山崎行政書士事務所パロディ劇場3
- 山崎行政書士事務所
- 9月19日
- 読了時間: 27分

8. 実況『SaaS“やめ方”格闘技』
0|開場—光沢を失わない夜
天井のLEDがリングを四角に切り取っている。コバルトの光がマットの繊維一本ずつに沁みこみ、足跡の跡まで浮き立たせる。観客席は、黒のなだらかな地形のように広がり、その斜面に取り付いた無数の目が、同じ一点を見つめていた。リングサイドには小さなステージ。実況卓の上に、角度の違うモニタが三枚、光の反射で十枚にも見える。ピンマイクを頬骨の上で軽く叩き、実況・さくらが指を一本立てる。呼吸をそっと吐いて、肋骨を内側に戻す。
「SaaS“やめ方”格闘技、開場です!」取り次ぐように、解説・りなが微笑する。口元はほとんど動かず、声だけがマイクに流れ込む。「今日は三試合。いずれも“退出UX”の頂上決戦。勝敗は礼儀で決まる——フォームは、拳より先に出ます」
オクタゴン—いや、今夜のリングは長方形だ。四辺の外周に、“また戻ってきます!”の布製バナー。スポンサー名はひとつもない。代わりにLegendと書かれた小さな枠が右下に印刷されている。そこに、今日のルールが短く書かれていた。
先に感謝(“ありがとうの練習”)
連絡先は最初の行
やめ方は最初のページ
成功は一声(緑の丸)
Runbook 一行目(誰・いつ・どこで・何を・なぜ)
リングアナが中央で拳を握り、「This is YAMEKATA FIGHT!」の英語に続いて日本語を重ねる。観客席から波のような拍手。足元のマットが、音の総量に合わせて僅かに震える。バックステージの影から、一人目の入場曲が始まった。
第1試合|“やめボタン隠し魔王” vs “やめ方総選挙ステッカー”
1R:視線奪取のジャブ
先に入場したのは、漆黒のマントに小さな×印を散らした「やめボタン隠し魔王」。顔の半分はハイライトで白く、半分は影で黒い。胸元には、薄い灰色のフォントで書かれた“閉じる”の文字。指先がやけに長い。対角の花道から現れたのは、白地に四色のアイコンをパッチした「やめ方総選挙ステッカー」。胸にQR、腕に“解約1分”、背に“Runbook”の刺繍。動きが軽い。リングサイドの子供が手を振ると、彼女は笑って名刺サイズのシールを高く掲げた。
ゴング。魔王は視線奪取から入る。フェイント気味のモーダル、薄く透過した黒い幕。右手を振ると、コーナーポストの上に出現する小さな×。「来た、視線の罠です」とりな。「矢印を増やすのは初手としては強い。けれど——」
ステッカーは数歩さがり、ロープに背を預ける。右手をリング外へ差し出し、観客席に向けて**“ありがとうの練習”のカードを見せる。会場の空気が半拍遅れて柔らぐ。実況席でさくらが声を重ねる。「先手、ありがとうの練習! 相手の攻撃速度が下がった**!」
魔王の右ジャブ—“閉じる”の錯視—が空を切る。観客の数パーセントが、わずかに肩の力を抜いた。礼儀は、摩擦係数を下げる。タップ率が下がれば、魔王の得点は伸びない。
2R:主語のカウンター
魔王は距離を詰め、ポップアップを連打。「アンケートにご協力ください」「本当に退会しますか?」「続けると20%OFF!」
四角い吹き出しがリングの上に立ち上がって、視野の階段を作る。背骨を曲げさせるUI。ステッカーは一瞬だけ視線を落とし、自分の胸を叩く。マイクに近い声で主語を立てる。
「広報(連絡先:…) です。やめ方はここです。1分で終わります。次はまた会うための案内を」
「主語のカウンター」とりな。「場所→主語→動詞。視線の矢印を減らす」
魔王が前のめりになった瞬間、ステッカーはリングの四隅へ駆けて—そこに**“解約はこちら”の等間隔のシールを貼る。リングの右下には、名刺サイズのLegend**。観客の視線が同じ順路を描き始めた。勝敗は礼儀で決まる。整列した視線は、整列した感情を連れてくる。
判定
三者一致、やめ方総選挙ステッカー。観客席から「また戻ってきます!」の声。「ビジネス的に最高ですね」とさくら。りなが頷く。「出口が最初のページにあると、入口で騒がない」
魔王は肩をすくめ、マントの裏地に大きな“戻る”ボタンを貼って退場した。退場に礼儀を見せるなら、彼にも明日がある。
第2試合|“サブスク引止め20連ダイアログ” vs “解約1分QR”
1R:弾幕の雨
