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新清水駅零時零分発 死体だけが帰るヤングランド

※実在の地名を含みますが、事件・人物・時刻表・施設設定はすべて物語上のフィクションです。

新清水駅の夜は、海の匂いがする。

潮を吸った風がホームの屋根をくぐり、発車案内板の青白い光を揺らす。改札を抜ける会社員、部活帰りの高校生、買い物袋を抱えた老女。誰もがそれぞれの終点へ向かっていた。

その夜も、いつも通りのはずだった。

二十一時十七分。

駅員の佐久間湊が、落とし物の赤い風船に気づいた。風船は改札脇のベンチに結ばれていた。白い油性ペンで、子供の字のようにこう書かれていた。

ヤングランド行き まもなく発車します

湊は眉をひそめた。

清水ヤングランド。

二十年以上前に閉園した、小さな遊園地。観覧車と子供向けの汽車が売り物だったが、ある事故を境に、地図からも人々の会話からも消えていった場所だ。

湊が風船の紐をほどこうとした瞬間、ホームの奥で悲鳴が上がった。

清水署の刑事、望月烈が現場に駆けつけたとき、駅の待合室は規制線に囲まれていた。

被害者は、真鍋修司。かつて清水ヤングランドの支配人だった男だ。

彼はベンチに座らされたような姿で息絶えていた。胸元には古びた入園券が挟まれている。

そこには、赤いスタンプで時刻が押されていた。

16:17

烈はそれを見た瞬間、胸の奥に説明できない痛みを覚えた。

「ヤングランド……」

隣で若い女性刑事の瀬名汐里が言った。

「望月さん、知ってるんですか」

「子供の頃に一度だけ行った気がする。けど、よく覚えてねえ」

烈は熱血漢だった。声が大きく、足で捜査する昔気質の刑事。だが、このときだけは妙に言葉が重かった。

鑑識が被害者のポケットから一枚の紙を取り出した。

時刻表だった。

静岡鉄道の新清水駅発の時刻表。だが、ところどころに赤線が引かれ、余白には几帳面な数字が書き込まれている。

二十一時十七分。十六時十七分。零時零分。

その下に、細く鋭い筆跡で一文があった。

時刻表は神である。乗り遅れた者から死ぬ。――MAX

翌朝、清水署にメールが届いた。

件名は、第一列車、無事到着。

本文は短かった。

清水署の諸君。君たちは時計を信じる。証言を信じる。防犯カメラを信じる。そして時刻表を信じる。 だから負ける。 次は二十一時〇三分。新清水駅で会おう。いや、会えたと思うなら、の話だが。

