

そして来年、夕焼けの海が燃えるやうに赤くなり、船が過ぎていく。白い航跡が伸びるのを見て、私はまた君の名を思ふことになる――。

第四十三章 昭和六十二年(1987) 航跡白し

夕焼けは、海に来ると、火になる。

 

町の夕焼けは空の色だけで終はる。けれど瀬戸内の夕焼けは、水面を染め、波の端を赤くし、船の影を黒く切る。黒く切られた船が進むと、そこに白い線が残る。白い線は、波が書く。波が書くのに、どこか“人の手”の字に見える。

 

昭和六十二年の秋、私はその白い線に、君の名を見た。

社宅を出て、私は小さな借家へ移った。

 

借家と言っても、立派なものではない。駅から少し離れた、坂の途中の古い家だ。坂があるのが不便だと房子は言った。けれど私は、坂の上の空が少し広く見えるところが気に入った。狭くなる空の年から、私は“空の広さ”を探す癖がついた。

 

家は狭い。狭いけれど、母の部屋はもう要らない。母の部屋が要らない、と言ひ切ると胸が痛む。痛むから、私は「仏間の場所」と呼んだ。母の位牌と父の位牌を置く場所。灯を点ける場所。線香の匂ひが溜まる場所。

 

荷物は少ない。少ないはずなのに、箱は多かった。文の箱。写真の箱。桜袋の箱。紙と花で出来た私の人生は、意外と嵩張る。

 

引っ越しが終はった夜、私は畳の上に座り、箱の山を見てゐた。箱の山があると、安心する。安心するのに、箱の山は「まだ終はってゐない」と告げる。終はってゐないから、私はまた明日、片づける。

 

片づける日々の中で、私は時々、外へ出たくなった。家の中にゐると、箱の匂ひと紙の匂ひが濃くなる。濃くなる匂ひは、胸の奥の海を呼ぶ。海が呼ばれると、私は息が浅くなる。

 

息を深くするには、海へ行くのが一番だ。海へ行くのは矛盾だと思ふのに、海へ行けば息が深くなる。深いものの前に立つと、人は逆に呼吸を整へるのかもしれない。

 

秋のある日、私は瀬戸内へ出た。

港町へ向かふバスは、坂を下り、平地を抜け、やがて潮の匂ひを運んできた。

 

潮の匂ひは、私にとって慰めでもあり、刃でもある。刃のやうに胸を切るのに、同時に慰めのやうに鼻の奥を洗ふ。洗ふと、涙が出さうになる。涙が出さうになるのに、私はその刃を嗅がずにはゐられない。

 

港へ着くと、風が強かった。風は髪を乱し、頬を乾かし、服の裾を引っ張る。引っ張られると、私は子どものやうに身体を固くする。波の音が、どこか砲声の名残に聞こえる癖は、まだ消えない。

 

港の堤防の上に立つと、瀬戸内が開けた。

 

秋の夕は、早い。太陽はすでに傾き、水面が赤くなり始めてゐた。赤は、怖い色でもある。炎の赤。血の赤。けれど夕焼けの赤は、怖さの中に静けさがある。静けさがあるから、私は赤を見つめられる。

 

沖を、船が一隻、ゆっくり進んでゐた。

 

貨物船だらうか。灰色の船体。煙突から薄い煙。船が進むと、水面が割れて、白い線が伸びる。伸びる白い線は、最初は太い。太くて、泡が荒い。それが少しずつ細くなり、ゆらゆら揺れ、やがて消える。

 

消えるまでの間、白い線は確かに“残る”。

 

残るものがある限り、人は見送れる。見送れるから、人は別れを形に出来る。君の別れは形にならなかった。形にならなかった別れは、私の胸の中でずっと未完成のままだ。

 

船の航跡を見てゐると、未完成の別れに、仮の線が引ける気がした。白い線が、心の中で何かを整へていく。

 

航跡は、夕焼けに照らされて、白がいっそう際立つ。赤い海の上に、白。赤と白の対比が、目に痛いほど美しい。美しいものほど、私は疑ひ深くなる。美しいものは、悲しみを包み隠すことがあるからだ。

 

けれど、この白い線だけは隠さない。白い線は、船が通った事実を隠せない。通った。通って、行った。戻らない。

 

その「通った」を、私はずっと証拠として欲しかった。

 

君が通った。君がこの世を通って、私の前を通って、海へ行った。行った。行ったといふ証拠が、私には欲しかった。

 

航跡の白い線は、証拠のやうに見えた。証拠のやうに見えた途端、私の胸の中で、君の名が立ち上がった。

 

――篤志。

 

名を声に出さなかったのは、堤防の上に他の人が居たからではない。居たとしても、もう私は若い女ではない。若くない女が誰の名を呟いても、人は放っておく。それでも声に出さなかったのは、声に出すと、名が風に散ってしまひさうだったからだ。

 

私は心の中で、名を“書いた”。

 

篤志。四文字。船の航跡の白い線が、まるでその四文字の筆跡のやうに見えてきた。

 

白い線の最初の太さは、の一画の重さ。泡が跳ねるところは、筆のはね。線が細くなるところは、筆の抜き。最後に消えかけるところは、書き終へたあとに紙が吸ふ墨の滲み。

 

馬鹿げてゐる。航跡はただの泡だ。泡が字に見えるのは、私が字を欲しがってゐるからだ。

 

欲しがってゐるのは、形だ。形がない別れに、形を与へたがってゐる。与へるのは傲慢かもしれない。けれど、傲慢でもしないと、私は息が出来ない。

 

風が強く吹いた。白い航跡が、少し崩れて見えた。崩れると、胸がざわつく。ざわつくと、私はまた航跡を追ふ。追ふ癖が、灯籠流しの影を追った自分と重なる。

 

航跡は、やがて消える。消える前に、私は目に焼きつけた。

 

赤い瀬戸内。黒い船影。白い航跡。白い航跡が、君の名みたいに伸びる。

 

伸びた名は、海に書いても残らない。残らないから、なお、私は書き続ける。

帰り道、私は港の小さな売店で、安い絵葉書を買った。

 

瀬戸内の夕焼けの写真が印刷されたもの。赤い海に白い航跡が写ってゐる。「瀬戸内の夕景」と小さく書いてある。

 

私は、その絵葉書を鞄に入れた。入れた瞬間、胸の奥が少し落ち着いた。紙は冷たい。けれど紙は、海の白い線を持ち帰れる。持ち帰れるなら、今年の航跡は私の机の上で“形”になる。

 

家へ戻ると、仏間の灯が薄暗い中で待ってゐた。父の位牌。母の位牌。黒い位牌の金文字が、灯に照らされて少し光る。その光は、鐘の余韻のやうに静かだ。

 

私は線香を一本焚き、手を合わせた。

 

――母さん。――今日は海へ行ったよ。――瀬戸内が赤う燃えとった。

 

母の返事はない。返事はないのに、灯だけが揺れる。揺れる灯は、返事の代りに見える。

 

私は、胸の中の君にも言った。

 

――篤志さま。――赤い海に、白い線が伸びたよ。――君の名みたいに。

 

名を言へる場所が、胸の中にしかないことが、今日は少しだけ救ひだった。外へ言へない名は、内側で濃くなる。濃くなるほど、消えにくい。

 

机に向かい、帳面を開いた。絵葉書を取り出して、帳面の脇に置く。写真の航跡は、印刷なのに、なぜか湿り気を持って見える。湿り気は、海の記憶だらうか。

 

私は鉛筆を握り、今日の赤と白を言葉に移した。移せば、今年が形になる。形になれば、来年へ行ける。来年は――昭和の終りが近づく年だ。時代が崩れ始める端に、私は立つことになる。

 

その前に、今年の一首を置く。

燃ゆる夕 赤き瀬戸内 船過ぎて航跡白し 君の名のごと

書き終へると、胸の奥の海が少し静まった。静まったのは、海が遠のいたからではない。白い線を、言葉にして留められたからだ。

 

窓の外で、秋の虫が鳴いた。虫の声は小さい。小さい声が夜を満たす。満たされた夜の中で、私は赤い海を思ひ出し、白い航跡を思ひ出し、そして君の名をもう一度だけ胸の中で書いた。

 

篤志。

 