花道のスクリーンに20の数字が縦に並ぶ。数字が減っていく効果音。“サブスク引止め20連ダイアログ”の入場だ。肩幅より広いガード。頭上に小さな吹き出しが立ち上がり、絶え間なく点滅する。対するは、“解約1分QR”。ホワイトベースのショーツ、腰にはタイマーのアイコン。角帯に**“最初の行に連絡先”の刺繍。ゴング。弾幕の雨。20連のYes/No**。背景は暗い。Noの方に色の強さ。Yesは細い。QRは一歩も引かない。正面のまま、左肘を時刻に合わせて上げ下げ。呼吸は長い。胸鎖乳突筋の動きが静かだ。開始30秒、QRは一気に中央を取ると、コーナーの真下にしゃがみ込む。ステレオタイプの暗闇を背に、新しい光を低い位置に置く。そこに浮かぶのは、黒い点の四角いQR。中央ではなく右下に置いた1分の出口。視線が同調する。
2R:Runbookの一行目
引止めはアンケートに切り替える。自由記述。テキストエリア。placeholderの灰色。QRはRunbook一行目を読み上げる。
誰:広報(連絡先:…)いつ:いま、1分でどこで:このページ右下何を:解約なぜ:あなたの時間を守るため
「一行目が骨」とりな。「骨があると、筋が迷わない」
弾幕の雨は弱くなり、音圧だけが残る。残響は、礼儀の角で吸われていく。QRは最後に**“ありがとう”を先に言い、“またいつでも”**をあとに置く。拍手。座席のクッションが僅かに沈む音。
判定
解約1分QR、一本勝ち。「腰にやさしい動線だ」と陽翔が客席のどこかで言う。タイムキーパーが1:00の札を掲げる。「短さは誠実です」とりな。「それでいて戻りやすい」とさくら。「ビジネス的に最高」
第3試合|“退会不可の迷宮” vs “やめ方Runbook(最初のページ)”
1R:壁のない壁
“退会不可の迷宮”は、入場せずに出現した。リング全体が、見えない壁の気配で満たされる。進むほど遠ざかるパンくず。最初のページに出口がない。どこを押してもループ。観客席に、ため息。酸素が薄くなった気がする。対角の花道から現れたのは、“やめ方Runbook(最初のページ)”。真っ白な大判、端にLegend。角に**“最初のページ”のタブ。厚さは薄い**。中身への自信だ。
ゴング。迷宮は沈黙で攻める。「表示できません」の白。Runbookは黒板の最初の行を書く。
ここが出口です。誰:あなた。いつ:いま。どこで:右下。何を:退会。なぜ:その意思は尊重されるべきです。
観客席の酸素濃度が戻る。胸郭が広がる。Runbookは図を描く。人は矢印ではなく出口を探している。矢印を減らす。出口を増やす。
2R:礼儀の判定
迷宮は最後の抵抗でアンケートを掲げる。任意と書いてあるが、ボタンは送信一つ。Runbookは太字で**“任意”を重ね、スキップのボタンを等価に置く。フォーカスの輪郭が見える**。スクリーンリーダーの読み順は出口から。りなが低い声で呟く。「アクセシビリティも礼儀の一部。勝敗は礼儀で決まる」
迷宮の壁の気配は、説明の声でほどける。壁は声でできているからだ。最後にRunbookは**“また戻ってきます!”の白い垂れ幕を出口の上**に掲げる。そして、緑の丸。朝の予告だ。きっと朝にまた会える。
判定
やめ方Runbook、大差。観客席の誰かが立ち上がり、深く頭を下げる。「ありがとう」。礼儀に礼儀が触れる音が、小さくホールを満たす。
インターバル|技術部屋からの中継
リング裏で、ゆるい白衣の技術者が小さな机を囲んでいる。蓮斗がクエリ三種を、悠真がRetentionの三層を、叶多がOIDCと人間承認を、陽翔が休符とSavings Planを、短く復習する。りなが笑って「Legendは右下に」と指さす。ふみかが親指を上げる。「連絡先は最初の行ね」みおが握り拳を小さく上下させる。「痛まない学びを、あとで一個差し込むから」やまにゃんがとん。時間の針が戻る。
エキシビション|観客参加「やめ方カルタ」
アリーナにテーブル。名刺サイズのカルタの山。「Controller」「Processor」「Key」「Report」「Legend」「First Line」「Runbook」「Exit」。りなが読み手。「欧州の処理、鍵は日本。72時間」観客席から手が伸びる。カードが音を立てて取られる。さくらがマイクを向ける。「取った人、最初の行は?」「連絡先」拍手。「詰め込まず、短い文で長い約束を」
クロージング|三試合の統計と、ひと言の効能
