山崎行政書士事務所物語(コメディ小説)第7話「クラウド移行は、書類より人が重い」
- 山崎行政書士事務所
- 2月7日
- 読了時間: 9分

※本作はフィクションです。登場人物・出来事は創作であり、手続や書類に関する描写は一般的な範囲の表現です。個別の案件は事情により必要書類・手順が変わります。本作は特定の事案の結論や可否を断定するものではありません。
ホワイトボードの右上。駅名ステッカーが、もう六枚。
『新静岡』『日吉町』『音羽町』『春日町』『柚木』『長沼』
その横に、みおが赤字で書いた呪文。
14:15
さらにその下、プリンターの“勝手に名言コーナー”。
『それ、残ってない。』『でも、残せる。』『要件定義、未完。』『MVPで、勝つ。』『句読点は、平和。』『空でも、フォルダは残る。』
そして机の上には、例のUSB。透明ケース。黒文字。
「空」
ゆいが壁とUSBを交互に見て、ぽつりと言った。
「先生……事務所の空気、だんだん“セキュリティ研修”みたいになってません?」
「いいじゃない。研修は必要だよ」
さくらが、いつもの無表情で言う。
「先生。未知のUSBは刺しません」
りなが、口を尖らせた。
「でも…“空”ですよ?空なら安全じゃないですか?」
みおが即答した。
「“空”が安全なら、世の中は平和です」
「平和って言った。プリンターの名言と繋がった」
あやのが、柔らかく補足する。
「“空”って書いてあるものほど、重いことありますよね」
「あるね」
「人の気持ちみたいに」
「急に詩が来た」
相談者は、紙より先に“クラウド”を持ってくる
10時。ドアが開く。入ってきたのは、スーツ姿の男性二人。
片方は、資料が入ったファイル。もう片方は、ノートPCとガジェットポーチ。ガジェットポーチが、異様にパンパン。
「お世話になります。○○株式会社の田中と申します」
「同じく情報システムの佐藤です」
佐藤さんが名刺を差し出すとき、手首に巻いたスマートウォッチが光った。“現場”の匂いがする。
山崎先生が椅子を勧める。
「今日は、どういったご相談ですか?」
田中さんが、ひと息で言った。
「クラウド移行を進めていて、契約とか運用とか、社内ルールとか、色々…ぐちゃぐちゃになりまして」
りながが小さく頷く。
「ぐちゃぐちゃ…仲間…!」
みおが付箋を貼る。
(① クラウド移行)
佐藤さんが続ける。
「正直、技術は何とかなるんです。でも…“責任分界”とか“委託先に何を求めるか”とか、誰も決めたがらない」
さくらが、静かに言った。
「決めないと、残ります」
「残るって言った」
「残るは、ここ最近のテーマです」
ゆいが、つい口を挟む。
「“残る”って良いですね!キャッチコピーに――」
さくらが目線だけで止めた。
「広報、黙ってください」
「はい…」
「全部クラウドに置けば大丈夫」は、だいたい危ない
田中さんが、資料の一枚目を出す。タイトルはでかい文字でこう書いてある。
『クラウド化でセキュリティ強化!』
りながが「おお…」と声を漏らす。ゆいが「映える…」と呟く。みおが付箋を貼る。
(② 映え資料=危険)
山崎先生は、にこやかに聞いた。
「移行先は?」
佐藤さんが答える。
「Microsoft 365中心で、認証はEntra…あと、一部Azureも。ログとかも集めたいって話で…現場はやる気なんですけどね」
「やる気は、ある」
田中さんが苦笑いした。
「上の人が、こう言うんです。“クラウドはMicrosoftが全部やってくれるんだろ?”って」
その瞬間、事務所の空気が一斉に固まった。
さくらの目が、0.3ミリだけ細くなる。みおが、無言で付箋を二枚貼る。
(③ 「全部」)(④ 責任分界)
りながが小声で言った。
「“全部”って…危険ワード…」
山崎先生は、ゆっくり頷いた。
「一般論としてね。クラウドは“便利”だけど、全部を誰かが勝手にやってくれる魔法”ではないんだ。どこまでがサービス側で、どこからが利用側か、整理が必要になる」
佐藤さんが、分かってる人の顔で頷く。
