死体はのぞみより速く走る
- 山崎行政書士事務所
- 5月16日
- 読了時間: 9分
※作中の列車番号・時刻はすべて架空です。

東海道新幹線・陽炎時刻表殺人
東京駅十六番線、午前五時二十九分。
始発前のホームには、まだ夜の冷気が残っていた。清掃員のモップの音、売店のシャッターが上がる音、遠くで眠たげに鳴る発車ベル。
その平穏を裂いたのは、ホーム端のベンチに置かれた赤い封筒だった。
封筒には、黒い万年筆でこう書かれていた。
「七時四十八分、京都に死体が着く。ただし、死体はのぞみより速く走る。」
警視庁捜査一課の刑事・大神烈は、その文面を見た瞬間、胸の奥で何かが焦げつくのを感じた。
「ふざけやがって」
烈は封筒を握り潰しかけた。
横で眼鏡の奥の目を細めていた相棒、青葉澄香が、低く言った。
「ふざけているようで、かなり正確です。列車番号も、時刻も、駅も指定されている」
封筒の中には、一枚の時刻表の切り抜きが入っていた。
東京発六時零三分、のぞみ四〇七号。名古屋着七時三十九分。京都着八時十二分。
だが赤いペンで、京都着の欄だけが修正されていた。
七時四十八分。
「ありえないだろ」烈は吐き捨てた。「京都に着くより前に京都へ死体が着くなんて」
青葉は時刻表を見つめたまま答えた。
「だから、犯人はそう言っているんです。死体は、のぞみより速く走る、と」
その二時間後。
京都駅十一番線に到着した臨時のぞみ六一一号の九号車、十三番E席で、男の遺体が発見された。
身分証は医療法人理事長、宇佐見真司。汚職疑惑を追われながら、何度も証言を拒んできた男だった。
胸元には、赤いカード。
「一人目。警察諸君、君たちは時刻表を読めるか?」
烈は京都へ飛んだ。
現場に着くなり、彼は九号車へ踏み込んだ。座席にはまだ男の温度が残っているような気がした。グリーン車の静けさが、かえって不気味だった。
「死亡推定時刻は?」烈が鑑識に尋ねた。
「七時二十分から三十分の間。走行区間で言えば、浜松を過ぎたあたりです」
「その時間、犯人は?」
青葉が端末を見せた。
「封筒の指紋と駅構内カメラから、最重要参考人が浮かびました。真壁玲央、三十四歳。元システムエンジニア。鉄道ダイヤ解析ソフトの開発者です。知能検査は過去最高値で、本人は自分を“MAX”と名乗っています」
「MAX?」
「Murder Algorithm X。殺人算法X。本人がネットに残していた署名です」
画面には、東京駅丸の内北口の防犯カメラ映像が映っていた。
午前七時二十四分。
真壁玲央が、カメラに向かって微笑んでいた。
烈の拳が震えた。
「死亡推定時刻に、あいつは東京にいたってことか」
「はい。東京から浜松付近を走る列車内へ瞬間移動しない限り、犯行は不可能です」
そのとき、烈の携帯が鳴った。
非通知。
烈は通話を押した。
『大神刑事』
若い男の声だった。甘く、柔らかく、氷のように冷たい。
『怒っていますね。いい声だ。熱血刑事というのは、古い時刻表みたいで愛おしい』
「真壁玲央か」
『MAXと呼んでください。僕のIQは、君たちの物差しでは測れない。だからMAXでいい』
「人を殺して遊ぶな」
電話の向こうで、男は楽しそうに笑った。
『遊び? 違いますよ。これは教育です。警察がいかに“見たもの”ではなく“見たいもの”を信じるか、その実験です』
「次は誰だ」
『焦らないで。時刻表には順番があります』
通話が切れた。
烈は車窓の向こうの線路を睨んだ。
何本もの新幹線が、何事もなかったように行き過ぎていく。
人を運ぶはずの列車が、今は死を運んでいるように見えた。
二人目は、その日の午後だった。
名古屋駅近くのホテル一室で、弁護士の黒木周平が死んでいた。
黒木もまた、宇佐見と同じ疑惑に関わっていた。十二年前、東海道新幹線の車内で起きた転落死事件。証拠不十分で事故として処理されたが、裏で金と嘘が動いたと噂されていた。
黒木の胸元にも赤いカード。
