青葉おでん街の幸福論(私は大根に負けた)
- 山崎行政書士事務所
- 2025年12月22日
- 読了時間: 8分

私は、青葉おでん街という場所が、どうにも苦手である。 苦手だのに、ふらふらと吸い寄せられてしまう。ちょうど、寒い夜に炬燵の赤い灯を見つけて、そこが自分の家でもないのに、そっと足を入れてしまうような、あの卑怯な甘さである。
静岡の夜は、湿り気がある。湿り気があるくせに、冷たい。冷たいくせに、やさしい顔をする。私はそういうものに弱い。弱いくせに、「弱くないふり」をする。ふりをするから、ますます弱いのだ。
その晩、私はほんとうに腹が立っていた。 腹が立っていた理由は、いくらでも挙げられる。昼間の面倒くさい会話、やりもしない約束、鏡に映った自分の顔、履き慣れたスニーカーのへたれた踵、洗っても落ちきらない白い袖口のうすい影——。 どれもこれも、立派な「理由」になりそうで、結局は、理由に見せかけた言い訳である。私は言い訳だけは立派で、肝心の中身が追いつかない。
それで私は、青葉おでん街へ行ったのである。 つまり、あたたかいものを腹へ入れれば、私の人間性も少しはあたたまるだろう、という、またしても卑怯な期待だ。
アーケードを抜け、細い路地のような通りへ入ると、急に匂いが濃くなる。だしと、味噌と、炭の匂い。そこへ酒の匂いと、人の吐く息の匂いが混ざって、夜そのものが煮えているように感じられる。屋台——と呼ぶには、あまりにも小さく、あまりにも近い。椅子と椅子の距離が、他人の人生の距離と同じだ。私は他人の人生が苦手なのに、こういう場所では、膝が当たるほど近くに座ってしまう。
私は空いている店を選んだつもりだったが、選んだ時点で、もう敗北していた。どの店も、私のような半端者を見抜いている顔をしている。私は見抜かれるのが怖いくせに、見抜かれたい。自意識という病気だ。
「いらっしゃい」
店の奥に、鍋があった。鍋は黒い。黒い汁が、静かに揺れている。静岡のおでんは黒いのだ、と私は知ったような顔で知っている。知っているが、こういう「知っている」は、私の得意な「知ったかぶり」である。私は知らないことを知らないまま、知っているふりをする。知らないことを知らないまま生きてきた。それが私だ。
私は、カウンターの端に座った。 隣には、背中の丸い男が一人。黙って酒を飲んでいる。黙って飲んでいる男ほど、私にとって怖いものはない。黙っていると、立派に見える。立派に見えると、私が惨めになる。惨めになるのに、私は黙っている男の隣に座る。これが私の趣味である。悪趣味だ。
「何にする?」
おでんの鍋の向こうにいる女将さん——年齢は分からない。年齢の分からない人ほど、世の中に慣れている——が、気軽に言った。私はこの「気軽」が苦手である。気軽は、私の緊張をまるで冗談のように扱う。冗談にされた緊張は、逃げ場がない。
「ええと……大根」
私は、いちばん安全なものを言った。 安全なものを選ぶのは、私の癖だ。安全なものを選びつづけた結果、私は安全な場所にいない。皮肉である。人生は、私に皮肉の才能を与えすぎた。
「大根ね。しみてるよ」
女将さんが、串に刺さった大根を取り出した。黒い汁の中で、大根は黒くなりかけている。しかし、黒くなりかけているのに、白い。白いものが黒いものを吸って、それでも白を捨てない。私はその矛盾に弱い。矛盾は、私の同族だ。
女将さんは、大根の上に粉のようなものをふりかけた。だし粉、というのだろう。青のりも少し。大根が、急に「土地の味」になった。私は土地の味に弱い。土地の味を口に入れた瞬間だけ、自分にも籍があるような気がするからだ。籍などないのに。
私は、熱い大根を箸で持ち上げようとした。 ここで私は、ひどく緊張した。大根を持ち上げるだけで緊張する男。情けない。だが、私はこういうところが本当に情けない。箸が震えるのだ。熱いものを、熱いまま食べるのが怖い。火傷するのが怖い。火傷は痛い。痛いのが怖い。怖いくせに、私は痛がる自分を誰かに見られたくない。だから震える。震えるから余計に痛い。
案の定、私はやらかした。
大根が、箸からすべって、 とん、 と鍋のふちに当たり、 ぽちゃん、 と汁へ戻った。その瞬間、黒い汁が、ぴしゃ、と跳ねて、私の白い袖口へ点々とついた。
私は、息が止まった。 なぜこんなことで、死にそうになるのだろう。袖口に汁が飛んだだけで、私は世界から追放される気がする。そういう追放妄想は、私の持病だ。持病を持病のままにしているあたりが、私の治らなさである。
隣の背中の丸い男が、くく、と笑った。 笑うなら笑え。私は笑われるのが怖いくせに、笑われると「ほら見ろ」と安心する。私は笑われる資格が欲しいのだ。変な話だ。いや、変ではない。私の人生は、こういう変さの連続でできている。
「大根は逃げないよ」
女将さんが言った。叱るでもなく、慰めるでもなく、ただ事実を言う。 大根は逃げない。 その当たり前が、私には刺さった。私は逃げる。私はいつも逃げる。逃げない大根に、私は負ける。
