通す人、叶多——申請の渋滞と期限付きの橋
- 山崎行政書士事務所
- 9月17日
- 読了時間: 7分

朝いちばん、Teams の承認キューが赤い帯のまま固まっていた。詰まっている――叶多はそう感じた瞬間に、紙コップの緑茶を置き、深く息を吸った。人を急かすより先に道を直す。自分の仕事はいつだってそこから始まる。USB-C のしっぽを持つ白猫が机に飛び乗り、爪先で机をとんと叩いた。「今日は三つだよ、承認の渋滞、期限付きの橋、そして棚卸しの祭」。猫の声に笑いがこぼれる。笑いは空気を緩め、緩んだ空気は物事を進ませる。
雲海精機の開発フロアに入ると、依頼の入口が三つに割れているのが一目でわかった。メールで“お願いできます?”と届くもの、すれ違いざまの口頭で“今だけお願いします”と頼まれるもの、そして所定のチケット。どれも悪気はない。ただ、地図がないのだ。叶多はホワイトボードに一本の矢印を描き、申請から承認、付与、利用、見直し、剝奪までを一息で結んだ。入口は散らばっていていい。ただし合流点は一つでなければならない。口頭の願いは Teams のフォームに変えて記録に残し、メールは自動で親のチケットに変換する。中心になるのは ServiceNow。右肩で見ていたりなが「責任の分け方は条文にも写すね。事業のオーナーと安全側の承認者、実務の実行者。それぞれが何を出来て何を出来ないか、図面の凡例に刻んでおく」と言う。凡例に法務――律斗の口癖が部屋の空気を一段締めた。図面は契約の通訳でもあるのだ。
ただ流れを作るだけでは詰まりは取れない。開発が触りたいのはデータのごく一部なのに、既存のロールは広くて太い。便利は甘いが、広すぎる権限は事故の予告状だ。叶多は Custom Role を削ぎ落とし、読み取りを広く保ちながら書き込みを必要最小に絞った。作用する範囲はリソース単位で限定し、昇格時間は最短の三十分。しかも昇格のボタンは必ず安全側の承認をくぐらねば押せない。「通します」と叶多は静かに言う。「ただし通り道は細くします」。オーナーは短く頷いた。間に合うならそれでいい、と。
例外を憎んではいけない。現実には橋が要る瞬間が必ず来る。だからこそ橋は橋として設計する。Break Glass の全体管理者は二つだけ、鍵は金庫、紙の封印は年に一度取り替える。Windows Hello がうまく再登録できない新人には一時パスの TAP を用意するが、渡す理由、期限、そして橋を畳む手順までは Runbook に太字で書く。条件付きアクセスの例外も同じだ。誰でも通れる緊急出口は緊急出口ではない。ServiceNow を通って二人の承認が揃った時だけ、一定時間だけ、ひとつの通路が開く。「例外は悪者じゃない」と叶多が言うと、やまにゃんは満足そうにあくびをした。「無期限が悪なんだよね」。猫のくせに良い事を言う。
昼前、真っ赤な「緊急」チケットが跳ねた。本番の一括修正、理由は「至急」。至急は理由ではない。叶多はオーナーに短くチャットを飛ばす。影響の範囲と代替案を教えてください。バッチでなく API 分割ではだめでしょうか。返事は一分で戻ってきた。物流が止まる。ならば止めないための線を引くしかない。叶多はさきほど細くしたロールをさらに削り、対象テーブルを限定し、昇格は三十分の時限つきにした。押す指はひとつでいいが、その指が触れる場所は最小でなければならない。「通します。ただし通り道はさらに細くします」。オーナーの「助かる」の二文字が画面に浮き、胸の緊張がわずかに解けた。
権限の付与は案件ごとにばらけ始めた瞬間に崩れる。だから Access Package を “入場券” として整える。カタログは乱立させず、開発・運用・管理の三種類に絞り、それぞれの券売機に並ぶきまりを決める。オーナーは事業側、承認は二段、券の有効期限は九十日、更新のたびに理由を書き直し、満了すれば自動で剝がれるようにしておく。棚卸しの季節行事に頼らない剝奪は、運用の背骨を軽くする。陽翔がコストダッシュボードをちらりと見せ「自動剝奪でライセンス十二パーセント戻った」と言った時、ふみかの目は広告文を考える時のそれになった。
小さな変更が大きな渋滞を生むことがある。だから “事前承認カタログ” という舗装された小道も作る。分岐は危ういが、使っていい小道をきちんと舗装しておけば人は柵をまたがない。範囲と上限はあらかじめ決め、実行ログは黙って保管され、月に一度逸脱がないかを静かに見直す。大きな国道に出る前に町内の抜け道を整えるようなものだ。
統括の古谷は静かな反対者だった。承認が増えれば時間が増える、人のことも考えてくれ、と低い声で言う。叶多は頷いた。承認は増やす、でも時間は増やさない。モバイルから親指ひとつで押せる画面を用意し、危ないと判定された申請にだけ安全側へ通知が飛ぶようにする。理由のテンプレートは「なぜ必要か」「どれぐらいの期間か」「代替はなにか」を短く促し、入力は数十秒に縮める。承認は秒で、証跡は永遠に。古谷は口の端を上げて、なら行けるとだけ言った。