「二人目。時刻表は嘘をつかない。嘘をつくのは人間だ。」
死亡推定時刻は午後一時十分。
だがその時間、真壁玲央は新大阪駅の改札前で、わざとカメラに向かってピースサインをしていた。
三人目は翌朝。
新大阪駅に到着した上りのひかり二〇二号で、元鉄道関連会社役員の堂島貞雄が発見された。
またしても赤いカード。
「三人目。さあ、最後の問題です。死体はなぜ、のぞみより速いのか?」
烈は怒りで眠れなかった。
三人が死んだ。犯人は笑っている。そして警察は、時刻表という紙切れに縛られて一歩も進めない。
捜査本部は混乱していた。
「真壁には全部アリバイがある」「だがカードの筆跡も封筒の指紋も真壁だ」「共犯か?」「いや、どの現場にも共犯の痕跡がない」「じゃあ幽霊か」
烈は机を叩いた。
「幽霊が人を殺すか!」
誰も答えなかった。
その夜、青葉が烈を東京駅の地下通路へ連れていった。
「見せたいものがあります」
そこには、迷子の少女がいた。
事件初日の朝、京都へ向かう列車に乗っていた親子連れの娘だった。名は陽菜。六歳。父親は出張族で、彼女は新幹線が好きだった。
陽菜は小さなスケッチブックを抱えていた。
「この子が、九号車で宇佐見を見たと言っています」
烈は膝をついた。
「怖かったな。話せるか?」
陽菜はこくりとうなずいた。
「あのおじさん、寝てた。でもね、わたし、お日さまの折り紙をあげたの」
「折り紙?」
「うん。お父さんが、寝てる人を起こしちゃだめって言ったから、上着のポケットに入れた」
烈は青葉を見た。
「現場に折り紙なんかなかったぞ」
青葉は静かに言った。
「ありませんでした。宇佐見とされた遺体のポケットには」
烈の背筋に冷たいものが走った。
青葉は続けた。
「もう一つ。宇佐見真司は二十年前の手術事故で、左手薬指の一部を失っています。ですが、京都で見つかった遺体には五本の指がありました」
烈は立ち上がった。
「身元確認は?」
「所持品、顔貌、電子チケット、腕時計、スマホ。すべて宇佐見のものでした。けれど正式な再鑑定をかけました」
青葉の声が震えた。
「京都で見つかった遺体は、宇佐見ではありません」
「じゃあ、誰だ」
「黒木周平です」
烈は息を止めた。
青葉は端末に三人の写真を並べた。
宇佐見。黒木。堂島。
その下に、三つの遺体の鑑定結果。
京都で宇佐見として見つかった遺体は、黒木。名古屋で黒木として見つかった遺体は、堂島。新大阪で堂島として見つかった遺体は、宇佐見。
烈の頭の中で、時刻表が音を立てて崩れた。
「入れ替えたのか。身元を」
「はい。死体が速く走ったんじゃありません。名前が走ったんです」
青葉は時刻表を広げた。
「私たちは、列車が運んだものを“人間”だと思い込んでいました。でも時刻表が証明できるのは、列車が走ったことだけです。スマホが乗った。上着が乗った。腕時計が動いた。チケットが通った。それだけです」
烈は低く言った。
「人間を荷物にしたのか」
「真壁は、三人の身元を一つずつずらしました。だから死亡推定時刻と移動記録が噛み合わなくなり、犯人には不可能に見えた。けれど本当の身元で並べ直すと、真壁は各現場に行ける」
烈は拳を握った。
「アリバイじゃない。俺たちの目を騙すための、被害者名のダイヤか」
その瞬間、烈の携帯がまた鳴った。
非通知。
『正解に近づきましたね、大神刑事』
烈は歯を食いしばった。
「真壁。お前の時刻表は破った」
『破った? いいえ。まだ終点ではありません』
「次はどこだ」
『午前五時十三分、東京発。のぞみ九九九号。十六号車。最後の乗客は、太陽です』
通話が切れた。
烈は陽菜を見た。
青葉も同じことに気づいていた。
「太陽……陽菜ちゃん」
少女は、何も知らずに折り紙の太陽を握っていた。
翌朝、東京駅。
午前五時十一分。
のぞみ九九九号は、出発を待っていた。車内はまだ薄暗い。窓の外の空は群青色で、夜と朝の境目にあった。
