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昭和19年

  • 山崎行政書士事務所
  • 5月8日
  • 読了時間: 27分

昭和十九年(1944年)一月――

 年が明けても、東京の下町の印刷所では相も変わらず戦時下の轟音が鳴りやむ気配はなかった。日中戦争から続く長い戦いは、太平洋戦争となってさらに拡大し、ここでは軍が要求する宣伝印刷を昼夜を問わず仕上げるほか術がない。幹夫や戸田、堀内、そして社長は限界を超えた疲労を抱えながら、機械を絶えず稼働させる。年末年始の区別すら失われた徹夜の作業によって、正月気分などどこにもなかった。

 一月になると、軍からの命令書には「国民のさらなる決意を新年に期せよ」という趣旨の文面が並び、前線報道や士気高揚のためのポスター・チラシの製作部数がかつてない規模で押し寄せる。社長は「これまででも到底限界を超えていたのに……」と呟くが、いまさら軍部に逆らえるはずもなく、徹夜シフトを強化してさらに対応に追われる。戸田は夜通しの帳簿づくりと紙の確保、堀内は警察報告と在庫管理を一手に引き受け、幹夫は仮眠から起きては機械へ戻り、インクにまみれた用紙をひたすら捌く。

 一方、静岡の父は相変わらず親戚宅へ居候したまま、この厳しい冬を越せるかどうかも不安を抱えていた。正月明けに幹夫へと届いた短い手紙には、「もう体の衰えがひどく、親戚にも迷惑をかけるばかりだ。配給も足りず、ただ死を待つのみだよ」という痛ましい文言が記されている。幹夫はその現実を読み、胸がかきむしられる思いだが、戦争の歯車を抜けるすべもなく、朝にはまた機械の音へ戻される。

 警察は一月もやはり巡回を行い、店が軍からの仕事を最優先で徹夜し続けているかを確認し、「問題なし」とだけ呟いて去る。社長たちは泥のように疲れた表情でうなずき、戸田や堀内は慣れた手つきで書類を閉じる。誰もが「これが当たり前」と自分を納得させるしかなく、徹夜の作業が一向に収まる気配はない。今や機械が昼夜区別なく轟音をあげていることこそ、彼らの呼吸のようなものになっていた。

 夜中、幹夫が下宿に戻ると、冷たく乾いた一月の空気が窓から吹き込み、二つの風鈴はかすかに当たり合う。かつてはその音がチリンと鳴り、遠く父を思い出す刹那があったものの、今は疲労と絶望が勝り、音を聴きとる余裕すら乏しい。「父さん……冬を越せるかって……」 そう内心でささやくが、その声は部屋の暗がりに消えてしまう。布団に身体を沈めて数時間、朝が来れば、また機械が幹夫を呼び起こす。そこに切り離せない連続した徹夜が待ち受けているのだ。

 こうして昭和十九年一月は、戦争がさらなる終わりなき戦線拡大を示すなか、店は文字どおり死に物狂いで徹夜作業をこなす日々に突入していく。静岡の父は寄る辺なく衰え、幹夫は太平洋の戦況を煽る印刷を続け、警察は「問題なし」と言い捨てるだけ。二つの風鈴が夜風に触れ合おうとも、その音はすぐ機械の轟音や疲労の闇に吞み込まれ、彼らに余裕を与える気配など感じられないまま、この新しい年が暗く始まってしまうのであった。


昭和十九年(1944年)二月――

 年が明けてひと月が過ぎても、東京の下町の印刷所には依然として戦時下の轟音が鳴りやまなかった。日中戦争の長期化と太平洋戦争の激化は、さらに多くの印刷物を要求し、徹夜の輪を増すばかり。社長や戸田、堀内、そして幹夫らは限界を超えた疲労を抱えながら、次から次へと舞い込む軍の注文を捌くしかない。朝も夜も、機械の前に立ち続けることが当たり前になってしまった。

 二月に入ると、軍は「前線が新たな段階を迎えつつある」とし、大量のポスターやチラシ、小冊子の作成を求めてきた。太平洋戦線での物資不足や敗色を隠す意図もあるのか、“さらなる決戦”を掲げる文面が次々に押し寄せる。社長はやつれた顔で受注を認め、戸田は夜な夜なの書類作成で配給紙を確保し、堀内は警察や軍への帳簿報告を行い、幹夫はインクに染まった手で機械に紙を送り続ける。昼夜逆転のリズムは、いつ途絶えるとも知れなかった。

 警察は「軍の印刷を最優先にしているか?」と確認の巡回を怠らず、帳簿の数字を睨んだ末に「問題なし」と言い残して去る。社長たちは、徹夜を繰り返して疲労の限界にいるにもかかわらず、それを“正常”と認められている今に違和感を抱かずにはいられない。だが背くすべなどありはしない。