海の上に書いて消える名を、紙の上に置いて、私はまた明日を迎へる。

第四十四章 昭和六十三年(1988) 昭和果て

昭和六十三年――と聞いたとき、私は思はず指を折って数へた。

 

六十三。私の歳も、六十三だった。

 

暦の上の数字と、自分の身体の数字がぴたりと重なることがあるのだと、その年になって初めて知った。重なると、嬉しいより先に、胸の奥がざわつく。これは偶然か、終りの合図か――そんな馬鹿げた迷信めいた考へが、老いの頭には入り込みやすい。

 

朝、ラジオをつけると、いつも同じ言ひ方が流れた。

 

「昭和天皇陛下のご容体ですが――」

 

ご容体。その語尾が、毎日ほんの少しずつ重くなる。重くなるにつれて、街の空気も変はっていくのが分かった。

 

新聞の一面が硬くなる。テレビの声が抑へられる。商店街の赤い提灯が、いつの間にか減る。「お祝いは自粛」といふ張り紙が、飾り気のない字で貼られる。

 

自粛――。

 

戦時中にも、よく聞いた言葉だ。その時の自粛は、命令の匂ひがした。いまの自粛は、誰かの目を気にする匂ひがする。命令ではないのに、皆が同じやうに肩をすくめ、同じやうに声を落とす。

 

私はその匂ひを嗅いで、胸の底で小さく身構へた。命令の匂ひは、私の記憶を呼ぶ。記憶が呼ばれると、君の軍帽の紺が濃くなる。

八月十五日のことを、私は毎年、身体のどこかで思ひ出してゐる。

 

思ひ出したくなくても、思ひ出す。暑さの匂ひ、蝉の声、畳の湿り、あの頃の空の広さ。そして、ラジオの前に座らされたような姿勢――。

 

玉音放送の声は、いまでも耳の奥に残ってゐる。内容を正確に覚えてゐるのではない。あの、遠くて、硬くて、うねるやうな声の「質」が残ってゐる。

 

昭和六十三年の冬、ラジオが毎日伝へる「ご容体」の言葉を聞くたびに、私は玉音放送の声の質に触れた気がした。触れた気がすると、胸の中の戦争が、勝手に息をし始める。

 

戦争が息をし始めると、君の不在がまた新しい痛みになる。新しい痛みになるのが、悔しい。三十年以上も抱へてきて、まだ新しい顔をする痛みがあるのが、悔しい。

 

それでも痛みは痛みで、私の暮らしをちゃんと動かす。痛みがあるから、私はラジオの音量を少し下げ、湯を沸かし、仏壇に水を替へる。水を替へる手つきだけは、今日も昨日も同じだ。

 

父の位牌、母の位牌。ふたつの黒い形が、灯の下で静かに光る。

 

そして私は、胸に手を当てる。胸の中の位牌――君の分。

 

形がない位牌を、私は今日も抱へてゐる。

町の人は、口に出して「昭和が終わる」とは言はなかった。

 

言はぬのが礼儀、言はぬのが常識、といふ空気があった。「次の年号」などと話題にすることは、どこか不謹慎に見える。不謹慎といふ言葉は、人の口を簡単に塞ぐ。塞がれるのが怖いから、人は先に自分で塞ぐ。

 

それでも、買い物の列の中で、ふいにぽつりと漏れる。

 

「長い時代じゃったねえ」「戦争もあったし、復興もあったし」「今は景気がええ言うけど、よう分からんねえ」

 

言葉は短い。短い言葉の中に、皆それぞれの昭和が折り畳まれてゐる。

 

私はその列の端で、頷くだけでゐた。私の昭和は、もっと折り畳めない。折り畳めないほど、海の底の青が広い。

 

景気、といふ言葉もよく聞いた。テレビでは、ブランドの鞄だの、海外旅行だの、派手な車だの。若い女が肩を張って歩いてゐる。男が高い酒を飲む。皆の顔が明るい。

 

明るいのに、街はどこか息を潜めてゐる。派手な色を一枚、上から黒い薄布で覆ひ、覆ひながらも笑ってゐる――そんな、妙な二重の顔。

 

私はその二重の顔を見ると、胸がざらついた。戦時の二重の顔を知ってゐるからだ。

 

上では「万歳」。下では「足りない」。上では「勝つ」。下では「死ぬ」。

 

二重の顔は、人を疲れさせる。疲れさせるのに、人は二重の顔をやめられない。やめられないのが、時代の癖なのだらう。

春の終り、房子が来て言った。

 

「百合ちゃん、今年、うちの町内会も盆踊り、ちょっと控える言うとったよ。なんか、皆ピリピリしとる」

 

控える。自粛。控える。

 

私は、団扇を止めて、房子の顔を見た。房子の顔には、政治も皇室もない。ただ暮らしがある。

 

「ピリピリは、嫌じゃね」

 

私が言ふと、房子は笑った。

 

「嫌じゃろ。……けど、こういう時は、余計なこと言わん方がええ、って皆言うんよ」

 

余計なこと。余計なこと、と言はれてしまふ言葉ほど、本当は言ふべき言葉なのかもしれない。そう思っても、私もまた、余計なことを言はずに生きてきた女だ。

 

房子が、さらに言った。

 

「百合ちゃん、今年、六十三になるんじゃろ? 昭和六十三で、百合ちゃん六十三。……なんか、区切りみたいじゃねえ」

 

区切り。

 

その言葉で、私はふいに机の裏に彫った君の名を思ひ出した。区切りの日に、私は木へ名を残した。名を残して、何を区切ったつもりだったのか。恋は区切れない。区切れないから、名だけが増えていく。

 

「区切りでも、区切りじゃないこともある」

 

私がぽつりと言ふと、房子は、孫の頭を撫でながら、あっさり返した。

 

「そりゃそうじゃ。……区切っても、続くもんは続く」

 

続く。

 

その言葉が、その日は妙に胸へ残った。続く。続くもの――君への想ひ。続くもの――老い。続くもの――時代の歩幅。

 

続くものは、こちらの都合で終らない。

秋、瀬戸内の夕焼けを見たあの年の赤さが、まだ目の裏に残ってゐた。

 

航跡白し。君の名のごと。そう書いた自分の帳面を、私は時々開いて確かめた。確かめるのは、航跡が消えるからだ。消えるものほど、人は確かめたくなる。

 

その年の晩秋、空気が乾き始めたころ、新聞に「ご容体」の見出しがまた大きくなった。大きくなる見出しは、町の呼吸を止める。止まった呼吸の中で、私は思ってしまった。

 

昭和が終はる。昭和が終はると、私の若い日も、いよいよ遠くへ行ってしまふのではないか。

 

若い日が遠くへ行くのが怖い。怖いのは、君がもっと遠くなる気がするからだ。君はすでに遠いのに、時代が変はると、遠さに別の名前がついてしまふ。別の名前がつくと、私は追ひつけない気がする。

 

追ひつけないのが怖い。怖いから、私は暮らしの手をさらに丁寧にした。仏壇の水を毎朝替へる。線香を一本、短いまま焚く。桜袋を時々干す。帳面の表紙を拭く。

 

丁寧にするほど、暮らしは遅くなる。遅くなるほど、胸の奥の声がよく聞こえる。

 

――百合。――おまへの昭和は、終はってゐるのか。

 

終はってゐるのは、昭和ではない。私の中の「君が生きてゐた時間」だ。昭和二十年で止まった時間が、昭和六十三年まで続いてしまっただけだ。

 

止まった時間は、老いない。老いない時間の中に、君は若いまま居る。その若さが、私の老いを際立たせる。際立つ老いが、時代の終りと重なる。

 

六十三の私。六十三の昭和。数字が揃ふと、いよいよ「端」に立たされた気がした。

年の瀬、私は小さな借家で、ひとり正月の支度をした。

 

鏡餅は、小さなものを一つ。しめ飾りも簡単なもの。母が居たころのやうに、張り切っては出来ない。張り切って出来ないのは、歳のせゐだけではない。張り切っても返事が返らない空気に、身体が慣れてしまったのだ。

 

それでも、支度をする。支度をしないと、年が越えられない。年が越えられないと、私はまた一つ、時代に置いていかれる。

 

テレビは相変はらず賑やかな番組を流し、けれど画面の端には「ご容体」の文字がいつでも待機してゐるやうに見えた。一瞬の速報で、皆が息を止める用意をしてゐる。用意してゐる時代は、どこか戦の時代の匂ひを持つ。

