山崎行政書士事務所物語(コメディ小説)第10話「監査ごっこは本番より怖い」
- 山崎行政書士事務所
- 2月7日
- 読了時間: 9分

※本作はフィクションです。登場人物・出来事は創作であり、手続や書類に関する描写は一般的な範囲の表現です。個別の案件は事情により必要書類・手順が変わります。本作は特定の事案の結論や可否を断定するものではありません。
ホワイトボードの右上。駅名ステッカーは九枚になっていた。
『新静岡』『日吉町』『音羽町』『春日町』『柚木』『長沼』『古庄』『県総合運動場』『県立美術館前』
その隣に、みおが赤字で書いた呪文は、まだ二重。
14:1514:15
さらに下には、プリンターが勝手に吐き出した“名言”が、もはや壁一面に増殖している。
『それ、残ってない。』『でも、残せる。』『要件定義、未完。』『MVPで、勝つ。』『句読点は、平和。』『空でも、フォルダは残る。』『クラウドは場所じゃない。運用だ。』『犯人:テープ。証跡:印。』
ゆいが壁を見上げて、遠い目をした。
「先生……ここ、もはや“反省会場”ですよね」
「反省会場だよ。学びの場とも言う」
さくらが机の上にファイルを置いた。今日も置き方が嫌な予感そのものだ。
「先生。今日の相談、監査です」
りながが目を輝かせる。
「監査!ログ!証跡!チェックリスト!」
みおが、静かに付箋を貼った。
(① 監査)(② 証跡)(③ “残る”)
山崎先生は、嫌な予感の正体を悟った。
「……今日、怖いやつだ」
あやのが微笑む。
「本番より怖いやつですね」
相談者は“資料”ではなく“顔色”で入ってくる
10時。ドアが開いて入ってきたのは、見覚えのある二人。
○○株式会社の田中さんと、情報システムの佐藤さん。(第7話のクラウド移行相談で来た人たちだ。)
田中さんは名刺を出しながら、いきなり言った。
「先生……今日、監査ごっこさせてください」
「監査ごっこ?」
佐藤さんがノートPCを抱えたまま深く頷く。
「来週、取引先のセキュリティ監査が入ります。質問票も来ました。項目が…項目が…」
彼は言いかけて、息を吸い直した。
「多いです」
みおが頷く。
「監査は、質問が多いです」
「淡々と言うなぁ」
田中さんはさらに言った。
「上の人が、“うちはクラウドだから大丈夫だろ”って言い始めて……佐藤が毎日、胃薬飲んでます」
佐藤さんが小声で言う。
「飲んでます……」
あやのが椅子を引きながら、やわらかく言った。
「“大丈夫だろ”って言われた時ほど、心臓にきますよね」
佐藤さんが、泣きそうな顔で頷いた。
山崎先生、今日の目的を宣言する
山崎先生は、落ち着いて言った。
「一般論としてね。監査って、敵じゃない。でも、準備不足は敵になりやすい。今日は“監査で聞かれそうなこと”を疑似的に並べて、“答え”じゃなくて“証跡”が揃ってるか、見ていこう」
田中さんが言った。
「答えじゃなくて、証跡……」
りながが反射で言う。
「証跡は命です!」
さくらが頷く。
「残るなら、命です」
ゆいがうっとりした顔をする。
「“残るなら命”……強い……」
「広報、黙って」
監査ごっこ、開幕。監査官みお、降臨
みおが、机の配置を変え始めた。“対面”になるように、きっちり。
「監査官席、ここ。被監査席、そちら。先生、同席は可能ですが、回答は被監査側が行ってください」
佐藤さんが、なぜか正座しそうになる。
「はい……!」
田中さんが苦笑する。
「みおさん、雰囲気がもう監査官なんですよ……」
みおは真顔で言った。
「雰囲気は、重要です」
「重要なんだ」
りなががPCを開いて、やる気に満ちた声を出す。
「私、ログ担当やります!“見せられるログ”に整形して――」
みおが即止める。
「整形しません。そのままを出します」
「厳しい!」
さくらが淡々と付け足す。
「整形すると、疑われます」
「こわっ」
ゆいが手を挙げた。
「先生、私、実況担当――」
「広報、黙って(本日1回目)」
