続・名簿の値段
- 山崎行政書士事務所
- 8 時間前
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※以下は創作です。実在の企業・人物・制度とは関係ありません。※特定作家の固有文体の

白百合ファイル
社内メール / 2026年1月14日 06:42件名: 【至急/T承継】A-00138 真鍋家 初動発信: 外商戦略室 第二担当宛先: 外商統括部、ギフト推進部、ライフソリューション部、住環境事業部・喪主確認 T+0・供花・返礼・会食・遺影額の一括提案 T+1・遺族面談(名目: お悔やみ訪問) T+2・資産整理・住替・信託・美術査定の導線設計 T+14・競合介入時は失注報告書提出※苦情既往口座につき「営業」「売上」「提案」の語使用禁止※参考予測: 初年度移行粗利 1億3800万円
訃報の一斉通知は来なかった。顧客の死は個人情報だったからだ。
ただし、売上になる死だけは別だった。
桐生亮介は年明けから別館五階のCS改善室に飛ばされていた。肩書だけは外商一課課長代理のまま、仕事は苦情件数の集計と「再発防止策」の清書だ。会社は、処分をするときほど言葉をやわらかくする。
その朝、共有プリンタの排紙トレイに紛れていた一枚を、彼は偶然ではなく拾った。差出人欄は空白。紙の余白に、青いボールペンでひと言だけあった。
第二室まで見ろ。
真鍋志津が死んだ。その事実より先に、真鍋家からいくら抜けるかの数字が社内を走っていた。
桐生は昼休みに店を出て、日比谷の裏通りの喫茶店で芹沢美月と会った。彼女はコンプライアンス室に残っていたが、もう社内の顔ではなかった。社章を外し、通勤用のトートバッグにノートPCを入れてきた時点で、半分は会社の外に足を置いている人間の顔だった。
「第一報の記事で終わらせるつもりです、会社は」
芹沢は席につくなり言った。
「知ってる」「終わってません」「だろうな」
彼女は画面をこちらに向けた。フォルダ名は「戦略サポート」。誰が見ても地味で、誰も開きたがらない名前だった。中のサブフォルダに、白い花の絵文字がついている。
極秘資料 / 取締役限り「2026年度 重要顧客資産移行管理表(白百合2.0)」管理対象 34家推定移転資産 812億円初年度関連粗利計画 9億4600万円KPI・T+48h初期接触率 85%・喪主面談化率 60%・相続関連送客率 42%・住替成約率 18%・美術換金率 22%・苦情表面化率 3%以下
桐生はしばらく黙って画面を見ていた。
「何だ、これ」
「外商名簿じゃありません」
芹沢は低い声で言った。
「遺族名簿です」
店内BGMのジャズが、急に安っぽく聞こえた。八百十二億。九億四千六百万円。人が死ぬ前と死んだ後で、会社は同じ人間を二度値踏みしていた。
「役員限り、か」「役員限りだから残したんです」「こんなもの、口頭でやればいい」「会社は、悪いことを隠すときは口頭でやるんです」
芹沢はカーソルを動かした。
「続けると決めた悪いことだけは、文書にします」
次のファイルはPDFだった。表紙に墨色の帯がかかっていた。
運用手引 / 黒白便覧 Ver.4.1目的: 弔事に伴う顧客支援の標準化 遺族への接触は「お困りごと支援」で表現統一 香典返し提案時に住環境・信託・美術査定のチラシ同封は避ける ただし喪主配偶者の不安が強い場合は別封で手渡し可 競合百貨店、葬祭会館、自宅近隣不動産の介入前に窓口一本化 現場標準として「三日で窓口が決まる」を共有 遺品整理は「片付け」ではなく「保全」と表現 相続相談は「税務」ではなく「ご家族の整理」と表現
「三日で窓口が決まる」
桐生は声に出して読んだ。
「喪主の悲しみがKPIか」「この店では、そうです」
桐生は反論しなかった。彼は知らない側の人間ではなかった。ただ、知らないふりを続けられなくなっただけだ。
彼も昔、香典返しの打ち合わせの帰りに、住環境部の名刺を喪主の手帳に挟んだことがある。初七日の会食会場の見積もりを取るついでに、仏壇売場の担当を呼んだこともある。線香の匂いが残る玄関で、子どもの結婚祝いの食器カタログを置いてきたことさえある。そのたびに「お役に立てた」と自分に言い聞かせてきた。