 静岡にいる父は、親戚宅に身を寄せたまま厳しい冬をしのぎきれずにいるようだ。最近の短い葉書に「体の衰えが激しく、周りにも迷惑をかけている」とあり、幹夫は読んで胸が締めつけられる。かつての茶畑も家もなく、ついには働き口も居場所も奪われている父を想っては、自分が刷る戦争の宣伝との矛盾に苛まれるものの、それも一瞬の葛藤で、徹夜の作業が意識をさらっていく。

 深夜、下宿へ戻った幹夫が窓を開けると、まだ冷たい風が吹き込み、二つの風鈴を揺らす。だがわずかに振れ合うだけで、チリンという音にまではならない。「父さん……」 彼はそれだけを呟くが、声にならない嘆きは夜の闇に沈む。布団に倒れ、数時間の浅い眠りの後には、また機械へ向かわねばならない。そうして再び朝夕の別すら曖昧な徹夜が待ち受けている。

 こうして昭和十九年二月は、さらに先の見えない戦況と徹夜の輪を幾重にも重ねる形で過ぎ去っていく。警察の“問題なし”は変わらず、軍は増え続ける要求を押し付け、幹夫たちはその歯車として生き延びるしかない。南方戦線での報道がどんなに豪語されても、ここでは疲れ切った人々が黙ってインクを流し続けるだけ。夜に揺れる風鈴はほんのかすかな合図を見せても、戦争と疲労の轟音にかき消され、失われた家や畑、自由な暮らしを悼む声を表に出す術はなかった。もう春が近づいているはずなのに、この町には変わらぬ灰色の徹夜が重くのしかかるばかりである。


昭和十九年(1944年)三月――

 東京の下町は、わずかに寒さが和らぎ始める時期のはずだが、印刷所の内側には季節の兆しなどまるでなかった。日中戦争の泥沼と太平洋戦争の激化によって、軍からの宣伝印刷は途方もない量を維持し、徹夜作業がもはや当たり前の光景と化していた。社長は「いつか店ごと潰れる」と嘆いても、軍への納期を拒む術はない。戸田と堀内は毎夜机に向かい、紙の配給や警察報告の書類を用意し、幹夫は昼夜を問わず機械の前で紙を運び続けている。

 三月になっても、軍は「さらに国民を鼓舞し、前線の長期戦を支えろ」と新たな大量発注を送り込む。ポスター、チラシ、小冊子――どれも“勝利を信じよ”や“物資増産”を煽る文面がぎっしりだ。社長は虚ろな目で受注を確認し、戸田は納期の締め切りを組み立て、堀内は警察への提出書類と在庫表を細かく管理する。幹夫たち職人は仮眠と徹夜を交互に繰り返して生き延びる。もはや朝と夜の境を見失った身体で、機械の轟音に耳をやられる日々だ。

 警察の巡回が行われるたび、書類を差し出して「問題なし」と判定されれば、店は形の上では安泰だが、職人の疲弊は深刻を極める。その裏側では、静岡の父が親戚宅でさらに苦しい冬を越し、いま春を迎えるにもかかわらず、身体が衰えて外にも出られない状況にあるという。葉書には「配給も足りず、周囲から厄介者扱いされることに心が折れそうだ」と書かれていて、幹夫はそれを読むたび、胸がかきむしられる思いに沈む。かつて父と暮らした家や畑を思い出すほど、今との落差が痛ましい。

 夜ふけに下宿へ戻る幹夫が窓を開けると、外気は以前よりは冷えが和らいでいるものの、二つの風鈴はかすかに動くだけで音を立てず、ただ短い揺れをみせるばかり。「父さん……もう春だというのに……」 そう呟いて布団に沈む幹夫には、数時間後には再び機械の呼び声が待っている。消耗しきった意識が浅い眠りに落ちても、すぐに夢も見ないまま引き戻される。社長たちも、職人の交代を回しながら、誰かが倒れないようにやりくりするのが精いっぱい。

 こうして昭和十九年三月は、春の入り口でありながら、戦局の深刻化を映す徹夜作業に終始する月となっていた。太平洋戦争は一段と泥沼化し、ここで刷るポスターやチラシは増える一方。父の消息に暗い影が落ちても、幹夫は徹夜の轟音を止められない。誰もが言葉を飲み込み、警察が“問題なし”と形ばかりに告げて去って行くのを見送るばかり。 夜風に風鈴が揺れようとも、そのか弱い響きは轟音と疲労にかき消され、静岡の緑や父の声を思い出す余裕すら奪われていく――そんな深い闇のなかで、この町はなおも戦争を支える歯車として回り続けていた。


昭和十九年(1944年)四月――

 春だというのに東京の下町の印刷所には、一片の安らぎもやって来ない。日中戦争と太平洋戦争の二つの戦線はますます複雑さを増し、ここでは軍からの膨大な印刷物の要請がとどまることを知らない。社長や戸田、堀内、そして幹夫らは、すでに徹夜が常態化した暮らしの中で、自分たちの体力や心の限界を感じながらも、機械を休ませるわけにもいかずインクの匂いの中に沈んでいる。

