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ブロッコリーの丘

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月13日
  • 読了時間: 8分
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 風が、緑の畝を柔らかく撫でていく。山の斜面に段々と整然と並んだブロッコリー畑は、まるで一面の緑色の絨毯みたいだった。ここは静岡市清水区の有度山。ふもとから車で少し登っただけで、都会の喧騒が嘘みたいに消えてしまう。そこにあるのが、オレの実家――浜田農園だ。

 久しぶりに見る有度山は、ずいぶんと静かに感じる。いや、子どもの頃からこんな空気だったのかもしれない。都会生活に慣れたオレの耳が、むしろ騒々しさを失って戸惑っているのだろう。

 浜田悠真、三十歳。東京の食品関連企業でサラリーマンをしている。正直、帰省なんてほとんどしていなかった。会社の休みは不規則だし、父と顔を合わせるとロクなことにならないっていう理由もあった。

「やっぱり空気がうまいな……」

 そう呟いてみると、胸が軽くなる気がする。幼い頃、この山で走り回っていた自分を思い出して、少し切なくも懐かしく感じた。

「お帰り、悠真。」

 農園の土間で待っていたのは、頑固一徹の父・浜田茂。ずっとブロッコリーを育ててきた人だ。実家に戻るとき、やっぱりどこか照れくさい。この人にとって、オレは厄介な息子か、それとも頼りない息子か。そのどっちもかもしれない。

「ひさしぶり」

 素っ気なく答えたオレに、父はひと言も何も言わず、大きな手で背中をポンと叩いた。それだけで父なりの歓迎なんだろう。

「おまえ、飯は食ったか? 母さんは法事で向こうの親戚んとこ行ってるから、今日はオレが作るぞ。ブロッコリーをな、味噌汁に入れたんだよ。ちょっと変わった食べ方だけど、案外イケるんだ。」

「……味噌汁にブロッコリー?」

 にわかには想像がつかない。でも、昔から父はブロッコリーに関してはちょっとした実験精神が強い。きっと、この頑固オヤジなりに工夫してるんだろう。だけど、今夜は仕事の話がメインになるに決まってる。

「それより。父さん、農園が経営危機って……マジなのか?」

 そう切り出した瞬間、父の表情がぐっと厳しくなった。「正直いって、厳しい。ここ数年、天候不順もあったし、大量生産できる大規模農家に押されて、うちみたいな小さな農園はやっていけなくなってきた。」「じゃあ、ブランド力を上げるとか……何か方法は?」「オレも考えてはいるさ。でも、改革なんて大層なこと、そう簡単にできるかよ。」

 その言葉には、長年、土と向き合ってきた人の重みがあった。一方で、「こうだから仕方ない」という諦めにも聞こえる。オレはなんだかモヤモヤした。

 翌朝、オレは挨拶回りも兼ねて、山の麓の観光協会を訪れた。そこで待っていたのは幼なじみの村上明日香。彼女は小さい頃から活発で、よくオレを振り回していた記憶がある。

「悠真、帰ってきてたんだね! どう? 有度山は久々?」「まぁね。やっぱり空気はうまい。……明日香は観光協会で働いてるんだっけ?」「うん、有度山の魅力をもっと発信しようって頑張ってる。ブロッコリーも、その大事な資源だもんね。」「うち、経営がヤバいらしいよ。少しぐらい手助けしたいけど、正直、会社辞めてまで農業っていうのは、考えられない。」「悠真、そう言うと思った。でも、無理に辞める必要はないんじゃない? 都会の仕事や知識を活かして、何かできることはあるかもしれないよ。」

 明日香は一瞬、寂しそうな目をして、それでもすぐに笑顔を浮かべた。「観光客が増えれば、ブロッコリーのPRだってしやすくなる。たとえば収穫体験イベントとか、新商品開発とか……。やりたいことはたくさんあるのに、人手もアイデアも足りないんだよね。」「収穫体験、か……。うちのブロッコリー、味はいいし、鮮度も売りになるはずだよな。」

 ふと、オレの頭の中でひとつのプランが形になっていく。「有度山ブロッコリー」をブランド化したらどうだろう。昔、大学時代にちょっとだけマーケティングを勉強したことを思い出す。SNSでの発信や、観光誘致……。

 その夜。母の留守をいいことに、父は台所でブロッコリー料理をせっせとこしらえていた。オレは横目でそれを見ながら、あれこれ提案をしてみた。「父さん、観光農園にしてみるのはどうかな。畑で収穫体験とか、バーベキュー体験とか。東京からの観光客はこういう体験型が好きだよ。」「ふん……。バーベキューか。ブロッコリーを焼くのか? いや、茹でてマヨネーズじゃなくて、焼くのもアリかもしれんが。」「そこはもうちょっと工夫できるだろ? オレの会社にも食品関係の知り合いがいる。新商品とか、ネット販売のルートを探せるかもしれない。」「おまえ、本気で協力してくれる気になったのか?」「……わかんないよ。だけど、オレは都会で疲れた人間が、わざわざ有度山の農園に来る気持ちも理解できる気がする。空気がうまいし、景色だって最高だし。そういう“体験価値”を売りにできるんじゃないかな。」

 父は味噌汁用の鍋の蓋を開け、いい匂いを漂わせながらゆっくりと頷いた。それはいつになく前向きな仕草に見えた。

 数週間後、オレと明日香は地元の若手農家たちを集めて打ち合わせをしていた。ブロッコリーの収穫シーズンに合わせて「有度山ブロッコリー祭り」を開催する案を検討中だ。しかし、反対派の声も根強い。

