のぞみは死体を乗せて朝を二度殺す
- 山崎行政書士事務所
- 5月16日
- 読了時間: 10分

東海道新幹線・零秒アリバイ連続殺人
※作中の列車名・時刻・事件はすべて架空です。
午前七時五十三分。
東海道新幹線「こだま731号」が新横浜駅を出た瞬間、十三号車のグリーン車では、ひとりの男が静かに死んでいた。
男の名は鶴見善三。元厚生官僚。胸元には、切符よりも小さな黒いカードが差し込まれていた。
そこには銀色のインクで、こう書かれていた。
一人目。時刻表が殺した。熱血刑事・朝倉烈へ。きみはこの朝に追いつけるか。――MAX
警視庁捜査一課の朝倉烈が東京駅に駆けつけた時、駅構内はいつも通りだった。
売店では弁当が売られ、改札ではサラリーマンが小走りになり、ホームでは子供が先頭車両を指さしてはしゃいでいる。
死体が出た朝でさえ、新幹線は定刻通りに走る。
それが、朝倉には腹立たしかった。
「人が死んでるんだぞ……」
拳を握りしめた朝倉に、相棒の宮永梢が低く告げた。
「犯人から、名指しです」
朝倉の携帯が鳴った。
非通知。
出た瞬間、若い男の声が笑った。
『おはよう、朝倉刑事。きみ、まだ東京?』
「誰だ」
『MAX。IQがMAXのMAXだと思ってくれていい。僕は人間を殺すのが好きなんじゃない。人間が“理解できない顔”をする瞬間が好きなんだ』
「ふざけるな」
『では、ふざけずに言おう。二人目は名古屋。九時二十四分』
朝倉の背筋に冷たいものが走った。
『三人目は京都。十時十六分。止めてみなよ。怒鳴るだけの刑事さん』
電話は切れた。
宮永が即座に端末を開く。
「今朝、鶴見善三と接点のある人物を照会します。あと、MAXという名前……」
「犯人は列車にいる」
朝倉はホームへ走り出した。
「時刻表を使ってる。なら、こっちも時刻表で追う」
だがその時点で、犯人はもう笑っていた。
朝倉の知らない席で。朝倉の知らない速度で。朝倉の知らない朝を、先へ先へと走らせながら。
警察に送られてきた次のメールには、奇妙な時刻表が添付されていた。
こだま731号東京 7:34品川 7:41新横浜 7:53小田原 8:17―8:26熱海 8:34―8:42三島 8:50―8:58新富士 9:12―9:21静岡 9:36―9:45掛川 10:00―10:09浜松 10:24―10:33豊橋 10:50―10:58三河安城 11:14―11:23名古屋 11:36
その下に、もう一本。
のぞみ203号新横浜 7:58名古屋 9:15京都 9:50
さらにもう一本。
のぞみ211号名古屋 9:31京都 10:06
そして最後に、上り列車。
のぞみ212号京都 10:23名古屋 10:58
宮永が眉をひそめた。
「何ですか、これ。犯人が逃走経路を送ってきた?」
朝倉は黙って画面を睨んだ。
メールの末尾には一文だけ。
僕はこだま731号の七号車E席にいる。つまり、名古屋にも京都にも行けない。証明してごらん。
すぐに七号車E席の乗客が照会された。
鳴瀬冬吾。三十二歳。
かつて鉄道輸送最適化AIを開発した天才プログラマー。大学入学時の知能検査で「測定不能」と記録され、メディアに「IQ MAXの少年」と持ち上げられた男。
東京駅の防犯カメラには、鳴瀬がこだま731号に乗り込む姿が映っていた。
黒いコート。銀縁の眼鏡。薄い笑み。
その後、車内販売員も車掌も「七号車E席に男がいた」と証言した。顔はマスクで半分隠れていたが、背格好は一致している。
しかも鳴瀬は、九時十六分に車内からライブ配信をしていた。
画面の中の彼は、窓際で頬杖をつき、笑っていた。
『朝倉刑事、今どこ? 僕はまだ、こだまの中だよ』
その九分後。
名古屋駅近くの会員制ラウンジで、二人目の死体が発見された。
佐伯圭一。鉄道沿線開発会社の会長。
死亡推定時刻、九時二十四分。
胸元には黒いカード。
二人目。名古屋は遠いかい、朝倉刑事。
朝倉は東京駅のホームで、その報告を受けた。
歯を食いしばる音が、自分でも聞こえた。
「ふざけやがって……!」
宮永が冷静に言う。
「鳴瀬はその時刻、こだま731号なら新富士から静岡へ向かう途中です。名古屋にいるのは不可能です」
「不可能って言葉を使うな」
朝倉は言った。
「犯人はその言葉を聞きたくて人を殺してる」
三人目は、予告通り京都で死んだ。
御厨朔。医師。十年前、児童福祉施設「日の出園」の火災事故で検死報告を担当した男だった。