夜、通知が不気味なほど静かになったことがある。アラートはゼロ、ログもゼロ、遅延もゼロ。静けさには種類がある。事故由来の静けさは甘い沈黙だ。Event Hub の接続が一瞬切れていた痕跡を見つけ、監視そのものを監視するメタの見張りを仕込む。ゼロが並ぶ夜こそ、目を凝らす。やがて、静けさが戻る。今度は良い静けさだ。人が眠れる静けさ。
月が変わると、叶多の好きな行事が訪れる。Access Reviews の棚卸しである。通知が関係者へ散り、要らなくなった権限が黙って剝がれていく。画面の向こうで背筋が伸びる音が、ほんとうに聴こえる気がする。レビュー率は九十八パーセントに達し、ふみかは「強い数字」と嬉しそうにメモを取った。おやつが出るので祭だ、というやまにゃんの評価はさておき、権限が軽くなる音は確かに祭の太鼓に似ている。
CFO からは、コストをさらに二割落とせるかという相談が来た。叶多は即答しない。承認の速さは落とさない、監査の指摘は増やさない、期限付きの例外を乱用しない。その三つを条件に置く。道を細くしすぎれば人は柵をまたぐ。夜間停止のパターンを賢く組み、ログの味付けを見直し、冗長の深さを人の数に合わせて削る。数字は刀だが、鞘のない刀は危うい。鞘を作るのが設計だ。曲線がきれいになったと陽翔が言い、りなが「契約のサービス水準は守られている」と背中を押す。費用たいそう第二、と猫が意味のない体操を披露して、一同の肩がふっと軽くなった。
別部署では、昼の善意から共有アカウントが回っていた。誰かひとりの好意が、みんなの危険になる。叶多は怒らずに地図を差し出し、臨時の入場券を用意してそこを通ってもらう。期限と理由を紙に残し、終われば券は勝手に消える。人は足りない。しかし道は作れる。遠くでは NUMA FISH の欧州拠点が動き始め、条文は NIS2 と SCC と EU Data Boundary を連れ立ってやってきた。鍵の所在と報告の窓口を Runbook に書き込み、現地のカタログを増やして、責任の分界をアーキ図の凡例へ刻む。図面は契約の通訳――ここでもそれは真実だった。
年に一度の黒い金曜日が来た朝二時、承認が連打された。前年比四倍の波がチャネルを叩く。しかし詰まらない。小さな変更は事前承認の小道が呑み込み、夜勤の親指がモバイル承認の画面を滑り、例外の橋は二度だけ開いて三十分後には静かに畳まれた。午前四時、通知が整然と間隔を保ち、誰かが小さく拍手した。道は嘘をつかない、という律斗の言葉が胸に落ちる。
古谷は静かな笑顔で「前より速い。それでいて肩が軽い」と言った。責任の重さは同じです、と叶多は答える。持ち方を変えただけ。責任は一人が持つと折れ、三人で持つと転がる。断るテンプレートも用意した。今回は範囲と期間を超えている、代替案はこれだ、責任と監査と安全の理由でこの日付までに再申請してほしい――断ることが通すことに繋がる場面は、思っているより多い。
やまにゃんの授業は妙に腑に落ちる。「権限は体温」と猫は言う。低すぎれば動けず、高すぎれば壊れる。平熱を保つ仕組みこそ設計だ。朝礼で律斗が「通すと止めるは同じ図面の両端だ。橋の設計は引き続き任せた」と言い、叶多は「期限付きで、細く、やめ方付きで」と返す。監査人は図面の凡例に条文が並ぶのを喜び、読まれる資料が正義だとりなが胸を張る。週末、実家の帳簿を手伝ったとき、父は「申請や承認なんて面倒だ」とぼやいた。面倒を一箇所に集めて早くするのが仕事だと叶多が答えると、父は「それなら悪くない」と笑った。Access Package は要らなくても、やめ方の手順はどの家にも必要だ。
コールセンターから短いメッセージが届いた。承認が早くて助かっている。たったそれだけの文に、チームは声を上げずに喜んだ。通るという幸福は目立たない。けれど現場の足取りは一歩軽くなる。机の上の地図は、もはや複雑ではなかった。一本の太い道と、いくつかの期限付きの橋。橋は必要なときだけ架かり、仕事が終われば黙って畳まれる。承認は秒で、証跡は永遠に、例外は期限のうちに。人は人の速度で、システムは構成の速度で動く。
USB のしっぽが机をとんと叩く。今日のまとめ、と猫が言う。申請は人、権限は構成。だから両方を通す。叶多は頷き、PIM の昇格ログが規則正しく並ぶ画面を眺める。通知は多くない。けれど必要な音は、ちゃんと鳴っている。通す人の一日は、そうやって静かに終わり、また静かに始まる。




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