大型スクリーンに、統計が表示される。
離脱完了率:+34%
サポートチケット(退会関係):−57%
“また戻ってきます”自己申告率:+22%
夜間通知(退会関連):−68%
NPS(退会者):+18pt
「数字は譜面」と陽翔。「音が鳴っている限り、嘘はつきにくい」と奏多。
さくらが締めの言葉を探さない。もう決まっているからだ。「先手、ありがとうの練習。相手の攻撃速度が下がった。勝敗は礼儀で決まる。観客席から“また戻ってきます!”の声。ビジネス的に最高。—本日もご観戦、ありがとうございました」
リングは既に片付けに入っている。床の白いガファーテープが、丁寧に剥がされていく。テープの粘着が剥がれるあの音は、なぜか眠気を呼ぶ。やまにゃんが最後尾でとん。照明が落ち、観客の足音がホールから街へ流れ出す。右下の小さな枠だけが、しばらく薄く光っていた。Legend。出口が最初のページにあり、連絡先が最初の行にある世界で、人は気楽に行き来できる。そして彼らは、口を揃えて言うのだ。「また戻ってきます!」
9. 駅前ニュース『ポスターが就活生に語りかける夜』
00|テロップ:新静岡・駅前ライブ
夜十一時二十二分。新静岡駅のシャッターは、上から三分の一だけ降りている。金属の蛇腹が、上下の境界に薄い影を作り、冷えた風がそこを抜けると、波板のような低い鳴き声を残した。コンコースのライトは昼間より二段落ちているが、それでも白いタイルは均一に明るく、落ちているのは光ではなく、音の密度だ。足音が少なくなった分だけ、そこに別のものが入ってくる。言葉の準備、あるいは眠気の気配。
駅の壁に連なる大型ポスターは、それぞれ違う色をまといながら、同じ句を掲げている。
「クラウドに詳しい行政書士? はい、うちです」
インクの表面は光沢を持ち、離れて見れば一枚の舞台のようで、近づけば紙の繊維が照明を柔らかく解きほぐす。白猫が一匹、ポスターの前を通りかかって止まり、足裏で床の温度を測るように、しっぽ(USB-C)の金属を一度だけとんと置いた。カメラの赤いランプが、遠慮がちに灯る。駅前ニュースの時間だ。
01|見出し:就活生、ポスターの前で立ち止まる
黒いコートの胸ポケットから覗く透明のファイル、そこに差したエントリーシートの白。紺のニット、指のささくれを隠すような手袋。髪は昼間の湿度を忘れないまま、耳の上で少し跳ねている。就活生が一人、ポスターとコンコースの間で立ち止まり、顔の角度をほんの少しだけ上げた。彼女の瞳は、さっきまで人混みを泳いでいた魚のように落ち着かない。だが、この壁の前で回遊は止まる。立ち止まると、世界は静かにディテールを返してくる。
就活生「“クラウドに詳しい行政書士? はい、うちです”って、ほんと?」
ポスターの人物たちは、印刷でありながら、人間の目によく似た反応を返した。温度のない視線が、逆に温度を作ることがある。夜気が一拍だけ深くなる。テロップが出る。〈生中継〉 新静岡駅・コンコース。
ポスター全員「はい、うちです」
回答は簡潔で、ニュースの見出しに向いている。だが、その短さは入り口に過ぎない。看板の向こうに、書き込まれた余白がある。
就活生はバッグの中のペンを探し当て、ファイルの上に置いてみる。キャップはかすかに白い傷で曇っている。緊張の記憶だ。彼女が息を吸うのを、ポスターの膝が—もちろん動かないのだが—同じ呼吸の長さで受け止める。
就活生「何を勉強したら入れる?」
その問いは、採用情報のFAQよりも古く、求人票の一番上よりも人間的だ。**“どうやって入口に立つか”ではなく、“どの足で踏み出すか”**を問うている。
02|ニュースの順番:右下から読む
りなのポスターが、ほんのわずかに画面の粒度を変えた。紺のベスト、腕を組む角度、眼鏡のブリッジの冷たさ。彼女の声は落ち着いていて、見出しよりも脚注に向いている。
りな「主語」
文の最初に置く、小さな呼吸。『検知しました』では走れない。誰が・どこで・いつ・何を。主語が見えると、人は迷子にならない。迷子が減ると、睡眠が増える。
映像は、黒い枠に白い文字で**“Legend”を出す。名刺サイズの辞書。Controller/Processor/Key/Report、右下にshall/willの薄い紫の濃淡。ニュースの右下**から始める人は賢い。図の中心は見栄えがするが、端に置かれた辞書が、夜の徒歩を救う。
