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折り重なるセル画の果て

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月30日
  • 読了時間: 7分

第一章:多重下請けの“深い闇”

フリーランスのアニメーター・青木結月(あおき・ゆづき)は、寒さの残るある朝、一通のメールを受け取った。差出人は自分が所属する“請負会社”の担当ディレクター。「大手クライアントの新作アニメ案件、単価はちょっと低めだけど、描いてもらいたい」単価が低め、といっても今の彼女に断る余裕はない。生活のため、来月の家賃のため、少しでも仕事を確保せねばならない。「わかりました。詳細を送ってください」結月は短い返信を打ち込むと、机の上に広がる他の作業書類を横目にため息をつく。すでに手一杯だったが、仕事が途絶えれば収入が立ち行かなくなる。フリーランスとは常に綱渡りなのだ。

第二章:謎の存在「制作委員会」

表面上、その案件は有名テレビ局と大手広告代理店が共同出資する“制作委員会”発の仕事だった。だが、結月のところへ仕事が回ってくるまでには、多くのステークホルダーが介在している。「制作委員会」にはテレビ局、出版社、玩具メーカー、映像配信プラットフォームなどが名を連ねる。その委員会が予算を振り分け、“元請け”にあたる大手アニメ制作会社へと発注し、そこからさらに下請け・孫請け・曾孫請けへと流れていく。結月はその多層構造の果て、“ひ孫請け”あたりでようやく仕事を受けていた。「すべての契約をまるっと把握できるわけじゃない。でも、この多重構造こそが私たちのギャラを押し下げているんだろうな……」結月は薄々そう感じていたが、具体的にどこで、どのように利益が抜かれているかは知る由もない。ただ言えるのは、1カットあたりの報酬は数百円程度にしかならないという現実だけだった。

第三章:請負会社の“没収率”

結月が所属しているのは、“代理店”という名の小規模スタジオ。そこには十数名のフリーランスや契約社員が登録し、原画や動画、背景美術などの細分化された仕事を請け負う。「青木さん、今回のカット単価はこれになります」ディレクターの声が淡々と響く。その金額を見たとき、結月は息を呑んだ。「……こんなに安いんですか?」「うん、実は今回、うちも利益をほとんど乗せられないんだ。上からの要求単価が低くてね。何度か交渉したけど、ダメだったんだよ」確かに、ディレクターの表情には疲労感が漂う。表向き「再委託会社」という立場の彼ら自身も、元請け~孫請け企業から厳しい条件を飲まされているのだ。「自分たちの取り分を確保しようとすれば、フリーランスに払う分はさらに削らざるを得ない……」誰もが“やりたい仕事”だからこそ、無理してでも引き受けてしまう。その弱みを突くように、商流の上流にいる“本当の支配者”たちが利益を根こそぎかっさらっているように、結月には思えた。

第四章:隠された“インセンティブ契約”

仕事の合間、結月は同じフリーランス仲間からこんな噂を耳にする。「元請けの大手アニメ制作会社は、キャラクター商品や配信権のロイヤリティを裏で結んでいるらしいよ。だから“制作費”そのものは抑えて、その代わり“グッズ収益”とか“海外配信収益”で儲けるんだとか」制作会社や広告代理店は、制作費を安く叩いて下請けに回す一方で、別ルートのインセンティブで莫大な利益を上げる。つまり、現場のアニメーターには関係ない二次的・三次的ビジネスモデルで稼ぎを確保しているのだ。結月は納得した。アニメ業界は国内だけでなく、海外配信やグッズ、イベントなど複数の収益源が存在する。それらの旨味を把握しているのは、上流の企業。そして底辺を支えるフリーランスには、残りカスのような制作単価しか降りてこない。「それでも、私たちが描かなければアニメは作れないのに……」空しい想いがこみ上げる。

