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緑走る台地

  • 山崎行政書士事務所
  • 5月5日
  • 読了時間: 12分


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大正十年の初夏、静岡平野を渡る風は乾いていて、遠くに望む牧之原台地の新茶の芽吹きを艶やかに香らせていた。旧幕臣の家系で士族の名を継ぐ十三歳の少年・幹夫は、自宅の縁側からその景色をぼんやりと見やりながら、胸の奥でざわつくものを感じていた。

第一章 揺れる家風

 幹夫の家は、静岡市中心街から少し離れた旧士族屋敷町のはずれにあった。表門にはいまだ徳川家の家紋が彫られた瓦が使われており、庭には見事な松がそびえている。祖父が健在だったころは、季節ごとに門松や菖蒲の節句を盛大に飾り、往時の武士の暮らしを誇示していたという。しかし幹夫が物心つく頃には、もうその賑やかさも色褪せていた。

 父・明義は県庁に勤める官吏で、祖父の代から受け継がれた「士族としての誇り」を胸に抱きながらも、世の中の変化に合わせる柔軟さを持つ人物だった。家計は決して豊かではなかったが、家中には品の良い掛け軸や刀剣が残り、旧武士の面影をとどめている。祖母を中心に茶道や書道を嗜む風習は続いており、幹夫も日々それを目の端で見ながら育った。

 しかし、そんな家にも新しい時代の風は忍び寄っている。明義が持ち帰る県の資料には、製糸業や楽器製造、清水港を通じた貿易の話題が載り、さらに政治では普通選挙や婦人参政権といった聞き慣れない言葉が飛び交う。祖母は眉をひそめ、「寄らば大樹と申すではないか。民衆が何を騒ごうと、国が乱れてはいけない」と口癖のように漏らすが、明義は「時代は変わっているのですよ」と諭すように応じるだけだった。

 幹夫は、自分たち士族が世の中の中心に座る時代は遠のいているのだろうか、とどこか心細い思いを抱く。一方で、父の読む『中央公論』や『太陽』の総合雑誌に載る議論や海外事情の紹介には、好奇心をくすぐられる。古い家の重みと、新しい社会への憧れ。そのはざまに立たされる少年の胸中は、梅雨入り前の空模様のごとく、不安定に揺れていた。

第二章 米騒動の記憶

 幹夫の心に強烈に残る体験は、二年前の夏、米騒動が静岡市でも起こった時のことだ。八月中旬、米価高騰に憤った群衆が暴徒化し、市街地の商家や米問屋を襲撃した。夜の町を火の手のような怒声がこだまし、町中は戒厳さながらに騒然となった。

 幹夫の家も市街地に近く、門を固く閉ざして厳戒態勢を敷く。明義は「騒ぎが大きくならぬよう、県庁の上司に掛け合ってくる」と出かけたきり、一晩帰らなかった。幹夫は母とともに不安に耐え、家の奥座敷で小さく身を縮めた。窓を叩く物音、外を走る足音、そのすべてが何か恐ろしいものの前触れに思えた。

 翌朝になってようやく騒ぎは鎮圧されたが、市中には割れたガラスや乱れた家財が散乱していた。その跡を横目に幹夫は、社会が激しく揺らぐ光景を初めて目撃する。どうして人々は怒り、家を襲い、破壊するのだろうか。この時、幹夫は「ああ、世の中は父が言うように本当に変わりつつあるのだ」という実感と、同時に「声を上げる人々」というものに漠然とした畏怖と興味を覚えた。

第三章 学校という世界

 幹夫は今年、旧制中学校への進学を控えている。士族の家柄ということもあり、学問は家族から強く奨励されていた。平日は漢学の塾に通い、週末には英語の個人教師に習う日々。しかし、この頃から新しい風潮を取り入れた進歩的な教師も増えており、幹夫の通う公立小学校では、時折ディスカッション形式の授業を試みる先生が現れた。