あやののポスターが、白のバランスを少しだけ上げた。引き締まった笑み—それは礼儀の温度に合う。
あやの「礼儀」
断言より連絡先。最初の行に場所を置く。shall と will を塗り分け、出口(やめ方)を最初のページに。礼儀は、技術に曲がり角をつくる。人の速度を落とし、夜の音量を下げる。
カメラが、ポスターの右下に印刷されたメールアドレスと電話番号を近写する。連絡先は、文脈を呼ぶ。声をかける先が見えると、言葉は必然に寄っていく。
律斗は、暗部の階調が深い。ヘッドホン、しかし音は出ない。彼の言葉はテンポだ。
律斗「テンポ」
先にBPMを決め、what-if の差分を人間の舌で味見してから本焼き。事故の多くは、テンポの決まっていない出発で起きる。
彼の声の後には、プラットフォームの時計が映る。針は止まらず、しかし走らない。
蓮斗は、声の粒に塩を混ぜない。透明で、しかし舌触りがある。
蓮斗「味見」
SigninLogs/AzureActivity/AppTraces。十五分粒度で香りを整える。現実と握手するために、クエリの音で現実を呼び出す。
悠真の映像が切り替わる。引き出しの中の塩、その瓶が並ぶ。ラベルの字体は骨・細部・影という三文字。
悠真「保存」
骨(2年)を残し、**細部(3ヶ月)**を手放し、影(5年)で明日を描く。塩は入れすぎれば食べられず、足りなければ腐る。保存は胃のためでもある。
食堂の鍋の湯気、台所の音が薄く重なる。あなたの生活の遠くで、あなたのための専門性が、暮らしの比喩に落ちてくる感覚。
叶多。モノクロのラインが、橋の見取り図に変わる。
叶多「橋」
鍵を置かない勇気(OIDC)。audience固定で、誰の橋かを名指しする。PIMの期限と理由(30文字)。what-if+人間承認で、欄干に手を置いて渡る。
映像の中で、橋の欄干がうっすらと光る。落ちないための正確さが、恐れをやわらげる。
陽翔。ポスターなのに、音楽が聴こえる。いや、休符の描写だ。
陽翔「休符」
夜間停止は楽譜の休符。Savings Plan は低音で定常を支える。曲線を歌える形に。人の体は音に正直だ。
映像は、折れ線グラフの空白を美しく見せる。詰め込みは、不安の美学だ。空きは、信頼の美学だ。
奏多。彼はBPMを言う。短い。短いが、楽屋には拍が飛ぶ。
奏多「BPM」
120で始め、夜に落とし、朝に戻す。規則正しさに、事故は寄りつきにくい。
さくら。光るのは笑顔ではなく、順番だ。
さくら「ありがとう」
先に感謝、次に事実。連絡先は最初の行。人は、責められると遅くなる。感謝は、判断を速くする。
最後にみお。声に砂糖を少し混ぜる。
みお「可愛げ」
可愛いまま、仕事させる。ポスターの**♪、演習のおやつ**、痛まない学びの演出。文化の糖度を上げると、説明コストが下がる。
そして、やまにゃん。カメラのフォーカスが猫の目に合う。映り込むライトの数、夜の粒度。猫は短い。たいてい一語だ。
やまにゃん「にゃ」
ニュースの見出しは、それで十分なことがある。
03|現場の空気:質問が増える夜はいい夜
就活生はペンを握り直す。ためしに、透明ファイルの上で文字を書いてみる。主語。インクがわずかに滲む。紙ではないためだ。だが、手は動く。体は順序を学ぶ。彼女は顔を上げ、ふいに笑う。緊張が取れた笑いではない。準備が整った笑い。
就活生「その、主語って、具体的には?」
りなが答える。図の右下を指で叩く。「最初の行。場所→主語→動詞の順。
Ops-Sentinel(連絡先:…) が ImpossibleTravel を 検知(dev)。Runbook 1-2 適用中。次報10分。短い。それで呼吸は揃う」
就活生「礼儀は?」
あやの「断言より連絡先。やめ方は最初のページ。shallとwill—守る線/協力の線。礼儀は、線の太さで伝える」
就活生「テンポは、どうやって?」
律斗「事前に。what-if の味見をしてから。人間承認の拍を譜面に。鍵は置かない」
就活生「味見?」
蓮斗「十五分粒度で現実と握手。サインの失敗率、アクティビティの破壊的操作、アプリのP95。舌で確かめる」
就活生「保存は?」
悠真「骨・細部・影。塩の引き出しだよ。胃にもやさしい」
就活生「橋?」
叶多「落ちない仕組み。audience固定、期限・理由、逃げ道。欄干の厚みは、礼儀そのもの」
就活生「休符?」