第五章:さらに深い再委託

ある夜、結月はディレクターから緊急の呼び出しを受けた。「来週の木曜までに全カット仕上げてくれないか? 実は直前で追加作画が出て、納期が前倒しになったんだ」「無理です、そんなの……」結月は思わず声を荒らげた。すでに睡眠時間も削って原画を描いている。それをさらに加速させるなんて、身体が持たない。「わかるよ。だけど、うちも急に言われたんだ。もともとこの案件を受けてた別のスタジオが飛んじゃってさ。しかも孫請け段階の会社で、破産寸前らしくて……」深い商流の中で、どこか一社が倒れると、そのしわ寄せは末端へ連鎖する。破綻したスタジオが手にしていた仕事が、さらに下層へ再委託される。結果的に、結月のようなフリーランスが悲鳴を上げることになるのだ。「結局、上流は痛まないで済むんだ……」この構造に憤りを感じても、代わりはいくらでもいる――そう言われるのが現実。結月は自嘲気味にペンタブを握り直した。

第六章:利益没収の形

翌月、仕上げた仕事のギャラ明細が届いた。そこには予想以上に少ない金額が書かれている。「なんで? 先月の作業量と同じくらい描いたはずなのに……」結月はディレクターに確認を取るが、返ってきた答えは曖昧だった。「うちもわからないんだ。発注元の大手スタジオから請求額が一方的に修正されててね。“予定よりクオリティ調整が必要だった”とか、“コンテ変更のための再作画”だとか、いろんな名目で制作費がカットされたんだよ」当然、そのカット分は再委託の各社にも連動する。そして最終的には、末端のフリーランスが負担する形で“利益没収”される。「なんで私たちがそんな理由で報酬を減らされなきゃならないの……」納得できないが、抗議したところで無駄だと分かっている。結月のような個人には、上流と直接交渉する術がないからだ。

第七章:薄れゆく夢

ある日、結月はアニメ雑誌のインタビュー記事を読み、愕然となった。“自分が参加したプロジェクト”の監督が、「十分な制作費をかけて高クオリティのアニメを作れた」とコメントしていたのだ。「どこに、その十分な制作費とやらは消えたの?」大きな矛盾を感じながらも、同時に自分の無力さを痛感する。アニメという華やかな世界で、作る側も見る側も楽しんでいるはずなのに、どうして自身が報われないのか。「もう少し、あともう少し踏ん張れば、ブレイクするチャンスがあるかもしれない……」そう思い続けて早数年。夢はあるが、現実は厳しい。彼女はフリーランスという立場で、少しずつ消耗していくのを感じていた。

第八章:選択の時

そんなある日、結月のもとに一本の電話が入る。海外資本の動画配信プラットフォームを利用するスタジオが、新作アニメの作画スタッフを探しているという。「噂によれば、海外から直接出資を受けているため、国内の多重下請け構造が比較的浅いらしい。報酬もそこそこ高いって話だよ」同業の先輩からの情報に、結月は胸が高鳴る。ここまで酷い扱いを受ける理由の多くは、何重にも敷かれた商流と利益没収の仕組みにある。もしそれが浅いのなら、少なくともいまより条件はマシかもしれない……。「でも、日本のアニメ制作会社からは外れることになるのか……」迷いはあった。国内スタジオで頑張りたい気持ちと、これ以上の消耗は耐えられない現実の間で揺れる。

終章:積み重なるセル画の影

結局、結月は思い切って海外出資のプロジェクトに参加する道を選んだ。待遇が劇的に良くなったわけではないが、少なくとも多重構造の“どん底”から抜け出せる。――しかし、国内アニメ界の深い商流と再委託の仕組みは依然として存続している。トップに君臨する制作委員会、利益を得る一部の企業、そして底辺でか細い報酬に喘ぐアニメーターたち。結月のアパートには、これまで描いてきたセル画やデジタル原画のデータが山のように残っている。その数々のカットは、多くの人の目に触れ、作品としては成功したといわれるものも少なくない。「これが報われないなら、いったい誰のためのアニメなんだろう……」海外の新しい仕事に向けて整理をしながら、結月は自問する。夜明け前の暗がりの中、彼女の目にはほんのわずかの希望と、これまで積み重ねてきた徒労感が交錯していた。それでも、描くしかない――フリーランスのアニメーターとして。この世界を支えているのは、誰にも知られない末端の情熱なのだから。

 
 
 

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