京都駅に隣接するホテルの一室。死亡推定時刻、十時十六分。
カードには、こうあった。
三人目。時刻表は嘘をつかない。嘘をつくのは、いつも人間だ。
三人の被害者には共通点があった。
十五年前の「日の出園火災」。
郊外の古い児童施設が燃え、数名の子供が死亡した。施設改修費の横領疑惑、避難設備の不備、検死記録の改ざん疑惑。だが事件は、うやむやのまま終わっていた。
鳴瀬冬吾の妹、陽菜も、その火災で死亡したと記録されていた。
宮永が資料をめくる。
「鶴見善三は当時の監督官庁の担当。佐伯圭一は施設の改修事業を請け負った会社の代表。御厨朔は死亡診断書を書いた医師」
朝倉は窓の外を見た。
新幹線が白い光を引いて走っていく。
「復讐か」
「そう見えます」
「違う」
朝倉は低く言った。
「復讐だけなら、あいつはカードなんか残さない。こいつは見せびらかしてる。自分の頭の良さを。人が死ぬことより、警察が負けることを楽しんでる」
その時、宮永の端末に新しい動画が届いた。
鳴瀬がまた映っている。
『三人死んだ。なのに僕は、まだこだま731号の七号車E席にいる。僕を捕まえるには、時刻表を疑うしかない。でも時刻表を疑った瞬間、君たちはこの国の朝を疑うことになる』
朝倉は動画を止めた。
そして巻き戻した。
もう一度、見る。
窓の外。流れる景色。鳴瀬の笑み。コーヒーカップ。小さな揺れ。
もう一度。
「……宮永」
「はい」
「こだま731号は九時十二分から九時二十一分まで、どこにいる?」
「新富士駅で停車です。後続列車の通過待ちのため、九分停車」
「なのに、この動画の窓の外は流れてる」
宮永の目が見開かれた。
朝倉は指で画面を叩いた。
「こいつは、こだまにいない」
「でも東京駅のカメラには乗車が」
「乗ったんだよ。最初はな」
朝倉は時刻表を睨んだ。
「新横浜で降りた。五分後ののぞみ203号に乗り換えた。名古屋に九時十五分着。そこで二人目を殺す。九時三十一分ののぞみ211号で京都へ。十時六分着。三人目を殺す。十時二十三分の上りで名古屋へ戻れば、十時五十八分」
宮永が息を呑む。
「こだま731号が名古屋に着くのは十一時三十六分……」
「つまり、あいつは名古屋で、もう一度こだまに戻れる」
朝倉の声が熱を帯びる。
「こだまをアリバイにしたんじゃない。こだまを“檻”に見せかけた。遅い列車を使って、自分の不在を隠したんだ」
「七号車E席にいた男は?」
「人間じゃない」
朝倉は吐き捨てるように言った。
「黒いコート、マスク、タブレット、遠隔で動く映像。人は座席の客を一秒見るだけで“人間がいる”と思い込む。満席の車内ならなおさらだ」
宮永が悔しそうに唇を噛んだ。
「でも、それだけでは逮捕できません」
「証拠ならある」
朝倉は動画の端を拡大した。
鳴瀬の膝の上に、小さな紙袋が映っている。
「この袋、名古屋駅構内の限定品だ。こだま731号はまだ名古屋に着いてない。なのに七号車E席の“鳴瀬”の膝にある」
宮永の顔色が変わった。
「つまり、名古屋で本人が一度戻って、ダミーを整えた」
「いや、違う」
朝倉は首を振った。
「これは挑発だ。あいつはわざと映した。俺たちに解かせるために」
「なぜ?」
「最後のゲームがあるからだ」
その瞬間、またメールが届いた。
正解。では最終問題。四人目は十一時三十六分、名古屋。こだま731号のドアが開く時、朝は完全に死ぬ。
朝倉は走り出した。
「名古屋へ行くぞ」
名古屋駅のホームには、十一時三十分の光が差し込んでいた。
白い車体が滑り込むたび、風が鋭く頬を切る。弁当の匂い、ブレーキの匂い、人混みの湿った匂い。
朝倉は人波を裂いて走った。
「七号車!」
宮永が叫ぶ。
「こだま731号、入線します!」
列車がホームに入ってくる。
速度を落とし、長い蛇のように近づいてくる。その七号車の窓際に、黒いコートの男が見えた。
鳴瀬冬吾。
顔をこちらへ向け、笑っている。
朝倉はドアが開く前に叫んだ。
「鳴瀬ぇぇ!」
ドアが開いた。
乗客が降りる。
その中に、鳴瀬はいなかった。
七号車E席にあったのは、黒いコートを着せられた精巧な人形だった。顔の部分には薄型端末。端末の中で、鳴瀬が笑っていた。
『遅いよ、朝倉刑事』
朝倉は端末を掴んだ。
映像の鳴瀬が指を立てる。
『四人目は、七号車じゃない』
朝倉の背後で、悲鳴が上がった。
ホーム中央の売店。
そこに、銀縁眼鏡の男が立っていた。
