短針の夜 — 銀座の時計工房(長編フィクション)
- 山崎行政書士事務所
- 9月21日
- 読了時間: 7分
— 2023年夏に公表された「国内大手時計メーカーへの不正アクセス:7月下旬の侵入→8月上旬の一次公表→8月下旬にランサムウェアである旨と漏えいの確認→秋に“約6万件の個人情報アイテム”の漏えい確定、攻撃グループはALPHV/BlackCatが名乗り、パスポート写し等の掲載を含む流出主張」という事実関係を骨格にした物語。人物・会話はフィクションです。
00|深夜 02:11 「出していないのに、出ている」
銀座・青蘭(せいらん)時計の運用室。夏芽は、越境通信の折れ線の上に、細く一定に伸びる白い息を見つけた。WAFは緑、FWも緑。だけど、夜明け前にだけ同じ秒間隔で外に向かう吐息が綺麗すぎる。宛先は匿名のオブジェクト倉。発信元は設計図面の箱の近く、人が寝ている時間の静かな筺体だ。
「出していないのに、出ている。」
プロセス列には、先週まで無かった常駐がひとつ。正しい署名の顔をして、浅く呼吸している。夏芽は短縮を押した。
「山崎行政書士事務所に、最短で。」
01|02:37 “止める/伝える/回す”
静岡・山崎行政書士事務所。白板の前に**律斗(りつと)**が立ち、太い字で三行を書く。
止める/伝える/回す
止める:設計・人事・営業を跨ぐ共用ファイル群を電源を落とさず隔離。Outboundは白(許可宛先のみ)に絞る。RAMダンプ/ディスク像/ID発行ログを一方向で吸い上げ、常時特権はゼロにして**JIT(必要時だけ短貸与)**に切替。
伝える:三文の一次報を経営/広報/所管連絡窓口に同報。“事実”(夜明け前の規則通信/関係セグメントの隔離)と**“可能性(仮説)”(横展開→持ち出し→暗号化準備)を段落で分け**、正午/17時に**“時刻で更新”する約束を置く。文頭に「支払い先・送付先変更メールは無効」**。
回す:デザインの受け渡しはSFTP+WORM台帳に迂回、購買は紙の発注書+二名承認へ。遅いけど確実に回す。
りなが頷く。「72時間の所管報告を回します。“声は鍵”(折り返し+二名承認)は全窓口に。」奏汰(そうた)が構成図に赤を走らせる。「設計の森と人事の森が近すぎる。“見る鍵/運ぶ鍵/署名する鍵”を同じ鍵束にしない。」悠真(ゆうま)は短く言う。「電源は落とさない。証跡が戻る道。」
受付の白い猫やまにゃんが、しっぽ(Type‑C)を小さく光らせる。
「遅いけど確実。」
02|03:18 短針の足音
監査ログの底に、7月の終わりの薄い跡が見つかった。新規インストールに伴う正しい顔の常駐、夜明け前にだけ目を開けるC2、人事・設計・営業をゆっくり舐める列挙。昼は眠る。深夜だけ、細く、正確に動く。
夏芽の喉が冷える。
「扉は、夏に開いて、閉まっていない。」
03|04:01 四つの数字(第一次)
白板の前で**蓮斗(れんと)**が数字を書く。
MTTD(検知):46分(越境の規則呼吸の相関)
一次封じ込め:72分(隔離/白化/証跡保全/JIT化)
観測:人事・取引先連絡先に触れうる手、設計の箱の鍵穴
暗号化:**兆候(スケジューラ)**あり
律斗は短く言う。「勝ってはいない。でも、“間に合っている”。」
04|朝 09:00 一次報
ふみかが三文の一次報を置く。
事実:第三者の不正アクセスを確認。関係サーバの外向き通信を白化し、当該セグメントを隔離。証跡保全/JIT特権化を実施。影響(現時点):名簿(顧客・取引先・従業員・応募者)と設計・会議資料の外部流出の可能性。対応:所管/法執行と連携し、通知準備を開始。次報 正午。
りなは会見台本の一文目に主語を置いた。
「当社は、いつ、何を、どう変えるか。」犯人像や帰属は言わない。公的発表に歩調を合わせ、私たちは**“何が起き、何を止め、どう戻すか”だけを時刻**で言う。
05|数日後 黒い掲示板
闇サイトに黒い掲示が現れる。ALPHV/BlackCatを名乗る断り書き、数テラの持ち出し主張、役員会議の音声、契約書、パスポートの写しと称する画像——“見せしめ”の切り出しが貼られる。広報の空気が不意に重くなる。“人の暮らし”の断面が、冷たい画面に置かれるかもしれないからだ。
