top of page

のぞみは死体を乗せて朝を二度殺す

東海道新幹線・零秒アリバイ連続殺人

※作中の列車名・時刻・事件はすべて架空です。

午前七時五十三分。

東海道新幹線「こだま731号」が新横浜駅を出た瞬間、十三号車のグリーン車では、ひとりの男が静かに死んでいた。

男の名は鶴見善三。元厚生官僚。胸元には、切符よりも小さな黒いカードが差し込まれていた。

そこには銀色のインクで、こう書かれていた。

一人目。時刻表が殺した。熱血刑事・朝倉烈へ。きみはこの朝に追いつけるか。――MAX

警視庁捜査一課の朝倉烈が東京駅に駆けつけた時、駅構内はいつも通りだった。

売店では弁当が売られ、改札ではサラリーマンが小走りになり、ホームでは子供が先頭車両を指さしてはしゃいでいる。

死体が出た朝でさえ、新幹線は定刻通りに走る。

それが、朝倉には腹立たしかった。

「人が死んでるんだぞ……」

拳を握りしめた朝倉に、相棒の宮永梢が低く告げた。

「犯人から、名指しです」

朝倉の携帯が鳴った。

非通知。

出た瞬間、若い男の声が笑った。

『おはよう、朝倉刑事。きみ、まだ東京?』

「誰だ」

『MAX。IQがMAXのMAXだと思ってくれていい。僕は人間を殺すのが好きなんじゃない。人間が“理解できない顔”をする瞬間が好きなんだ』

「ふざけるな」

『では、ふざけずに言おう。二人目は名古屋。九時二十四分』

朝倉の背筋に冷たいものが走った。

『三人目は京都。十時十六分。止めてみなよ。怒鳴るだけの刑事さん』

電話は切れた。

宮永が即座に端末を開く。

「今朝、鶴見善三と接点のある人物を照会します。あと、MAXという名前……」

「犯人は列車にいる」

朝倉はホームへ走り出した。

「時刻表を使ってる。なら、こっちも時刻表で追う」

だがその時点で、犯人はもう笑っていた。

朝倉の知らない席で。朝倉の知らない速度で。朝倉の知らない朝を、先へ先へと走らせながら。

警察に送られてきた次のメールには、奇妙な時刻表が添付されていた。

こだま731号東京 7:34品川 7:41新横浜 7:53小田原 8:17―8:26熱海 8:34―8:42三島 8:50―8:58新富士 9:12―9:21静岡 9:36―9:45掛川 10:00―10:09浜松 10:24―10:33豊橋 10:50―10:58三河安城 11:14―11:23名古屋 11:36