違った。役に立つことと、機会を逃さないことは、同じではなかった。
芹沢はもう一つ、音声ファイルを開いた。
録音反訳 / 2026年1月14日 08:10件名: T承継 定例ショートミーティング出席: 保科常務、宮浦(戦略室)、三枝(ギフト)、大山(住環境)、柿沼(美術外販)ほか 保科常務: 真鍋家は長女主導だな。宮浦: はい。次女の夫は金額反応が強いです。税理士は岩崎。値引き嫌い。三枝: 返礼は三千円帯から入りますか。保科: 三千円は顔が立たん。最低五千。供花、会食、返礼を別財布に見せるな。一枚に畳め。大山: 自宅売却の話は早すぎませんか。保科: 早い遅いは競合が決める。先に入られたら終わりだ。柿沼: 茶道具と絵は湿気る前が値段です。無記名の声: 人が死んだ直後の言い方じゃないでしょう。保科: 感情は議事録に残すな。
桐生は画面から目を離した。
会社には、人の死に適正温度がある。この店にとっては常温だった。
「保科が直轄してるのか」「黒瀬が更迭されて、逆に上に上がりました」「トカゲの尻尾切りじゃないな」「尻尾を切って、胴体を太らせました」
店に戻ると、旧知の外商担当だった野坂からショートメッセージが入った。
今夜、真鍋家の通夜。来るな。見たら戻れなくなる。
桐生は行った。
都内の斎場は、外から見れば静かだった。黒い車が並び、受付には白い花。だが裏口の搬入口には、京央百貨店の紙袋を載せたワゴンが止まっていた。紙袋の色だけが、場違いに明るかった。
野坂は喫煙所の陰で待っていた。顔がやつれている。
「来るなって言っただろ」「だから来た」「見たら終わりだ」
野坂はスマートフォンを見せた。社内チャットの画面だった。
Teams / 2026年1月16日 11:27三枝: 香典返し 620想定→450で仮置き宮浦: 税理士同席。今日は住替は触れない保科: 触れない、ではない。種だけ置け大山: 長女宅の浴室改修ヒアリング可柿沼: 茶入・掛軸、四十九日後の査定導線作れます宮浦: 喪主配偶者の不安強め。信託パンフは別封で保科: 競合は返礼のみ。面で取れ
「面で取れ、か」
桐生はつぶやいた。
野坂は笑わなかった。
「今日、保科が来る」「通夜にか」「お悔やみだよ、表向きはな」
そのとき、斎場の玄関口で小さなざわめきが起きた。黒いコートを着た保科常務が、ギフト推進の三枝を従えて入ってきた。三枝の手には薄い封筒がある。香典ではない。カタログだ。
廊下の奥で、真鍋の長女が振り向いた。目が赤い。それでも声は静かだった。
「今日は何のご用件ですか」
保科は一瞬もひるまなかった。
「このたびは心よりお悔やみ申し上げます。ご家族のお困りごと全般について、店として窓口を一本化できればと」「窓口」「返礼やご会食、今後のお住まいのことまで――」「帰ってください」
長女の声は低く、しかしよく通った。
「母は買い物のためにあなたたちを家に入れていたんです。死んだ翌日に、家の処分の話をしに来てもらうためではありません」「誤解です」「一億二千万円も、誤解でしたか」
保科の顔から初めて表情が消えた。
長女は続けた。
「お悔やみの顔で営業に来るなら、二度と来ないでください」
廊下の空気が固まった。野坂の喉が動いた。三枝は封筒を持つ手を下げた。保科だけが、まだ店の人間の顔をしていた。
「ご不快にさせたなら、お詫びします」「不快じゃありません」
長女は言った。
「軽蔑です」
桐生はその言葉を聞いて、少しだけ救われた気がした。怒鳴り声ではなく、軽蔑。それは、会社が一番苦手とする拒絶だった。
通夜の帰り、野坂は桐生にUSBメモリを渡した。
「何だ」「第二室のバックアップ。三日後に消される」「お前」「母親がいるんだよ、俺にも」
野坂は道路の向こうを見たまま言った。
「うちの母親も七十五だ。膝が悪くて、最近、字が揺れる。今日、真鍋さんの長女の顔見てたら、あれが他人事じゃなくなった」
USBの中には、もう一つのフォルダがあった。名前は「菊水」。