私は慌てて、紙ナプキンで袖口をこすった。 こすればこするほど、染みが広がった。まるで私の言い訳みたいだ。言い訳も、こすればこするほど、話が大きくなる。私は袖口と一緒に、自分の口も洗濯したいと思った。
「……すみません」
私は言った。何に対しての「すみません」か、自分でも分からない。おでんにか。女将さんにか。大根にか。白いシャツの「清潔な人の役」にか。分からないまま謝る。分からないまま謝るのが、いちばんずるいのに。
「いいのいいの。汁は勲章だよ」
女将さんは、さらっと言った。 勲章。 その言葉が、私にはいちばん危険だった。私はすぐに、勲章を欲しがる。勲章を欲しがる人間ほど、勲章に値しない。値しないのに欲しがる。その欲しがり方がまた、みじめだ。みじめだと言いながら、私は胸の奥で、ちょっとだけ嬉しかった。私は最低だ。
私は、大根をもう一度持ち上げた。今度は、慎重に。慎重に、という言葉も私には嫌いだ。慎重は、臆病の上品な言い換えだ。
大根を口へ入れた瞬間、私は黙った。 熱い。 しかし、その熱さは、痛い熱さではない。身体の奥まで届く熱さだ。熱さが届くと、そこに溜まっていた冷えが、ふっと逃げる。逃げる冷えは、私の「さびしさ」に似ていた。さびしさが、ひと息で逃げる。逃げるといっても、消えはしない。消えはしないが、ひと息ぶんだけ薄くなる。
隣の男が、ぽつりと言った。
「うまいね」
それだけ言って、また黙った。 私はその「うまいね」に、妙に腹が立った。うまいね、で済むのか。人生が。いや、済むのかもしれない。済む人は済むのだ。私は済まない。済まないのに、済む人の真似をしたい。真似をしたいのに、真似をすると自分が余計に惨めになる。私は永遠に、真似と惨めの往復運動をしている。
私は、酒を頼んだ。 酒を頼むと、私は少しだけ「大人」の顔ができる気がする。大人の顔ができる気がするから頼む。つまり、酒もまた、私の人格の代用品である。私は代用品ばかりで生きている。代用品のくせに、よく効くから始末が悪い。
酒が来て、私はひと口飲んだ。 喉が熱くなり、目が少し潤んだ。私はこういうところがいちいち芝居がかっている。芝居がかっているのに、芝居で救われない。私は自分の下手な役者ぶりに、いつも腹が立つ。
私は、女将さんに言ってみた。 言ってみた、というのは、つまり、私は誰かに「幸福」について語りたくなったのである。自分の幸福を持っていない人間ほど、幸福を語りたがる。これは確かな法則だ。私は法則の見本のような男である。
「幸福って、何なんでしょうね」
言ってしまった。 私は言ってしまってから、すぐ後悔した。こういう話をすると、私は必ず、賢い人になろうとする。賢い人になろうとする自分が、いちばん馬鹿なのに。
女将さんは、少しだけ私を見て、それから鍋をかき混ぜながら言った。
「さあねえ。あったかいの食べて、帰って寝られりゃ、いいんじゃない」
それだけだった。 私は拍子抜けして、そして、救われた気がした。 救われた、と言うと大げさで、私はそういう大げさが大好きだから、信用してはいけない。けれども、たしかに、私はその瞬間だけ、肩の力が抜けた。幸福は、立派な答えを必要としないのかもしれない。立派な答えを必要としないなら、私でも間に合うかもしれない。——そういう甘い考えが、また湧いた。私は、湧くのが早い。
私はその晩、何本か串を食べた。卵も食べた。牛すじも食べた。黒はんぺんも食べた。どれも「うまいね」で済むうまさだった。うまいねで済むものが、世の中にはちゃんとある。その事実が、私には不思議だった。
店を出るころ、袖口の染みは、まだそこにあった。 私はそれを見て、なぜだか笑ってしまった。 染みは、私の「今日」を証明していた。今日、私はここにいて、大根を落として、汁を飛ばして、恥をかいて、それでも大根を食べた。私はそれだけのことをした。それだけのことが、案外、私にとっては大事件なのだ。
外の空気は冷たかった。 しかし胃のあたりが、少し熱い。熱い胃を抱えて歩くと、夜道が少しだけ短く感じられた。静岡の街灯が、まるい光を落としていた。私はその光の輪を、ひとつ、またひとつ踏んだ。踏むたびに、私は自分が「帰る人」みたいに感じた。
家へ帰って、私は脱いだシャツの袖口を見た。 黒い点々は、洗えば落ちるだろう。落ちるに決まっている。落ちるのに、私はその点々が、少しだけ惜しかった。惜しいと思う自分が、また気味が悪い。気味が悪いが、今夜は、気味が悪いままでもいい気がした。
私は、結論を言う。 私は大根に負けた。 大根は逃げない。逃げないまま、黒い汁を吸い、熱を抱え、黙って人をあたためる。私は逃げる。逃げながら、立派なことを言いたがる。 どちらが幸福に近いか。そんなの、もう比べるまでもない。
私は、負けたまま眠った。 負けたまま眠れる夜がある、ということが、私には、いちばんありがたかった。




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