日吉町駅0時00分発、太陽は二度死ぬ
- 山崎行政書士事務所
- 5月15日
- 読了時間: 12分

――時刻表アリバイ連続殺人――
※実在の駅名を舞台にしていますが、登場人物・事件・時刻表・警察組織の描写はすべて創作です。
静岡鉄道日吉町駅に、午前0時00分発の電車など存在しない。
それなのに、三人目の死体の胸には、赤いペンでそう書かれた時刻表が置かれていた。
日吉町 0:00発太陽行き乗客一名
清水署刑事・風見大吾は、鑑識が張ったブルーシートの前で、拳を握りしめた。
夜明け前の駅は、息をひそめていた。線路は黒く濡れ、ホームの白線は月明かりに冷たく光っている。どこか遠くで始発の準備をするモーター音が低く唸り、駅名標の「日吉町」という文字だけが、妙に明るく浮かんで見えた。
「また時刻表か……」
若手刑事の三枝澪が、青ざめた顔でつぶやいた。
この一週間で、三人が死んだ。
一人目は、駅前再開発会社の元幹部・新堂。二人目は、十五年前に日吉町近くの救急搬送記録を書き換えた疑いのある医師・八木。三人目は、当時の市議・鳥羽。
三人とも、日吉町駅に関わる古い事件に名前があった。
そして三人とも、殺害推定時刻に、犯人らしき男は電車の中にいた。
防犯カメラにも映っていた。乗客にも目撃されていた。ICカードの通過記録もあった。
犯人は、毎回、警察に電話をかけてきた。
声は機械で歪められていたが、笑いだけは生々しかった。
「清水署の風見刑事。時刻表は神の脚本です。あなたは、まだ一行目も読めていない」
犯人は自分を、こう名乗った。
MAX。
Minute Alibi X。一分単位の完全犯罪を組み立てる者。
ネット上では、もうその名が独り歩きしていた。「IQが最大値の殺人鬼」「時刻表の悪魔」「警察を子ども扱いする天才」
風見は、その呼び名を聞くたびに腹の底が煮えた。
「天才だろうが悪魔だろうが関係ねえ」
彼はブルーシートの奥を睨んだ。
「人を殺した時点で、ただの人間だ。俺が捕まえる」
その瞬間、駅のスピーカーから雑音が走った。
誰も触れていないはずの構内放送が、突然、息を吹き返した。
「まもなく、日吉町駅、午前0時00分発、太陽行きが参ります」
澪が叫んだ。
「そんな放送、登録されてません!」
スピーカーの向こうで、MAXが笑った。
「風見刑事。次はあなたが乗る番です」
一
風見大吾は、熱血という言葉をそのまま人間にしたような男だった。
殴り合いが好きなわけではない。だが、目の前で誰かが泣いていれば、理屈より先に身体が動く。上司に怒鳴られても、捜査方針に納得できなければ噛みつく。犯人が弱者を踏みにじれば、法の範囲ぎりぎりまで食らいつく。
そんな彼が今回だけは、走るたびに置いていかれていた。
一人目の新堂は、午後9時17分に殺されたと見られていた。その時刻、MAXと思われる男は、新静岡方面へ向かう車内にいた。車内カメラに、黒い帽子、黒いコート、黒手袋の男が映っている。
二人目の八木は、午後10時03分。この時も、男は別方向の列車に乗っていた。
三人目の鳥羽は、午後11時28分。男は駅から離れたコンビニの防犯カメラに映っていた。
「物理的に無理です」
澪は何度もそう言った。
「日吉町に戻る時間がありません。移動経路もありません。被害者の死亡時刻も、遺留品の記録も、駅の通過時刻と一致しています」
風見は捜査本部の壁に貼られた時刻表を睨んだ。
赤い線。青い線。上り。下り。発車時刻。到着時刻。防犯カメラの秒単位の記録。
数字が壁一面に貼られている。
だが、そこには血がなかった。人の息遣いがなかった。誰かが最後に見た空の色がなかった。
「数字だけ見てるから負けるんだ」
風見は低く言った。
澪が振り向いた。
「どういう意味ですか」
