第3話:カキ警報 〜海ではなく木から来ます〜
- 山崎行政書士事務所
- 2月8日
- 読了時間: 12分

1 “名前を整理した方がいい”は、実は呪文だった
閉店後に読んだレビューの最後の一行――「名前は整理した方がいい。」それはアドバイスというより、翌朝から店を呪う呪文になった。
「……整理、ね」
店主の杉山美月は、開店準備をしながら、メニュー表を睨んでいた。「二色イチジクパフェ」「秋のイチジク」「三色(って言うな)」「誠実(って誰が言い出した)」
隣で江口香里が、ペンをくるくる回す。
「店長、やっぱり分かりやすさ大事ですよ。今の時代、“誠実”より“分かる”の方が強いです」
「誠実は強いよ」
「店長、それは精神論です」
「精神論も強いよ」
「店長、精神論はお客さんの胃には入りません」
美月がぐっと詰まる。
そこへ、いつものように店のドアが開き、常連の星野剛志が入ってきた。顔はすでに疲れている。開店前なのに。
「おはようございます……って言っていいですか? まだですか?」
美月が言う。
「まだ、って言葉は危険だから言わない」
星野が言う。
「危険なのは“まだ”じゃなくてこの店の経営判断です」
香里が星野に笑顔を向けた。
「星野さん、ちょうど良かった! 今日は“名前整理会議”です!」
星野は即答した。
「その会議、僕がいるとろくなことにならないやつですよね」
美月が言う。
「なる。だからいて」
星野は呻いた。
「……僕は会議の安全装置じゃないんですけど……」
美月はメニュー表を指差した。
「二色イチジクパフェ、分かりやすい?」
香里は首を傾げる。
「二色って言われると……信号が浮かびます」
星野が言う。
「止まれと進め、どっちですか?」
美月が言う。
「イチジクの話」
香里が言う。
「じゃあ“白黒イチジクパフェ”にしましょう!」
美月は頷きかけたが、止まった。
「……白黒って、なんか事件の匂いしない?」
星野が言う。
「この店、だいたい事件の匂いしてます」
香里がスマホを見ながら言う。
「じゃあ横文字でいきましょう! “Black & White Fig Parfait”!」
星野が言う。
「英語にしただけで事件の匂いが国際化しましたね」
美月が言う。
「……日本語でいく」
香里が言う。
「じゃあ“フィグ・デュオ”!」
星野が言う。
「急にユニット組むのやめてください」
美月が悩んだ末、黒板に大きく書いた。
本日のおすすめ:イチジク(Fig)
香里が満足そうに拍手した。
「いいです! これなら誰も迷いません!」
星野が黒板を見て、ぽつり。
「……迷いますよ」
「なんで!?」
星野は黒板の“Fig”を指差した。
「これ、字が崩れると……“Fish”に見えるんです」
美月と香里が同時に固まった。
「……フィッシュ?」「……魚?」
星野が言う。
「あとこの店名、“Fig & Spoon”って、早口で言うと“Fish & Spoon”っぽいです」
香里が言う。
「それ、早口じゃなくても聞き間違える人いますよ」
美月は静かに黒板を消した。
「……今日は整理しない。もう、整理しない」
星野が言う。
「整理って、触ると爆発するタイプのやつでしたね」
2 不作の電話は、いつも最悪のタイミングで鳴る
そこへ、電話が鳴った。美月が出ると、仕入れ先の農家の声が申し訳なさそうに言った。
「杉山さん、ごめんねえ。今週の黒イチジク、半分しか出せない」
美月の表情が固まる。
「半分……」
「天候でねえ。白もあるけど……そっち多めにする?」
美月は“白イチジクの山”を思い出して、目を閉じた。
「白は……あります。あります、すでに」
電話を切った瞬間、香里が目を輝かせた。
「店長! チャンスです!」
「どこが」
「“イチジク不足”って、ドラマありますよ! 物語があります!」
星野が言う。
「物語にしてる場合じゃないです。原材料です」
香里が続ける。
「そこで! 秋の果物、もう一つありますよね」
美月が警戒する。
「……何を言い出すの」
香里が大きく言った。