 ある日の授業で、教師が壁新聞を作ろうと言い出した。大きな模造紙に皆で記事を書き、校内に貼るのだという。話題は何でもよい—社会のニュースでも地元の産業でも自由に書いてみよう、と。幹夫は思い切って「米騒動」についてまとめることにした。新聞から切り抜いた記事を貼り、なぜ暴動が起きたのか自分なりに考えた文章を添える。クラスの誰もが生々しい記憶を共有していたため、廊下に貼った紙の前には同級生が集まり、激しい議論が起こった。

 「米屋が悪いのか」「軍隊が出てくるなんておかしい」「高い米なんか買えないよ」と口々に言う友人の姿に、幹夫はかすかな昂揚を覚える。一年半前の騒ぎが、こうして自分たちの議論になるなんて思ってもみなかった。社会を良くするためにどうすればいいのか—子どもながらに真剣に話し合う空気が生まれる。その風景はどこか新鮮で、幹夫はほんのりと胸を熱くするのだった。

第四章 父の仕事

 父・明義は、静岡県庁で産業振興や地方行政に携わっている。士族出身のネットワークを活かし、茶業や製糸、そして浜松の楽器産業にも関わる資料を整えたり、共進会の準備に奔走したりと多忙を極めていた。幹夫は父に連れられて、県が主催する品評会や博覧会を見学することがある。

 ある日、幹夫は清水港で開かれる茶の品評会に初めて足を運んだ。広い倉庫にはずらりと並んだ茶箱、そして海外の商人らしき外国人の姿もちらほらと見える。掛け声や抹茶の香りが渦巻くなか、父は審査員と言葉を交わし、輸出用の茶葉について活発に意見を交換している。

 幹夫は倉庫のすみから、そのやり取りをじっと見ていた。海外へ渡る日本の茶、経済を動かす取引、すべてが自分とは遠い世界のようでいて、しかし目の前にある現実だ。父は命じられた仕事を淡々とこなすというより、むしろ生き生きと「県の未来」を語っているように見えた。

 帰り道、父は幹夫に微笑んで言う。「幹夫、おまえが大きくなる頃には、きっとこの静岡の茶はもっと世界へ広がる。そうなれば地元の農家も潤い、みんなが豊かになる。そんな世の中こそが、わたしの望むところだ」 幹夫は頷く。茶箱に刻まれた海外行きの文字が脳裏に焼きつき、いつか自分も世界を見てみたい、という気持ちが芽生えていた。

第五章 青年団の夜

 夏休み、幹夫は母方の郷里である榛原郡の村へ出かけた。そこには母の従兄が率いる青年団があり、村の若者たちが集まって毎週のように体操や講演、奉仕活動を行っているという。「政治は扱わないけれど、若者が修養を積んで村を支える力を育てる」のが目的らしい。

 夜、倉庫を借りて開かれる青年団の会合に、幹夫も特別に参加させてもらった。提灯のほのかな明かりの下、団長が力強く語る。「この村が豊かになるためには、まず皆の心がひとつにならなくてはならない。互いに助け合い、学び合えば、きっと作物も工夫が生まれ、生活も改善される」 幹夫は、まるで軍隊式の規律を想像していたが、実際にはそこに集まる青年や少女たちは熱心に聞き入り、笑顔で意見を交わしている。その輪の中には、農作業に疲れた顔の青年もいれば、父母を手伝いながら家事や裁縫を学ぶ娘もいた。

 「幹夫くんも、村のことをどう思う?」 団長に促され、幹夫は戸惑いながら言葉を探す。「僕は……米騒動を見て、人が声を上げることは大切だと思いました。でも、それで暴動になってはだめだし……こうやって話し合える場があるのは、いいことだと思います」 自分でもまとまっていない意見を口にするのが恥ずかしかったが、団長は頷いて目を細めた。「そうだな。声を上げ、共に知恵を出すことだ。暴力だけが道ではない。この青年団は、そういう場所として続けていきたいんだ」 夜風が吹き込み、倉庫の小窓から月明かりが差す。月の光を浴びる笑顔の青年たちを見つめ、幹夫は地域や人とのつながりの意味をはじめて肌で感じた。

