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潮痕の顕影

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月26日
  • 読了時間: 10分

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序章 夜明け前の微光

 光浦海峡(こうらかいきょう)を薄い朝もやが覆い始める頃、海面をかすめていく潮風はどこか寒々しい。前作『潮葬の刻印』で事件が起きたのは初夏にもかかわらず、この海峡には一年を通じて陰鬱な気配が漂っているように思える。 古社・**桜浦神社(さくらうらじんじゃ)**で毎年執り行われる「潮満神事(しおみつしんじ)」が終わったばかりだが、平穏な時期であるはずの境内に、不穏な空気は相変わらず消えない。大手企業「天洋コンツェルン」による港湾拡張は加速度的に進行し、地域の政治や経済のみならず、警察捜査にまで影響を及ぼしている。

 失踪した記者・**望月(もちづき)**と漁協組合長・**木島(きじま)**の悲劇的事件(木島は瀕死の重傷で発見されたが、望月は行方知れずのまま)から数週間――海はいつもと変わらぬ姿で、底知れぬ闇を隠している。

第一章 新たな動揺

 警視庁捜査一課都築(つづき)警部補は、地元署の大迫(おおさこ)刑事とともに光浦の街へと再度足を踏み入れる。捜査本部は相変わらず「港湾拡張計画をめぐるトラブルの沈静化」を名目に派遣しているが、その実態は「大きく波風を立てず、事態を収束させよ」という上層部からの暗黙の圧力だ。 合流した大迫は、深刻そうな面持ちで口を開く。 「都築さん、実は木島さんが先日意識を取り戻して、少しだけ言葉を交わしたんですが、どうにも不気味な情報を残しているんです」 木島はまだ重症で多くは語れないが、「海底に沈められたファイル」という言葉を繰り返しているという。「海に捨てられたのは望月記者だけじゃない。重大な証拠も、海中に沈んでいる――」というのだ。 「“潮葬(ちょうそう)”という文字が記された紙切れも以前見つかっていますし、闇の勢力が不要な証拠や人間を海に葬っているとしたら……」と都築。大迫はうなずきながら、「このまま放置すればさらに被害が広がるでしょう」と声を落とす。

第二章 不可解な海底事故

 ちょうどその時、港湾拡張工事に従事する潜水作業員が、海底での事故により死亡するという一報が入る。現場監督の証言では「突然器材が故障し、浮上できなかった」とされるが、周囲には不審に思う者もいる。 都築と大迫が現場へ駆けつけると、天洋コンツェルンの管理担当者は事故調査を拒否するような態度を示す。 「我々は社内の安全対策マニュアルに従い、独自に調査します。警察が介入する必要はありません」 明らかに捜査を避けたい意図が感じられ、都築の胸に嫌な予感が広がる。もし“海底に葬ったファイル”という話が本当なら、潜水作業員がそれを発見しそうになったがゆえに口封じされた可能性も考えられるのだ。 さらに、大迫は死んだ潜水作業員が、過去に日邦建設の下請けとして働いていたという情報を得る。緑陽交通、日邦建設、そして天洋コンツェルン……連綿と続く暗い繋がりが、ここでも顔を覗かせていた。

第三章 記者の残したノートPC

 前作で失踪した望月記者のロッカーから発見されたノートPCを、大迫が密かに解析していたところ、パスワード保護されたフォルダから「海底ルートの地図データ」が出てきた。 それは港湾拡張工事の公式設計図とは微妙に異なる海底地形図で、複数の赤いマークが付されている。望月はこれを「密輸・不正輸送」の隠し航路として疑っていたらしい。 「かつて合田誠二や笹川の時代から、不正物資の出入りがあったんだろう。緑陽交通の陸路だけでなく、海路も活用して――」と大迫。 都築はノートPCの画面を睨みながら、「それが天洋コンツェルンに引き継がれている可能性が高い、と。しかも、そこへ干渉しそうな人間や証拠は片っ端から消されている……」と推測する。 望月は何らかの確証を掴み、この海底ルートの存在を記事で告発しようとしていたのか。もしそうなら、彼女は“海に沈められた”のか――都築の頭を、暗澹とした想像がよぎる。

第四章 安西宮司の協力

 一方、桜浦神社の新宮司・安西は、都築と大迫に協力を申し出る。 「海にまつわる伝統行事を担う神社として、これ以上、この地が血や闇で穢されるのを見過ごすわけにはいきません。私も微力ながらお手伝いしましょう」 安西が差し出したのは、神社に古くから伝わる海中地形の古文書だった。潮満神事で神官が足を踏み入れる浅瀬や、付近の潮流変化を記した貴重な資料で、現代の地形図とは若干ずれがあるが、ヒントになるかもしれない。 都築と大迫は早速、望月記者の海底地図データと照合し、ある奇妙な一致点を見つける。二つの地図上で重なる海底の窪みがあり、そこに「潮痕(ちょうこん)の岩」という名前が古文書に記されていた。 「どうやら、干潮時に一瞬だけ顔を出す岩礁らしいが、現代の正式な海図には載っていない。もし闇ルートがあるとすれば、潮位によって船が近づける時間帯が限られているはずだ」 大迫が興奮交じりに言う。「そこに何かが沈められている可能性がある。あるいは密輸船が一時的に停泊する拠点なのか……」