「柿(かき)!」
星野が小声で言う。
「……やめて。嫌な予感しかしない」
美月が言う。
「柿は、確かに合う。でもうちはイチジクの店」
香里が食い下がる。
「店名に“Fig”って入ってるからですか? じゃあ“Fig & Kaki”にすればいいじゃないですか!」
星野が言う。
「“Fig & Kaki”って言うと、ほぼ“フィグアンドカキ”…“フィグアンドカキ”…」
香里が言う。
「言って! もっと言って! なんか可愛い!」
星野が言う。
「……いや、可愛いじゃなくて……“カキ”って言葉、危険です」
美月が言う。
「柿の何が危険なの」
星野が言った。
「柿は危険じゃないです。“カキ”が危険なんです」
香里が言う。
「意味分かんないです」
星野が言う。
「分からないまま進むと、あとで泣きますよ」
3 SNS担当が“柿”を“牡蠣”に変えるまで、3秒
香里はすぐにSNS投稿の下書きを作った。美月は嫌な予感を抱きながらも、背中越しに見守ってしまう。
香里が読み上げる。
「えーと……『本日よりカキ始めました。イチジク×カキの秋パフェ、数量限定!』」
星野が言う。
「やめて」
「何がですか?」
「その文章、ネットに流すと世界が曲がります」
香里が言う。
「曲がりませんよ。カキはカキです」
美月が言う。
「……“柿”って書きなさい。漢字で」
香里が頷いて、入力し直した。しかしスマホが勝手に変換候補を出す。香里は勢いでタップした。
「はい! “牡蠣”!」
美月の目が点になる。
「……香里」
「はい!」
「それ、海の方」
香里が固まる。
「え……え? 牡蠣って……海……?」
星野が天井を仰いだ。
「ほら来た。世界が曲がった」
香里は慌てて訂正しようとしたが、すでに投稿ボタンを押していた。
『本日より牡蠣始めました。イチジク×牡蠣の秋パフェ、数量限定!』
沈黙が三秒続いた。
次に起きたのは、通知音だった。ピコン、ピコン、ピコン、ピコン。
香里が青ざめる。
「店長……バズってます……」
星野が言う。
「そりゃバズりますよ。牡蠣パフェなんて、誰も見たことない」
美月が震える声で言う。
「……削除して」
香里が必死に画面を操作する。
「け、消せません! なんか……拡散が先に……」
星野が言う。
「火事は、消す前に風が吹くんです」
美月が言う。
「……火事って言わないで」
星野が言う。
「もう火事です」
その時、店の前の看板を見た通行人が立ち止まり、スマホを構えた。
「え、ここ? 牡蠣パフェの店?」
香里が言った。
「違います!!」
通行人が言った。
「違うの? でも“牡蠣始めました”って……」
香里が言う。
「それ、私が……」
星野が言う。
「正直すぎる」
4 第一陣:レモン持参の客が来る
開店時間になった瞬間、店のドアが開いた。そして、入ってきたのは――
レモンを持った女性だった。
「すみません、牡蠣パフェって、レモンかけてもいいですか?」
美月が硬直する。
「……牡蠣は、ありません」
女性が驚く。
「え? でも投稿見ました!」
香里が叫ぶ。
「それ、柿です!! 木の方のカキ!!」
女性が言う。
「木に牡蠣ってなるんですか? すごい……」
星野がぼそっと言う。
「すごくないです。間違いです」
続いて、タバスコを持った男性が入ってきた。
「牡蠣パフェ、辛くできます?」
美月が言う。
「できません」
男性が言う。
「じゃあ牡蠣は?」
美月が言う。
「いません」
男性が言う。
「牡蠣、いないの?」
美月が言う。
「いない」
星野が小声で言う。
「牡蠣を人扱いするのやめてください」
さらに、保冷バッグを持った中年男性が入ってきた。
「ここが……牡蠣パフェの……」
美月が限界を迎えた。
「違います! 違います! 違います!」
香里が横で補足する。
「間違って“牡蠣”って書いちゃっただけで、うちは“イチジク”の店で……」
中年男性が言う。
「イチジクに牡蠣を合わせるって、挑戦的だねぇ」
星野が言う。
「挑戦じゃなくて事故です」
香里が言う。
「事故って、才能らしいですよ!」