 四月に入って、軍の命令書には「大東亜共栄圏をさらに広める決意を」という文句が踊り、それに沿ったポスターやチラシ、小冊子の制作が一気に増えた。社長は「もう何回言えばいいんだ……私たちは限界だ」と呟きつつも、命令を拒めない現実にため息をつく。戸田は夜通し書類を整え、配給紙を手配し、堀内は警察への報告と在庫管理に暗い顔を落とす。幹夫はほとんど寝ないまま機械の音に浸り、昼夜の境目を見失うような疲労を抱えている。

 警察の巡回は例月通りにやってきて、軍の仕事以外をしていないことを形ばかりに確かめていくが、ここでは相変わらず「問題なし」と言い残すだけ。職人たちは徹夜続きで声を失い、わずかな仮眠を回しながら紙を捌く光景に、もはや何の不思議も感じなくなっている。ラジオからは「戦局厳しき中、勝利のための結束を」と煽る声ばかりが響き、先の見えない闇がさらに深まっているかのように感じられる。

 静岡の父は、家も畑も奪われたまま、親戚宅での暮らしが長引いている。最近の手紙には「春なのに外へ出る気力もなく、ひとり部屋にこもる日が増えた」と綴られ、配給のわずかな食料で苦心している現状がうかがえる。幹夫はそれを読み、心に蓄積した痛みを増幅させながらも、徹夜の機械音が意識を遮り、仮眠の合間にふと浮かぶ父の姿に胸を締め付けられるだけ。どれほど思い詰めても、目を開けば紙を流し続ける現実に引き戻されるのだ。

 夜深く、幹夫が下宿へ帰るころにはもう体力も気力も残されず、窓を開けて春の匂いを感じ取る余裕もない。二つの風鈴がかすかに触れ合っても、そのチリンという音はあまりに弱く、彼の耳に届く頃には意識が霞んでしまう。まるで失われた日常を懐かしむ間すら奪われたかのように、布団へ倒れ込むように眠りにつくが、数時間もしないうちに再び印刷所が彼を呼び起こす。

 こうして昭和十九年四月は、戦局がさらに泥沼へと突き進む報道を反映するかのように、ここでの徹夜がより苛烈に続く時期となった。父は遠くで肩身を狭く暮らし、幹夫は戦争を煽る印刷物を作り続け、その矛盾をかみしめてもどうにもならない。警察の「問題なし」の判定に守られながら、実は誰も救われない――そうして戦争という巨大な歯車は轟々と回り続け、かすかな風鈴の音はかき消されるばかりで、春が過ぎ去っていくのを見ている暇すらないのが、彼らの現実だった。


昭和十九年(1944年)五月――

 あっという間に春は通り過ぎ、東京の下町には初夏の気配が忍び寄ろうとしていた。だが、この印刷所には相変わらず季節などどこにも感じられないほどの戦時下の轟音が渦巻いていた。日中戦争の泥沼と太平洋戦争の拡大が相乗し合い、軍からの宣伝物は増すばかり。徹夜と仮眠を繰り返す日々が、幹夫や戸田、堀内、そして社長らの“当たり前”の光景として、もうすっかり定着してしまっている。

 五月に入ると、軍は「国民の意思をさらに固めよ」と銘打って、大量のポスターやチラシを一気に発注してきた。南方での戦局が厳しいと噂される一方、ラジオは相変わらず“勝利”を強調する報道を流し、ここではそれを宣伝する印刷物が山のように押し寄せる。社長は「もう店が持たない」と額の汗を拭いながらも、軍の命令を拒むことなどできず、戸田は夜中に用紙の確保に奔走し、堀内は警察への帳簿を作成しながら短い仮眠を繰り返す。幹夫は機械の前を離れる間もなく、紙を送り続ける音のなかに沈んでいる。

 警察の巡回は定期的に入り、帳簿と在庫を細かく確認して「問題なし」とだけ言い残して去っていく。職人たちは徹夜明けの眼で「こんなにも疲弊してるのに、どこが問題なしなんだ」と思いつつ、内心押し込めて声には出さない。なにしろ、軍に逆らえば命取りであり、警察の統制も厳しいこの時代に、自由な言葉など口にできるはずもない。仮にそんな余裕があっても、すぐにでも轟音に呼び戻され、徹夜の輪に引きずり込まれるのが実情だ。

 静岡の父は、親戚宅に依然として厄介になったまま。最近の手紙には「体の衰えがいよいよ深刻で、配給も満足でないため外出も難しく、半ば寝たきり」と書かれ、周囲の視線も冷たいという。幹夫はそれを読むと、自分が戦争のための印刷を徹夜でこなし続けている現実を思い知らされ、やりきれぬ苦しみを噛みしめるばかりだった。かつての茶畑や家の思い出に浸る余地すらなく、ただ眠気と疲労に支配される身体を機械の前で動かすしかないのだ。