陽翔「鳴らさない時間。緑の丸は朝だけでいい。成功は一声」
就活生「BPM?」
奏多「先に決める。事故は、無拍のところに寄る」
就活生「ありがとう?」
さくら「先に言う。そして近くへ。遠くの専門家より、近所の人に。困ったら近くへの札は、凡例に次いで効く」
就活生「可愛げ?」
みお「説明をやわらかくするのに、いる。猫の尻尾にUSBをつけるのは冗談だと思うでしょ? 冗談は、覚えやすさの味方」
やまにゃん「にゃ」
お願いしなくても、最後の音は取ってくれる。
04|駅前ニュース:エントリーシートの実況
テロップが変わる。〈翌週〉。狭い机の上、光沢紙の上に置かれた黒いペン。インクは十分に満ちている。就活生の指は先週よりも温かい。手の甲に薄く血が通っているのがわかる。肩の高さが半センチ下がっている。呼吸が腹の方へ落ちている。
設問1:志望動機
主語から書く。行政書士としてクラウドの現場で礼儀を守り、凡例で線を引き、Runbookで人を迷わせず、SaaSのやめ方を最初のページに置きたい。夜は短く、朝に続きを。
設問2:学生時代に力を入れたこと
タイムテーブルのBPMを先に決め、チームの味見クエリで現実に触れ、保存のレイヤを分け、逃げ道を最初に作る—橋の欄干を描いた。
設問3:入社後にやってみたいこと
駅の掲示板の右下にLegendを置く。困ったら近くへの札を増やす。ありがとうの練習を、ワークフローの冒頭に入れる。“可愛いまま、仕事させる”を、現場の当たり前にする。
書く行為は、骨を立てる行為だ。書き終える頃には、彼女の指から余計な力が抜け、ペンが紙の上で泳ぐ。
彼女はファイルを閉じる。透明なフラップの角が光り、部屋の隅のカラーボックスの上、猫のポスターの瞳にその光を一点返す。翌朝投函。ポストに紙が滑り落ちる音は小さな休符。
05|サイドニュース:駅務室の覚え書き
塚本が掲示板の右下のLegendを張り直す。「凡例は橋。橋は人が渡るほど強くなる」と鉛筆で小さく書いておく。「連絡先は最初の行」と横に追記。そして、その下に「また戻ってきます!」の垂れ幕を仮止めしてみる。「戻る場所を先に見せるのは、やめ方の美学」と自分に言うように呟く。駅の空気は、朝より人を含んでいるが、夜より言葉を含んでいる。
06|就活生のモノローグ:壁の右下
夜、もう一度駅に来る。先週と同じ位置で立ち、右下から読む。右下が分かると、真ん中が意味を持つ。余白の文字を読むと、見出しが自分の句になって返ってくる。
「クラウドに詳しい行政書士? はい、うちです」
その“うち”に、自分も入っていいと、今夜は思える。うちは家だ。家の入口は、最初の行に連絡先があるあの場所だ。図の端の小さなLegend。凡例の文字に、自分の名前が小さく重なる。
やまにゃんが足元を横切り、しっぽでとん。それは締めではなく、開始の音。始まるのは、朝。アナウンスは言う。「夜は短く、朝に続きを」
07|クロージング:ニュースは右下から
カメラが引く。ポスターは相変わらず紙だ。だが、紙の向こうに、橋がある。欄干の厚み、柱の色、渡り心地のいい板張り。その橋は、人が渡るほど強くなる。渡る人は、戻ってくる。
エンディングテロップ。りな「主語」/あやの「礼儀」/律斗「テンポ」/蓮斗「味見」/悠真「保存」/叶多「橋」/陽翔「休符」/奏多「BPM」/さくら「ありがとう」/みお「可愛げ」/やまにゃん「にゃ」
音楽は、消えない。就活生の机の上、透明のファイルに戻したエントリーシートの白が、部屋の小さな灯りを受けて、自分自身の光になる。ニュースは続く。右下から読む人のためのニュースが。
——就活生、翌週エントリーシート提出(主語完璧)。
10. 現場密着『NUMA FISHの十秒広報』
00|潮騒のレベルチェック
午前十時。港に面したガラス張りのホールの搬入口で、PAチーフが手のひらサイズの騒音計をかざした。液晶パネルの数字は68dBから74dBの間を泳ぎ、時折、屋根をかすめるカモメの声がきつい三角波を立てて78dBまで跳ね上がる。海風は西から東へ、砂粒を混ぜて吹き込んでくる。会場の背面を走る黒いケーブルは、湿り気を帯びてわずかに重く、銀色のキャノン端子には塩の膜が薄く白くついている。ローディーがそれを親指の腹でぬぐい、細い布で拭き取ると、金属が再び鈍い光を取り戻した。