監査官みおの質問は、静かに刺す
みおが、紙を一枚取り出して淡々と読み上げた。
「質問1。アカウントの発行・変更・無効化は、誰が、どの手順で実施しますか。証跡はどこに残りますか」
佐藤さんが勢いよく答える。
「えっと、入社時は人事から申請が来て、情シスが作って、MFAを――」
みおが手を上げた。
「“申請が来る”の証跡は?」
「……メールです!」
「そのメール、どこにありますか」
「……えっと、僕の受信箱に……」
みおの目が0.3ミリだけ細くなる。
「個人の受信箱は、証跡ではありません」
田中さんが顔を覆った。
「来た……」
佐藤さんが小声で言う。
「刺さった……」
山崎先生が、ゆっくり言った。
「“やってる”と、“残ってる”は違うんだよね」
さくらが頷く。
「違います」
ゆいがメモを取りながら呟く。
「“やってる”は口頭、“残ってる”は世界……」
「広報、黙って(本日2回目)」
次の質問:権限。ここから現場が死ぬ
みおが次の紙を読む。
「質問2。管理者権限の付与基準と承認プロセスはありますか。権限の棚卸しは定期的に行っていますか」
佐藤さんの肩が、目に見えて重くなった。
「管理者は……僕と、あと二人。承認は……その時々で……」
みおが静かに聞く。
「その時々、とは」
「Teamsで“お願い”して……“いいよ”って来たら……」
みおが頷く。
「“いいよ”は証跡ですか」
佐藤さんが泣きそうになる。
「……証跡です……!」
みおが首を傾げる。
「そのチャット、保存期間は?」
りながが小声で言った。
「保存期間……」
田中さんが白目になりかける。
「やめて、そこは触らないで」
山崎先生が、できるだけ優しく言った。
「ここ、整理ポイントだね。“誰が承認したか”が後で追える形にする。そして“棚卸しした記録”も残す。運用で回る形で」
佐藤さんが小さく頷く。
「はい……」
未知USBが、突然“監査項目”になる
みおが次の質問に入る。
「質問3。外部記憶媒体(USB等)の持ち込みや利用ルールはありますか。違反時の対応は決まっていますか」
その瞬間、事務所の全員の視線が、机の端へ吸い寄せられた。
透明ケース、黒文字。
USB『空』
……沈黙。
田中さんが恐る恐る言った。
「え、あの……USB、ありますけど……」
佐藤さんが真顔で言う。
「……それ、刺したらダメです」
さくらが即答する。
「刺しません」
みおが、淡々と結論を言った。
「“机の上に未知USBが置かれている”時点で、監査では事故扱いです」
りながが叫ぶ。
「私たち、事故だったんですか!?」
「事故です」
「ひどい!」
山崎先生が、冷静に補足する。
「でも“事故が起きる前に事故と認識する”のが監査の価値でもある。今ここで気づけたのは前進だよ」
田中さんが、深く頷いた。
「……前進って言葉、こういう時に効きますね」
あやのが微笑む。
「効きます。心の応急処置です」
監査ごっこの最恐ポイント:先生が一番詰められる
監査ごっこは続く。
ログの保存と閲覧者
インシデント時の連絡体制(誰が決める、誰が動く)
委託先の管理(契約と実態のギャップ)
端末の管理(誰のPCが何台、どう守ってる)
みおは淡々と、佐藤さんに質問を投げる。佐藤さんは汗をかきながら答える。田中さんは途中から“メモ係”に転職した。
そして、みおがふと顔を上げた。
「質問5。本日の模擬監査で指摘された事項の改善責任者と、期限は誰が決めますか」
田中さんが即答した。
「……先生が決めてくれません?」
空気が止まった。
山崎先生は笑って、でもはっきり言った。
「決めるのは、会社だよ。こっちは“整理”と“見える化”は手伝えるけど、意思決定は社内の役割」
みおが頷く。
「意思決定は、外に出せません」
さくらが追撃する。
「出すと、運用が死にます」
りながが小声で言う。
「運用が死ぬ……今日、何回も死んでる……」
田中さんが素直に言った。
「……耳が痛いです。でも、正しい」