第六章 出会いの影響

 夏が終わるころ、幹夫は父の勧めで、浜松の親戚が営む織物工場を見学する機会を得る。と同時に、近くにある日本楽器製造(ヤマハ)の大きな工場を外から覗いてみようと計画していた。父が「楽器製造の現場は日本の新産業を支える最先端だ」と以前から話していたからだ。

 まず訪れた織物工場では、幾台もの織機が騒々しく動く。糸がシャトルに乗り、横糸と縦糸が交錯するたびに、機械がリズミカルな音を立てて布を織り上げていく。その光景に幹夫は目を奪われた。人の手を超えた速さで生地ができていく。人が機械を動かし、機械が人を支えている—これが新しい産業なのだと、肌で感じる。

 続いて立ち寄った日本楽器製造の門は厳かで、門番に止められたものの、応対に出てきた技師らしき男が幹夫の好奇心を感じ取ってか、少しだけ中庭を案内してくれた。そこにはオルガンやピアノの部品が並び、木の香りと塗料の匂いが混ざり合う。人々は白い作業着に身を包み、真剣な面持ちで音階の調整をしている。幹夫は胸を弾ませながら、手元のノートにピアノの仕組みや工場の様子をメモした。

 「大正の今、こういう産業が浜松を、ひいては日本を支えているんだよ」 技師は誇らしげに語る。 「我々が作るピアノは海外に負けない。いつか国際的に高い評価を得る日が来るだろうさ」 幹夫は思わず、「はい!」と強く返事した。自分もいつか新しい技術を学び、日本の未来に貢献できる存在になりたい—まだぼんやりした夢ながら、そんな感情が込み上げるのを感じた。

第七章 光と影

 その年の秋、県庁に暗い話題が広がった。浜松の日本楽器製造で、従業員たちが待遇改善を求めて声を上げ始めたというのだ。賃金や労働時間、会社の経営方針などを巡って労働争議が激化し、県も対処に追われている。

 幹夫は驚いた。あれほど情熱的に仕事をする技師たちと、会社の経営陣が対立するなんて想像もしなかった。父の口ぶりは複雑だった。 「会社側が一方的に悪いわけでも、労働者だけが正しいわけでもない。だが、昔の武士社会では考えられなかったことが現に起こっている。世の中は、本当に大きく動いているのだよ」 幹夫は考え込む。何が正しいのか、もやもやした気持ちが消えない。先日目にした工場での誇らしい光景と、現場の声が噛み合っていないように思えた。

 その夜、祖母が嘆き口調で言った。 「自分の立場を忘れて、下々が騒ぐなんて見苦しい話じゃ。士族の家なら、もともと主従の分はきちんとあるものだろう」 父は静かに首を振った。 「母上、もう主従の時代ではありません。みんなが声を持ち、主義を訴え、より良い暮らしを求める時代です。士族も例外ではない」 祖母は渋い顔で黙り込み、幹夫の胸にも重い空気がのしかかった。しかし、その重みこそが「変化」の実感だった。こうして家族の中にも、世代間の価値観のズレが表面化しつつある。

第八章 新しい道

 幹夫の学校でも、普通選挙や婦人参政権が新聞に大きく書き立てられるたびに、時事問題を話す時間が増えてきた。ある日の講演会で、県出身の代議士・松本君平が来校し、「日本の政治は国民みんなが参加してこそ動くのだ」と熱弁をふるった。幹夫はそのまばゆい言葉に衝撃を受ける。士族であるか否かは関係なく、「誰もが平等に参政できる社会」を目指す—それが大正デモクラシーの時代精神なのだと知った。