 夜中、ようやく下宿へ戻った幹夫が窓を開けると、五月の生温い夜風が入ってくる。二つの風鈴はかすかに触れあうが、音にならず、僅かに揺れるだけ。その様子を見ても、幹夫は目を伏せるように布団へと沈む。数時間後には再び工場へ向かい、ポスターを刷る機械の轟音が待っている――そんな生活が、永遠に続くかのように思えるほど長く、出口のない環境として彼らを支配していた。

 こうして昭和十九年五月は、太平洋戦争がますます拍車をかける形で印刷所の徹夜作業を苛烈なものにし、静岡の父の苦境にも一切光が射さぬ月となっていく。父は家も畑も失ったまま病身で暮らし、幹夫はその父を想いながら、戦争を煽る宣伝の徹夜をこなすしかないという矛盾を抱え続ける。警察や軍の要請は一向に終わりを告げず、夜を昼に繋げる轟音のなかで、二つの風鈴がかすかに揺れる一瞬すら、虚ろな響きを宿したまま過ぎ去っていく。この町は、いつ終わるとも知れない戦争の底へ静かに沈んでいくしかなかった。


昭和十九年(1944年)六月――

 梅雨の足音が近づき始める頃、東京の下町の空気は、ますます戦時の疲労に押し潰されるような重さを帯びていた。日中戦争に端を発した泥沼は、太平洋戦争の激化によってさらに深い影を広げ、ここでは軍からの宣伝印刷の量が減るどころか増すばかり。そうして社長や戸田、堀内、そして幹夫らは、相変わらず昼夜を失った徹夜体制に追い込まれていた。

 六月に入っても、軍は「前線をさらに押し戻し、国民の一層の結束を図る」と言う名目で、大量のポスターやチラシ、小冊子を要求してくる。社長は苦り切った顔で受注表を見つめるが、拒むわけにもいかず、戸田は紙の配給を確保し、堀内は納品帳と警察報告の書類を夜を徹して整えている。幹夫は機械の前に張り付き、わずかな仮眠を挟んでは再び紙を運ぶ無言の日々。職人たちは疲れ果て、言葉少なに互いを交代しながらインクと汗と眠気の闘いを続けていた。

 静岡の父は、親戚宅でこれまでよりさらに厳しい配給不足に悩まされ、弱った身体をどうにも動かせないまま――先日届いた葉書には「夏を迎える体力さえ心許ない」と切々と書かれている。家も畑も無くした身には、戦争の激しさが配給の足りなさに直結し、追いつめられていくばかりなのだ。幹夫はそれを読み、ふと目を伏せるが、耳に届くのは機械の轟音と周りの誰かが仮眠から起こされる声だけ。結局、「いまは戦争だから」で片付けられる運命に逆らうことはできなかった。

 警察の巡回が月例通り行われると、いつもどおり書類と在庫を確認し、「軍の仕事を優先しているか」「ビラなど印刷していないか」を形ばかりに確かめる。社長や戸田、堀内が要領よく帳簿を見せると、「問題なし」とだけ告げて去るのが通例だった。職人たちはそれを横目にまた黙々と徹夜の続きをこなしていく。「声を上げても仕方がない。これが当たり前なのだ」と、誰もが無言のうちに納得させられていた。

 夜更け、幹夫がようやく下宿へ戻って窓を開ける。湿り気を帯びた六月の風が吹き込み、二つの風鈴は微かに揺れるが、音を立てる前にすぐ静かになる。「父さん……大丈夫じゃないんだろうな……」 そんな低い声が彼の唇からこぼれるが、返事はなく、布団へ沈む身体を再び轟音が朝には呼び戻す。わずかな仮眠で疲労を中和しきれず、意識は眠気と痛みの狭間を漂うだけ。それでも戦争を支える徹夜の歯車を止めるわけにはいかないからだ。

 こうして昭和十九年六月は、ますます暗い雲を落とすように彼らを取り巻いて過ぎていく。太平洋戦争の戦況は悪化の一途と噂されながら、表向きには“勝利”を喧伝する印刷が増えるばかり。父の苦境も幹夫の疲弊も、警察の「問題なし」の一言にかき消され、夜も昼も轟音に飲み込まれていく。二つの風鈴が夜風に僅かに揺れても、そのチリンというか弱い響きは、彼らの耳に届く前に機械の音と睡魔に呑み込まれて、静かに押し潰されていくだけだった。