その下に、もう一本。

のぞみ203号新横浜 7:58名古屋 9:15京都 9:50

さらにもう一本。

のぞみ211号名古屋 9:31京都 10:06

そして最後に、上り列車。

のぞみ212号京都 10:23名古屋 10:58

宮永が眉をひそめた。

「何ですか、これ。犯人が逃走経路を送ってきた?」

朝倉は黙って画面を睨んだ。

メールの末尾には一文だけ。

僕はこだま731号の七号車E席にいる。つまり、名古屋にも京都にも行けない。証明してごらん。

すぐに七号車E席の乗客が照会された。

鳴瀬冬吾。三十二歳。

かつて鉄道輸送最適化AIを開発した天才プログラマー。大学入学時の知能検査で「測定不能」と記録され、メディアに「IQ MAXの少年」と持ち上げられた男。

東京駅の防犯カメラには、鳴瀬がこだま731号に乗り込む姿が映っていた。

黒いコート。銀縁の眼鏡。薄い笑み。

その後、車内販売員も車掌も「七号車E席に男がいた」と証言した。顔はマスクで半分隠れていたが、背格好は一致している。

しかも鳴瀬は、九時十六分に車内からライブ配信をしていた。

画面の中の彼は、窓際で頬杖をつき、笑っていた。

『朝倉刑事、今どこ? 僕はまだ、こだまの中だよ』

その九分後。

名古屋駅近くの会員制ラウンジで、二人目の死体が発見された。

佐伯圭一。鉄道沿線開発会社の会長。

死亡推定時刻、九時二十四分。

胸元には黒いカード。

二人目。名古屋は遠いかい、朝倉刑事。

朝倉は東京駅のホームで、その報告を受けた。

歯を食いしばる音が、自分でも聞こえた。

「ふざけやがって……!」

宮永が冷静に言う。

「鳴瀬はその時刻、こだま731号なら新富士から静岡へ向かう途中です。名古屋にいるのは不可能です」

「不可能って言葉を使うな」

朝倉は言った。

「犯人はその言葉を聞きたくて人を殺してる」

三人目は、予告通り京都で死んだ。

御厨朔。医師。十年前、児童福祉施設「日の出園」の火災事故で検死報告を担当した男だった。

京都駅に隣接するホテルの一室。死亡推定時刻、十時十六分。

カードには、こうあった。

三人目。時刻表は嘘をつかない。嘘をつくのは、いつも人間だ。

三人の被害者には共通点があった。

十五年前の「日の出園火災」。

郊外の古い児童施設が燃え、数名の子供が死亡した。施設改修費の横領疑惑、避難設備の不備、検死記録の改ざん疑惑。だが事件は、うやむやのまま終わっていた。

鳴瀬冬吾の妹、陽菜も、その火災で死亡したと記録されていた。

宮永が資料をめくる。

「鶴見善三は当時の監督官庁の担当。佐伯圭一は施設の改修事業を請け負った会社の代表。御厨朔は死亡診断書を書いた医師」

朝倉は窓の外を見た。

新幹線が白い光を引いて走っていく。

「復讐か」

「そう見えます」

「違う」

朝倉は低く言った。

「復讐だけなら、あいつはカードなんか残さない。こいつは見せびらかしてる。自分の頭の良さを。人が死ぬことより、警察が負けることを楽しんでる」

その時、宮永の端末に新しい動画が届いた。

鳴瀬がまた映っている。

『三人死んだ。なのに僕は、まだこだま731号の七号車E席にいる。僕を捕まえるには、時刻表を疑うしかない。でも時刻表を疑った瞬間、君たちはこの国の朝を疑うことになる』

朝倉は動画を止めた。

そして巻き戻した。

もう一度、見る。

窓の外。流れる景色。鳴瀬の笑み。コーヒーカップ。小さな揺れ。

もう一度。

「……宮永」

「はい」

「こだま731号は九時十二分から九時二十一分まで、どこにいる?」

「新富士駅で停車です。後続列車の通過待ちのため、九分停車」

「なのに、この動画の窓の外は流れてる」

宮永の目が見開かれた。

朝倉は指で画面を叩いた。

「こいつは、こだまにいない」

「でも東京駅のカメラには乗車が」

「乗ったんだよ。最初はな」

朝倉は時刻表を睨んだ。

「新横浜で降りた。五分後ののぞみ203号に乗り換えた。名古屋に九時十五分着。そこで二人目を殺す。九時三十一分ののぞみ211号で京都へ。十時六分着。三人目を殺す。十時二十三分の上りで名古屋へ戻れば、十時五十八分」