 

私はテレビの音量を落とし、机に向かった。帳面を開く。今年の頁。「昭和六十三年」と書かれたその欄を見つめると、喉の奥がきゅっと縮んだ。

 

昭和が終はるかもしれない。終はる、と口にしてはいけない空気の中で、終はりはじわじわ近づく。近づく終はりは、崩れるやうにやって来る。崩れる――といふのは、音が出ない。音が出ないまま、足元の形だけが変はってゐる。

 

私は、その“崩れ”の端に立ってゐる気がした。立ってゐるのは、国の端ではない。自分の歳月の端だ。

 

そこで、私はふいに思った。

 

時代が崩れても、時代が名を変へても、私の恋は終はらない。終はらない恋は、私を救ふのか、縛るのか。救ひであり、縛りだ。救ひと縛りの両方があるから、私は今日も息をしてゐる。

 

私は鉛筆を握り、言葉を探した。

 

「昭和果て――」

 

そこまで書いて、手が止まった。“果て”と書いた瞬間、胸がひやりとした。果てる。人が果てる。時代が果てる。果てた先に何が来るのか、まだ分からない。分からないものの名を、私はまだ書けない。

 

けれど、待つことは出来る。待つことなら、私は得意だ。待つ女として、私は三十年以上生きてきた。

 

私は、最後の言葉をいったん空けた。空けて、線を引いた。新しい御代の名――いまはまだ、ここには入らない。

昭和果て 崩るる時代の 端に立ち終らぬ恋に ___を待つ

空白のまま、私は頁を閉ぢた。閉ぢても、空白は消えない。消えない空白が、いまの国の空気にも似てゐる。皆が口にしない言葉が、空気の真ん中に居座ってゐる。

 

その年の暮れ、私は仏壇の灯を点け、母と父に手を合わせた。

 

「……もうすぐ、昭和が終はるかもしれんね」

 

誰に言ったのか分からない。位牌に言ったのか、胸に言ったのか。言ったあと、私はそっと胸に手を当てた。

 

――篤志さま。――時代が変はっても、私は呼ぶよ。

 

返事はない。返事はないのに、言へたことが救ひだった。

正月を越して間もないころ、ラジオが、ついに新しい名を告げた。

 

「平成――」

 

へいせい。平らに成る。平らに成る世。

 

その響きが耳に入った瞬間、私は不思議と涙が出さうになった。嬉しいのでも、悲しいのでもない。ただ、名が決まると、空白が埋まってしまふからだ。空白が埋まると、いよいよ昭和が“過去”になる。

 

私は帳面を開き、去年の頁へ戻った。空けておいた空白に、そっと書き足した。

 

「平成」

 

字は小さく、控えめに。新しい名を大きく書くほど、私はまだ新しい時代へ踏み込めない。

 

けれど、書いた。書けた。書けたから、私は次の年へ行ける。

 

そして、私はその一首を完成させた。

昭和果て 崩るる時代の 端に立ち終らぬ恋に 平成を待つ

昭和は果てた。平成が始まった。けれど私の恋は、果てない。

 

時代の名前が変はっても、海の底は変はらない。桜は咲く。私は呼ぶ。

 

新しい御代の春に、私はまた誓ひを書くことになる――「平成なる世も、君と歩まむ」と。

第四十五章 平成元年(1989) 誓ひ書く

昭和六十四年の暦は、薄い紙のまま、あっといふ間に古びた。

 

正月の飾りを外す前から、町はどこか息を潜めてゐた。テレビの音が小さくなり、ラジオの言葉が硬くなり、商店街の赤い紙垂の色が、急に派手に見えてしまふ。派手に見えるから、皆が先に隠す。隠す手つきが、まるで戦時の「自粛」の手つきに似てゐて、私は胸の奥で、小さく身構へた。

 

その朝――昭和六十四年一月七日。

 

私は、目覚ましのベルより先に目が覚めてゐた。冬の朝は静かだ。静かな朝は、怖い。母の咳がない家に慣れたつもりでも、静けさが深いほど、不在が大きくなる。私は布団の中で一度、胸に手を当てた。胸の奥にあるもの――誰にも見えない位牌の重さが、いつも通りそこにあった。

 

台所へ行き、やかんに水を入れる。火を点ける。青い炎が立つ。炎の色を見ると、私は落ち着く。落ち着くために、私は毎朝、同じことをする。

 

ラジオをつけると、音楽が流れてゐなかった。代りに、男の声が、ひどく静かに、ひどく丁寧に話し始めた。

 

「昭和天皇陛下には――本日午前六時三十三分、崩御されました」

 

崩御。その二文字が出た瞬間、部屋の空気が一段冷えた気がした。冷えたのは暖房が止まったからではない。言葉が、町全体を一つの姿勢にさせるからだ。

 

私は、ラジオの前に立ったまま動けなかった。動けないまま、あの頃の姿勢――玉音放送を聞いた日の、あの不自然な背筋の伸び方が、身体に戻ってくるのを感じた。終戦の時に似てゐるのではない。“時代がひとつ終はる”と告げられるときの、あの、逃げ場のない感じが似てゐる。

 

やかんが小さく鳴った。私ははっとして火を弱め、湯を湯呑に注いだ。湯の湯気が立つ。湯気はいつも通り白い。いつも通りの白さが、逆に頼もしい。

 

「……昭和が、終はるんかねえ」

 

私は、誰にともなく言ってしまった。言ってしまってから、すぐに気づく。昭和は、今日で終はったのだ。終はったのに、口が「これから終はる」やうに言ひたがる。人の口は、現実より少し遅い。

 

ラジオは続けた。

 

「新しい元号は、『平成』であります――」

 

平成。

 

へいせい、といふ響きが耳に入った瞬間、私は思はず湯呑を握り直した。握り直す指が、わづかに震へる。震へは、老いの震へなのか、心の震へなのか分からない。分からないまま、私はその二文字を、心の中で何度もなぞった。

 

平らに成る。平らに成る世。

 

平らに成る――と聞くと、私はまず“海”を思ふ。海は平らだ。平らに見える。けれど、その底は平らではない。深い。暗い。青い。平らに見えるものほど、底に何かを抱へてゐる。

 

平成といふ名も、平らに見えるだけで、底には何が眠るのだらう。そんなことを考へてしまふ自分が、もう、昭和の人間なのだと思った。

 

私は仏間の灯を点け、父と母の位牌の前に座った。線香に火を点けると、火はすぐ立ち、煙が細く上がった。煙は、言葉より先に、胸の奥へ入ってくる。

 

「……父さん、母さん。昭和が終はったよ」

 

返事はない。返事はないのに、言はずにゐられない。言へば、今の自分がどこに立ってゐるか、少しだけ分かる。

 

そして私は、胸に手を当てた。

 

「……篤志さま。新しい御代になるんよ」

 

“御代”――といふ言ひ方は、私は普段あまり使はない。けれど、この日は、町全体がその言葉で動いてゐた。新聞の見出しも、テレビの言ひ回しも、皆が同じ礼儀の中にゐた。礼儀の中にゐれば、安全だ。安全でなければ、昭和の終りは受け止められない。

 

受け止める――といふより、受け止めさせられる。時代はいつも、こちらの準備を待たない。

その日からしばらく、町の色が薄くなった。

 

喪章を付ける男。祝ひ事を控へる札。テレビの番組表から、賑やかなものが消える。店のBGMが止まる。花屋の前の赤い花が、ひどく目立って見える。

 

目立つものを隠す癖が、人にはある。隠す癖は、戦後の女の暮らしにもあった。貧しさを隠す。悲しさを隠す。怒りを隠す。隠して、家を回す。

 

私はその癖の中で生きてきたから、町の「隠す」にもすぐ馴染んでしまった。馴染んでしまふ自分が、少し怖かった。怖いのに、馴染まないと浮く。浮けば、余計なことを言ってしまふ。余計なことを言へば、空気が尖る。尖った空気は、人を傷つける。

 

傷つけたくない。傷つけられたくない。その両方の弱さが、私の昭和を支へてきた。

 

そんな中でも、暮らしは待ってくれない。米は炊かねばならぬし、灯油も買はねばならぬし、銀行の用事もある。そして、帳面の年の名も、書き直さねばならぬ。

 

