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「被爆者感情」を盾に国家防衛の議論を封殺するな――非武装平和主義の欺瞞を斬る

2025年7月23日、被爆80年に際して、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)をはじめとする3団体が、核抑止論を掲げる参政党候補に対し「恥ずかしい」「被爆者の前で言えるのか」などと強く非難した。だが、この反応こそが、**情緒とイデオロギーに囚われ、現実の国防を拒絶する“感情による国策支配”**の最たる例ではないか。


■ 歴史の痛みを政治の封印に使うな

確かに、広島・長崎の被爆は惨劇であり、決して軽視すべきではない。しかし、過去の悲劇を現在の防衛議論の“言論封殺カード”に使うことは、冷静な戦略的判断を妨げる愚策である。

「被爆者の前で言えるのか?」という言葉は、理性ではなく情念で相手を黙らせる暴力的レトリックであり、言論の自由や政策形成の根幹を否定する。


■ 現実から目を背けた「非武装論」の自己陶酔

田中代表委員は「核兵器を使うことを前提とした議論は恥ずかしい」と述べたが、果たして現実の地政学的脅威の中で何をもって国家と国民を守るのか、その代替案が示されているのか?

北朝鮮は繰り返し核実験を行い、中国は空母・弾道ミサイル・極超音速兵器の増強を止めない。ロシアは公然と「核の威嚇」を外交手段にし、アメリカでさえ「日米安保は日本の核シェルターではない」と明言している。

この中で「絶対に核を使うべきではない」とだけ叫ぶのは、現実逃避でしかない。

■ 「核廃絶」は理想だが、国家防衛は現実だ

参政党の核政策は明快だ。「核廃絶を長期目標としつつ、現実の日本を守るために核抑止力を持つ」。これは冷静かつ現実主義に立った主張であり、国民の命を最優先に考える国家主権者の発想である。

これに対して、「核は絶対悪」という宗教的とも言える被団協の姿勢は、国家防衛の議論を道徳問題にすり替え、主権国家の自衛権を否定する危険な思想である。

■ 「核のリアリズム」を口にする勇気こそ政治家の責任

「被爆者の前で言えるのか?」という言葉に対して、我々はこう答えるべきだ。

――「祖国を守るために必要ならば、冷静に核抑止の議論を進めます」と。

これは「核を使いたい」という願望ではない。「使わせない」ための現実的な外交・防衛構想であり、それを公に議論できることこそが、真の民主国家である証左である。


結語:国防を語る自由を奪うな

被爆の悲劇を知る人々の声に耳を傾けることは大切である。しかしそれが**唯一の道徳的正義として絶対視され、他の考えを封殺する「思想の専制」**となるのであれば、それは民主主義でも平和主義でもない。

平和は、祈りによって訪れるのではない。力の均衡と意志の明確化によって初めて守られるのである。核保有の是非を冷静に議論する政治家を「恥ずかしい」と決めつけることこそ、日本の未来を危うくする「恥ずべき言動」である。

 
 
 

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