署内が騒然となった。

犯人は殺人を楽しんでいる。警察を挑発し、謎をばらまき、次の時刻まで予告している。

署長は会議室の机を叩いた。

「望月、絶対に止めろ」

烈はメールの画面を睨みつけた。

「止めるだけじゃ足りません。必ず引きずり出します」

その横で瀬名が、被害者の経歴資料をめくっていた。

「真鍋はヤングランド閉園時の支配人です。閉園理由は経営難とされていますが、その半年前に園内の子供汽車で事故が起きています」

「死者は?」

「当時の報告書では、一名。八歳の女の子。名前は佐久間美亜」

烈は息を止めた。

佐久間。

新清水駅の駅員、湊と同じ名字だった。

その日、烈は新清水駅へ向かった。

湊は改札横で客に頭を下げていた。やわらかな声、落ち着いた仕草。若いのに、駅の空気そのものに溶け込んでいるような男だった。

「佐久間湊さん」

烈が声をかけると、湊は驚いた顔をした。

「刑事さん。昨夜のことですか」

「ヤングランドの事故で亡くなった佐久間美亜さん。あんたの親族か」

湊の表情が、ほんの一瞬だけ固まった。

「妹です」

瀬名が小さく息を呑んだ。

湊は視線を落とした。

「もう昔のことです。僕は当時、小さかった。祖母が僕らを育ててくれました」

「祖母?」

「佐久間千代。昔、ヤングランドの売店で働いていました。今は近くの商店街で小さな駄菓子屋を」

烈は湊を見つめた。湊の目に涙はなかった。怒りもなかった。静かすぎるほど静かだった。

「妹さんの事故について、何か不審なことは?」

「何度も聞かれました。でも、何も。警察も、園も、全部調べたって言ってました」

湊は寂しげに笑った。

「時刻表通りに走って、事故が起きた。そういう話でした」

その言葉が、烈の耳に残った。

時刻表通りに。

二十一時〇三分。

予告された時刻の五分前、新清水駅には私服刑事が配置された。改札、ホーム、駅前広場。清水署は総力を挙げていた。

烈はホーム中央に立ち、腕時計を見た。

二十一時〇二分。

そのとき、署の無線が鳴った。

「望月さん、映像が来ました!」

瀬名の声だった。

スマートフォンに転送された映像を、烈は見た。

そこには、黒いコートを着た男が映っていた。顔には白い仮面。仮面には赤い文字で「MAX」と書かれている。

男は駅のホームに立っていた。

背景に見える駅名標。

新清水

発車案内板には、二十一時〇三分発の表示。

男はカメラに向かって手を振った。

「清水署の諸君。残念。私は今、新清水駅にいる」

烈は顔を上げた。

ホームには、そんな男はいない。

無線がさらに叫んだ。

「望月さん、第二の遺体です! ヤングランド跡地で発見!」

烈の背筋が凍った。

同じ時刻に、犯人は新清水駅にいて、死体はヤングランドにある。

だが、烈の直感は叫んでいた。

「違う」

瀬名が駆け寄る。

「どういうことですか」

烈はスマートフォンの映像を何度も巻き戻した。

仮面の男。駅名標。発車案内板。白い蛍光灯。ホームの柱。すべて新清水駅に見えた。

だが、何かがおかしい。

「音だ」

「音?」

「新清水駅の発車ベルは、こんなふうに反響しねえ」

烈は目を閉じた。

映像の奥に、かすかな音があった。子供の笑い声のような、壊れたオルゴールのようなメロディ。

烈は低く言った。

「これは駅じゃない。遊園地だ」

清水ヤングランド跡地は、雑草に呑まれていた。

錆びたゲート。倒れた看板。風に揺れるチケット売り場の窓。月明かりの中、観覧車の骨組みだけが黒い巨人のように立っていた。

第二の被害者は、園の奥にあるメリーゴーラウンドの前で見つかった。

池ノ谷源一。かつてヤングランド側の顧問弁護士として、事故後の示談をまとめた男だった。

彼の胸元にも古い入園券。

スタンプは、21:03

瀬名が青ざめた顔で言った。

「望月さん、あれを」

園のさらに奥に、小さな駅舎があった。

看板には、かすれた文字。

こども電車 しずてつドリームライン新清水駅

烈は足を止めた。

そこには、新清水駅があった。

本物ではない。だが、半分の大きさで精巧に作られた、遊園地の中の「新清水駅」だった。

駅名標も、発車案内板も、時刻表も、ホームの柱も、本物そっくりに作られている。閉園前、子供たちが小さな電車に乗って、園内を一周するためのアトラクションだったのだ。