私は机に向かい、和歌の帳面を開いた。昭和六十三年の頁の下に、私は小さく「平成」と書き足してゐる。その字を見て、胸がまた少し痛む。

 

昭和六十四年の頁は、まだ白い。白いまま残ってゐる。七日ぶんの時代。その短さが、妙に残酷だ。長い昭和が、最後にこんな短い尾を引いて終はる。尾を引くやうに終はるのが、どこか“戦後”に似てゐる。戦後もまた、ある日ぱつりと切れたわけではなく、尾を引きながら、だらだらと形を変へた。

 

私は昭和六十四年の欄を、細い線でそっと括った。括ると、そこに“あった”と認められる。認められれば、次へ行ける。

 

次の頁に、私は書いた。

 

平成元年。

 

元年、といふ字が、まだ手に馴染まない。一、と書けば簡単なのに、元、と書くと、何か“始まりの重さ”が出る。重さがあるから、こちらの心も少し正される。

 

私は鉛筆を置き、今度は筆ペンを出した。筆ペンの先は、鉛筆よりも正直だ。正直な線は、誤魔化しを許さない。誤魔化しを許されない場所に、私は一つだけ、置きたい言葉があった。

 

——誓ひ。

 

昭和の終りを見送って、平成の始まりに立った今、私が出来ることは何か。新しい時代に合わせて、何かを捨てることではない。捨てることなら、私はもう十分してきた。家も捨てた。暮らしも捨てた。夢も捨てた。捨てて、捨てて、それでも捨てられなかったものが、胸の中に残ってゐる。

 

残ってゐるものを、私は今度は“選んで持つ”と決めたかった。戦時のやうに、国の言葉に選ばされるのではなく、世間の目に選ばされるのでもなく、自分の手で、自分の胸の重みを選ぶ。

 

その選び方が、私にとっては“誓ひ”になる。

春が来ると、町は少しずつ色を取り戻した。

 

桜の蕾が膨らむころ、新聞の黒い縁も消え、商店街の声が戻り、子どもの笑ひが戻った。戻るものが戻ると、人は安心する。安心の裏で、忘れられていくものがある。忘れられていくものの中に、君の名も入ってしまひさうで怖い。

 

だから私は、桜が咲く前に、桜へ会ひに行った。新しい家から少し歩いた川沿ひの土手。そこに、古い桜並木があると房子に教へられてゐた。

 

川は、春の水を少し多めに抱へ、ゆっくり流れてゐた。流れは海へ行く。海へ行けば、沖縄の海へも繋がる。繋がると信じることで、私は歩ける。

 

土手に立つと、桜はもう、八分咲きだった。薄紅が、風に揺れてゐる。揺れる花の下を、夫婦らしい二人が歩いていく。子どもが走り、笑ひ声が弾む。弾む笑ひ声を、私は遠くから眺めた。眺めるだけでいい。近づけば、自分の空洞が際立つ。空洞が際立つと、春が刃になる。

 

桜の根元に、古いベンチがあった。私はそこに腰を下ろし、懐の桜袋を押さへた。桜袋の中の押し花は、もう薄紅ではない。黄みを帯び、端が欠け、時の匂ひを纏ってゐる。それでも、形は残る。形が残る限り、私は“今年の桜”と“あの年の桜”を重ねられる。

 

私は鞄から、小さな便箋を一枚出した。便箋の罫線は、昔ながらの薄い青。紙の匂ひがする。紙の匂ひは、私の生き方の匂ひだ。

 

筆ペンで、ゆっくり書く。

 

「平成」

 

二文字を書くだけで、胸が少し詰まる。この二文字は、世の中の始まりの印だ。けれど私にとっては、君の不在を連れてきた昭和から、まだ完全に抜けられぬまま踏み込む“新しい床”の印だ。

 

私は紙を見つめ、息を整へた。桜の花びらが一枚、便箋の端に落ちた。落ちた花びらは軽く、軽いのに、紙の上でひどく存在感がある。存在感があるものは、言葉を呼ぶ。

 

私は、書いた。

 

「平成なる世も、君と歩まむ」

 

歩まむ。

 

歩くといふのは、二人で並んで歩くことだけを言ふのではない。私はずっと一人で歩いてきた。一人で歩きながら、胸の中に君を置いてきた。置いてきたから、倒れずに済んだ。倒れずに済んだから、ここまで来た。

 

だから、これからも同じやうに歩く。新しい御代の道を、一人で歩く。けれど、胸の中の君と一緒に歩く。

 

それが私の“夫婦”の形だ。世間の形ではない。けれど、私の形だ。

 

書き終へた便箋を、私はそっと折り、桜袋の内側へ入れた。押し花の隣に、平成の誓ひが入る。紙と花で出来た私の祈りが、また一枚増えた。

 

桜並木の向うから、風が来た。風は花びらを運び、花びらが空を舞ふ。舞ふ花びらの中で、私はふいに、自分の足元を見た。土手の土は少し湿ってゐる。草は芽吹き、去年の枯れがまだ残る。新しいものと古いものが混じって、春は出来てゐる。

 

平成も、きっとさうなのだらう。新しい名が来ても、古いものは混じって残る。残るから、人は急には変はれない。変はれないままでも、歩めばいい。

 

私は、桜を見上げながら、胸の中で君に言った。

 

——篤志さま。——新しい御代だよ。——でも私は、変はらんよ。——変はらんまま、君と歩くよ。

 

返事はない。返事はないのに、桜の枝が風に揺れて、花がふるふると震へた。震へが、返事のやうに見えた。見えたから、私は立ち上がれた。

その夜、私は帳面に向かった。

 

平成元年。新しい頁の白が、まだ眩しい。眩しさは希望にも見えるし、空白の恐ろしさにも見える。恐ろしさを抱へたまま、私は今年の歌を置く。

年号の 改まる春に 誓ひ書く「平成なる世も 君と歩まむ」

書き終へると、胸の奥が少しだけ整った。整ったのは、時代に馴染んだからではない。馴染めぬままでも、誓ひの形を自分の手で置けたからだ。

 

窓の外では、遠くの町の音が戻り始めてゐた。車の走る音。店のシャッターの音。人の笑ひ声。平成は、静かに動き出す。動き出す世の中を、私は追ひかけない。追ひかけず、ただ自分の歩幅で歩く。

 

来年、街角は“税”の言葉で騒がしくなると聞く。けれど、どれだけ世の中が騒がしくても、私の恋に課税されることはない。そのことだけは、平成になっても変はらない。

第四十六章 平成二年(1990) 消費税

「……税込みで、こちらになります」

 

その言ひ方が、どうにも馴染まなかった。“税込み”。まるで味噌汁の具を告げるやうに、あっさりと「税」を口にする。あっさりしてゐるから、余計に、胸の奥に小さな棘が刺さる。

 

平成二年の春、商店街の空気には、いつも“数字”が漂ってゐた。

 

三%。小さな数字。小さな数字なのに、人の口は大きく騒ぎ、札は新しく貼り替へられ、レジの横には小さな注意書きが増えた。「外税」「内税」「税別」「税込」。同じやうな字が並び、どれもが「こちらが正しい」と顔をしてゐる。

 

正しい顔の字を見るほど、私は思ってしまふ。正しさは、暮らしを便利にする。便利にするのに、胸の奥まで測られさうで怖い、と。

その朝、私はいつも通りに起きた。

 

目覚ましのベルが鳴る少し前、自然に目が開いた。母が居たころは、咳の有無で目が覚めた。いまは、静けさの深さで目が覚める。静けさが深い朝は、胸の奥がざわつく。ざわつくから、私は早く動く。

 

台所で火を点け、湯を沸かし、仏壇へ水を替へる。父と母の位牌の金文字が、朝の薄い光を受けて少しだけ光った。線香を一本。煙が細く上がる。

 

「……今日も、行ってくるよ」

 

誰へ向けた言葉か、自分でも分からない。位牌へか。胸の中へか。分からないままでも、言葉を置くと、身体が次の動きを思ひ出す。

 

今日は買ひ物に出るつもりだった。米が切れかけ、灯油も残りが少ない。そして、帳面のための紙が欲しかった。紙は、私の暮らしの“最後の贅沢”になってゐる。贅沢と言っても、高いものではない。便箋と封筒。けれど、誰にも出さぬ文のために紙を買ふのは、世間から見れば贅沢だらう。