奏汰は検知の鈴を増やす。越境アクセス、非常設VPN、“夜だけ起きる”プロセス。悠真は空の箱に既知良品だけを載せ、最小復帰の地図を引く。夏芽は紙の台本を机の端に揃え、一行目に**「当社からATM操作・送金依頼はしない」**を置いた。
06|夕刻 「見る鍵/運ぶ鍵/署名する鍵」
鍵束を三つに分ける図が壁に貼られた。
“見る鍵”:監視と調査。常時はここだけが生きている。
“運ぶ鍵”:設計・契約を宛先限定で運ぶ。期限と台帳が紐づく。
“署名する鍵”:押印と真正性。物理に二人で持つ。
常時特権ゼロ、JIT貸与には時刻と押印。Outboundは白だけ、DNSの未知は即死。証跡はWORMで二経路に流す。
やまにゃんの札が光る。
「速さは、戻れるときだけ味方。」
07|夏の終わり 「ランサムである」と言う
二報目は、“ランサムウェアである”ことと、“漏えいの確認”を言い切る文章になった。“確認された事実”と“未確定(継続調査)”の二段落を守り、数字は時期が来るまで言わない。所管への報告では、個人情報保護委員会への届出と警察への相談を時刻で置く。中の人の体温は低い。画面の前で、静かな怒りが燃える。
08|秋 数字になる
第三報で、約6万件の個人情報アイテムが確定した。顧客情報、取引先の連絡先、応募者情報、従業員・元従業員の一部。クレジットカードは非保持で対象外。外では、“闇サイトに全面公開”という騒がしい見出しが踊り、内では封書と折り返し回線が太くなる。りなは二段落を崩さずに、封書の一文目に主語を置いた。
「当社は、あなたのどの情報を、いつ、どのように守り直すか。」
09|工房の時間
設計島に音が戻る。ムーブメントの精度試験、CNCの刃の軌跡、針のブルースチール。職人の手が秒を刻み、検査の目が歩度を測る。夏芽は小さな異常にも鈴が鳴る新しい監視盤を見上げる。EDRは端末の微熱を拾い、MFAは夜の門を短く太くする。秒が味方に戻ると、世界は音を取り戻す。
10|冬 “戻れる速さ”の採用
奏汰は地図を引き直す。
設計→外部SaaSの搬送は省内側にも監査ログを複製し、相関検知を常設。
“とりあえずの共有”は48時間で自動失効。
インストーラは社内カタログ化し、改ざん検知をこちら側にも置く。
緊急時は**“紙と口頭復唱”で最小呼吸に落とす訓練**を四半期ごとに。
悠真は古い箱を凍らせ、既知良品だけで更地復帰を繰り返す。蓮斗は数字を並べる。
MTTD:46分 → 10分(越境+異常認証の常設)
一次封じ込め:72分 → 29分
常時特権:ゼロ(JIT化完了)
例外期限遵守率:98%
やまにゃんが札を揺らす。
「遅いけど確実。」
11|講堂 “三つの時計”と三行
現場の時間(設計・製造・販売)
規制の時間(継続報告/個人情報通知)
経営の時間(信頼・費用・再発防止)
りなは三行で締める。
言い切る(事実と可能性を同じ文に置かない)期限を付ける(例外は48時間で自動失効)二重に確かめる(自動の前後に**“人の10分”**)
12|エピローグ 短針の夜が明ける
銀座のショーウィンドウに、青い秒針が薄い朝を掻く。夏芽は監視盤の片隅に紙を一枚差し込み、時刻を押した。便利は刃にもなる。戻れる速さは、紙と時刻と二重の鍵に宿る。短針の夜は長針に追いつき、また一周を始めた。
—— 完
参考リンク(URLべた張り/事実ベース・一次情報/主要報道)
※物語はフィクションですが、骨格(7月下旬の侵入検知→8/10一次公表→8/22“ランサムウェア”と漏えい確認→秋の第三報で“約6万件の個人情報アイテム”確定、EDR/MFA等の強化、ALPHV/BlackCatの名乗りと流出主張)は以下の資料に基づいています。
主要点:Seiko公式 8/10・8/22・10/25各発表(侵入確認/ランサムウェアである旨+漏えい確認/約6万件の個人情報アイテム、EDR・MFA導入の記載)、SecurityWeek/BleepingComputer/The RecordによるALPHV/BlackCatの名乗り・流出主張(パスポート写し等)の報道、CISA/FBIのALPHV/BlackCat関連アドバイザリを参照しました。


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