その時、ゆいがぽつりと呟いた。
「先生、今日の監査ごっこ、一番詰められてるの先生じゃないですか?」
みおが即答する。
「先生の“理想”が高いので」
「理想で詰められるの辛いな」
そして来る。14:15
熱い空気のまま、インターホンが鳴った。
ピンポーン。
全員が時計を見る。
14:15
田中さんが小声で言う。
「え……この時間、何かあるんですか?」
佐藤さんが、なぜか一番冷静に言った。
「……来ますね。こういうのは来る」
ドアが開く。キャップを深く被った人物――例の謎の人。
低い声で、丁寧に。
「失礼します。……少しだけ」
視線が、机の上の“監査チェックリスト”と“改善タスク付箋”に落ちる。
そして、今日の質問が来た。
「それ……監査、残る?」
佐藤さんが反射で答えた。
「残ります。残るから、怖いんです」
謎の人は、わずかに頷いた。
「怖いのは、質問じゃない。“答えがないこと”が残るのが怖い。だから、答えじゃなくて――証拠を残せ」
みおが小さく頷く。
「正論です」
田中さんが呟く。
「刺さる……」
謎の人は机に、駅名ステッカーを一枚置いた。
『草薙』
そして、去り際にもう一言だけ落とした。
「監査は、本番より準備が怖い。準備は、運用だ」
「また運用」
「運用しか言わない人だ」
謎の人は最後にいつもの言葉を残す。
「じゃ。証跡、大事なんで」
ドアが閉まる。
オチ:監査担当者の名前が、悪い予感そのもの
場が落ち着いた頃、田中さんがスマホを見て固まった。メールが来ていたらしい。
「……先生」
「どうした?」
田中さんは、画面を見せた。そこには、取引先からの連絡。
来週の監査担当:草薙(クサナギ)
事務所の空気が、一斉に冷えた。
りながが震える声で言う。
「……今、置いていったステッカー……」
みおが赤ペンを握りしめる。
「一致しました」
さくらが、静かに言った。
「先生。偶然の確率が下がりました」
ゆいが小声で言う。
「……先生、連載がホラーに寄ってません?」
山崎先生は正直に言った。
「寄ってる。でも、現実でも“偶然が重なる”ってことはあるからね」
佐藤さんが、胃薬の袋をぎゅっと握った。
「……来週、本番ですね」
山崎先生は、静かに頷いた。
「本番は怖い。でも、今日の“怖さ”を経験できたのは、前進だよ」
その瞬間、プリンターが「ピッ」と鳴った。やめて、今じゃない。
ウィーン。吐き出された紙は一枚。
『監査で聞かれるのは、“やったか”じゃない。“残ってるか”だ。』
りながが、両手で顔を覆った。
「先生……プリンター、完全に監査官……」
みおが真顔で言った。
「議事録担当にしたいです」
「やめて。調子に乗る」
さくらがプリンターに言った。
「今日は…褒めません。調子に乗るので」
プリンターは返事をしない。でも、なぜか“勝った顔”だけはしている気がした。
今週のチェックリスト(一般論)
監査で問われやすいのは「やっているか」より「証跡が残っているか」
アカウント・権限・委託先・ログなどは、運用(誰が/いつ/どう)とセットで整理すると“答え”が出やすい
“個人の受信箱・個人の記憶”に依存すると、担当者が変わった瞬間に証跡が消える
未知のUSBは刺さない。もし確認が必要なら隔離環境・安全側に倒して扱う(ルール化が効く)
駅名ステッカー
1枚目:新静岡
2枚目:日吉町
3枚目:音羽町
4枚目:春日町
5枚目:柚木
6枚目:長沼
7枚目:古庄
8枚目:県総合運動場
9枚目:県立美術館前
10枚目:草薙
プリンター被害状況
「監査で聞かれるのは“残ってるか”だ」を勝手に印刷(正論で殴る)
ただし信用はしない(前科が多い)
次回予告
監査担当「草薙」と、14:15の人物。駅名ステッカーは“地図”なのか、“訪問ログ”なのか。次回、「謎のフィギュアコレクター、正体判明」。




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