 

私は鞄の中の財布を確かめ、桜袋を懐へ押し当てた。刺繍の凹凸が、指先に「まだ」と返す。まだ書ける。まだ歩ける。まだ呼べる。

商店街へ出ると、春の風がぬるくなってゐた。

 

花屋の前に、菜の花が黄色く並ぶ。魚屋の前に、鰯が光る。八百屋の籠に、苺が赤い。色は、いかにも春らしいのに、値札の字だけが落ち着かない。

 

「百円(税別)」「百三円(税込)」「本体価格」「税抜」

 

値札の横に、小さな数字がくっついて回る。数字がくっつくと、物が物だけではなくなる気がした。買ふとは、生活の行為のはずなのに、買ふたびに“国の影”が指先に触れる。それが、どうにも苦い。

 

魚屋の前で、年配の女たちが言ひ合ってゐた。

 

「ほんま、三%言うても、積もったら大きいけえ」「レジがややこしいのう。うちの嫁が怒っとった」「税を取るなら、先に議員を減らせ言うてな」

 

女たちの声は大きい。声が大きいのは、怒りといふより、戸惑ひだ。戸惑ひは、口を賑やかにする。賑やかにしてゐないと、怖いのだ。

 

私はその輪の外を、そっと通った。仲間に入らぬのは、気が引ける。けれど、入ると私は余計なことを言ってしまひさうだった。

 

――三%が大きいと、皆は言ふ。――けれど、私が払った“税”は、そんな数字ではない。

 

そんな言葉を、口に出したら終はりだ。終はるのは喧嘩だけではない。自分の胸の中の、折れずに保ってきたものまで折れてしまふ。

 

だから私は、素通りした。騒ぐ街角を、素通りすることが、平成二年の私の礼儀になった。

米屋で米を買ふと、店の主が「はい、これは税込みで……」と丁寧に言った。丁寧に言はれるほど、私は笑ってしまひさうになる。税があることは、もう皆が知ってゐる。知ってゐるのに、毎回言はねばならない。毎回言はねばならないほど、皆が“まだ慣れてゐない”のだ。

 

「……ありがとう」

 

私はそれだけ言って、米袋を抱へた。米袋の重みは確かだ。重いものは、数字がなくても分かる。分かる重みは、少し安心する。

 

次に、文房具屋へ入った。

 

文房具屋は、昔の匂ひがする。紙の匂ひ。インクの匂ひ。鉛筆の木の匂ひ。その匂ひの中へ入ると、私は少しだけ若いころへ戻れる。若いころ、と言っても、幸せな若さではない。焼け跡の女の若さだ。それでも、紙を前にすると、私はまだ“書く女”として立てる。

 

棚に、便箋が並んでゐた。白いもの、薄桃のもの、季節の柄のもの。その中に、桜の絵が小さく刷られた便箋があった。薄紅の小枝が、端っこにだけ控へめに描かれてゐる。派手ではない。派手ではないところが、私の歳にはちょうどよかった。

 

値札を見る。

 

「二百円(税別)」

 

たったそれだけで、胸が少しざらつく。紙にまで税が付く。紙にまで税が付くのに、私の文は、どこにも届かない。

 

届かない文のために、私は税を払ふ。滑稽だ。滑稽なのに、やめられない。

 

私は便箋と封筒を手に取り、レジへ持っていった。若い店員が、機械のやうに手際よく打つ。

 

「二百円に、消費税が六円で、二百六円になります」

 

六円。小さな小さな数字。けれど、その六円が、私の胸の中では妙に大きく響いた。“ここにも線が引かれる”と感じるからだ。

 

私は財布から百円玉を二枚、十円玉を一枚、五円玉を一枚、一円玉を一枚――と探した。探す指が、少しもたつく。もたつくと、店員が気を遣って「ゆっくりで大丈夫ですよ」と言った。その優しさが、ありがたいのに、情けない。

 

六円を足す。六円のために、財布の底の一円玉を探す。一円玉を探す指先で、私はふと、別の「一円」を思ひ出した。

 

昭和二十年。瓦礫の町で、闇市で、誰かが握らせてくれた一円。一円の重みが、生きるか死ぬかの線だった。いまの六円は、死ぬ線ではない。けれど、生活の線だ。生活の線は、いつも静かに女を追ひ詰める。

 

私は金を渡し、紙袋を受け取った。紙袋は軽い。軽いのに、胸の中は少し重い。

 

店を出ると、商店街の端に、街宣車が止まってゐた。拡声器の声が、耳に刺さる。

 

「消費税が――」「庶民の暮らしが――」「皆さんの声を――」

 

声は大きい。大きい声は正しさの顔をする。正しさの顔の声は、私の胸の中の“静かなもの”を踏みにじりさうで怖い。私は鞄の紐を握り、足を速めた。

 

素通り。また素通り。

 

若い女が、紙袋をいくつも提げて歩いてゐた。ブランドの店の紙袋。色のついた紙袋が、春の光に眩しい。あれにも税が付くのだらう。税が付いても買へる人がゐる。買へない人もゐる。世の中は、数字でますます分かれていく。

 

分かれていく中で、私はどこに立つのだらう。年金の通知は来る。けれど、その額に税が引かれると聞いたこともある。生きてゐるだけで、何かが引かれていく。引かれていく中で、残るものは何か。

 

私はふっと、懐の桜袋に指を入れた。刺繍の凹凸。押し花の薄い感触。あの人の名を呼ぶときの、胸の痛み。

 

それだけは、誰にも引かれない。誰にも課税されない。国にも、世間にも、家計簿にも、乗らない。

 

乗らないものが、私をここまで生かしてきた。

家へ戻る途中、川沿ひの土手を通った。

 

桜は、まだ早い。枝は黒く、蕾は硬い。硬い蕾を見ると、私は去年の「誓ひ書く」の便箋を思ひ出す。平成なる世も、君と歩まむ。そう書いた紙が、桜袋の中で眠ってゐる。

 

蕾は硬い。硬いのに、内側にはちゃんと薄紅が準備されてゐる。準備されてゐるものは強い。強いものを見て、私は少しだけ胸がほどけた。

 

土手のベンチに腰を下ろし、紙袋の中の便箋をそっと触った。紙は冷たい。冷たいのに、紙は私の息を吸ひ取って温もりを覚える。紙は、不思議なものだ。人の体温を覚え、涙の塩を覚え、線香の煙を覚え、年月を覚える。

 

税は紙に付く。けれど、私の恋は紙の中に入れても、税が付かない。恋は、税の外にある。税の外にあるから、誰にも奪へない。

 

奪へない恋を、私は今日も増やす。増やす、と言っても、誰かから取るのではない。胸の中で重ねるだけだ。重ねれば重ねるほど、私の中の君は薄くならない。

 

薄くならない代りに、私の人生は軽くならない。軽くならない人生を、私は選んだ。選んだことを、悔やむ日もある。悔やむ日があるのに、結局私は今日も便箋を買ふ。

 

買へば税が付く。付いても買ふ。税が付くのは紙。紙に乗るのは数字。数字の外に残るのが、私の恋。

 

私はそれを確かめるために、今日、街角を素通りしたのだと思った。

夕方、仏壇に灯を点けた。

 

父と母の位牌が、静かに光る。線香の煙が上がる。煙の中で、私は今日の拡声器の声を思ひ出し、すぐに振り払った。大きい声は要らない。私の家には、小さい灯と、小さい煙で十分だ。

 

机に向かい、帳面を開いた。平成二年。白い頁が、まだ少し眩しい。

 

今日買った便箋を机の脇に置いた。紙の端に、桜の小枝が刷られてゐる。桜はまだ咲いてゐないのに、紙の上では咲いてゐる。咲く前に咲かせてしまふのが、人間の癖だ。癖で咲かせた桜が、私の胸を支へる。

 

私は鉛筆を握った。

 

消費税。街角の騒ぎ。三%の声。値札の小さな字。六円の一円玉。紙に付く税。それでも増える、胸の中の君。

 

私は、今年の一首を置いた。

消費税 騒ぐ街角 素通りし恋に税なく ただ重なりぬ

書き終へると、胸の奥がすうっと静まった。静まったのは、税のことを理解したからではない。理解など、私の歳にはもう要らない。ただ、自分の胸がどこへ向いてゐるかを、言葉で確かめられたからだ。

