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白い漆喰と赤いカーテンの階段で――ツァールスコエ・セローの小さな手当て

サンクトペテルブルクから郊外電車に揺られてプーシキンの町へ。バスを降りると、公園の木々の向こうにエカテリーナ宮殿の白い壁がのぞく。入口でチケットを受け取ると、係のマダムが手の平に青いクローク札をぽんと置いた。私はそれを落としてしまい、コインみたいに床をコロコロ。するとクロークの奥から長いつかみ棒がにゅっと伸びて、札は私の手の中に戻る。「ничего страшного(大丈夫よ)」と肩をすくめる仕草に、ロシアの冬みたいな優しさがある。

中へ進む前に、係の女性が一言。「бахилы!」――靴カバーを履いてください、の合図だ。薄いビニールを引っ張って足に被せると、行列の足元が一斉にシャカシャカと鳴りだす。ロープを越えると、いきなり赤いカーテンと白い漆喰に包まれた大階段。赤い波の布と、白い手すり、花台の白薔薇。視界がいっぺんに甘いお菓子みたいになる。

最初の“やらかし”は、その階段の途中で。写真を撮ろうと屈んだ拍子に、ビニールの靴カバーがビリと裂けた。角の椅子に座っていたバーブシュカ(監視員)がすかさず指で招き、引き出しから予備のカバーを取り出すと、踵にゴムを八の字で掛けてくれた。「Вот так, держится.(こうすると外れないのよ)」。仕上げに、私のマフラーの端をひとねじりして胸元に挟み、「風と喧嘩しないで」と目で笑う。

壁の飾棚の前では、小さな女の子が花瓶の数を数えている。「раз, два, три…」。私は指で一緒に数え、最後の一つを見逃していた彼女にそっと示すと、お母さんがパスチラ(果物のお菓子)を一切れくれた。私はポケットからのど飴を取り出し、半分こ。砂糖の小さな交換で、階段の赤がさらにやわらかく見える。

踊り場で、もう一度小さな事件。手すりに体を寄せて撮った写真を確認しようとしたら、カメラのストラップが彫刻に引っかかって外れかけた。ひやりとする私の隣で、若い警備員が細い紐をさっと取り出し、ストラップの穴に通して簡易のストッパーを作ってくれる。「так безопаснее(その方が安全)」と短く。石膏の天使より手際がいい。

赤いカーテンの光が落ちるホールを抜けると、磨き上げられた床が氷みたいに冷たい艶を返す。私はバッグから取り出したピロシキ(さっき屋台で買った)を食べようとして、ジャムがぽとりとコートに。あぁ、と固まる私に、ガイドさんが炭酸水を含ませた布を当ててトントン。「ничего」――たいしたことじゃない、の声はどこの国でも効く魔法だ。しみが薄れていくあいだ、赤いカーテンが煉瓦色からざくろの色へと変わって見える。

次の部屋で“写真禁止”の札を見落としかけ、バーブシュカがそっと指先を横に振る。「нельзя」。代わりに彼女は窓辺へ私を連れていき、床の寄木に差す日差しを指し示す。「солнце как мёд(蜂蜜みたいな陽だまり)」――彼女の言葉に合わせて、私はカメラを下ろし、目で光の温度を覚えることにした。豪華さは、レンズよりも皮膚がよく覚える。

やがて巡路は出口へ。クロークでコートを受け取ろうとすると、朝の青い札が見当たらない。ポケットを探っても出てこない。私が困っているのを見て、係のマダムが「какой номер?(番号は?)」と聞き、控えの紙を示してくれる。札はたぶん階段で落としたのだろう。私は深く頭を下げ、代わりに持っていたチョコレート半分だけ差し出す。彼女は受け取らない代わりに、私のコートの緩んだボタンを見つけて、針も糸も出さずに自分のスカーフピンでそっと留めてくれた。「次の人に貸してね」。パレスの礼儀は、たいてい結び目の形をしている。

庭に出ると、白い宮殿の外壁が空を受けて少し青く見えた。池の向こうからアコーディオンの音、ベンチでは若者がサモワールの紙コップを回し飲みしている。私は階段で教わった八の字の履き方で靴カバーを外し、ゴミ箱へ入れた。今日起きたこと――裂けたカバー、ひとねじりのマフラー、花瓶の数の数え直し、ストラップの即席ストッパー、炭酸水のトントン、失くした札の代わりのピン、そして半分このお菓子。どれも豪奢な装飾より小さいのに、赤いカーテンのひだと同じくらい、胸の中で折り重なっている。

ツァールスコエ・セローで覚えたのは、華やかさの扱い方だった。足元を守り、風と和解し、落としたものをすっと戻す手を信じること。次にまたここを訪れたら、私はきっと入口で「бахилы」と先に言って、ポケットのピンを一つ余らせておく。誰かの小さな「やらかし」を、あの赤いカーテンの前でそっと直すために。

 
 
 

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