第五章 夜の不審船

 その夜、都築と大迫は、地元漁師の協力を得て小舟で海へ出る。狙いは、“潮痕の岩”付近に不審船が現れないか確かめること。月明かりの下、海面は黒々と沈んでいる。 すると、満潮が近いにもかかわらず、遠くから黒い影のような船が、そちらへ向かって進んでいくのが見えた。明かりを落とし、レーダーに映りにくい形で進んでいるらしい。 「あれだ……!」 都築たちは周囲に気づかれぬようエンジンを切り、双眼鏡で確認すると、船の側面にかすかに「天洋」の文字が……。しかし船籍を偽装したのか、正式な登録番号は見当たらない。 やがて船は潮痕の岩付近に停まり、数名の作業員らしき人影が甲板から何かを海へ投げ込んでいるように見える。ドボン、ドボンという鈍い音が夜の海に響く。 「まさか、また“海葬”か――」大迫の背筋が凍る。「証拠か、人間か、どちらにせよロクなものじゃない……」 都築は携帯で応援を呼ぼうとするが、ここまで夜陰に潜んだ以上、迂闊には動けない。もし船が逃げれば捕捉は困難だ。二人は歯がみしながら、静かに船を見守るしかなかった。

第六章 逃げる闇、消される跡

 しばらくして不審船は遠ざかり、潮痕の岩も潮位の変化で海面下へ沈みつつある。都築と大迫が小舟を慎重に接近させると、海面にはいくつかの漂流物が浮いていた。 近づいてみると、それは紙の束のようなものが濡れて千切れかけている状態。辛うじて読める部分には、企業名や海外港湾との取引が羅列されており、「天洋コンツェルン 海外支社」「コンテナ輸送計画」などの文字が散見される。 「やはり証拠書類だ……奴らがこれを廃棄しようとしているのか」 都築が急いでタモ網で引き上げるが、多くは既に水でぼろぼろになり読めなくなっている。まるで船員たちは“重要書類を廃棄した後、何か大きな荷物を海底に沈めた”かのように思える。 同時に、ふと大迫が悲鳴を上げかける。「……これは、人骨か?」 波間に浮かぶようにして、白いかけらが一瞬だけ見えた。すぐに次の波にさらわれて姿を消してしまったが、もしそれが本物の骨だとすれば、“望月記者や他の犠牲者”の末路が想起され、二人は戦慄せずにいられない。

第七章 神社に差し込む悪意

 翌朝、桜浦神社から大迫に緊急連絡が入る。社務所の扉が破壊され、安西宮司が背後から殴られ、意識不明のまま倒れていたというのだ。 現場を確認した都築は愕然とする。前夜に確かめた「古文書」や“潮痕の岩”周辺の海底図が入ったファイルが消え失せ、神社内部も荒らされていた。まるで捜査を妨害するかのように、関連資料を根こそぎ奪い去られたのだ。 安西宮司は幸い命に別状はないが、しばらく意識が戻りそうにない。神社の神職や手伝いの者も「犯人は黒づくめの数名。警報機が作動したので逃げた」と証言するが、詳しい顔や車種は分からなかった。 「間違いなく昨夜の不審船と同じ連中だろう。神社が我々に協力していることを察知し、証拠を奪い、安西さんを口封じしようとしたんだ……」と大迫。 まるで、かつての合田や笹川がそうしてきたように、この地に巣くう闇は協力者を徹底的に排除する。都築は何度目か分からぬ苛立ちを抑えられず、拳を握りしめる。

第八章 隠し倉庫の噂

 その日の午後、地元紙の編集部に匿名の電話が入り、「港湾付近の旧倉庫に“天洋の機材”が隠されている」と情報がもたらされる。意識を取り戻した木島が「古い倉庫街に行けば、おそらく闇の痕跡を見つけられる」と言及していたのとも符合する。 都築と大迫は急ぎ旧倉庫街へ向かうが、既に不審者の姿はなく、代わりにコンクリート壁に大きな文字がスプレーで書かれていた――「潮痕の顕影――夢を見るな」。 まるで「捜査官たちよ、無駄な努力はやめろ」と言わんばかりの挑発だ。さらに奥の床には、血のような赤黒いシミが点々と残り、その中心には記者証らしきバッジの一部が転がっている。 大迫は声を失う。「これは……望月記者のものかもしれない。奴らはここで彼女を拷問し、あるいは……」 都築も絶句する。血塗られた現場が示すのは、望月がもう生きていない可能性の高さだ。しかも犯人は、その“残滓”さえも我々に見せつけている――あたかも「海に沈めてやったぞ」と笑うように。

