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緑の水面に木の船影――ポルト・デ・ソイェール、リャウトに触れた日

オレンジ色の木造トラムが「ディン、ディン」と鳴って坂を下りきると、港がぱっと開けた。翡翠色の入り江に、白と紺の船がずらり。岸の家々はクリーム色の壁に緑の鎧戸、テラスからブーゲンビリアが垂れている。風はオリーブと潮の匂いを半分ずつ運んでくる。ここがマヨルカ島のポルト・デ・ソイェールだと、足の裏が先に納得した。

最初の“やらかし”は、トラムを降りてすぐだった。粉砂糖をたっぷりまとったエンサイマダをかじった瞬間、海風が正面からひと吹き。黒いシャツが一瞬で雪景色になる。売店のおばさんは笑いをこらえながら、手元から刷毛みたいな小さなブラシを出してくれた。「Tranquilo、港では砂糖も潮の仲間よ」。私は胸の前で手を合わせ、シャツは無事、人心地がついた。

埠頭に出て、木の甲板が艶めく小さな伝統船――リャウトの舳先を覗き込んでいたら、カメラのレンズキャップがぽとりと落ち、すべすべした板の上を転がって海へ一直線。あっ、と思う間に、船からひょいと伸びたボートフックがキャップを引っかけた。小麦色の腕の持ち主は、船主のトメウ。「Bon dia(ボン・ディー)」。彼はキャップを私の掌に戻してから、船べりの白いフェンダーを直し、にこりとした。「写真より、ちょっと乗ってみる?」。

恐る恐る跨いだ甲板は、思ったよりも柔らかい。私がバランスを崩しかけると、トメウは足もとに麻のマットを敷いてくれた。「ここに立てば海が穏やかに見える」。彼は桟橋のロープを手に取り、八の字でさっと結び、舳先の小さな木のスプールに止めてみせる。「結び目は“風の機嫌が悪い日”の保険だ」。言葉が気に入って、私は心の中で何度も繰り返した。

湾をゆっくり一周するあいだ、トメウはソイェール渓谷のオレンジをナイフで切って、半分こしてくれた。丸い果肉からこぼれた雫が舌に触れると、海の塩けが少しだけ甘くなる。「Un poc per tu, un poc per mi(少しは君に、少しは僕に)」と彼。私は「Moltes gràcies」と返す。陸の家並みは水鏡に二重写しになり、マストの金具がチリ、チリと鳴った。

帽子がふわりと風で浮いたのは、岬の角を回ったときだ。トメウはポケットから細いコットンの紐を取り出し、帽子の裏へ通して八の字で結んでくれた。「マヨルカ流の顎ひも」。結び目は軽いのに、効き目は確かだ。私は親指を立て、船は透明な水をすべる。足もとの影が砂に落ちて、魚の群れが銀紙のようにほどけていく。

岸に戻ると、私は港のチリンギートで遅い昼をとった。パ・アン・ボリ(トマトとオリーブオイルのパン)にアーモンドのスープ、そしてソブラサダを薄く塗った小さなピンチョス。油がぽたりとシャツへ落ちた瞬間、隣席の奥さんが「炭酸水で」と自分のボトルを差し出す。キャップで少し垂らして布でトントン。さっきの粉砂糖の反省が活きる。海辺のしみ抜きは短い動作でよく効く。

食後、港の端でジェラートを買った。迷わずオレンジ&アーモンド。ベンチに座って一口食べたところで、通りがかった男の子がじっと見ている。私はコーンを半分に折り、彼の手のひらへ。彼は「gràcies」と照れて走り去り、戻ってきたかと思うと、貝殻を一つ置いていった。「per sort(お守り)」。お返しのつもりらしい。コーンの甘さより、その手の速さが胸に残る。

夕方の港は、船底を洗う水の音と、マストが風鈴みたいに鳴る音、それに「ディン、ディン」と丘を登っていくトラムの鐘がまざり合う。私はトメウの船へもう一度顔を出し、顎ひもの効きを自慢した。彼は「今日覚えた結び目は、次の誰かの帽子にも使えるよ」と笑い、私のカメラのストラップの端に、余ったコットン紐を小さな輪にして結びつけてくれた。「記憶は指で触れる場所に置くのが一番」。

日が沈むころ、入り江は水色から翡翠へ、そしてゆっくり群青に変わる。豪華なヨットの列よりも、私の一日を光らせたのは、粉砂糖を払ってくれた刷毛、ボートフック、八の字の顎ひも、オレンジの半分こ、炭酸水のトントン、貝殻の小さな重み――そんな手の動きだった。

旅の記憶は、景色の大きさよりも直し方と分け方で残る。風に負けそうなものは八の字で、こぼれたものはトントンで、迷いは「半分こ」で。ポケットの中の貝殻を指でもてあそびながら、私は丘の家々の緑の鎧戸をもう一度見上げた。次にここへ来たら、またトメウに会えるだろう。あのコットン紐の輪っかが、カメラの端で小さく海風をつかまえていた。

 
 
 

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