昭和十九年(1944年)七月――

 梅雨が明けて酷暑に移り変わる時期のはずだが、東京の下町の印刷所には涼やかな風など一切感じられないほどに戦争の熱がこもっていた。日中戦争から長きにわたり、太平洋戦争がいよいよ激化したこの年の夏、軍からの宣伝印刷は少しも減らず、むしろますます多様化し量を増し続ける。社長は日ごと痩せた面持ちで納期を睨みながら「これ以上の徹夜が耐えられるのか……」と呟くが、拒むことなどできない現実にさすらうだけ。

 戸田は夜通し用紙の配給や作業スケジュールを調整し、堀内は警察や軍への報告書の作成に没頭している。幹夫は眠気と汗が滲む身体で機械の前に張りつき、朝か夜かも分からぬ徹夜をただ黙々と回している。職人たちは目の下に隈を作り、仮眠を交替しながら膨大なポスターやチラシを産み出す。まるで戦争の轟音を支える歯車と成り果てて久しい。

 警察の巡回が今月も欠かさず行われ、帳簿や在庫の確認をじっくりと進める。「軍の仕事を最優先しているな?」「ビラなどは印刷していないか?」と尋ね、最終的には「問題なし」の一言で去ってゆく。社長や戸田たちは「かろうじて今月も大丈夫か……」と肩を落とし、幹夫は機械から視線を投げるだけで、再び徹夜へ意識を注ぎ込む。誰もが音もなく疲弊し、ただ戦争のための印刷が続いていく。

 一方、静岡の父は相変わらず親戚の家で暮らしており、夏の暑さが厳しくなるほど体力の消耗も厳しく、先日届いた葉書には「暑さを避けるすべもなく、配給も不十分で息苦しい」と記されていた。幹夫はその言葉を胸に刻んでなお、自分が担うのは太平洋戦争を喧伝する印刷物ばかり――その矛盾は何度も心を突き刺すが、結局は機械の音が意識を塗り潰し、父への思考を奪い取る。

 夜も更け、下宿へ帰り着いた幹夫が窓を開けると、むっとする熱帯夜の空気が押し込むように流れ込む。二つの風鈴はわずかに揺れるが、音となる前に黙しているかのようだ。「父さん……」 彼はかすかに呟き、布団へ沈み込む。数時間後にはまた工場が呼び覚まし、轟音の循環へ戻るだけ――そうして昭和十九年七月は、夏の厳しさに戦争の苛烈さが重なり、印刷所を徹夜で埋め尽くす。誰も救われる気配はなく、工場の屋根の下で汗とインクにまみれた世界が、夜昼を混濁させながら回り続けているだけだった。


昭和十九年(1944年)八月――

 激化の一途をたどる太平洋戦争は、ここ東京の下町の印刷所をもますます過酷な徹夜へと追い込んでいた。戦争の轟音が遠い南方戦線で鳴り響く報道とは裏腹に、この街では日夜問わず、軍の宣伝印刷が絶え間なく求められ、社長と戸田、堀内、幹夫をはじめ職人たちは限界を越えた疲労を抱えて紙とインクにまみれている。

 八月に入る頃、軍からの命令書には「総力戦を支え抜くため、より一層の国民士気を高めよ」といった熱烈な文言が並び、ポスターやチラシの発注数がさらに膨張した。社長は「こんな量、いつまでこなせるのか」と顔を青ざめ、戸田は夜通しで配給紙の確保と納期表の作成に努め、堀内は警察報告と在庫管理を同時進行で進めている。幹夫は最短の仮眠を繰り返しながら機械の前に立ち続け、昼夜のけじめを失った身体でインクの臭いの中に沈み込んでいく。

 警察の巡回は、先月同様に月例行事のようにやって来ては帳簿と在庫を確かめ、「軍の仕事以外は行っていないか」と尋ね、すべて従順であることを確認すると「問題なし」と言い残して去る。社長たちは「これで店が生き延びられる」とかすかな安堵の表情を見せるが、同時に「いつか倒れる者が出て閉店になってしまうのでは」との不安を募らせる。徹夜の連鎖はもはや日常となり、職人たちからは会話さえも薄れていく。

 一方、静岡の父は親戚宅で耐える生活がさらに苦しくなっているらしく、最近の葉書には「夏の熱気に配給不足も重なり、このままでは病床に伏せる日が増えそうだ」と綴られていた。家も畑も失った昔を振り返り、「まさかこんな晩年を迎えるとは思わなかった」と嘆く父の言葉を読み、幹夫は胸を締めつけられるが、現実は太平洋戦争のための徹夜労働を拒むわけにもいかない。印刷機の轟音が、父への想いをかき消すように幹夫の意識をまた奪い去っていく。

 夜更けに下宿へ辿り着いて窓を開けると、熱帯夜の生ぬるい空気が部屋に押し寄せ、二つの風鈴はかすかな振れを見せるが音を立てない。幹夫が短く「父さん……」と呟いてから布団へ身体を沈めても、暑さと疲れで浅い眠りにしか落ちられず、すぐに印刷所が彼を呼び出す時間がやって来る。同じルーチンが続き、太平洋の戦況がどれほど報じられても、ここでの日常は「徹夜と仮眠」の交互と警察の巡回だけで支配されていた。