瀬名が呟いた。

「じゃあ、映像の新清水駅は……」

「ああ。こっちだ」

烈は時刻表を見た。

静岡鉄道の時刻表に似せているが、細部が違う。行き先は、新静岡ではない。

ヤングランド中央観覧車前おばけトンネル終点・朝日台

そして、二十一時〇三分の欄に赤い丸がついていた。

烈は拳を握った。

「時刻表アリバイだ」

犯人は実在の新清水駅と、ヤングランド内の偽物の新清水駅を重ねた。映像の中の「新清水駅」に立つことで、警察に錯覚させた。

犯人は駅にいる。だからヤングランドでは殺せない。

その思い込みこそが、罠だった。

だが烈は、さらに寒気を覚えた。

これはただのトリックではない。

犯人は、清水の街そのものを盤面にしている。本物の時刻表と偽物の時刻表。現在の駅と死んだ遊園地。生きている人間と、二十年前に消された子供。

すべてを一本の線路に乗せている。

その夜遅く、清水署に三通目のメールが届いた。

件名は、刑事さん、よくできました。

本文には写真が添付されていた。

新清水駅のホーム。そのベンチに座る小さな女の子。

古い写真だった。

女の子は笑っていた。手には赤い風船。隣には、同じくらいの年の男の子がいる。男の子は赤い帽子をかぶり、泣きそうな顔で女の子の手を握っていた。

烈はその男の子を見た瞬間、呼吸を忘れた。

それは、自分だった。

記憶の底が割れた。

夏の日。ヤングランド。暑さ。人混み。小さな汽車。急カーブ。悲鳴。誰かの手。

「大丈夫。ひがのぼったら、また駅にいけるよ」

女の子の声。

烈は椅子から立ち上がれなくなった。

瀬名が心配そうに覗き込む。

「望月さん?」

烈は震える声で言った。

「俺は……あの事故現場にいた」

翌朝、烈は佐久間千代の駄菓子屋を訪ねた。

千代は七十を超えた小柄な女性だった。店の奥には、古いラムネ瓶と駄菓子の箱が並んでいる。壁には、色褪せたヤングランドのポスターが貼られていた。

烈が写真を見せると、千代は唇を震わせた。

「美亜……」

「隣の男の子は、俺ですか」

千代は黙って頷いた。

「美亜はね、あなたを助けたんです」

烈の胸が軋んだ。

千代は古い茶箱を開けた。中から出てきたのは、黄ばんだ手書きの運行表だった。

しずてつドリームライン 特別運行表

そこには、公式記録とは違う時刻が書かれていた。

事故が起きた汽車は、十六時三十分発ではない。十六時十七分発だった。

烈は息を呑んだ。

最初の被害者に押されたスタンプ。十六時十七分。

「園は時刻をごまかしたんですね」

千代は涙を流した。

「お偉いさんが来る日でね、運行を前倒ししたんです。整備が終わっていないのに。事故のあと、真鍋さんたちは言った。時刻表を直せば、責任の所在が曖昧になると」

「あなたも従った」

千代は頷いた。

「怖かった。孫を亡くしたのに、それでも怖かった。湊にはずっと言えなかった」

その瞬間、店の奥から古い電話が鳴った。

千代が受話器を取った。

顔色が消えた。

スピーカーから、低く楽しげな声が聞こえた。

「ばあちゃん。ようやく本当の時刻表を出したね」

烈は受話器を奪った。

「MAXか」

声は笑った。

「違うよ、望月刑事。僕はずっと目の前にいた」

烈の脳裏に、駅員の穏やかな顔が浮かんだ。

佐久間湊。

「湊……」

「正解。やっぱりあなたは優秀だ。美亜が助けただけの価値はあった」

烈の血が沸いた。

「人を殺しておいて、ふざけるな!」

「ふざけてなんかいない。僕は時刻表を元に戻しているだけだ」

湊の声は静かだった。静かすぎて、狂気が際立っていた。

「真鍋は十六時十七分。池ノ谷は二十一時〇三分。次は零時零分。終点だ」

瀬名が小声で言った。

「零時零分……誰を狙う気?」

電話の向こうで湊が笑った。

「ばあちゃんだよ」

千代が崩れ落ちた。

「湊……」

「本当の時刻表を隠した最後の人間。僕を育てて、僕に優しくして、僕から美亜の最後を奪った人」

烈は怒鳴った。

「湊! お前の妹はそんなこと望んでない!」

「妹の声を覚えてもいないあなたが、言うんだ」

電話が切れた。

烈は店を飛び出した。

零時まで、残り一時間。

清水ヤングランド跡地へ向かう車内で、烈はハンドルを握り締めた。