「そこです。IDの管理とか、権限とか、運用とか、結局“うち”がやるやつが残る」
さくらが、ぽつり。
「残ります」
田中さんが笑う。
「残りますよねぇ…」
ゆいが、なぜか感動した顔で言った。
「先生…クラウドって、結局“人間の話”なんですね…」
「そう。クラウドは、だいたい人間の話になる」
山崎先生、ホワイトボードに“責任分界”を描く
山崎先生はホワイトボードに線を引いた。上に大きく書く。
“サービス側” / “利用側”
そして、わざと雑に書いた。
「物理的な施設とか、基盤部分はサービス側が担うことが多い。でも、利用側のID運用、権限、端末、社内ルール、委託先の管理――そういうのは“利用側がやること”として残りやすい」
佐藤さんが深く頷く。
「そうそう、まさに。“ログを取る”って言うのも、取るだけじゃ意味ないんですよ。誰が見るのって話で」
みおが付箋を貼る。
(⑤ 誰が見る)
りながが興奮して口を開いた。
「先生、ログは…証跡です!」
「そう。証跡」
田中さんが、顔を曇らせた。
「証跡って言葉が出ると、急にみんな静かになるんです。“監査っぽい”って言って」
あやのが、優しく言った。
「“監査っぽい”って、怖い響きですよね」
さくらが即答する。
「怖いのは監査じゃなくて、準備不足です」
「さくらさん、切れ味が」
そして、USB「空」を巡る、事務所内セキュリティ会議
打合せの途中、りなが机の端に置かれたUSBを見つめていた。視線が、だんだん吸い寄せられていく。
みおが気づいて、低い声で言う。
「りなさん」
「はい!」
「刺しません」
「刺しません!」
「でも…見たいです…」
「見たい気持ちは分かりますが、刺しません」
田中さんが、USBを見て首を傾げた。
「え、何ですかそれ」
ゆいが小声で言う。
「…毎日14:15に来る人が置いていく、謎のUSBです」
田中さんが笑った。
「え、怖っ。ホラーじゃないですか」
佐藤さんが真顔で言った。
「未知USBは、刺したらダメです」
「ここにもガチ勢がいた」
山崎先生が、落ち着いて言う。
「じゃあ、こうしよう。“刺さない”は守る。でも、どうしても確認するなら、隔離環境で、安全側に倒して見る」
りながが目を輝かせる。
「隔離環境!好きです!」
みおが頷く。
「検証用PC、あります。ネットワーク切ってるやつ」
さくらが一言。
「“隔離丸”ですね」
「ネーミングが可愛いのに用途が怖い」
佐藤さんが、なんだか嬉しそうに言った。
「いいですね、そういう運用。“刺さない”を例外なく守る仕組み、ちゃんと作ってる会社少ないです」
田中さんが、苦笑いする。
「うちも作りたいです…」
「空」なのに、フォルダだけはある
昼休みを挟み、打合せの最後に、山崎先生は“隔離丸”を机の上に出した。古いノートPC。ネットには繋がってない。でもなぜか、頼もしさだけはある。
りながが、儀式のように手を洗う。
「よし…いきます…」
さくらが釘を刺す。
「先生。あくまで“確認”です。深入りしません」
「深入りしない。ログを残すだけ」
USBを挿す。画面に表示されたのは、予想どおり。
中身は――空っぽ。ただし、“フォルダ”だけが並んでいる。
01_新静岡02_日吉町03_音羽町04_春日町05_柚木06_長沼
そして――まだ貼っていない駅名が、ひとつ。
07_古庄
りながが息を飲んだ。
「先生…私たち、まだ古庄のステッカー貰ってないのに…」
みおが赤ペンを握りしめる。
「未来の駅が、先に作られてる」
田中さんが、ぽかんとする。
「え、これ…何の話です?」
佐藤さんが真顔で言った。
「これは、だいぶ怖いですね」
ゆいが、妙に嬉しそうに言う。
「先生、連載が盛り上がってきましたね」
「喜ぶな」
山崎先生は、フォルダ一覧をスクリーンショット…は撮れないので、紙にメモした。“証跡”として残すために。
さくらが、ぽつりと言った。
「空でも、フォルダは残る。…本当でしたね」
「プリンターが言ってたね…」
14:15、クラウド案件に“あの人”が刺さる
打合せが終わりかけた頃、インターホンが鳴った。