 

窓の外で、春の風が鳴った。桜の蕾は、まだ硬い。硬い蕾の内側で、薄紅が準備をしてゐる。準備をしてゐるものは、きっと咲く。

 

私の恋も、同じやうに――税が付かぬまま、ただ重なって、来年へ続いていく。

第四十七章 平成三年 湾岸の夜

冬の夜は、音がよく響く。流しの水の落ちる音も、畳のきしむ音も、遠くを走る車の音も、薄い壁を通ってこちらへ届く。

 

その夜も、私は湯を沸かし、仏壇の水を替へ、線香を一本だけ立てた。父と母の位牌の金文字が、灯の下で静かに光る。光るものを見ると、人は少し落ち着く。落ち着くと、胸の底の“海”がふいに顔を出す。顔を出した海を、私はまた桜袋で押さへる。

 

平成三年の一月、寒さは骨へ来るほどではなかった。けれど、空気の乾き方が、妙に不安を連れてくる夜があった。乾いた夜は、言葉が尖って聞こえる。尖った言葉は、昔の命令の匂ひを連れてくる。

 

私は台所の火を落とし、居間の小さなテレビの前へ座った。古いテレビで、画面の角が少し暗い。リモコンはある。けれど私は、押す指がときどき迷ふ。迷ふのは機械が苦手だからではない。“押せば始まる”といふ形が、どうにも怖いのだ。戦時のサイレンも、押す人がゐた。押した人は見えない。見えないまま、音だけが街を動かした。

 

テレビの中で、男の声が硬く言った。

 

「多国籍軍が――」「現地からの映像です――」「開戦――」

 

開戦。

 

その二文字が、画面の隅に出た瞬間、私は背筋が勝手に伸びた。伸びた背筋は、玉音放送の日の背筋に似てゐた。似てゐることが、悔しかった。いまは平成だ。昭和の戦は終はったはずだ。終はったはずなのに、言葉ひとつで身体が昔へ戻る。

 

画面は、夜なのに緑色をしてゐた。夜を緑で見る――そんなことがあるのかと、私は一瞬、目を疑った。暗い街の上に、緑の光の粒が揺れてゐる。遠くで閃く。閃いて、消える。

 

「バグダッドの夜です」「こちらは夜間撮影――」

 

夜間撮影。夜が見える戦争。私の知ってゐる夜は、見えない夜だった。灯火管制で、家々の灯を隠し、窓に布を掛け、声を潜めて、闇の中で息をしてゐた。見えない夜に、爆音だけが来た。見えないから、怖かった。怖いから、祈った。祈っても、焼けた。

 

いま画面に映る夜は、見える。見えるのに、私は怖かった。見える怖さは、別の怖さだ。人が、人の家の夜を“見てゐる”怖さ。見られる夜の中で、爆弾が落ちる怖さ。

 

私は、湯呑を持つ手がじっと汗ばんでゐるのに気づいた。汗は、冬の汗だ。冬の汗は冷える。冷える汗は、胸をざらつかせる。

 

画面の男が、少し興奮した声で言った。

 

「精密誘導爆弾――」「ピンポイントで――」「被害は最小限――」

 

最小限。

 

その言ひ方が、ひどく軽かった。軽い言葉で、人の命が扱はれる。私は、その軽さに腹が立つより先に、怖くなった。戦時中も、軽い言葉があった。

 

「玉砕」「名誉」「お国のため」

 

言葉は綺麗で、現実は瓦礫だった。綺麗な言葉ほど、人の胸を騙す。騙された胸は、あとからずっと痛む。

 

私はテレビの音を少し下げた。下げても、画面の緑の夜は消えない。消えない夜を見てゐると、私はふいに、君の横顔を思ひ出した。軍帽の紺。制服の襟。若い頬の張り。あの頃の君は、戦争を“遠いこと”だと思ってゐなかった。遠いどころか、戦争の中に立ってゐた。

 

「……篤志さま」

 

声に出さず、胸の中で呼ぶ。呼ぶと、胸の奥の位牌が少し重くなる。重くなると、座り方が変はる。背筋がすっと伸び、膝が揃ふ。私はいまでも、君の前では少しだけ“姿勢”を正してしまふ癖がある。

 

画面の外の私の部屋は、黄色い灯が点いてゐた。灯の下で、テレビの緑が揺れる。黄と緑。不自然な色の重なりが、目を疲れさせた。

 

そのとき、私はふと思った。

 

——灯を消さう。

 

思った瞬間、身体が動いた。立ち上がり、居間のスイッチへ手を伸ばす。ぱちん、と小さく音がして、部屋が暗くなる。暗くなると、テレビの緑だけが浮いた。緑だけが、夜の中で光る。

 

暗闇に、画面だけがある。その形は、昔の“灯火管制”と似てゐた。似てゐるのに、いまの私は誰にも命令されてゐない。自分で灯を消した。自分で消した灯の暗さは、どこか安心も連れてきた。暗くすると、テレビの中の夜と、こちらの夜が少しだけ繋がる気がした。

 

私は座布団を二つ、並べた。並べる自分が、可笑しくもあり、切なくもあった。二つ並べても、座る人は一人だ。一人なのに、二つ並べる。

 

湯呑も、二つ出した。二つ出して、片方には湯を注がない。注がない湯呑は、空っぽのままそこに置く。空っぽの湯呑は、返事のない朝と同じ顔をする。同じ顔をするのに、私はそれを置かずにはゐられない。

 

暗い部屋で、テレビは緑の夜を映し続けた。遠くで閃光。光が走り、煙のやうなものが上がる。画面の下には字幕が流れ、男の声が淡々と続ける。

 

私は、その淡々とした声の隙間で、独りごとを言ってしまった。

 

「……君と観よか」

 

観よか――といふ方言の柔らかさが、口から出た。標準語の「見ようか」ではなく、観よか。観よか、と言ふと、目で見るだけではなく、胸で受け取るやうな感じがする。胸で受け取るものを、私はいつも君と分け合ひたかった。

 

分け合へないまま、ここまで来た。ここまで来ても、分け合ひたくて、私は灯を消した。

 

テレビの中で、戦争が進む。戦争は、進む。止まらない。止めるのは画面のスイッチだけだ。止めれば、私は平和だ。止めても、向こうは平和にならない。

 

その理不尽が、胸を締めた。

 

私は画面に向かって、胸の中で言った。

 

——篤志さま。——こんな戦を、君はどう見るんだらう。——夜が見える戦。——遠くの国の夜が、日本の茶の間へ来る戦。

 

君は、怒るだらうか。君は、黙るだらうか。君は、「戦は戦じゃ」と言ふだらうか。私は答へを作れない。答へを作れないほど、私は戦を知らない女ではないのに、戦の本当のところは知らない女だ。

 

知ってゐるのは、焼け跡の匂ひと、瓦礫の重さと、戻らない人の名前だけだ。

翌日、商店街でも、その話題で持ちきりだった。

 

魚屋の前で、男が言った。

 

「アメリカはすごいのう。あんな夜でも当てるんじゃけえ」「戦争がゲームみたいじゃ」「日本は金だけ出して、情けない、言われとる」

 

“金だけ”。

 

その言葉に、私は胸がひくりとした。金だけ、と言はれると、まるで命の代りに金を置くやうに聞こえる。命の代りに金など置けない。置けないから、私はずっと“置けなかった命”を抱へてきた。

 

けれど、口に出して反論はしない。反論すれば、議論になる。議論になれば、声が大きくなる。声が大きくなれば、戦の匂ひが濃くなる。濃くなった匂ひに、私は耐へられない。

 

私は豆腐と葱だけを買ひ、早足で家へ戻った。帰って、仏壇の前で手を合わせた。手を合わせると、世間の声が少し遠のく。

 

その日の夜も、テレビは戦を映した。砂漠。黒い煙。燃える油田の映像。黒い煙は、戦後の焼け跡の煙と重なる。重なるから、私は目を逸らした。逸らしても、耳は声を拾ふ。

 

「勝利」「制圧」「損害」「作戦」

 

戦の言葉は、いつの時代も同じ匂ひがする。匂ひがするから、私はまた灯を消した。灯を消すと、部屋は少し“昔”になる。昔になると、君がそこに座る気がする。気がするだけで、私は息が整ふ。

 