瀬名が助手席で資料を読み上げる。

「湊は駅員として、防犯カメラの死角も、旧駅設備の保管場所も知っていました。ヤングランドの偽新清水駅に本物の廃材を持ち込めたのも彼です」

「時刻表もだ」

烈は唸るように言った。

「新清水駅の本物の時刻表、ヤングランドの偽物の時刻表、事故当日の隠された運行表。三つを重ねて、殺人のダイヤを作った」

瀬名が言った。

「でも、なぜ警察にヒントを出し続けたんでしょう」

烈は答えられなかった。

いや、わかっていた。

湊は止めてほしかったのではない。理解してほしかったのだ。

自分がどれだけ賢く、どれだけ冷たく、どれだけ深く傷ついたか。そのすべてを見せつけたかった。

最悪なのは、そこに楽しみが混じっていることだった。

ヤングランドのゲートは開いていた。

中から、昔の園内放送が流れている。

「本日も清水ヤングランドへようこそ。こども電車は零時零分発、最終列車でございます――」

閉園した遊園地に、ありえない明かりが灯っていた。観覧車の骨組みに電球が巻かれ、メリーゴーラウンドの馬が影だけで回っている。

まるで死んだ遊園地が、一夜だけ蘇ったようだった。

偽物の新清水駅。

ホームには千代が縛られていた。その前方、錆びたレールの上に、小さな汽車が停まっている。

湊は駅員の制服を着ていた。

「いらっしゃいませ、望月刑事」

烈は拳を握った。

「千代さんを離せ」

「発車時刻まで待ってよ。時刻表は守らないと」

湊の足元には、古い運行表が広げられていた。

烈は一歩踏み出した。

その瞬間、小さな汽車が動き出した。

レールの先には千代がいる。

瀬名が叫んだ。

「望月さん!」

烈は走った。

湊が横から飛びかかってきた。細身の身体からは想像できない速さだった。烈の脇腹に衝撃が走り、二人はホームに転がった。

湊は笑っていた。

「いいね、刑事さん。熱血ってやつだ」

烈は湊を殴った。湊は身をかわし、駅舎の柱を蹴って跳ねるように距離を取る。

「僕のIQ、測定不能って言われたことがあるんだ。大人たちは褒めたよ。天才だ、未来があるって。でも美亜の未来は?」

汽車が迫る。

烈は湊を振り払い、レールへ飛び込んだ。錆びた車輪が軋む。烈は運転席にしがみつき、手探りで制動レバーを探した。

湊が背後から叫ぶ。

「無駄だ! それは飾りだ!」

烈は歯を食いしばった。

「だったら、人間の力で止める!」

彼は車体の横から身体を投げ出し、レール脇の非常鎖を掴んだ。掌が裂ける。腕が抜けそうになる。だが烈は離さなかった。

汽車は火花を散らし、千代の目の前で止まった。

千代が泣き崩れた。

湊の笑い声が消えた。

「なんで……」

烈は血の滲む手で立ち上がった。

「時刻表通りに人間が死ぬと思うな」

湊の顔が歪んだ。

次の瞬間、彼は駅舎の裏へ駆けた。

烈は追った。

偽物の新清水駅を抜け、廃れたおばけトンネルへ。剥がれた壁紙、割れた鏡、風で揺れる骸骨の人形。闇の中で湊の声が響く。

「あなたは美亜に助けられた! なのに忘れていた!」

「忘れたかったんじゃない!」

烈は叫んだ。

「怖かったんだ。俺は子供だった。でも今は違う。逃げねえ。お前の妹のことも、お前の罪も、全部背負ってやる!」

トンネルを抜けると、観覧車の下に出た。

湊は錆びた階段を上っていた。

烈も追う。鉄骨が悲鳴を上げる。夜風が強い。眼下には、廃園と街の灯りが混ざっていた。

湊は途中で振り返った。

「背負う? 刑事さん、あなたはきれいごとが好きだね」

「きれいごとを言う奴がいなくなったら、世の中はお前みたいな奴だけになる」

湊は烈に飛びかかった。

二人は観覧車の作業足場でぶつかった。拳、肘、膝。鉄の手すりが揺れる。湊は細い体で烈の力を受け流し、急所だけを狙ってくる。計算された暴力だった。

「真鍋も池ノ谷も、死んで当然だった!」

「なら裁かせろ!」

「裁かなかったじゃないか!」

湊の叫びは、初めて少年のように割れた。

「警察も、園も、大人も、ばあちゃんも! みんな時刻表を書き換えた! 美亜が生きていた最後の十分を、なかったことにした!」

烈の動きが止まった。

湊はその隙に烈を蹴り飛ばした。烈の背が手すりにぶつかる。

湊は涙を流していた。

「僕はね、刑事さん。殺したかったんじゃない。最初は。ただ、本当の時刻に戻したかった。でも一人目が死んだとき、わかったんだ」