ピンポーン。
全員が時計を見る。
14:15
田中さんが小声で言う。
「それ…来る時間、固定なんですか」
「だいたい固定です」
「怖いんですけど」
ドアが開く。キャップを深く被った人物。例の、謎の人。
低い声で、丁寧に。
「失礼します。……少しだけ」
視線が、机の上の資料――“クラウド移行でセキュリティ強化!”に落ちる。そして、いつもの質問が、今日はこう来た。
「それ……責任分界、残る?」
佐藤さんが、反射で答えた。
「残ります。残るから、決めないといけない」
謎の人は、ほんの少し頷いた。
「“全部クラウド”って言葉は、だいたい危ない。残るのは、契約じゃなくて…運用と、人間の癖だ」
田中さんが思わず呟く。
「刺さる…」
謎の人は机に、駅名ステッカーを一枚置いた。
『古庄』
そして、USB「空」をちらっと見て言った。
「刺した?」
りながが、胸を張って言った。
「隔離環境で、刺しました!」
謎の人が、わずかに首を傾げる。
「…合格」
「合格!?」
謎の人は最後に、いつもの言葉を残す。
「じゃ。証跡、大事なんで」
そして去っていった。
ドアが閉まる。
田中さんが、真顔で聞いた。
「今の人、誰ですか?」
山崎先生も真顔で答えた。
「分かりません。でも…うちの“弱いところ”を、毎回ピンポイントで刺してくる人です」
佐藤さんが小声で言った。
「それ、監査人じゃないですか?」
「監査人にしては、駅名ステッカーが趣味すぎる」
クラウド移行の結論は「書類より、人」
打合せの締めに、山崎先生は田中さんたちに言った。
「整理の順番を提案します。一般論としてね。①現状の棚卸し(何を使って、誰が管理してるか)②責任分界の整理(サービス側/利用側)③委託先・社内の役割分担(誰がやるかを“残す”)④運用ルールと証跡(ログの扱い、権限の考え方、手順)⑤契約文書や規程類の整合(運用と矛盾しない形にする)」
田中さんが頷く。
「いきなり契約書から入ると、現場がついてこないんですよね」
佐藤さんが笑う。
「運用がない契約って、現場には“空フォルダ”なんですよ」
その言葉に、事務所の全員が一瞬止まった。
りながが、ぽつり。
「空フォルダ…」
みおが付箋を貼る。
(⑥ 空フォルダ=運用なし)
さくらが、静かに頷いた。
「今日の名言、残ります」
そしてプリンターが、最終的にすべてを言う
田中さんたちが帰り、事務所に静けさが戻った。ホワイトボードに『古庄』が追加され、地図が一駅伸びた。
『新静岡』→『日吉町』→『音羽町』→『春日町』→『柚木』→『長沼』→『古庄』
その瞬間、プリンターが「ピッ」と鳴った。嫌な予感しかしない。
ウィーン。吐き出された紙は一枚。
そこに印字されていたのは、たった一行。
『クラウドは場所じゃない。運用だ。』
りながが、静かに両手を合わせた。
「先生……プリンター、悟りました」
みおが真顔で言う。
「悟ってるのはプリンターじゃなくて、先生たちの反省です」
「やめて、現実で刺すの」
さくらがプリンターに言った。
「今日は…褒めます。今日だけ」
「今日だけ多いな」
今週のチェックリスト(一般論)
「全部クラウドで安心」ではなく、サービス側/利用側の役割(責任分界)を整理して“残す”のが大事
クラウドは“契約”より先に“運用”(誰が、何を、どうやる)が重い。運用がないと空フォルダになる
証跡(ログや手順、権限の決め方)は“集める”より“誰が見る/どう使う”まで決めると効く
未知のUSBは刺さない。確認するなら隔離環境で、安全側に倒す
駅名ステッカー
1枚目:新静岡
2枚目:日吉町
3枚目:音羽町
4枚目:春日町
5枚目:柚木
6枚目:長沼
7枚目:古庄
プリンター被害状況
「クラウドは場所じゃない。運用だ。」を勝手に印刷(正論)
ただし信用はしない(前科が多い)
次回予告
「委任状が未来から来た」――時間軸がズレると、現場が止まる。次回、委任状が未来から来た。





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