宮永が息を呑む。

「こだま731号が名古屋に着くのは十一時三十六分……」

「つまり、あいつは名古屋で、もう一度こだまに戻れる」

朝倉の声が熱を帯びる。

「こだまをアリバイにしたんじゃない。こだまを“檻”に見せかけた。遅い列車を使って、自分の不在を隠したんだ」

「七号車E席にいた男は?」

「人間じゃない」

朝倉は吐き捨てるように言った。

「黒いコート、マスク、タブレット、遠隔で動く映像。人は座席の客を一秒見るだけで“人間がいる”と思い込む。満席の車内ならなおさらだ」

宮永が悔しそうに唇を噛んだ。

「でも、それだけでは逮捕できません」

「証拠ならある」

朝倉は動画の端を拡大した。

鳴瀬の膝の上に、小さな紙袋が映っている。

「この袋、名古屋駅構内の限定品だ。こだま731号はまだ名古屋に着いてない。なのに七号車E席の“鳴瀬”の膝にある」

宮永の顔色が変わった。

「つまり、名古屋で本人が一度戻って、ダミーを整えた」

「いや、違う」

朝倉は首を振った。

「これは挑発だ。あいつはわざと映した。俺たちに解かせるために」

「なぜ?」

「最後のゲームがあるからだ」

その瞬間、またメールが届いた。

正解。では最終問題。四人目は十一時三十六分、名古屋。こだま731号のドアが開く時、朝は完全に死ぬ。

朝倉は走り出した。

「名古屋へ行くぞ」

名古屋駅のホームには、十一時三十分の光が差し込んでいた。

白い車体が滑り込むたび、風が鋭く頬を切る。弁当の匂い、ブレーキの匂い、人混みの湿った匂い。

朝倉は人波を裂いて走った。

「七号車!」

宮永が叫ぶ。

「こだま731号、入線します!」

列車がホームに入ってくる。

速度を落とし、長い蛇のように近づいてくる。その七号車の窓際に、黒いコートの男が見えた。

鳴瀬冬吾。

顔をこちらへ向け、笑っている。

朝倉はドアが開く前に叫んだ。

「鳴瀬ぇぇ!」

ドアが開いた。

乗客が降りる。

その中に、鳴瀬はいなかった。

七号車E席にあったのは、黒いコートを着せられた精巧な人形だった。顔の部分には薄型端末。端末の中で、鳴瀬が笑っていた。

『遅いよ、朝倉刑事』

朝倉は端末を掴んだ。

映像の鳴瀬が指を立てる。

『四人目は、七号車じゃない』

朝倉の背後で、悲鳴が上がった。

ホーム中央の売店。

そこに、銀縁眼鏡の男が立っていた。

鳴瀬冬吾。

片手で若い女性店員の腕を掴んでいる。女性は怯えながらも、必死に抵抗していた。

胸元の名札には、日向芹奈とあった。

「その人を離せ!」

朝倉が駆け出す。

鳴瀬は笑った。

「朝倉烈。君は熱いね。時刻表に向いていない。時刻表は感情を持たないから美しいのに」

「黙れ!」

朝倉は飛び込んだ。

鳴瀬は売店のワゴンを蹴り倒した。弁当箱が散らばる。人々が逃げ惑う。駅員の笛が鳴る。

朝倉は鳴瀬の腕を掴んだ。鳴瀬は細身なのに、驚くほど速かった。肘が朝倉の顎をかすめ、膝が腹に入る。

「三人殺した腕だぞ」

鳴瀬が囁く。

「刑事一人くらい、時刻表に書き足せる」

朝倉は倒れかけながらも、鳴瀬のコートを離さなかった。

「人間は……」

血の味がした。

「時刻表じゃねえ……!」

朝倉は体ごと鳴瀬を柱に叩きつけた。

鳴瀬の眼鏡が飛ぶ。

宮永が背後から突入し、日向芹奈を引き離した。

だが鳴瀬はまだ笑っていた。

「四人目は彼女だよ」

朝倉は眉をひそめた。

「なぜだ」

鳴瀬は日向芹奈を見た。

その目だけが、初めて狂気ではなく、憎しみで濁った。

「日の出園の最後の証人。あの火災で、妹を見捨てた子供。妹が助けを求めていたのに、自分だけ逃げた子」

日向芹奈が震えた。

しかし次の瞬間、彼女は鳴瀬の顔を見つめ、かすれた声で言った。

「冬吾……兄ちゃん?」

ホームの音が、一瞬、消えたように感じた。