戦の映像を、君と観る――といふのは、矛盾だ。君は戦で逝った。戦を憎んでゐるはずなのに、私は戦を君と観たがる。観たがるのは、戦を肯定するためではない。戦が“終はってゐない”と知るためだ。戦が終はってゐないなら、君の死も、ただ過去の出来事ではなくなる。ただ過去になってしまへば、私は君を置き去りにしてしまふ気がする。

 

置き去りにしたくない。だから私は、灯を消して、戦を観る。そして、独りで呟く。

 

「君と観よか」

 

呟く声は、誰にも届かない。届かない声だから、嘘にならない。

二月の終り、停戦の知らせが流れた。

 

人々はほっとした顔をした。テレビのキャスターが明るい声を出し、街の店がまた賑やかさを取り戻す。終はった、と皆が言ふ。終はった、と言へる人の顔は、軽い。

 

けれど、私は知ってゐる。終はったと言っても、瓦礫は残る。終はったと言っても、骨は残る。終はったと言っても、胸の中には“終はらないもの”が残る。

 

そして春。桜が咲くころ、今度は別の映像が流れた。海の上の船。「掃海艇」「派遣」「危険な任務」

 

また海。海へ人が行く。海へ行く人の背中が映る。映る背中を見ると、私は胸の奥の青が動く。青の底で眠る君が、少し浮かび上がる気がする。

 

私はテレビの前で、また灯を消した。灯を消すと、画面の海だけが光る。海は平らで、底は見えない。見えない底に、私はずっと名を落としてきた。

 

——篤志さま。——また海へ行く人がおるよ。

 

返事はない。返事はないのに、私は言ふ。言はずにゐられない。

年の終り、私は机に向かって帳面を開いた。

 

平成三年。今年の頁には、緑の夜がまだ残ってゐる。灯を消した部屋の暗さ。空っぽの湯呑。二つ並べた座布団。独りの呟き。

 

私は鉛筆を握り、息を整へた。戦の映像を見てしまった目を、言葉で洗ひたかった。洗ひたくて、私は書く。

湾岸の 戦映すテレビ 灯を消して君と観よかと 独り呟き

書き終へると、胸の奥が少しだけ落ち着いた。落ち着いたのは、戦が理解出来たからではない。理解など出来ない。ただ、灯を消して君を呼んだ夜が、今年の形になったからだ。

 

窓の外で、冬の風が鳴った。風の音は、遠くの波音に似てゐる。似てゐる音を聞きながら、私は桜袋を胸へ押し当てた。

 

戦は終はると言はれても、海の底は静かなまま。静かなままの底で、君は若いままだらう。若いままの君に、私はまた来年も話しかける。

 

来年は、遺族会の列に背広が増え、名簿の紙の上で君の階級を指で撫でることになる――そんな年へ。

第四十八章 平成四年(1992) 背広の列

背広の布は、黒に近いほど「正しさ」を帯びる。正しい布を着れば、人は少しだけ、泣くことを許される顔になる。

 

戦後しばらくは、正しさは“生きること”の中にしかなかった。配給の列に並ぶ正しさ。瓦礫を運ぶ正しさ。黙って堪へる正しさ。けれど平成の町では、正しさは布になって、ネクタイになって、胸の名札になって、会場の入口に並ぶ。

 

平成四年、私はその列へ紛れた。

一月の終り、郵便受けに茶色い封筒が入ってゐた。

 

役所の封筒とは違ふ。少し厚くて、角が丸い。差出人のところに「遺族会」とある字を見た瞬間、私は息を止めた。

 

“遺族”。

 

その二文字は、いつまでも私にだけは落ち着かない。私は遺族ではない。妻でもない。娘でもない。親でもない。ただ、許嫁だった。――それだけだ。

 

それだけ、が、どれほど大きいかを、私は知ってゐる。けれど世間は、関係を“それだけ”では済ませない。関係には形が要る。戸籍が要る。印鑑が要る。印鑑のない悲しみは、机の上では扱ひにくい。扱ひにくいものは、会議の外へ追ひやられる。

 

封筒を持ったまま、私は玄関の上がり框に座り込んだ。冬の畳が冷たく、掌の中の封筒だけが妙に温い。

 

封を切る。

 

中には案内状と、会費の振込用紙が入ってゐた。「定期総会」「追悼式」「黙祷」――硬い字が並ぶ。紙の匂ひが、急に昔の匂ひと繋がる。名簿。通知。電報。辞令。紙は、いつも私の人生の節目に顔を出す。

 

私は案内状の末尾を見た。

 

「会員各位」

 

各位、とある。私はまだ「各位」に入ってゐるのか。入ってゐるのだとしたら、それは篤志の名のおかげだ。篤志の名が、私をぎりぎり“世間の枠”に繋ぎ止めてゐる。

 

母が逝く前に、あの朝、母は言った。「篤志さんに、よろしく」あの一言で、君の名は、私の胸だけではなく、母の側にも座った。座ったなら、私は勝手に消えてはならぬ気がする。名の座布団を、ひとりで畳んではならぬ気がする。

 

私は振込用紙を指で撫でた。紙は冷たい。冷たいのに、そこには「続けなさい」と書いてあるやうに見えた。

当日まで、私は何度も迷った。

 

行けば、私は「遺族席」に座ることになる。遺族席に座れば、私は“奥さん”と呼ばれるかもしれない。呼ばれたとき、私はどう答へればいい。「奥さんではありません」と言へば場が尖る。尖った場は、人を傷つける。傷つけたくない。傷つけられたくない。その弱さで私は生きてきた。

 

行かなければ、私はまたひとつ、君へ繋がる“形”を手放す。形を手放せば、胸の中だけが濃くなる。濃くなりすぎると、私は日常の中で息がしづらくなる。息がしづらい日常は、老いには堪へる。

 

迷ひながら、私は押し入れを開け、背広を出した。

 

背広――と言っても、男の背広ではない。女物の地味なスーツだ。黒に近い紺。ボタンは控へめで、襟の形も古い。母の葬儀のときに仕立てたものを、房子が「ちゃんとしとき」と言って選んでくれた。

 

布を指でつまむと、あの時の線香の匂ひが、ふっと蘇る。黒い布は、匂ひまで覚えてゐる。

 

私はスーツを広げ、鏡の前に立った。髪をまとめ、襟元を整へる。口紅はつけない。つけないのが、この場の礼儀だと身体が知ってゐる。昔は“女は化粧をしてはいけない場”が多かった。いまは違ふはずなのに、私はいまだに、黒い場では女の色を引っ込める。

 

引っ込める癖は、戦後の女の生き方だった。

会場は市民会館だった。

 

会館の前には、車が並び、係の男が交通整理をしてゐる。男の腕章がやけに白く見える。玄関を入ると、靴音が床に響いた。革靴の音。軍靴の音ではない。けれど、革靴の規則正しさが、私の胸の奥の“軍靴の記憶”を薄く叩く。

 

受付の前には、背広の列が出来てゐた。

 

男が多い。白髪の男。腹の出た男。背の丸くなった男。その横に、黒い喪服の女もゐる。女は静かで、男は小声で数字の話をしてゐた。

 

「景気が悪うなったのう」「株が下がって、年金が心配じゃ」「こっちは遺族年金だけが頼りでのう」

 

遺族年金。その言葉が、私の胸をちくりと刺す。私はもらってゐない。もらう権利がない。権利がないものを、私はずっと“想ひ”で補ってきた。

 

補ふことに慣れすぎて、私は時々、自分の人生が「制度の外」で出来てゐることを忘れかける。忘れかけると、こういふ場で急に現実が戻る。

 

列に並びながら、私は自分の手袋を見た。黒い手袋。手袋の中で、指がわづかに汗ばんでゐる。緊張の汗だ。緊張の汗は冷える。

 

私の番が来た。

 

受付の男が、名簿をめくり、私の顔を見て言った。

 

「……綾瀬さん、ですね。こちら、どうぞ」

 

“綾瀬さん”。

 

その呼び方に、私はほっとした。“奥さん”と言はれなかっただけで、胸が少し軽くなる。男は事務的に、封筒と資料を渡してきた。中には、総会の次第、追悼式の式次第、そして――名簿があった。

 

名簿は薄い冊子で、紙の端がきちんと揃ってゐる。きちんと揃った紙は、戦後の瓦礫とは遠い。遠いのに、紙が紙であることは変はらない。変はらないから、私の胸はまたあの頃へ近づく。