搬入を終えたばかりの舞台の床は、まだガファーテープの端が浮いている。テープの端を押さえ込むためのローラーがゴロゴロと音を立て、舞台監督がペンライトで床面の段差を探す。背面スクリーンには、NUMA FISH のロゴと今日のアジェンダ——“港湾AIパイロット開始/欧州地域セキュリティ・データ・法令遵守ブリーフィング”が等幅フォントで整然と並ぶ。右下には小さな枠、Legend。そこに、Controller/Processor/Key/Reportの単語が淡く刻まれている。shallは濃い紫、willは薄い紫、両者の境界は海風のようになめらかだ。
会場責任者が最後のチェックリストにサインを入れ、現地広報の女性——バッジには“Maëlle(マエル)”と書かれている——が、控室のドアを軽くノックした。髪はひとつに束ね、首もとに布製のスカーフ。港の寒暖差に合わせて、彼女はライナーの取り外せるジャケットを着ている。
「十秒でリスクと対策を」フランス語のアクセントがわずかに残る日本語。いつもより低い音域。息は浅くない。プレッシャーは声の奥に沈められているが、指の関節には透明な緊張が宿っている。
ふみかは微笑んで頷き、手にしたメトロノームアプリのBPMを60に設定した。画面上で光る円が、一秒ごとに膨らんではしぼむ。「十秒、十拍。呼吸を合わせよう」彼女は台本ではなくカードを持っていた。名刺サイズの白いカード、右上の角は丸く、紙は指にやわらかい。カードの一行目には、連絡先。局番から始まる数字は、急ぐ人でも目に入る位置にある。最初の行は、場所の宣言だ。
連絡先(CISO室):+33-…/incident@…鍵はEU内、処理はEU優先、越境は同意と契約。失敗は隠さず公開、報告72時間、連絡先は最初の行。
十秒。四十七文字と少し。母音の並びは滑らかな方がいい。いやえが多いと、口の形が前に出る。おやうが多いと、声が低くなる。港の低周波に被らない音域を狙うため、ふみかはeとiを多めに、oはアクセントにだけ置いた。
01|控室:Legendカードの束
控室は簡素だ。薄いベージュの壁、白い折り畳み机、ミラーの縁にはテープで止められたポストイットが並ぶ。「Legend(右下)」「First Line(最初の行)」「Runbook One-Liner」「Exit on Page 1」。りなは、名刺サイズのLegendカードを三言語で束にしていた。英語/フランス語/日本語。カードの右下には小さな丸があり、その色で役割と線の種類が識別できるようになっている。
Controller(濃紫):NUMA FISH HQ
Processor(薄紫):EU Port Partner
Key(濃紫):Managed HSM(EU 内)
Report(濃紫):72h/窓口(連絡先は最初の行)
りなはMaëlleにカードを渡し、脚注の言葉で確認する。「shall は守る線、will は協力の線。今日は鍵と報告はshall。越境はSCCのwill。EU Data Boundaryに優先するでshall」脚注は本流を騒がせない。橋の根本に打ち込まれた杭の太さを、視線の端に示す役だ。
あやのはマイクロQ&Aを並べる。十秒の後に続く十行。
Q:鍵はどこに? A:EU 内の Managed HSM。保守はEU域内の人員で。
Q:越境は? A:同意と契約(SCC)で限定。目的と期間を定義。
Q:失敗の扱いは? A:隠さず公開。72時間で規制当局へ報告。連絡先は最初の行。
Q:データ主体への通知は? A:第34条の判定に従って影響評価。
Q:ログは? A:**骨(2年)/細部(3ヶ月)/影(5年)**で保存。胃にやさしく。
台本は紐で綴じるよりも梱包用のクリップで止める方が早い。必要ならページを抜き差しできる。柔らかく、速く。十秒の前には、十分な余白が必要だ。
02|海風校正:音域と方言
リハーサルのマイクチェック。SM58のヘッドに風防。マイクが拾うのは声だけではない。風の粒、カモメの滑空、観客の咳払い。ふみかはマイクに少しだけ近づき、呼気を飛ばさない角度で発声する。「鍵はEU内、処理はEU優先、越境は同意と契約。失敗は隠さず公開、報告72時間、連絡先は最初の行」
PAが指を一本立てて、音響卓の低域を削る。海の鳴きは80Hzから120Hzに多い。言葉の明瞭度は2kHzから4kHzにある。sとtは潮騒に負けない。kは合図になる。鍵の語頭はkで始まる。ふみかはそれを知っている。鍵(かぎ)。契約(けいやく)。連絡先(れんらくさき)。最初(さいしょ)。行(ぎょう)。硬口蓋と軟口蓋が、海の上の橋の感触と奇妙に呼応する。