「そんな派手なことしても、結局コストがかかって失敗するだろう?」「俺たちは先祖代々のやり方を守ってきたんだ。無茶は勘弁してくれ。」

 会合の場は、静かに漂う重たい空気。伝統を大事に思う気持ちは尊重したい。だけど、変わらなきゃ続けていけない現状もあるんだ。

 そんな中、一人の若手が手を挙げた。「俺、東京の大学に行ってて、この前ゼミの教授を連れて案内したらすごく感動してくれて。『こんなに上質なブロッコリー、なかなかないよ』ってほめられたんですよ。やっぱりもっとたくさんの人に知ってもらいたいんです。」 続いて、別の若手も言葉を継ぐ。「今、ネット通販とかもいろいろあるじゃないですか。年配の人だけじゃなくて、若い人にもブロッコリー食べてもらおうよ。」

 少しずつ、賛同の声が増えていく。保守派の人たちはまだ渋い顔だが、その場では大きな反対はなかった。

 だが、順風満帆というわけにはいかない。梅雨入り前の長雨でブロッコリーの生育が遅れ、収穫時期がずれそうになる。流通コストが増える見込みになり、祭りのスケジュールも狂いはじめた。

 すっかり意気消沈したオレ。そんなとき、実家の納屋を片付けていたら、一冊の古いノートが出てきた。祖父の日記だった。

「昭和三十五年――。台風でほとんどの作物がだめになってしまった。でも、ブロッコリーだけは土の性質とこの山の気候に合っていたのか、なんとか生き延びた。浜田農園は奇跡的に再起できたんだ……」

 ページをめくっていくと、祖父がブロッコリーにかけた情熱がびっしりと記されていた。写真が貼ってあるページには、まだ若い父と祖父がブロッコリー畑で笑っている姿が写っていた。「どんな災害や不況がきても、人は食べることを諦めない。だから、農業には未来がある。オレたちの手で地域の食卓を支えるんだ……」 文字はやや滲んでいるけれど、その言葉の力強さが胸に響く。

 さらに数日後。オレは父にその日記を見せた。父は少し目を潤ませながら、しばらく黙っていた。

「じいちゃんは、オレがまだ物心つかない頃に亡くなったけど……よく、“うちのブロッコリーは地域の宝だ”って言ってたんだ。」「父さんも言ってたよな、同じこと。……もしかして、それをずっと受け継いできたんだな。」「ああ。だけど、時代の変化についていけなくて、正直しんどい時もあった。おまえが帰ってきてくれて、いろいろなアイデアをくれるのは、ありがたいと思ってる。」

 普段、口数が少ない父が、そんな素直な言葉をこぼした。その瞬間、オレの目頭が熱くなるのを感じた。

 そして迎えた「有度山ブロッコリーフェスティバル」当日。お天気は快晴。先日の長雨も嘘みたいだ。坂道を登ってくる車には県外ナンバーもちらほら見える。テレビ局も取材に来ている。 メイン会場の畑には、ブロッコリーのバーベキューコーナーや、スープの試飲ブース、さらにはブロッコリーピザの実演販売なんてのも並んでいた。予想以上の盛況ぶりに、オレは驚いてしまう。

「わぁ、すごい人……! 明日香、ほんとに宣伝頑張ったんだな。」「悠真こそ、会社の同僚とか取引先を呼んでくれてありがとう。SNSもバッチリだよ。『有度山ブロッコリー』ってツイートしてくれる人が増えてきてるみたい!」

 緑の畝を見渡すと、家族連れがワイワイと収穫体験を楽しんでいた。子どもたちが「こんなに大きいのが採れた!」と笑顔になる。その背後で、父は真面目な顔つきのまま、でも嬉しそうに新鮮なブロッコリーを袋詰めしている。その姿を見ていると、不器用ながら必死に頑張ってきた父の人生そのものがキラキラと光って見えた。

 祭りが終わりを迎える頃、オレは畑の端で、一息ついていた父の隣に腰を下ろした。「いやぁ、すごかったな……。こんなに人が来るなんて思わなかったよ。父さん、大変だったろ?」「何が大変だったって、じいさんの代からの農園を潰さずに守り続けてきたことだな。でも、これからはおまえと一緒に守りたい。ここはオレたちの――、浜田家の、そして地域のみんなの宝だ。」 父は小さく、でも確かにそう言った。

 オレはふとブロッコリー畑の向こうに目をやる。山の稜線が夕日に染まって金色に光り、まるでこの土地全体が祝福されているように思えた。懐かしくて、それでいて新しい感覚だ。「……オレ、東京の仕事は続けながら、できる限りこっちをサポートしたい。いずれ、状況が整えば、本格的にこっちに戻ってくるかもしれない。」 それを聞いた父は、ただ黙って何度も頷いた。胸がいっぱいで、言葉が出ないのだろう。

 オレたちの目の前には、有度山のブロッコリー畑が広がっている。頑固な父が、祖父から受け継ぎ、必死に守ってきた宝物。この丘が、オレたちの未来をつなぐ場所になる――。そんな確信が、胸の奥にじんわりと芽生えていた。

 空には茜色の雲がかかり、風は少し肌寒い。でも、オレの心は不思議なくらい温かい。いつか、この丘が笑顔で溢れる大きなコミュニティになって、多くの人を迎える場所になることを願いながら、オレはそっと目を閉じた。

 ―ブロッコリーの丘から、新しい未来が始まる。

 
 
 

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