鳴瀬の笑みが凍った。

「何を……」

日向芹奈は胸元から、小さなペンダントを取り出した。

中には、古びた紙片が入っていた。子供の字で書かれた言葉。

陽はまた昇る。だから泣くな、陽菜。冬吾

鳴瀬の顔から血の気が引いた。

「嘘だ」

日向芹奈――いや、鳴瀬陽菜は泣いていた。

「私、生きてた。名前を変えられて、施設も変わって……ずっと兄ちゃんを探してた」

「嘘だ!」

鳴瀬は叫んだ。

その叫びは、殺人鬼のものではなかった。十五年前の火の中に取り残された、少年の叫びだった。

宮永が低く言った。

「鶴見善三の鞄から、未投函の手紙が見つかりました。宛名は鳴瀬冬吾。内容は、妹さんの生存記録です」

朝倉は鳴瀬を睨んだ。

「鶴見は今日、お前に真実を渡すつもりだった」

鳴瀬の唇が震えた。

「鶴見が……?」

日向芹奈が泣きながら頷く。

「鶴見さんは、私を火の中から運び出してくれた人。悪いことも隠した。きっと罪もあった。でも、私を助けてくれた。兄ちゃんに会わせるって、ずっと……」

鳴瀬の膝が崩れた。

彼は三人殺した。

その一人は、妹を奪った男ではなく、妹を救った男だった。

完璧な時刻表。完璧な乗り換え。完璧なアリバイ。

だが、彼は一番大事な時刻を読めなかった。

人が誰かを救った瞬間。人が罪を抱えながら、それでも償おうとした年月。死んだと思い込んだ妹が、生きて朝を待っていた時間。

鳴瀬は笑おうとした。

だが、笑えなかった。

「僕は……」

朝倉が手錠をかけた。

金属音が、ホームに小さく響く。

「お前は頭が良かった」

朝倉は言った。

「でも、人の心を馬鹿にしすぎた」

鳴瀬は何も言わなかった。

ただ、日向芹奈を見ていた。

「陽菜……」

妹は泣きながら答えた。

「兄ちゃん。もう、朝を殺さないで」

翌朝。

東京駅のホームに、朝日が差していた。

新幹線は今日も走る。

昨日と同じように、弁当が売られ、改札が鳴り、子供が白い車体を見上げて目を輝かせている。

三人は戻らない。

鳴瀬冬吾の罪も消えない。

失われた十五年も、燃えた施設も、隠された真実も、誰かの涙も、なかったことにはならない。

朝倉はホームの端で、缶コーヒーを握っていた。

宮永が隣に立つ。

「虚しい事件でしたね」

「ああ」

「救いは、あったんでしょうか」

朝倉はしばらく黙った。

遠くで、列車のライトが近づいてくる。

それは夜を切り裂く刃のようにも見えたし、誰かを迎えに来る光のようにも見えた。

「救いなんて、簡単に言うな」

朝倉は低く言った。

「でも、生きてる人間がいる。泣いても、怒っても、朝が来ちまう人間がいる」

列車が入線する。

白い車体が、朝日を浴びて輝いた。

朝倉はその光を見つめた。

「だから俺たちは、次の朝を守るんだ」

発車ベルが鳴る。

ドアが閉まる。

東海道新幹線は、定刻通りに走り出した。

死者を置いて。罪を乗せて。それでも、陽はまた昇る。

 
 
 

コメント


Instagram​​

Microsoft、Azure、Microsoft 365、Entra は米国 Microsoft Corporation の商標または登録商標です。
本ページは一般的な情報提供を目的とし、個別案件は状況に応じて整理手順が異なります。

※本ページに登場するイラストはイメージです。
Microsoft および Azure 公式キャラクターではありません。

Microsoft, Azure, and Microsoft 365 are trademarks of Microsoft Corporation.
We are an independent service provider.

​所在地:静岡市

©2024 山崎行政書士事務所。Wix.com で作成されました。

bottom of page