彼は笑った。

その笑顔は、悲しみよりも恐ろしかった。

「僕は楽しかった。警察が僕の時刻表の中で迷っているのを見るのが、たまらなく楽しかった」

烈の目が変わった。

「それを言った時点で、お前は被害者じゃねえ。犯人だ」

烈は湊の腕を掴み、渾身の力で引き寄せた。湊がナイフを抜く。烈は刃を避け、肩でぶつかった。

二人は足場から落ちかけた。

瀬名の声が下から響く。

「望月さん!」

烈は片手で鉄骨を掴み、もう片方で湊の襟を掴んでいた。

湊は宙にぶら下がりながら、静かに言った。

「離せばいい。僕も美亜のところへ行く」

烈は歯を食いしばった。

「行かせねえ」

「なぜ」

「お前には生きて裁かれる義務がある」

湊の顔が歪んだ。

烈は叫びながら彼を引き上げた。瀬名と応援の刑事たちが駆けつけ、湊を押さえ込む。

手錠がかけられた瞬間、湊は烈を見上げた。

「終点じゃないよ、刑事さん」

烈は動きを止めた。

湊は微笑んだ。

「零時零分発の最終列車。乗客は、あなたです」

瀬名が湊のポケットから封筒を取り出した。

中には、もう一枚の写真があった。

事故直後の写真だった。壊れた子供汽車。倒れた座席。泣き叫ぶ大人たち。

その隅に、血まみれになりながらも小さな男の子を抱えている女の子が写っていた。

美亜だった。

男の子は、烈だった。

烈の膝から力が抜けた。

湊は静かに言った。

「あなたが生きていることが、美亜の最後の証拠だ。だから僕はあなたを殺さない。あなたに生きて、毎朝思い出してもらう」

烈は写真を握り締めた。

これが、湊の最後の殺人だった。

身体ではない。記憶を殺す。忘れていた自分を殺す。烈の中にあった平穏を、零時零分に終わらせる。

湊は連行されていった。

空はまだ暗かった。

だが、東の端がかすかに白んでいた。

千代は救急隊に支えられながら、烈のそばに来た。

「望月さん」

烈は顔を上げられなかった。

「俺が……俺が助かったから、美亜ちゃんは」

千代は震える手で烈の手を包んだ。

「違います」

烈はゆっくりと千代を見た。

千代は泣きながら笑っていた。

「あの子は、人を助ける子でした。あなたが生きていることは、あの子が最後にしたことが嘘じゃなかった証です」

烈の目から涙が落ちた。

「でも、俺は忘れていた」

「人は忘れます。忘れないと生きられないこともある。でも、思い出したなら、そこから何をするかです」

遠くで、朝の鳥が鳴いた。

新清水駅に戻ったのは、始発前だった。

街はまだ眠っている。だが駅だけは、もう動き始めていた。

ホームには数人の客が並んでいた。新聞を抱えた男。眠そうな高校生。手をつないだ親子。駅員が改札を開ける。

日常は、何事もなかったように戻ってくる。

その残酷さに、烈は胸を締めつけられた。

人が死んでも、電車は走る。真実が暴かれても、朝は来る。誰かの絶望を知らないまま、人々は今日の予定へ向かう。

だが、それは冷たさだけではないのかもしれない。

走り続けること。帰る場所があること。誰かがまた駅に立つこと。

それもまた、生きるということなのだ。

瀬名が隣に立った。

「望月さん、これからどうしますか」

烈は朝焼けに染まる線路を見た。

「ヤングランドの事故を再捜査する。隠した奴も、見て見ぬふりをした奴も、全部表に出す」

「湊は?」

「裁かせる。死なせない。あいつが作った時刻表じゃなく、俺たちの時間で」

始発列車のライトが、ホームに滑り込んできた。

新清水駅に、朝が差した。

烈はポケットから、古い写真を取り出した。

赤い風船を持った美亜。泣きそうな顔の幼い自分。二人の背後には、ヤングランドの観覧車。

烈は写真に向かって、小さく頭を下げた。

「ありがとう」

列車のドアが開く。

人々が乗り込む。

瀬名が言った。

「陽が昇りましたね」

烈は頷いた。

胸の中には、むなしさがあった。絶望もあった。消えない罪と、救えなかった命と、壊れてしまった人間の悲しみがあった。

それでも、陽はまた昇る。

新清水駅の発車ベルが鳴った。

今度こそ、本物の時刻表で。

 
 
 

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