日本平の曇天
- 山崎行政書士事務所
- 2025年12月22日
- 読了時間: 3分

富士山のある絵葉書が、富士山のない展望台で売られてゐた。
日本平へ登つた幹夫は、まずそのことに気づいた。土産物屋の棚には、藍の空を背にした富士、雪を冠した富士、三保の松原の向うに端然と坐る富士――いづれも同じ「正しい」富士が、幾通りにも刷り替へられて並んでゐる。ところが、ガラス戸の外にあるはずの本物は、雲の帳の奥へ綺麗に隠れてゐた。隠れてゐる、といふより、最初からそこに居ないやうでもあつた。
展望台は昼のわりに暗い。曇天は、光を惜しむやうに一様な灰を垂らし、駿河湾も三保の松も、輪郭だけを残して湿つた紙の上へ描いたやうに見える。観光バスが吐き出した人々は、あらかじめ刷り込まれた感嘆詞を胸に抱いてゐるらしく、柵へ寄り、空を仰ぎ、そして互ひに笑ひ合つた。
「惜しいねえ、今日は富士が出ない。」
肥つた中年の男が、連れの女に言つた。女は「でも、きっと向うにあるんでせう」と笑ひ、雲の最も白い部分を指さした。指先は確かに何かを掴むやうに動いたが、掴むものは何もない。
幹夫は、その指先を見てゐるうちに、腹の底がざらついた。
――きっと向うにある。
その言葉が、彼にはどこか卑怯に聞こえた。見えないことを見えないままに置いておけない性分。見えないものを「ある」と言ひ立てて、己の期待を裏切られずに済ませる手つき。彼はそれを、慰めといふより、手続きに似た欺瞞だと思つた。
幹夫は欄干に肘をつき、雲を眺めた。雲は低く、たえず形を変へる。ある瞬間には、山のやうに盛り上がり、次の瞬間には、薄い布のやうに裂ける。裂けたなら見えるはずだと、人は願ふ。願ふだけならまだしも、願ひを根拠に「見える」と言ふのがいけない。
彼はふと、ここへ来た理由を思ひ出した。日本平は富士を見る場所だと、誰もが言ふ。パンフレットも、駅の看板も、土産物の絵葉書も、それを約束してゐた。幹夫自身も、どこかでその約束を信じたのだ。信じて、確かめに来た。確かめる、といふ名目で。
しかし、雲は約束を守らない。守らない癖に、雲の向うに「ある」と言へば、約束は一応保たれる。人はその保たれ方を好む。だが幹夫は、その好みが堪へられなかつた。
――見えないものを信じる態度。
幹夫は、その態度に嫌悪を覚えた。いや、嫌悪の矛先は態度だけではない。信じることによつて救はれたいと、いつの間にか望んでゐる自分自身へも向いてゐる。富士が見えねば困るのは、富士が必要だからだ。必要とすること自体が、彼には屈辱であつた。
背後で、年寄りの男が独り言のやうに言つた。
「富士はね、見えなくても、そこにあるんだよ。」
幹夫は振り返らなかつた。振り返れば、返事をしなければならぬ。返事をすれば、会話が成立してしまふ。成立してしまへば、その男の言葉が「善意」として、幹夫の嫌悪を薄める。彼は薄められるのが怖かつた。嫌悪は、彼の中でまだ辛うじて正直だつたからである。
幹夫は土産物屋へ戻り、棚の絵葉書を一枚手に取つた。雪の富士が、あまりにも当然のやうにそこに刷られてゐる。紙は軽い。現実よりも軽いものが、現実よりも確かな顔をしてゐる。その軽さが、かへつて腹立たしかつた。
彼は絵葉書を戻し、店を出た。雲はまだ動いてゐる。動きながら、何も見せない。人々は相変らず、雲の端を指さし、写真を撮り、「次は見えるかも」と言ひ合つてゐる。幹夫はその「かも」に、世界の大半が寄り掛かつてゐることを知つた。恋も、希望も、明日の自分も――みな見えぬものだ。見えぬものを信じねば、人は立つてゐられない。
だが、幹夫は立つてゐられなくてもよかつた。少なくとも、その瞬間はさう思つた。
彼は欄干から身を離し、背を向けて歩き出した。歩きながら、心の中で呟いた。
富士が雲に隠れてゐるのではない。
私が、雲の向うに富士を置いてしまふのだ。
そして、その置き方を、どうしても赦せないのだ。




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