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富士の夜学(やがく)――ドイツ哲学と武士道の狭間で

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月14日
  • 読了時間: 6分



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〔序章:キャンパスに落ちる富士の影〕

静岡市の夜、大学キャンパスの一角にだけ電気がついている校舎があった。晴れた日には富士山を一望できる場所に建つこの校舎の四階、“夜学(やがく)” と称するゼミがひっそりと開かれている。教壇に立つのは哲学教授の野末(のずえ)。ドイツ留学の経験があり、戦後日本の民主主義や教育制度に懐疑を抱きつつ、どこか遠慮がちに“批判の刃”を研(と)いでいる知識人だ。だがこの夜だけは、少人数の学生を前に、堂々と「ヨーロッパ近代思想と日本近代史の接点」を語っていた。教室の窓からは、街のネオンが遠く瞬(またた)くのが見えるが、晴れた夜には富士山のシルエットが淡(あわ)い闇(やみ)の中に浮かぶ。野末はスライド資料を切り替えながら、**「ニーチェが説いた超人(ちょうじん)思想は、我々日本人の武士道(ぶしどう)といかに交わり得たか」**と問いかけ、学生たちの視線を浴びていた。

〔ドイツ哲学への言葉 VS 武士道への身体〕

そのゼミの中に、一人だけ異彩(いさい)を放つ男がいた。元・自衛隊員という経歴をもち、大学に編入してきた“変わり種”の学生、笹沼(ささぬま)。背筋はピンと伸び、筋肉質(きんにくしつ)な腕を折(たた)んで座る姿は、まるで軍の訓練所(くんれんじょ)から来た兵士(へいし)そのもの。西洋哲学の話にも興味はあるらしいが、彼が口を開けば、「ドイツの理論? そんな頭でっかちじゃ魂(たましい)は震えない。身体(からだ)こそ真理(しんり)を示すんだ」 と、まるで戯曲(ぎきょく)でも聞くかのような鋭(するど)い言葉が飛び出す。野末は、彼の“武士道を信奉(しんぽう)する”熱(ねつ)のある発言に一瞬たじろぎながらも、「君の言いたいことはわかるが、身体だけでは国を動かせない。思想と教育の再構築(さいこうちく)が必要だ」 と論じ返す。二人の視線が激しく交錯(こうさく)する。西洋思想を熟知(じゅくち)し、戦後日本の在(あ)り方を問い質(ただ)す者と、肉体を賭(か)けて日本人の魂を取り戻そうとする者。それは知と肉体のせめぎ合いであり、周囲の学生たちはその緊張(きんちょう)に圧倒(あっとう)されていた。

〔大学と富士山の対比――夜学への誘(いざな)い〕

次の日、笹沼は大学の屋上に野末を呼び出す。空は一面の青だが、遠くには富士山が堂々と雄姿(ゆうし)を見せていた。「先生、あの山こそ日本の象徴でしょう? 僕は、あの山の頂(いただき)で身体を極限まで鍛え、真の武士道を甦(よみがえ)らせたいと思う。現代の大学教育なんて、ただの近代西洋の模倣(もほう)に過ぎないんじゃないですか?」まるで作品を地で行くような台詞(せりふ)に、野末はわずかに苦笑(くしょう)しながら、「しかし、西洋哲学だって我々が活かせる要素はある。ニーチェやハイデガーの思想をただの翻訳(ほんやく)ではなく、日本の歴史に組み合わせることは不可能ではない」と反駁(はんばく)する。この屋上でのやり取りこそ、“富士の夜学” と呼ぶべき第二の講義(こうぎ)かもしれない、と野末は考え始める。大学の近代的校舎と富士山の神々(こうごう)しさが並び立つ光景は、まさに日本の矛盾(むじゅん)を象徴(しょうちょう)しているようだった。

〔夜学ゼミでの対立(たいりつ)、そして合宿計画〕

再び夜のゼミが始まり、野末はドイツ近代史と日本の幕末(ばくまつ)が意外と相似(そうじ)している点を解説する。すると笹沼が、「いくら講義で言葉を積んでも、日本人の身体に染(し)み込んだ武士道は戻らない」と反論する。「だったら僕は富士山頂付近で合宿をして、夜明けに荒行(こう)を行う。そこに生まれる“死と隣(となり)合わせの美”こそが、本当の思想だ!」大学の仲間は呆気(あっけ)に取られ、野末も思わず口を噤(つぐ)むが、ふと心が騒(さわ)ぎ始める。「言葉と教育だけでは、人はここまで動かないのか? 身体こそが真実を手繰(たぐ)り寄せるのかもしれない……」。こうして、笹沼の提案(ていあん)で少数のゼミ生が集い、夜明け前に富士山麓(さんろく)へ向かう合宿が急きょ計画される。大学内部では「そんな非合理的なことを」と非難(ひなん)の声があがるが、野末はどこか煽(あお)られたように「見届けるだけだ」と話を進めてしまう。