鳴瀬冬吾。
片手で若い女性店員の腕を掴んでいる。女性は怯えながらも、必死に抵抗していた。
胸元の名札には、日向芹奈とあった。
「その人を離せ!」
朝倉が駆け出す。
鳴瀬は笑った。
「朝倉烈。君は熱いね。時刻表に向いていない。時刻表は感情を持たないから美しいのに」
「黙れ!」
朝倉は飛び込んだ。
鳴瀬は売店のワゴンを蹴り倒した。弁当箱が散らばる。人々が逃げ惑う。駅員の笛が鳴る。
朝倉は鳴瀬の腕を掴んだ。鳴瀬は細身なのに、驚くほど速かった。肘が朝倉の顎をかすめ、膝が腹に入る。
「三人殺した腕だぞ」
鳴瀬が囁く。
「刑事一人くらい、時刻表に書き足せる」
朝倉は倒れかけながらも、鳴瀬のコートを離さなかった。
「人間は……」
血の味がした。
「時刻表じゃねえ……!」
朝倉は体ごと鳴瀬を柱に叩きつけた。
鳴瀬の眼鏡が飛ぶ。
宮永が背後から突入し、日向芹奈を引き離した。
だが鳴瀬はまだ笑っていた。
「四人目は彼女だよ」
朝倉は眉をひそめた。
「なぜだ」
鳴瀬は日向芹奈を見た。
その目だけが、初めて狂気ではなく、憎しみで濁った。
「日の出園の最後の証人。あの火災で、妹を見捨てた子供。妹が助けを求めていたのに、自分だけ逃げた子」
日向芹奈が震えた。
しかし次の瞬間、彼女は鳴瀬の顔を見つめ、かすれた声で言った。
「冬吾……兄ちゃん?」
ホームの音が、一瞬、消えたように感じた。
鳴瀬の笑みが凍った。
「何を……」
日向芹奈は胸元から、小さなペンダントを取り出した。
中には、古びた紙片が入っていた。子供の字で書かれた言葉。
陽はまた昇る。だから泣くな、陽菜。冬吾
鳴瀬の顔から血の気が引いた。
「嘘だ」
日向芹奈――いや、鳴瀬陽菜は泣いていた。
「私、生きてた。名前を変えられて、施設も変わって……ずっと兄ちゃんを探してた」
「嘘だ!」
鳴瀬は叫んだ。
その叫びは、殺人鬼のものではなかった。十五年前の火の中に取り残された、少年の叫びだった。
宮永が低く言った。
「鶴見善三の鞄から、未投函の手紙が見つかりました。宛名は鳴瀬冬吾。内容は、妹さんの生存記録です」
朝倉は鳴瀬を睨んだ。
「鶴見は今日、お前に真実を渡すつもりだった」
鳴瀬の唇が震えた。
「鶴見が……?」
日向芹奈が泣きながら頷く。
「鶴見さんは、私を火の中から運び出してくれた人。悪いことも隠した。きっと罪もあった。でも、私を助けてくれた。兄ちゃんに会わせるって、ずっと……」
鳴瀬の膝が崩れた。
彼は三人殺した。
その一人は、妹を奪った男ではなく、妹を救った男だった。
完璧な時刻表。完璧な乗り換え。完璧なアリバイ。
だが、彼は一番大事な時刻を読めなかった。
人が誰かを救った瞬間。人が罪を抱えながら、それでも償おうとした年月。死んだと思い込んだ妹が、生きて朝を待っていた時間。
鳴瀬は笑おうとした。
だが、笑えなかった。
「僕は……」
朝倉が手錠をかけた。
金属音が、ホームに小さく響く。
「お前は頭が良かった」
朝倉は言った。
「でも、人の心を馬鹿にしすぎた」
鳴瀬は何も言わなかった。
ただ、日向芹奈を見ていた。
「陽菜……」
妹は泣きながら答えた。
「兄ちゃん。もう、朝を殺さないで」
翌朝。
東京駅のホームに、朝日が差していた。
新幹線は今日も走る。
昨日と同じように、弁当が売られ、改札が鳴り、子供が白い車体を見上げて目を輝かせている。
三人は戻らない。
鳴瀬冬吾の罪も消えない。
失われた十五年も、燃えた施設も、隠された真実も、誰かの涙も、なかったことにはならない。
朝倉はホームの端で、缶コーヒーを握っていた。
宮永が隣に立つ。
「虚しい事件でしたね」
「ああ」
「救いは、あったんでしょうか」
朝倉はしばらく黙った。
遠くで、列車のライトが近づいてくる。
それは夜を切り裂く刃のようにも見えたし、誰かを迎えに来る光のようにも見えた。
「救いなんて、簡単に言うな」
朝倉は低く言った。
「でも、生きてる人間がいる。泣いても、怒っても、朝が来ちまう人間がいる」
列車が入線する。
白い車体が、朝日を浴びて輝いた。
朝倉はその光を見つめた。
「だから俺たちは、次の朝を守るんだ」
発車ベルが鳴る。
ドアが閉まる。
東海道新幹線は、定刻通りに走り出した。
死者を置いて。罪を乗せて。それでも、陽はまた昇る。





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