 こうして昭和十九年八月も、戦火の拡大を映すように、印刷所の徹夜が延々と続く月となっていた。誰も歯車から抜け出す力はなく、父の嘆きも幹夫の苦悶もごくかすかな囁きに留まるまま。警察と軍の監視体制がいよいよ厳しくなる気配を感じても、彼らにできるのは機械を止めず、納期に合わせてひたすらポスターやチラシを刷り上げることだけ。暑さが最高潮に達する頃、二つの風鈴が夜風に揺れようとも、そのかすかな合奏は轟音と疲労に掻き消され、遠く静岡の父の姿だけが薄暗い意識に焼き付き続けている――そんな絶望を振り払うすべもなく、時だけが過ぎていくのだった。


昭和十九年(1944年)九月――

 太平洋戦争が本格的に激化してから久しいこの頃、東京の下町の印刷所には相変わらず終わらない徹夜の轟音が沈殿していた。日中戦争から続く膨大な軍需宣伝の要請が減る気配はなく、印刷所の職人たちは昼夜を超えた労働に疲れ果てながらも、「国策」という覆いのなかで機械を止めることを許されない。あまりにも長く続いたこの状況は、もはや店舗そのものが徹夜を基軸とした“戦争の歯車”になっていると言っても過言ではなかった。

 九月に入ると、一旦和らぐかと思われた暑さもまだ残り、印刷所の内部は汗のにじむ蒸し暑さに苛まれていた。さらに「戦時統制を強化し、国民の最後の力を引き出せ」という軍の掛け声が響き、また大量のポスターやチラシ、小冊子の注文が届く。社長は「どこまで徹夜でやれるのか……」とうめくが、軍の命令を拒む選択はあり得ず、戸田はいつものように夜中に帳簿と格闘し、堀内は警察報告と用紙管理を押し進めている。幹夫はそんな環境で短い仮眠を交互に取りながら、紙とインクの狭間を息もつかせぬ勢いで捌いていく。

 警察が月例の巡回を行い、仕事の内容が軍優先か、用紙の配給に不正がないかを丹念に調べてくるが、いつもどおり「問題なし」とだけ言い残して去っていく。社長や戸田、堀内は慣れきった対応で、「これだけ徹夜をして、生きた心地もしないってのにな……」と苦笑を噛み殺す。誰もがあまりに疲労しきって、文句を言う余力すら失い、互いに声少なく仮眠を交替している。

 一方、静岡の父は親戚宅で肩身を狭めているが、配給も厳しくなり、加えて身体の衰弱が進んでいるようだ。幹夫が葉書を読むたびに、「父さん……生きる場所もなく、こんなに戦争が続くなんて……」と息を詰まらせるものの、自分が担うのは太平洋戦争を煽る印刷。その矛盾を抱えながら機械に向かうしかない。もし昼夜の轟音を止めれば、店が潰れ、給金を失い、自分も生きていけない――そんな脅威が常に背後にある。

 夜半、幹夫が下宿へ帰って窓を開けると、外の空気には多少の秋めいた気配が感じられるはずだが、部屋にはむしろ蒸し返す熱と徹夜の疲れがこもっている。二つの風鈴は短く触れ合いそうになるが、音としてまとまる前に静かに揺れを止めてしまう。「父さん……」 そう小さく呼びかけても、返す声はない。布団に沈む身体は数時間後には再び職場へ戻される運命だ。そうして昭和十九年九月が、次第に秋へ移ろうとしても、ここには徹夜の轟音と疲労だけが止まらず続いていく。

 こうして戦局がさらに難局を迎えていると噂されるなか、彼ら印刷所の人々は夜明けの見えない徹夜作業に沈みこむ。静岡の父は老いぼれた身で寄る辺を失い、幹夫は胸にその痛みを抱えながら、国策優先の印刷を昼夜問わず刷り続ける。警察が「問題なし」と言おうとも、実際にはだれも救われないが、止まることを許されぬ歯車がただ回り、かつての静穏は思い出の暗い影となってかすむばかり――それが戦争の深みに沈む、この秋の現実だった。


昭和十九年(1944年)十月――

 秋が訪れるはずの東京の下町だが、この印刷所にはもはや季節の移ろいが届く気配などなかった。日中戦争の泥沼と太平洋戦争の激化に伴い、軍は相変わらず大量の宣伝印刷を命令し続け、社長や戸田、堀内、そして幹夫を含む職人たちは、それを徹夜でこなす以外の選択肢を持ち得なかった。機械の轟音は昼夜をまるで呑み込み、職人たちは交代で仮眠をとり、汗とインクと疲労にまみれて息を繋いでいるだけだ。