美月が叫ぶ。
「才能でもなんでもない!!」
外にはいつの間にか小さな列ができていた。その列の一部が、なぜか“牡蠣”目的であることが、店の空気をさらに狂わせる。
そしてそこへ、最悪のタイミングで現れたのが――
ライバル店長、根岸だった。
5 根岸、海の匂いだけ置いて帰る
根岸は店の前で看板を眺め、わざとらしく頷いた。
「へぇ……ついに君も海に出たんだ」
美月が歯を食いしばる。
「出てない!」
根岸が笑う。
「でもネットは出てるよ。“イチジク×牡蠣”。正直、僕でもそこまで行かない。君、攻めてるねぇ」
香里が必死に言う。
「攻めてないです! 変換ミスです!」
根岸が両手を広げる。
「変換ミスで世界を動かす。これが現代の革命だよ」
星野が言う。
「革命の理由が弱い」
根岸はどこからか紙袋を出した。
「ちなみに、うちも今日から“牡蠣みたいなパフェ”やるよ」
美月が睨む。
「“みたい”って何」
根岸が袋を開け、白いマシュマロを見せた。形が……確かに牡蠣っぽい。
「これ、牡蠣じゃないよ。牡蠣の気持ちになれるスイーツ。名付けて“オイスター・メレンゲ”!」
星野が言う。
「牡蠣の気持ち、誰がなりたいんですか」
根岸が胸を張る。
「世の中には、いるんだよ。海の気分を甘味で味わいたい人が」
美月が言う。
「帰って」
根岸が去り際に振り向いて言った。
「君の店、今日テレビ来るかもね。“牡蠣パフェ騒動”って、番組が大好物」
香里が顔を真っ青にする。
「店長……テレビ……?」
美月が星野を見る。
「星野さん」
星野が嫌な予感で後ずさる。
「いや、僕に振らないでください」
美月が言う。
「あなた、今日“整理券係兼・説明係兼・謝罪係”ね」
星野が叫ぶ。
「兼が増えた!! 僕、いつか“兼”だけでできた人間になります!!」
6 カキは誰?――“柿田”登場で誤解が完成する
そこへ、店の裏口からガラガラと台車の音がした。振り向くと、段ボール箱を積んだ配送の男性がいる。
「お届け物でーす。柿田(かきた)さんから」
香里が反射で叫んだ。
「カキだ!!」
星野が即座に言う。
「違う、カキ“た”だ!」
配送の男性が段ボールのラベルを見せた。そこには大きく書かれている。
柿田農園 完熟柿(かき)
美月が息を止めた。
「……柿田さん?」
配送の男性が頷く。
「はい。電話あったでしょ? イチジクが足りないなら柿を届けるって」
香里が目を輝かせる。
「すごい! 木のカキが来た!」
星野が言う。
「“木のカキ”って言い方、まだ危険です」
すると、店内の“牡蠣目当て”のお客たちがざわついた。
「木の牡蠣……?」「陸牡蠣……?」「新種……?」
美月が頭を抱える。
「……説明して」
星野が息を吸って、店内に向けて言った。
「皆さん。“カキ”は二種類あります。海の方と、木の方です。本日は……木の方です」
誰かが言った。
「じゃあ海の方はいつ?」
星野が言う。
「いつも来ません!」
香里が補足する。
「うちはカフェです! 海の許可とかないです!」
そこへ、スーツ姿の男性が静かに入ってきた。地味。目立たない。スマホを見ている。そして、どこか“この騒動を見慣れている”雰囲気。
星野が小声で言った。
「……また来た」
美月が小声で言った。
「……誰?」
香里が小声で言った。
「……もしかして」
三人が同時に思う。
(また、Figoなのでは)
しかし、その瞬間、店の外でカメラが回り始めた。本当にテレビが来たのだ。リポーターがテンション高く叫ぶ。
「こちらが今話題の、“牡蠣パフェ騒動”の現場です!」
美月が呟いた。
「現場って言わないで……ここは店です……」
星野が言う。
「店が現場になるとき、大抵ろくなことがない」
香里が言う。
「店長、どうします!? 牡蠣って言われてますよ!? 柿って言い返します!?」
美月が言う。
「……言い返さない」
「え!?」
美月が言う。
「“柿の美味しさ”で勝つ」
星野が小声で言う。
「……勝負に出た」
7 即興メニュー:「カキはカキ」パフェ、誕生