「時刻表は電車のためにあるんじゃない」
風見は、ふと思い出していた。
八歳の娘・灯奈が言った言葉だ。
母を早くに亡くした灯奈は、電車が好きだった。風見が夜遅く帰ると、眠そうな目で時刻表を開き、いつもこう言った。
「パパ、時刻表って、待ってる人の約束なんだよ。何時に帰ってくるか、わかるから安心するんだよ」
風見は壁の時刻表に近づいた。
「犯人は、約束を殺してる」
二
日吉町駅の近くに、古い喫茶店があった。
名前は「ひなた」。
木製の看板は雨で色あせ、店内には鉄道模型と古い時刻表が飾られていた。店主の久保田千代は、かつて駅で働いていた女性だった。
白髪をきっちり結い、背筋は驚くほどまっすぐだった。風見たちが聞き込みに入ると、千代は黙って湯気の立つ茶を出した。
「刑事さん、あの子はまた日吉町に戻ってきたんだね」
風見の目が鋭くなった。
「あの子?」
千代は答えなかった。代わりに、古いノートを一冊出した。
表紙には、震える字でこう書かれていた。
十五年前 七月十七日 日吉町臨時ダイヤ
澪が息を呑んだ。
「十五年前……被害者三人が関わっていた事故の日です」
その夜、日吉町駅付近では小さな夏祭りがあった。人出が多く、鉄道は臨時ダイヤを敷いていた。だが記録上、その夜の運行に大きな乱れはないとされていた。
千代は首を振った。
「嘘だよ。あの夜は、停電があった。信号も一時おかしくなった。発車は何本も遅れた」
「公式記録にはありません」
澪が言った。
「消されたんだろうね」
千代の声は静かだった。
「あの夜、雨宮日向という女の子が消えた。中学生だった。兄さんがいた。とても頭のいい子で、時刻表を丸暗記していた」
風見はノートを開いた。
そこには、公式記録と違う時刻が手書きで残されていた。
午後9時17分。午後10時03分。午後11時28分。
今回の三つの殺人時刻と、同じだった。
「雨宮日向は死んだんですか」
風見が尋ねると、千代の手がわずかに震えた。
「そう発表されたよ」
「実際は?」
千代は口を閉ざした。
その沈黙こそが、答えだった。
その時、喫茶店の奥から物音がした。
若い女が、皿を落として立ち尽くしていた。
二十代半ばくらい。長い髪。痩せた肩。目だけが、子どものように澄んでいた。
千代がすぐに立ち上がった。
「ひより、奥へお行き」
女は風見を見た。その目に、理由のない怯えが浮かんでいた。
「電車の音……嫌い」
そう言って、彼女は奥へ逃げた。
風見は胸の奥に冷たいものを感じた。
「今の女性は?」
千代は、長い沈黙のあとで言った。
「拾った子だよ。十五年前に」
三
四人目の予告は、その夜届いた。
捜査本部の全端末に、同時に一枚の画像が表示された。
日吉町駅の時刻表。ただし、すべての時刻が赤く塗りつぶされ、最後に一行だけ残されている。
0:00 風見大吾
その下に、MAXからの文章があった。
「最後の乗客は、真実を知った刑事。あなたが日吉町に来れば、人が死ぬ。来なければ、もっと人が死ぬ」
「挑発です」
澪が言った。
「わかってる」
「行くんですか」
「行く」
「罠です!」
風見はコートを掴んだ。
「罠だから行くんだ。罠には、仕掛けた人間が必ず近くにいる」
澪は一瞬だけ顔を歪めた。
「風見さんは、いつもそうです。自分が傷つく計算を入れてない」
風見は足を止めた。
澪は続けた。
「娘さん、待ってるんでしょう」
その言葉に、風見の表情がわずかに揺れた。
彼は財布から、小さな写真を取り出した。灯奈が笑っている。手には子ども用の時刻表。写真の裏には、丸い字でこう書かれていた。
パパの帰る時刻は、ぜったい守る。
風見は写真をしまった。
「だから帰る」
そして、静かに言った。
「犯人も連れてな」
四
日吉町駅は、夜の底に沈んでいた。