 十月に入っても、軍からの「士気高揚」「国力総動員」を謳うポスターやチラシ、小冊子の注文が途切れることはない。社長は痩せ衰えた顔つきで納期表を睨み、「いつまで徹夜すれば……」と呟くが、断れば店が潰れる恐れがあり、結局は同じ限界を超えた労働を続行するしかない。戸田は夜ごとの帳簿作成と用紙配給の確保、堀内は警察や軍へ提出するための文書に埋もれ、幹夫は昼夜を忘れた身体を引きずりながら機械の前へ立ち続けている。

 警察の巡回は月例のようにやって来て、いつもの帳簿検査と在庫確認を続け、「軍の仕事のみ、問題なし」と言うだけ。社長や戸田たちも最少限の会話でそれを乗りきり、すぐに徹夜体制へ戻る。職人たちは口を閉ざし、ただ機械の騒音に身を沈め、交替で仮眠をとって倒れぬようにするのが精いっぱいという有様だ。

 一方、静岡にいる父は親戚宅に厄介になったまま、家も畑もなくした孤独と、配給の厳しさや周囲の眼差しに苦しみ続けていた。父が葉書に「このまま寒さが迫ると、老体には堪えられない」と綴る姿が幹夫には痛ましく映る。だが、自分がここで戦争を支える宣伝印刷を昼夜こなし続ける現実を否定するわけにもいかず、思うだけで声にはならない。機械の轟音にそれどころか意識までが塗りつぶされ、数時間の仮眠から起きれば同じルーチンの繰り返しだ。

 夜深く、幹夫がようやく下宿に戻ったとき、窓を開けて吸い込む外の空気は肌に少し冷たく、遠くで秋らしい虫の声すら響いているように感じる。だが二つの風鈴は、わずかに当たって揺れるだけでチリンという音をはっきりと鳴らすこともなく、幹夫の疲れた瞼を見届けるかのように沈黙する。「父さん……変わらないんだな……」 そう心でつぶやいて布団に沈み、短い眠りに落ちる。夜明け前には再度工場へ向かい、日中を通じて轟音の支配下に置かれる生活が繰り返されていく。

 こうして昭和十九年十月は、ますます深まる戦争の重圧を反映する形で、彼らの徹夜をさらなる極限へと追い込み続けた。報道がどう取り繕おうと、前線の危機が広まり、ここでの戦争宣伝物も量産される一方。父を想う幹夫の胸にあるのは、理不尽な矛盾と負い目、そして疲弊する身体の痛みに他ならない。二つの風鈴が夜風に微かに触れあうとしても、その小さな響きすら轟音の奥に掻き消され、この世界に“休息”という言葉が戻る日は、遠く見通せないまま――そうして彼らは来る冬の気配を迎えるしかなかった。


昭和十九年(1944年)十一月――

 あっという間に秋が深まり、冬の入り口が見えてきても、ここ東京の下町の印刷所には変わらず戦時の轟音が鳴り響き続けていた。日中戦争の泥沼と太平洋戦争の激化が相まって、軍からの宣伝印刷は絶えることを知らない。ポスター、チラシ、小冊子――どれも最前線の「勝利」や「士気高揚」を謳い、どれだけ昼夜を問わぬ徹夜で刷り上げても尽きることなく、社長や戸田、堀内、そして幹夫を含む職人たちは、もう何度目とも知れない限界を超えてなお作業を続行せざるを得ない。

 十一月に入ったある日、軍から「冬の到来こそ決戦を促す好機」という名目で、大量の印刷発注が降り、社長は「これ以上どうやれと……」と頭を抱えつつも受けるしかない。戸田は配給紙の確保を徹夜で行い、堀内は納品帳と警察報告の書類づくりを同時に進め、幹夫は仮眠を交互に取りながら機械と向き合い続ける。誰もが言葉少なく、ときに倒れかける者を交代させながら、インクと疲労の臭いが漂う工場内で続く徹夜に沈む。

 警察の巡回は月例行事のようにやってきて、いつもと変わらず「軍の仕事を優先しているか」「用紙の不正使用は?」などと細かく点検。最終的には「問題なし」と残し、さっと去っていく。社長たちは「また徹夜をこなし切ったおかげで店が続けられる……」と苦笑するが、根本的な救いはどこにも見つけられない。印刷機の轟音が絶えず人の意識を削り、昼夜の区別を曖昧にさせていく。

 一方、静岡の父は親戚宅で肩身を狭めながら冬を迎える恐れを抱いている。葉書の文面に「年を越せるかどうかさえ不安だ」とあり、配給や体調への悩みが前にもまして深刻さを帯びている様子だ。幹夫はそれを読んで胸を締めつけられるが、同時に「いま自分が徹夜で刷るのは戦争を煽る宣伝なのだ」という自責の念を拭えない。彼が何を思おうと、次の徹夜作業がやってきて、思考を奪いインクまみれの夜へ引き戻してしまうのだ。