烈は十六号車へ飛び込んだ。
陽菜と父親は座席にいた。青葉がすでに付き添っている。
「降りろ!」烈が叫んだ。
だがその瞬間、車内放送が流れた。
発車ベル。
ドアが閉まる。
列車が動き出す。
青葉が叫んだ。
「大神さん、三列後ろ!」
烈が振り向いた。
窓際の席に、白いコートの男が座っていた。
真壁玲央。
彼は優雅に立ち上がり、片手を上げた。
「おはようございます。終点へようこそ」
烈は一気に距離を詰めた。
真壁は細身だったが、動きに無駄がなかった。烈の腕をかわし、通路へ滑るように逃げる。揺れる車内、頭上の荷物棚、乗客の悲鳴。
烈は追った。
「止まれ!」
「止まる? 新幹線は止まりませんよ、刑事さん。決められた時刻に、決められた場所へ進む。それが美しい」
「人間は列車じゃない!」
真壁は笑った。
「だから醜い。泣く、迷う、怒る、許す。すべて誤差です」
烈は通路で真壁に掴みかかった。
二人は連結部へもつれ込んだ。車体が揺れ、壁に肩が叩きつけられる。真壁は隠し持っていた小さな刃物を抜いた。烈は腕で受け、痛みに顔を歪めながらも怯まなかった。
「三人を殺した理由は何だ!」
真壁の表情が、一瞬だけ歪んだ。
「十二年前、父は罪を着せられた。宇佐見が診断書を偽り、黒木が証言を曲げ、堂島が時刻表を差し替えた。父は死んだ。だから僕は、同じ武器で返した」
「復讐か」
「最初はね」
真壁の目が暗く輝いた。
「でも途中で気づいた。人が怯える顔は美しい。警察が迷う姿は芸術だ。時刻表の上で命が狂う瞬間、僕は神になれる」
烈は真壁を壁へ叩きつけた。
「違う。お前は神じゃない。ただの卑怯な殺人犯だ」
真壁は血の滲む唇で笑った。
「では最後の殺人を止めてください」
「陽菜ちゃんには手を出させない」
「違います」
真壁は胸ポケットから赤いカードを落とした。
烈はそれを拾った。
そこにはこう書かれていた。
「四人目。真壁玲央。死亡時刻、午前五時四十四分。場所、のぞみ九九九号。」
烈は凍りついた。
真壁は自分自身を、最後の死体にするつもりだった。
「僕を殺すのは、僕の時刻表です。あなたは救えない。被害者も、犯人も、何一つ」
列車は速度を上げていた。
真壁は非常扉へ向かおうとした。烈は全身で飛びかかり、彼を床へ押さえつけた。
「死なせるか!」
「なぜです? 僕は殺人犯ですよ」
「だからだ!」
烈は吠えた。
「お前を死なせたら、三人の命も、お前の父親の無念も、全部お前の勝手な物語で終わる! 生きて裁かれろ! 生きて、遺族の顔を見ろ! それが人間の時刻表だ!」
真壁の顔から、初めて笑みが消えた。
次の瞬間、青葉が駆け込んできた。乗務員も続いた。
真壁は取り押さえられた。
午前五時四十四分。
のぞみ九九九号は、何事もなかったように東へ走っていた。
四人目の死体は、出なかった。
事件後、烈は東京駅のホームに立っていた。
朝日が、線路の向こうから昇っていた。
三人は戻らない。遺族の涙も消えない。真壁が法廷で何を語ろうと、殺された時間は巻き戻らない。
勝った、とは思えなかった。
ただ、終わらせなかっただけだ。
隣に青葉が立った。
「大神さん」
「なんだ」
青葉は小さな折り紙を差し出した。
陽菜が折った太陽だった。
そこには、たどたどしい字で書かれていた。
「けいじさんへ。こわかったけど、あさになりました。」
烈はしばらく何も言えなかった。
遠くで、新幹線が発車する。
白い車体が朝日を浴びて、まるで傷だらけの世界を、それでも前へ運んでいくようだった。
青葉が静かに言った。
「時刻表は、人を縛るものじゃありません。誰かが誰かに会うための約束です」
烈は折り紙の太陽を握った。
空は明るくなっていく。
むなしさは消えない。絶望も、完全には終わらない。
それでも。
列車は走る。人は生きる。陽はまた昇る。





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