終電後の駅は、人の気配が消えたぶん、昼間よりも広く感じる。改札機の明かりだけが青白く光り、ホームに吹き込む風が、貼り紙の端をかすかに揺らしていた。
風見は単独で入った。
応援は周囲に待機させている。だが、MAXはそれを読んでいるはずだった。
ホーム中央に、一枚の時刻表が貼られていた。
新しい紙だ。糊の匂いがする。
風見はそれを見て、目を細めた。
「澪」
無線で呼ぶ。
「駅の掲示板を確認しろ。通常ダイヤと臨時ダイヤ、どっちが残ってる」
数秒後、澪の声が返ってきた。
「通常ダイヤです。ですが……おかしいです。駅員室の控えには、今夜だけ保守点検のため臨時変更があったと記録されています」
風見は口元だけで笑った。
「やっと見えた」
MAXのトリック。
犯人は、電車を動かしたのではない。時計を壊したのでもない。
警察が信じる時刻表を、すり替えていた。
目撃者は時計を見ていない。「何時何分の電車の直後だった」と証言する。駅員も、乗客も、通行人も、列車の記憶で時間を語る。
そのあと警察は、駅に貼られた時刻表で時刻を確定する。
だが、そこに貼られていたものが、事件後に差し替えられていたら?
通常ダイヤでは午後9時17分。実際の臨時ダイヤでは午後9時24分。
七分のズレ。
たった七分。だが、MAXには十分だった。
一人目の時も。二人目の時も。三人目の時も。
MAXは殺害時刻を作ったのではない。殺害時刻を読むための表を、警察に渡していた。
時刻表アリバイの正体は、列車の速さではなかった。
人間の思い込みだった。
「人は時計より、時刻表を信じる」
背後から声がした。
風見が振り向く。
黒いコートの男が、ホーム端に立っていた。
帽子を脱ぐと、整った顔が現れた。三十代半ば。青白い肌。笑っているのに、目だけが凍っている。
雨宮零司。
雨宮日向の兄。鉄道運行システムの研究者。今回の捜査に、時刻表の解析協力者として出入りしていた男。
澪の声が無線で震えた。
「風見さん……雨宮零司は、今、捜査本部にいるはずです」
「それは録画だ」
風見は言った。
「そうだろ、MAX」
雨宮は拍手した。
「素晴らしい。やっと一行目が読めましたね」
「三人を殺したのはお前だ」
「はい」
あまりにも軽い返事だった。
風見の拳が震えた。
「楽しかったか」
雨宮は笑った。
「ええ。警察が私の貼った時刻表を囲んで、真剣な顔で間違い続ける。最高でしたよ」
「ふざけるな!」
風見は踏み込んだ。
だが、雨宮は身を翻し、ホームの非常階段へ走った。
風見は追った。
階段を駆け上がる。鉄の足場が鳴る。夜風が顔を切る。雨宮は駅舎の脇の通路を抜け、保守用の扉を開けた。
その先は、古い倉庫だった。
十五年前、雨宮日向が消えた場所。
倉庫の中央に、榊原警視が縛られて座っていた。当時の事故記録を処理した警察官。今は県警上層部の人間だ。
榊原の口にはテープが貼られ、足元には古いカセットレコーダーが置かれていた。
雨宮が笑う。
「最後の乗客は彼です。あなたではない」
風見は息を整えながら言った。
「榊原が記録を消したのか」
「消した。新堂が金で黙らせた。八木が死亡診断書を書いた。鳥羽が行政記録を改ざんした」
雨宮の声から、初めて笑みが消えた。
「妹は、日向は、あの夜ここで死んだ。なのに連中は、電車の遅延をなかったことにした。時刻表を直し、記録を直し、人の死まで直した」
「だから殺したのか」
「そうです」
「それで妹が戻るのか」
雨宮の顔が歪んだ。
「戻らない。だから面白いんです。世界は戻らない。だったら壊した方がいい」
風見はゆっくり首を振った。
「お前は復讐してるんじゃない。妹の死にしがみついて、自分が怪物になった理由を探してるだけだ」
雨宮は一瞬で距離を詰めた。