〔荒天の富士山麓、夜明けを待つ緊張(きんちょう)〕

週末の深夜、車で山麓へ移動した一行(いっこう)は、荒天(こうてん)の予報にもかかわらず簡易のテントを張り、真っ暗な空の下で震(ふる)えながら夜を過ごす。笹沼は「日本の夜明けをこの目で拝(おが)むんだ」と気炎(きえん)を上げ、筋肉質の身体に雪崩(なだれ)のように雨風を受けながらも全身で耐(た)えようとしている。野末は、危険(きけん)すぎると止(と)めながらも、「ここで見逃(みのが)せば自分は生涯(しょうがい)後悔(こうかい)する」と感じ、結局(けっきょく)一緒に残ることを選ぶ。雨の音がテントを叩(たた)き、その間隙(かんげき)から冷たい風が吹き込むなか、笹沼はむしろ恍惚(こうこつ)の表情(ひょうじょう)を浮かべ、「死をも厭(いと)わぬ覚悟が、武士道の復活(ふっかつ)だ」と呟(つぶや)く。野末は息を詰(つ)めて聞く。「これが本当に哲学の到達点(とうたつてん)なのか?」 自らの頭にすら疑問を突きつけられる感覚が走る。

〔クライマックス:頂へ向かう狂気(きょうき)、そして朝日の閃光(せんこう)〕

明け方、荒れ模様(もよう)が続きながらも空が白み始める。笹沼は迷うことなく、単独(たんどく)で頂(いただき)を目指そうとザックを背負(しょう)い、山道に足を踏(ふ)み出す。ほかの学生たちは止(と)めようとするが、彼は振り払い、「ここで体を賭(か)けなければ何も始まらない」と叫(さけ)び、岩場をよじ登(のぼ)っていく。野末も行かねばと思い、後を追うが、雨で滑(すべ)りやすい斜面に脚(あし)を取られ、息を荒(あら)げながら必死(ひっし)で笹沼の背中を探す。しかし霧(きり)で視界(しかい)は10メートル先も見えない中、雷鳴(らいめい)が遠くで鳴り響き、不吉(ふきつ)な光が山肌(やまはだ)を照らす。やがて、山頂付近と思しき岩の段差(だんさ)に、笹沼の姿が薄く見える。彼はまるで剣(けん)を構(かま)える侍(さむらい)のように足を開(ひら)き、天に向かって立ち、何か独白(どくはく)を続けている。突風(とっぷう)が吹き荒(あ)れ、その声すらかき消されるが、野末には言葉の一部が耳に届いた気がした――「死と誇り……それだけが真の日本」。突然、雲が裂(さ)けて一筋(ひとすじ)の朝日の閃光(せんこう)が山頂を照らす。野末は思わず目を閉じ、目が焼(や)けそうなほどの眩(まばゆ)さを感じる。「これがニーチェの力への意志(いし)なのか……それとも武士道が甦(よみがえ)った姿なのか?」 心のなかで問うても答えは見えず、強烈(きょうれつ)な光のなかで笹沼のシルエット(しるえっと)が消えていったように見えた。

〔結び:下山する日々、残された余韻(よいん)〕

騒ぎの後、野末や学生たちは下山(げさん)し、大学のある街へ戻る。笹沼のその後については、「無事に帰ってきた」との噂(うわさ)もあれば、「行方(ゆくえ)がわからない」という声もある。実際にどうなったかは誰もはっきりと言えない。ただ、野末はゼミであの日のことを話そうとはしない。学生の誰かが「結局、あの行動に意味があったんですか?」と尋(たず)ねても、野末は苦笑(くしょう)まじりに言葉をにごすばかりだ。「哲学とは言葉による闘いだと思っていたが……身体で刻(きざ)む闘いがあることを、あの荒天(こうてん)の夜に垣間見たのかもしれない」。キャンパスから望む富士山は、今日も雄大(ゆうだい)な輪郭(りんかく)を空に描(えが)いている。街の喧騒(けんそう)が包(つつ)む中、夜になると星が見え隠れするが、山頂(さんちょう)を駆(か)けた青年の足音(あしおと)が今もそこにこだまするかのようだ。こうして物語は、“戦後教育や近代文明への批判”と、“死と武士道の美学(びがく)”が交差(こうさ)したまま幕を閉じる。“富士の夜学”で交わされた知と肉体のせめぎ合いの余韻(よいん)が、夜明け前の静岡の空にこだましているかのように感じられるばかりだ。

 
 
 

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