控室に戻ると、奏多がメトロノームのBPMを58に下げた。「十秒が長く感じる場合がある。風が強いぶん、間が伸びる。体感と現地を合わせよう」陽翔は譜面に赤いペンで小さな休符を加えた。二拍目と七拍目の後ろ。聴衆の理解のための沈黙。「休符は音じゃないけど、聞こえる。ここを空けると遅い拍手が返ってくる」
03|ブリーフィング:Legendを右下に
開始五分前。壇上のスクリーンに表示されるスライドの右下に、Legendが固定される。Controller/Processor/Key/Report。shall と will。連絡先は最初の行。りなは最後に、“Exit on Page 1”の小さなアイコンを左下に置いた。退出に迷子を出さない。入口で騒がないために、出口を先に見せる。山村は、配布資料の右下にも同じLegendを入れた。紙は人を許す。目は、右下にいく。
ふみかはバッジの小さな安全ピンを指で確かめ、ポケットのカードに触れた。文字は剥げていない。曲線で引いた下線が一カ所だけ濃い。連絡先の上だ。そこはニュースの最初の行。Maëlleがスカーフを固く結び直して、「十秒」と、今度はフランス語で言った。dix secondes。母音の並びがやわらかい。しかし彼女の目は、冷たい鉄のように安定している。
04|開会:十秒の前口上
司会がマイクに口を寄せ、挨拶とアジェンダの読み上げ。テレプロンプターのガラスが透明に近い角度で立ち、遠くから見れば空気の傷のようにしか見えない。「リスクと対策の要点は十秒で」会場がわずかに静かになる。十秒は冗談ではない。冗談は分量を失わない。十は、枠だ。
ふみかが一歩前に出る。左足、右足、立ち位置の目印に白テープ。マイクとの距離15センチ。メトロノームの光が胸ポケットの布越しにわずかに見える。一拍。—吸う。二拍。—吐きながら、最初の音だけ強く。
05|十秒:一行の構造
「連絡先(CISO室):+33-…/incident@…。鍵はEU内、処理はEU優先、越境は同意と契約。失敗は隠さず公開、報告72時間、連絡先は最初の行」
一秒目:連絡先。場所→主語の順。視線が固定される。二秒目:鍵の位置。kの無声破裂音が風を割る。三秒目:処理の優先。EU、uの母音が低域に寄り添う。四秒目:越境。同意と契約。SとK。五秒目:失敗。言葉を避けない。iが多く、sが鋭い。六秒目:隠さず公開。口の形が前へ出る。公開の硬さが、壁の厚みにならないように、舌を軽く。七秒目:報告72時間。数字は鉄骨。八秒目:連絡先の再提示。最初の行。九秒目:休符。十秒目:目線を右下に落とす。
言葉は、塩の結晶のように角を持っている。角が多すぎると舌を刺す。少なすぎると滑って掴めない。十秒は角を撫でる時間でもある。
06|遅い拍手:届いた合図
拍手が、半拍遅れて返ってきた。速い拍手は、反射だ。遅い拍手は、理解だ。港の空気が一瞬だけ暖まり、舞台照明が海風に揺らいで、小さな熱のゆらぎを作る。MaëlleがOKのサインを手のひらで作り、同時通訳のブースの中で翻訳者がヘッドセットを下げた。英語と仏語の訳は、すでに次の段落へ進んでいる。十秒は、全言語のための粒度でもある。
07|アフター十秒:十行のQ&A
手が挙がる。最初は、港湾管理局の担当。次は、地域紙の記者。次は、ヨーロッパの公共放送のカメラ。十秒の後に、十行のQ&Aが続く。あやのとりなが左右から補助線を引き、ふみかは最初の一段に戻る。
Q:「鍵の管理者は?」A:「EU内の管理者がアクセス制御。監査ログは骨(2年)、詳細は細部(3ヶ月)、要約は影(5年)」
Q:「越境のケースは?」A:「SCCに基づく目的限定。同意はやめ方と同じで、最初のページに置く」
Q:「失敗をどう扱う?」A:「隠さず公開。72時間で規制当局へ。連絡先は最初の行」
Q:「退出の手順は?」A:「Exit on Page 1。**『困ったら近くへ』**の札を会場にも掲示」
質問が進むほど、Legendの右下を人差し指でなぞる人が増える。右下は、緊張の逃げ場所だ。空が広いと、人は地図の端を持つ。
08|海鳴りの事故:幕の釘