美月は厨房に入ると、段ボールから完熟柿を取り出した。切ると、橙色がつやつや光る。甘い香り。
香里が興奮する。
「店長、これ、映えます! 映えますよ! 木のカキ!」
美月が言う。
「“木のカキ”って言うな。柿だ」
星野が厨房の端でぼそっと言う。
「“柿”って言うだけで全部解決するのに、なんでこんなに難しいんだろう」
美月は新しいグラスを出し、イチジクのコンポートと柿を組み合わせ始めた。
「柿は、甘い。イチジクは、香りが深い。合わせると……秋の最終形態になる」
香里が言う。
「最終形態って言うと怪獣みたいです」
美月が言う。
「怪獣でもいい。美味しければ」
星野が言う。
「怪獣パフェが誕生したら、それはそれでまたテレビが来ます」
美月が言う。
「来なくていい」
出来上がったパフェは、驚くほど上品だった。柿のオレンジ、イチジクの赤紫、白いクリーム。“海のカキ”要素は一切ない。でも、なぜか店内の牡蠣目当て客たちが期待の眼で見ている。
美月はグラスを持って、店内へ出た。
「本日の限定、“柿とイチジクの秋パフェ”です」
リポーターが食いつく。
「こちらが噂の“カキパフェ”!」
美月が言う。
「柿です」
リポーターが言う。
「カキパフェ!」
美月が言う。
「柿」
リポーターが言う。
「カキ!」
星野が割って入る。
「漢字です! 木です! 海じゃないです!」
リポーターが逆に興奮した。
「海じゃないカキ!? 新しい!」
美月が呟いた。
「……もう、好きにして」
その時、さっき入ってきた地味なスーツの男性が、静かに席について言った。
「それ、いただけますか」
美月が一瞬で警戒する。
「……何パフェを」
男性が少し迷って言う。
「……柿、と、イチジク、の、秋のやつ」
香里が小声で叫ぶ。
「言い方がもう、レビュー書く人のそれです!」
星野が小声で言う。
「静かに。気づかないふり。気づくと壊れる」
美月は無言でその男性にパフェを出した。
男性はスプーンを取って、一口。
「……」
店内が静まる。テレビカメラまで、なぜか息を止めている。
男性が言った。
「……柿が主役ですね。でもイチジクが“後ろから支える”。派手じゃないのに、印象が残る」
美月が小声で言う。
「……あなた、誰」
男性は微笑んで、領収書を差し出した。
「宛名、Figoでお願いします」
香里が叫んだ。
「またぁぁぁ!!」
星野が叫んだ。
「言うなって言ったのにぃぃぃ!!」
美月は、叫ばなかった。ただ、額に手を当てた。
「……今日、何回目……」
8 結末:カキは海から来ない、でも客は海みたいに押し寄せる
翌日。SNSにはこう書かれていた。
「“海じゃないカキ”が、ここまで旨いとは。柿は甘さの暴力になりがちだが、この店は上品に収めた。イチジクが柿を引き立て、柿がイチジクの香りを明るくする。——ただし、“カキ”は誤解を生む。店は看板にふりがなを。」
美月は黒板に大きく書いた。
本日のカキ(※木)=柿(かき)牡蠣(かき)はありません(※海)
香里が感動して言った。
「店長、ついに“ふりがな”に負けましたね」
美月が言う。
「負けじゃない。生き延びるため」
星野が言う。
「店長、それを世間では“成長”と言います」
美月が言う。
「成長って言葉も危険」
店の外には、また列ができていた。今度はレモンもタバスコもいない。代わりに、柿田農園の柿を買いに来た人がいる。そして、どこかで根岸が悔しそうに“牡蠣みたいなマシュマロ”を配っている。
星野は最後尾に並びながら、ぼそっと呟く。
「……僕、ただイチジク食べに来ただけなんですけどね」
香里が笑顔で手を振る。
「星野さん! 今日も“兼”いきますよ!」
星野が叫ぶ。
「兼はパフェの層だけで十分だよ!!」
店内には秋の甘い香りが満ちた。イチジクの深さと、柿の明るさ。そして――誤解の名残が、ほんの少し。
でも、最後に残るのはだいたい同じだ。「美味しい」と、「なんか大変だった」。
(第3話・了)




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