 講演後の校庭で、幹夫は松本君平に勇気を出して声をかけた。 「あの……国民みんなが政治を動かすとは、どういうことなのでしょうか」 松本は笑みを浮かべ、幹夫の肩にそっと手を置いた。 「君のような若い人が疑問を持つのは大事なことだよ。一部の人間が決める政治ではなく、みんなが選挙で声を上げ、意見を交わす政治を作る。そうすれば、米騒動のような痛ましい乱も減るはずだと、私は信じている」 幹夫は胸の奥で熱いものがこみ上げる。「士族だから」「武士の家柄だから」という看板にしがみつくより、自分自身が社会の一員として考え、行動することが大切なのではないか。そう思えた。

第九章 揺れる決意

 幹夫は旧制中学の進学試験に合格した。親族のほとんどが祝福してくれたが、中には「士族の家柄なら官吏にでもなってこそ」と言わんばかりの者もいる。だが、幹夫は将来を決めきれなかった。父のように地方行政に携わる道もあれば、浜松で見たように新しい産業の技術者になる道もある。あるいは大学へ進んで社会改革や政治を志すこともできるだろう。日本は今、大正の新時代の風が吹き荒れ、あらゆる可能性が開けているように見えるのだ。

 ある晩、縁側で書物を読んでいた幹夫のもとに、明義がやってきて隣に腰を下ろした。蒸し暑い夜だったが、打ち水をした石畳から涼しい香りが漂っている。 「幹夫、おまえは将来何になりたいと思っている?」 急に問われ、幹夫は固まる。だが、どこかで何度も考え続けていた問いでもあった。 「……正直わかりません。でも、父さんのように県の仕事をするのもいいし、浜松の工場みたいに新しいモノづくりをするのも面白そうです。政治のことだって、いつかやってみたい気もする」 明義は穏やかに微笑んだ。 「どれでもいい。大切なのは、『自分だけの道』を歩くことだ。士族の家だとか、昔の誇りだとか、そんなことに縛られなくてもいい。おまえが感じたままに進めば、きっと世のためになる人間になれるだろう」 幹夫は思わず胸がいっぱいになる。武士の矜持を持ちながらも、新しい考えを受け入れ続ける父は、自分にとって何よりの手本だった。

第十章 小さな決心

 幹夫は翌朝早くに目を覚まし、家の軒先に吊るされた竹刀を手に取った。祖父の形見だ。古めかしい柄は、いまだに武士の魂を宿しているように感じられる。幹夫はそれを見つめ、決心したように丁寧に竹刀のほこりを拭い取る。

 その後、部屋に戻ると、机にノートを開いて「近頃の労働争議について」と題した文章を書き始めた。米騒動、楽器製造会社のストライキ、普通選挙への道のり……それらがいま、幹夫の頭の中でつながり始めている。大正という時代が揺れ動くなか、士族の家に生まれた自分は何を考え、どう生きるか。幼いながらもその問いに正面から向き合うため、思いつく言葉を綴っていく。

 書いているうちに、ふと父がいつも言う「世の中をよくするのは人の声だ」という言葉を思い出す。父もまた、かつては旧士族の家に生まれながら新時代への戸惑いを抱えたに違いない。でも今、その戸惑いを自らの力に変えて、県庁で活躍している。そして幹夫自身もまた、中学進学を機に、自分なりに社会を見据えて歩いていこう。ノートの最後に、幹夫は拙い字でこう書き記した——「ぼくも、声を上げる一人になりたい」

エピローグ

 幹夫の家の庭では、祖母が点てた茶の香りが漂っている。お茶請けには、今朝摘んできたばかりの茶葉を使った薄緑の菓子。静岡の大地が誇るこの茶を、世界へ、時代へと羽ばたかせた先人たちに思いを馳せながら、幹夫は湯呑をそっと口に運ぶ。

 遠く七間町の映画館では、洋画の看板が掲げられ、大正デモクラシーの風が地元にも吹き込んでいる。新聞は連日、政争や婦人運動、若者の活動を報じる。士族としての品位と新しい社会の理想、その二つが交錯する時代の中で、十三歳の少年はゆっくりと大人への階段を上り始めた。

 世の中は変わる。でも、その変化を引き寄せるのも人の力——。 幹夫は心のどこかで、そう確信していた。

 ——(了)

 
 
 

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