午後、風が一段強くなった。背面の垂れ幕が音を立て、左上の目玉クリップが外れた。布がはためき、Legendの印刷が浮いた。現場の手が一斉に伸びる。りなは養生テープを二本手に取り、垂れ幕の角を斜めに固定した。直角は風に弱い。斜めは力を逃がす。舞台監督が安全確認のサインに親指を立て、ふみかはMCのマイクに戻る。「十秒、もう一度」海風は強いが、人間の声はそれに勝てないほど弱くはない。ふみかは最初の行を短く掲げ、Kの角だけを少し強くした。届いた合図は、やはり半拍遅れで返ってきた。
09|プレスキット:右下にLegend、最初の行に連絡先
取材者向けのプレスキットが配られる。表紙は白、右下にLegend、一ページ目の最初の行に連絡先。二ページ目に十秒要約。三ページ目以降に十行Q&A。— PDFのタグは正しく付与されている。スクリーンリーダーは、連絡先から読み始める。— 英語版/仏語版/日本語版。母音の配置に注意。— Exit on Page 1のピクトは、全言語で同じ。迷子は言語ではなく地図で発生する。
記者席の列で、誰かがボールペンのノックを一度だけ鳴らした。静かな尊敬の音。今日いちばん短い拍手。
10|夕方の港:スモールトークとLegend
セッションが終わると、屋外のバルコニーに紙コップのコーヒーが並ぶ。紙は水分を吸い、縁の厚紙がやわらかくなる。Maëlleが肩を落とすようにして笑った。「十秒、私たちの文化だとどうしても長くなるの。あなたの短さは、誠実」ふみかは名刺サイズのLegendを一枚渡した。右下を指で叩く。「右下に置いて。最初の行に連絡先を」言葉は借り物でも、置き場所は地元のものだ。
11|帰路:十拍の余韻
港の風景は、夜になると黒の量が増える。ライトの白は、海面の油膜のように広がり、波頭は音で見える。ふみかはメトロノームを止め、十拍のあいだだけ、海の音を聞くことにした。現場の音は現場でしか拾えない。りなはLegendカードの残りを数え、右下に押すための小さなスタンプをバッグに戻した。shall と will の濃淡が、今日の橋の渡り心地を正確に記録している。あやのはQ&Aの脚注に、報告72時間の根拠を薄い字で追記した。脚注は翌朝も眠れる文字の濃度で。陽翔は曲線の休符の位置を一つだけ微調整。風の強い日の休符は長めに。奏多はBPMを60から58に落としたまま、戻すのを忘れてポケットにしまう。癖は現場で生まれる。悠真は保存の影に、今日の十秒を黒いペンで一行だけ書いた。届いた合図は半拍遅れ。叶多は欄干の図に小さな猫を落書きした。欄干に可愛げは要る。人が手を置く場所には、やさしさがいる。みおはマイクの風防を外し、中の塩の粉をふっと吹いた。痛まない学びは、塩をきらない。やまにゃんは、しっぽでとん。それは、帰るの合図でもあるし、明日の準備でもあった。
12|ポスト・イベント:メールの一行
夜十時四十三分、ふみかの端末に、件名の短いメールが入る。
件名:十秒、届きました本文:拍手が半拍遅れて返りました。あの遅さは、届いた合図です。連絡先が最初の行にあることに、現場が救われました。ありがとう。
ふみかはそのメールのスクリーンショットを、事務所の監査パックの最後のページに貼る。タイトルは要らない。ただの日付と港の名前。ベルが、机の端で小さくちりんと鳴った。
13|ドキュメント:十秒の作り方(再現のための付記)
言葉の粒度:十秒=十拍。最初の行=連絡先。母音配置は風に勝つように。
Legendの位置:右下。図/スライド/紙。shall/willの濃淡を一致。
Runbookの一行目:誰・いつ・どこで・何を・なぜ。Exit on Page 1。
休符:二拍目と七拍目の後ろ。遅い拍手を受けるため。
保存:骨・細部・影。胃にやさしく。
文化:可愛いまま、仕事させる。痛まない学び。
キュー:とん(猫のしっぽ)。開始と終了の合図。
十秒は刃物ではない。レンズだ。遠くのものを、自分の夜まで引き寄せる。十秒は呪文ではない。手順だ。右下にLegendを置き、最初の行に連絡先を置く。十秒は短いが、十分だ。遅い拍手がそれを教えてくれる。
——海風の音が強い夜は、どこにでもある。十秒の前に、呼吸を合わせよう。鍵はEU内。処理はEU優先。越境は同意と契約。失敗は隠さず公開。報告72時間。連絡先は最初の行。言葉の骨格は、いつも同じでいい。届き方は、半拍遅れがいい。





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