鋭い金属音。風見の頬に熱い痛みが走る。
二人は倉庫内でもつれ合った。棚が倒れ、古い時刻表が舞い散る。雨宮は細身だが、動きに無駄がなかった。風見の拳をかわし、肘を打ち込み、膝を狙う。
「熱血刑事は嫌いです」
雨宮が囁いた。
「感情で走る人間は、時刻表を乱す」
風見は血の混じった唾を吐いた。
「乱れて困るなら、人間を相手にするな」
雨宮が再び踏み込む。
その時、倉庫の扉が開いた。
「零司」
女の声だった。
雨宮の動きが止まった。
そこに立っていたのは、喫茶店「ひなた」の女――ひよりだった。
千代が支えている。澪も一緒だった。
雨宮の顔から血の気が引いた。
「……日向?」
女は怯えたように首を傾げた。
「ひなた……?」
千代が涙をこらえて言った。
「あの子は死んでない。あの夜、息があった。八木先生は死亡診断書を書いたけど、本当はこっそり治療した。新堂たちは事故を隠すために、存在そのものを消した。私はあの子を連れて逃げた」
雨宮は笑おうとした。
だが、笑えなかった。
「嘘だ」
「記憶はほとんど残っていない。でも、生きてる」
千代は震える声で続けた。
「お前さんが殺した三人のうち、八木先生は、死ぬ前に本当の記録を私に送ってきた。罪を償うつもりだったんだよ」
雨宮は後ずさった。
彼の手から、凶器が落ちた。
金属音が、倉庫いっぱいに響いた。
「じゃあ……私は何を……」
ひより――雨宮日向は、兄を見つめていた。
けれど、その目に再会の喜びはなかった。
恐怖だけがあった。
「こわい」
その一言で、雨宮零司は崩れた。
彼は膝をつき、両手で顔を覆った。
「日向を殺した世界を壊すために……私は……」
風見は近づき、手錠を取り出した。
「世界じゃない。お前が三人を殺した」
雨宮は顔を上げた。
涙とも笑いともつかない表情だった。
「風見刑事。太陽は二度死ぬんですね」
風見は手錠をかけた。
「違う」
雨宮の手首で、冷たい音がした。
「死んだのは、お前が信じた夜だ」
五
夜明けが来た。
日吉町駅の空が、少しずつ薄い青に変わっていく。
始発を待つ乗客が、遠巻きに駅を見ていた。事件のことを知っている者もいれば、知らない者もいる。それでも人は電車に乗る。学校へ行く。仕事へ行く。誰かのもとへ帰る。
時刻表は、また掲示板に戻された。
今度は、本物の時刻表だった。
風見はホームに立ち、朝日を見ていた。
澪が隣に来る。
「榊原は全面的に話すそうです。十五年前の隠蔽も、再捜査になります」
「そうか」
「雨宮零司は黙秘。ただ、妹さんの名前を一度だけ呼んだそうです」
風見は何も言わなかった。
勝った気はしなかった。
犯人を捕まえた。隠蔽も暴いた。生きていた少女も見つかった。
だが、三人は死んだ。十五年は戻らない。雨宮日向の記憶も、雨宮零司の心も、元には戻らない。
澪が小さく言った。
「むなしいですね」
風見は朝焼けを見つめた。
「むなしいな」
「それでも、また朝は来るんですね」
「ああ」
風見はポケットから娘の写真を出した。
写真の裏の文字を見る。
パパの帰る時刻は、ぜったい守る。
彼はスマホを取り出し、灯奈に短いメッセージを送った。
始発で帰る。約束どおり。
ホームにアナウンスが流れた。
実在しない0時00分発ではない。誰かを死へ運ぶ列車でもない。
ただの朝の電車だった。
それでも風見には、その音が祈りのように聞こえた。
日吉町駅の駅名標に、朝日が差す。
「日」の文字が、まぶしく光った。
絶望の中で、陽はまた昇る。
ただし、それは誰かが許されたという意味ではない。
昨日を背負ったまま、今日を生きろという、残酷で温かな命令だった。





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