 夜深く、幹夫が下宿に戻ったころ、窓を開けると冷たさを増す十一月の風が部屋に流れ込む。二つの風鈴はかすかに当たり合っても、チリンという音にまとまる前に揺れを止めてしまう。「父さん……冬がもうすぐそこまで来てるよ……」 そう声を落とし、疲れ切った体を布団へ投げ出し、意識を手放す。数時間もしないうちに再び工場へ向かう日々が、もう何度繰り返されているか分からないほど長く続いていた。

 こうして昭和十九年十一月は、さらに深まる戦時統制の中で、印刷所の昼夜逆転が日常の暗黙となっていた。前線の損耗を隠そうとするかのように、宣伝物はむしろ量を増し、現場で倒れる職人が出ても交代要員がすぐ補い、誰も「やめる」という選択肢を持たない。遠くで家も畑も失い、来る冬に怯える父の姿が幹夫の脳裏をよぎっても、印刷機の轟音と警察の「問題なし」の一言がすべての口を塞いでいく。 夜にわずかに風鈴が鳴ったとしても、その小さな音はすぐ戦争の騒音にかき消され、救いにはほど遠いまま。彼らはただ、冷え込む夜を徹夜の熱気で乗り越え、世界がどんなに暗い方向へ進んでいようと、止まることのできない運命を共有し続けていた。


昭和十九年(1944年)十二月――

 年の瀬を迎えようにも、東京の下町の印刷所にはいささかの静まりも訪れないまま、戦時下の轟音と徹夜が覆い尽くしていた。日中戦争の泥沼、太平洋戦争の激化という二つの戦局がもたらす軍の宣伝印刷は、それまで以上に膨れあがり、社長や戸田、堀内、そして幹夫たちは夜を日に継ぐ徹夜へ沈んだままである。

 十二月に入ったある朝、軍から新たな命令書が届く。そこには「国民の最終的結束」「年末年始に向けた決意表明」を強調する文言が並び、膨大な量のポスターやチラシ、小冊子の制作依頼が追い打ちをかけるように書かれていた。社長は紙の束を見て「これ以上やっていけるだろうか……」と声を落とし、戸田は夜通し納期を割り振り、堀内は警察への書類報告の整理を徹夜でこなし、幹夫は相変わらず機械の前に立ち続ける。その機械を止めれば店が潰れ、自分たちも路頭に迷う――そんな恐怖が彼らの意志を問答無用で徹夜へ引き戻すのだ。

 警察の巡回は定例のように月ごとにやって来て、帳簿や在庫を確かめるが、これまでと同じく「問題なし」とだけ告げて去る。社長は疲労のにじむ面持ちで苦笑を浮かべ、戸田や堀内が書類を整える中、幹夫は眠気を押し殺しながらまた機械の方へ向かう。どれほど寒さが増しても、ここではインクと機械の熱気、そして交替でとるわずかな仮眠以外の空気は存在しないかのようだ。

 静岡の父は、家を失い親戚宅で暮らして久しい。葉書には「いまはただ冬の冷えに耐えながら寝込む日が多い」と書かれ、周囲の白い視線に肩身を狭めているという。幹夫はその文字を読み、心がきしむ想いを抱くが、今や自身も戦争を後押しする徹夜印刷に埋没した身で、父に手を差し伸べる手段はない。ラジオは絶えず戦況を“歪んだ勝利”として謳い、警察は「問題なし」と言い残し、印刷所の轟音は自分の思考をさらっていくだけ――何もかも矛盾に満ちていると感じても、息を呑んで耐えるしかなかった。

 深夜、幹夫が辛うじて下宿に戻ると、窓を開けたときに感じるのは、ただ冷え切った十二月の風。二つの風鈴は震えるようにかすかに揺れて、音を立てずに静まり返る。それを見ると、幹夫は一瞬「父さん、冬を越せるだろうか……」と喉の奥で声にならない呟きを落とす。数時間後には再び工場が彼を呼び戻し、機械のリズムと轟音に心を塗り潰されるからだ。

 こうして昭和十九年十二月は、「年末年始こそ決意を固めよ」と唱える軍の宣伝に追われ、印刷所の徹夜がさらに凄まじいものとなっていく。休むことなく紙を送っていても、終わりは見えず、疲れた身体と心を暴力的に消費するだけ。年の瀬という言葉はあっても、正月気分などここには存在せず、警察の巡回も「問題なし」と定型で言い残して去るだけ。遠い静岡で父が耐えている凍える冬と、幹夫がこなす戦意高揚の徹夜という矛盾に、二人を繋ぐはずの風鈴はもはや音を失いかけている――ただ夜風がかすかに揺らす姿だけが、この暗い年を締めくくるように哀しく揺れていた。

 
 
 

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