第九章 形なき敗北

 暗躍する天洋コンツェルンとその下部組織、あるいは関連する政治家や行政幹部。都築と大迫は夜を徹して証拠を整理し、上層部へ報告書を提出するが、「具体的な立件材料が不十分」と退けられる。 神社を襲撃した犯人の目撃情報も断片的で、肝心の不審船の情報も「登録番号不明」で追跡が行き詰まる。せめて拾い上げた書類の断片を精査しようとしても、海水で滲んで読めない部分が多い。 まるで積み上げても積み上げても、黒幕へ届かない“砂上の楼閣”のように、捜査は一向に進展を見せない。望月記者の生死に関しても、もはや光浦署内部で「すでに死亡の可能性が高い」と囁かれている。 都築は苛立ちと徒労を押さえつつ、大迫とともに港湾の埠頭を見下ろす高台に立つ。そこでは重機が唸りを上げ、まるで何事もなかったかのようにコンクリートの打設が進められていた。巨大な利権構造は、誰かの死など意にも介さず前へ突き進む――そんな現実を突きつけられているようだ。

第十章 ただ海面に揺れる刻(とき)

 ある日の夕刻、都築は桜浦神社の裏手にある文学碑を一人で訪れた。潮満神事の舞台がそろそろ夏の訪れを迎えようとするころ、海峡には緩やかな風が吹いている。 碑の下には、これまでの事件を悼むかのように、新しい花束が置かれていた。そこには「望月さん、どうか安らかに」という手書きのメッセージがそっと挟まれている。 「……これでいいはずがない」 都築は唇を噛み、独りごちる。幾度も流された血と闇。合田誠二の時代から続く邪悪な潮流を、いまだに食い止められない自分への苛立ち。そして、行方知れずとなった者たち――望月記者をはじめ、過去に消えた被害者たち――への申し訳なさが重くのしかかる。 そんな彼の背後に大迫が現れ、声をかける。「都築さん……やれることはやった。ただ、今のところ我々にはこれ以上踏み込む権限がない。だけど、いつか必ず、あの黒幕を――」 都築は黙ってうなずく。重い虚無感に包まれながらも、彼らにとっての“捜査”は終わらない。遠くに見える港湾エリアのクレーンは夕陽を受け、黒々としたシルエットを映し出している。 潮痕の岩は、今も干満のリズムに合わせて、海底に沈み、またひっそりと姿を現すのだろう。そこに何が眠っていようと、どういう罪が隠されていようと、巨大な権力の前では掘り返すことさえ叶わない――。 そう痛感しながら、都築は海峡に降り注ぐ夜の帳(とばり)を見つめる。 ――まるで、沈みゆく太陽が、事件の結末と同じく“何もなかった”かのように、すべてを闇へ溶かしていくかのようだった。

あとがき

 前作『潮葬の刻印』に続く本作『潮痕の顕影』では、行方不明となった望月記者、そして闇に葬られた証拠や人々の姿を追う捜査の行方が描かれました。何重にも渡る妨害工作や警察内部の圧力、さらには巨大企業・天洋コンツェルンの絶大な権力が、わずかに光を見せかけた真相を再び深い海底へと沈めてしまいます。 過去に登場した緑陽交通や日邦建設が育んできた闇の利権は、新たな姿でこの町を飲み込み続けています。いかに都築・大迫のコンビが血眼になって捜査しても、核心には届かない――それが宿命的要素でもあるでしょう。 「潮痕(ちょうこん)」という言葉が象徴するように、干潮時にうっすらと浮かび上がる岩礁や痕跡は、“犯罪の爪痕”を暗喩しています。しかし、満潮の波が再びやってくれば、その痕跡はまるで何事もなかったかのように隠されてしまう。 本作でも、海の底に無数の秘密と屍(しかばね)が眠っているかもしれないし、またいつか干潮のときに一瞬だけそれらの断片が見えたとしても、闇の勢力が巧みに隠滅する――そうやって「真実」は葬られていくのです。 捜査官たちの諦めぬ姿勢が、かすかな希望として残りつつも、物語は今作も完全解決には至りません。光浦海峡には今日も美しい潮騒が響き、桜浦神社では清浄な神事が執り行われる。一見穏やかな光景の裏に、風化される悲劇と葬られた秘密が眠り続ける――それが本作『潮痕の顕影』の余韻となっています。

(了)

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