特別案件処理フロー / 菊水対象: 官公庁、医療法人、学校法人、議員関係先 高額品はA層既存口座で館預かり処理 実納品は秘書・法人担当・外部会場へ 45日以内に法人贈答、美術下取り、返品調整で相殺 家族問い合わせ時は「複数注文の整理中」で統一 顧客高齢時は本人確認の厳格運用を避け、関係維持を優先 苦情化時は担当責任に切り分け、案件コードの存在は否認
真鍋口座の一億二千万円が、単なる月末調整ではなかったことが、そこで初めて一本の線になった。死にかけた顧客や、施設に入った顧客や、家族が請求書を細かく見ない顧客の口座が、一時的な通路になっていた。宝石も、時計も、絵も、本当の届け先は別にある。店は、上客の信用と老いの鈍りを、会計のクッション材にしていた。
翌日、芹沢は社外の弁護士事務所で桐生に資料を見せた。彼女の目の下に濃い隈があった。
「会社は対外公表の準備に入ってます」「何て言う気だ」「“一部担当者による不適切な請求処理”」「担当者」「全部、担当者です。この会社では」
彼女は新しい反訳データを開いた。
録音反訳 / 2026年1月21日 19:12件名: 対外公表論点整理会合出席: 安積専務、保科常務、法務室長、人事部長、広報部長、芹沢ほか 安積専務: 「構造的」という言葉は使うな。法務室長: しかし管理表が役員決裁です。安積: あれは顧客支援計画だ。芹沢: 死後48時間の接触率が支援ですか。安積: 言葉を荒らげるな。人事部長: 処分はどこまで出しますか。安積: 店を守る処分だ。真実を守る処分じゃない。広報部長: 記者から「高齢顧客の名義利用」と聞かれた場合は。安積: 「一部で請求処理に不備」。その一文で統一。法務室長: 件数は。安積: 数えるな。数は責任を呼ぶ。保科: 第二室の旧データは今週中に整理します。芹沢: 整理ではなく削除でしょう。安積: 君は表現が過激だ。
桐生は読み終えて、しばらく何も言えなかった。
「数えるな、か」「会社にとって、件数は事実じゃありません」「何だ」「危険物です」
その晩、社内に短い業務連絡が回った。
業務連絡 / 2026年1月22日 22:03件名: 第二担当 旧データ整理・2025年10月以前の共有フォルダは移行後削除・紙出力は溶解箱へ・個人保管資料の残置禁止・外部照会時は「現存せず」で回答統一
会社は証拠を消すときまで、語尾がやわらかい。溶解箱。整理。残置禁止。人間の尊厳を削った連中が、最後には言葉だけ整える。
三日後、夕刊一面ではなかったが、社会面の大きな見出しになった。
2026年1月25日 夕刊「老舗百貨店、外商で“死後営業”指標 役員決裁資料を確認」
続報はさらに出た。高齢顧客口座を使った館預かり処理。実納品先の別管理。葬祭、住替、介護、信託、美術換金を束ねた「生活導線収益」。会社は会見を開き、「一部で行き過ぎた顧客対応があった」と発表した。
行き過ぎた。便利な言葉だった。崖から人を突き落としたあとでも、歩幅の問題に聞こえる。
保科は辞任した。安積は報酬の一部を返上した。野坂は依願退職扱いになった。芹沢は出社停止ののち、自己都合退職に追い込まれた。桐生には異動辞令が出た。配送管理部。窓のない倉庫の横に机がひとつ。
春先、新しい社内資料が全社員に配られた。表紙には、柔らかい明朝体でこうあった。
「ライフコンシェルジュ行動指針」物販を超えて、お客様の人生に寄り添う
桐生は一ページ目だけ見て閉じた。言い換えただけだ、とすぐにわかった。
資料の末尾には、旧来のKPIを言い換えた表が載っていた。
初期接触率。家族面談率。関連送客率。満足度。
呼び名が変わっただけで、やっていることは変わらない。人の死を数字にする会社は、まず言葉から漂白する。
夕方、搬入口を通ると、新しい弔事カタログの段ボールが積まれていた。表紙は白地に銀の箔押しで、品のいい百合が描かれている。白百合。あのフォルダと同じ名前だった。
桐生は段ボールの角に手を置いた。紙は厚く、上質で、少し冷たかった。百貨店は昔から、包むことがうまい。品物も、見栄も、罪も、同じ紙で包む。
だが、どれだけ厚い包装紙でも、中に入っているものの値段までは、消せない。





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