 

私は列を離れ、壁際へ寄った。人の流れの邪魔にならぬところで、名簿を開く。

 

名は並ぶ。あいうえお順に、淡々と。淡々と並ぶ名は、誰かの人生の終りだ。

 

私は、頁をめくる手が少し速くなるのを感じた。速くめくれば、早く“そこ”へ辿り着ける。辿り着けば、今年の目的が果たせる。目的が果たせれば、私の足は倒れない。

 

「あ」の欄。「朝比奈」。

 

あった。

 

朝比奈篤志。

 

私は一瞬、息を止めた。紙の上の字なのに、字が立ち上がってくる。字の中から、君の声がしさうになる。しさうになるのに、声は出ない。出ないから、私は目で確認する。

 

名の横に、小さく記されてゐる。

 

階級。

 

私は、その二文字が印刷されたところを、そっと指で撫でた。

 

撫でたのは、癖のやうな動きだった。誰かの肩章を撫でるやうに。襟章の金属を確かめるやうに。あなたが「これはこうなんだ」と、若い顔で説明してくれた夜の、あの指の形をなぞるやうに。

 

——階級など、本当はどうでもよかった。私が欲しかったのは、あなたの名だけだ。あなたの息だけだ。あなたが「ただいま」と言ふ声だけだ。

 

けれど、戦は階級で人を呼んだ。階級で人を並べ、階級で命令し、階級で死を整へた。死んだあとまで、階級は名の横に残る。

 

私は、その残り方が嫌であり、同時に、救ひでもあった。階級があるから、ここに“あなたが居た”と社会が認めてゐる。認めてゐるから、私はこの紙を握れる。

 

指先で、私はひそと、印刷の凹みもない文字を撫で続けた。撫で続けるのは、誰にも見られたくなかった。こんな撫で方は、恋人の撫で方だ。遺族会の壁際でしていい撫で方ではない。

 

私は慌てて指を引き、名簿を閉ぢた。閉ぢた名簿の表紙が、ひどく固く感じられた。固い表紙の中に、柔らかい名が眠ってゐる。その矛盾が、私の人生だ。

会場の中へ入ると、空気がひんやりしてゐた。

 

舞台の上に、国旗と、会の旗。白い花が並び、マイクが二本。席には背広がずらりと並ぶ。背広の列は、戦の列とは違ふ。違ふのに、並ぶといふ形が持つ圧は、どこか似てゐる。

 

私は、後ろのほうの席に座った。前へ行く勇気はない。遺族席の前列に座れば、私は自分が“偽者”みたいに思へるからだ。偽者ではない。偽者ではないのに、形が足りないと、自分で自分を疑ひ始める。その癖が、私には根深い。

 

開会の辞。会長挨拶。来賓祝辞。言葉が続く。言葉はどれも丁寧で、どれも“正しい”形をしてゐる。正しい形の言葉を聞いてゐると、私は少し眠くなる。眠くなるのは、安心してゐる証拠だ。安心してゐるのに、胸の奥の海は静まらない。

 

黙祷の時間が来た。「起立」皆が立つ。背広の布が一斉に擦れる音がした。その音が、ひどく揃ってゐる。揃った音は、私の胸を固くする。

 

「黙祷」

 

頭が下がる。下がった頭の中で、私は名簿の頁を思ひ出す。階級の二文字。指の腹の感触。紙の匂ひ。

 

——篤志さま。——ここに、あなたの名があったよ。——今日も、名があったよ。

 

返事はない。返事はないのに、黙祷の静けさの中で、私の胸だけが忙しい。忙しい胸を、私は手のひらで押さへた。黒い手袋の上から押さへると、胸の熱が少し布へ逃げる。布へ逃げた熱は、どこにも行けずに戻る。戻って、また熱くなる。

 

黙祷が終はり、皆が座る。私は深く息を吐いた。吐いた息が、白くはならない。白くならぬ息の中に、確かに“生きてゐる側”の匂ひがある。

 

式のあと、廊下に出ると、背広の男たちが小さな輪になって話してゐた。「靖国」の字が聞こえた気がした。「戦後の教育」の字も。私は耳を閉ぢた。政治の言葉は、私の恋を汚しさうで怖い。汚すと言ふより、薄められさうで怖い。

 

私は、恋を薄めたくない。だから私は、言葉の輪に入らず、名簿の封筒だけを抱へて出口へ向かった。

 

出口のところで、誰かが私に声を掛けた。

 

「……綾瀬さん?」

 

振り向くと、同じ会の札を胸に付けた年配の女が立ってゐた。顔はよく知らない。けれど、目がこちらを測る目ではない。測る目ではなく、確かめる目だ。

 

「あの……朝比奈さんの……」

 

女は、そこで言葉を切った。切った言葉の先が何か分かるから、私は心臓が跳ねた。

 

「……はい」

 

私は小さく答へた。女は、少しだけ安堵したやうに頷いた。

 

「お母さま、もう亡くなられてねえ。……昔、あなたのこと、話しておられたの。『百合さん』って」

 

篤志の母。あの家の台所。戦後の貧しい塩の匂ひ。私は一瞬で、遠い景色へ引き戻された。

 

「……そうですか」

 

それしか言へなかった。言へなかったのに、女はそれ以上踏み込まなかった。踏み込まぬ優しさが、私の喉の詰まりを少しほどいた。

 

「また……来年も、来られる?」

 

女が訊いた。来年も。その言葉は、制度の言葉ではなく、生活の言葉だった。生活の言葉の「来年も」は、祈りに近い。

 

「……はい。たぶん」

 

たぶん、と言った瞬間、自分の弱さが恥づかしかった。たぶんではなく、行くと言へばいい。けれど私は、未来を言ひ切ることに臆病になってゐる。母の死を見送り、家を移り、背広を着て、名簿を撫でる女になった私には、「行く」と断言するほどの力が残ってゐない。

 

女は小さく笑って、「気をつけて帰ってね」と言った。それだけで、私は救はれた気がした。誰かが“ここに居てもいい”と言ってくれたやうな気がした。

帰りの電車の窓に、私の顔が薄く映った。

 

黒い襟。白髪が混じり始めた髪。皺の影。目の奥に、まだ火が残ってゐる。

 

背広の列に紛れた私は、今日、何をしたのだらう。追悼式に出た。黙祷をした。それだけなら、どの遺族もする。

 

私がしたのは、それではない。名簿の紙の上で、あなたの階級を撫でた。撫でて、あなたの肩に触れたつもりになった。触れたつもりになって、胸の奥の位牌を確かめた。

 

それは、公式の弔ひではない。誰にも見せられぬ私情だ。けれど、私情があるから、私は公式の場にも座れた。私情がなければ、私はあの席に座って息をすることすら出来なかっただらう。

 

家へ戻ると、仏間の灯が薄暗く待ってゐた。父と母の位牌がある。灯がある。灯の前で、私は今日の名簿の匂ひを思ひ出した。紙の匂ひ。インクの匂ひ。人混みの整髪料の匂ひ。革靴の音。背広の布の擦れる音。

 

そして、指先の、あの撫で方。

 

私は手袋を外し、素手で線香に火を点けた。火が立つ。煙が上がる。煙は、形のないものを運ぶ。

 

——篤志さま。——今日は、あなたの名を撫でたよ。——紙の上で、あなたの肩に触れたよ。

 

返事はない。返事はないのに、私は言へた。言へたことが、今日の帰り道だった。

 

机に向かい、帳面を開く。平成四年。白い頁の上に、今日の背広の黒がまだ残ってゐる気がする。黒の中で、ひとつだけ白いものがある。名簿の紙の白。紙の白の上の、君の名と階級。

 

私は鉛筆を握り、今年の一首を書いた。

遺族会 背広の列に 紛れゐて君が階級 ひそと撫でたり

書き終へると、胸の奥が少しだけ整った。整ったのは、遺族になれたからではない。なれぬままでも、あなたの名の隣に座る“形”を、今年もひとつ保てたからだ。

 

窓の外で、春の雨の匂ひがした。雨が匂へば、新樹の緑が透ける季節が来る。緑は、あなたを若いままにしてしまふ色だ。若いままのあなたに、私はまた来年、祈ることになる。

 
 
 

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