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青嵐の茶畑

  • 山崎行政書士事務所
  • 5月10日
  • 読了時間: 13分


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―― 大正期 静岡士族少年来歴 ――

第一章 山並みの彼方

大正三年の春、静岡城趾の城壁跡を見下ろす高台に古い士族屋敷があった。その屋敷が伊藤家であり、十三歳の少年・**伊藤幹夫(いとう みきお)**はそこで生まれ育った。

幹夫の父・**伊藤親房(ちかふさ)**は、旧幕臣の出自を誇り、明治維新後は静岡で官吏として勤め、今は県庁の要職に就いている。幹夫には七人の兄姉がいたが、彼らはそれぞれ成長とともに巣立ち、ある者は陸軍士官学校へ、ある者は女学校を出て東京へと旅立っている。

幹夫は末っ子ゆえ、父からも母からも厳格に躾けられていた。その朝、曇りかかった遠い空を見上げると、茶畑を吹き抜ける風の音が、まるで「ここから出て行け」と囁いているかのようだった。けれどまだ十三の幼さを抱える少年は、父の期待と家の重みに押されるまま、文字どおり家の軒先に縋(すが)りついているのだ。

「幹夫、稽古に遅れるぞ」

父の低い声が縁側から響く。幹夫は襖を開け放ち、古武道の稽古着に身を包んだまま廊下へ駆け出した。


第二章 士族の末裔


明治維新によって廃藩置県が行われ、旧武士たちが新たな道を模索するなか、静岡には旧幕臣が多く移り住んだ。当初は城下の町も活気が失せ、経済もぱっとしなかったが、やがて官営・民営を問わず産業が成長し、大正初期に至るまでのあいだに商工業が隆盛を見せ始めた。

伊藤家の先祖は江戸の幕府に仕え、徳川の将軍が隠居した際に多くの家臣が移住してきた経緯がある。父・親房はその名残を胸にとどめ、かつての武家の矜持を厳しく維持していた。

幹夫にとっては、その矜持が形式に感じられることもしばしばだった。母・雪江や姉たちもまた「昔の家柄」を口にし、家をつねに清く保たねばと心を砕いている。幹夫はその空気の中で暮らしながら、外にはもっと大きな“世界”が広がっていると漠然と想像していた。


視点:

ここで筆者はひとつ断っておきたい。大正期の士族家庭というのは、家禄を失ったのちに市井で己の職を得て、時には恥といわれる仕事も厭わず生き延びてきた者が多かった。伊藤親房の場合もまた、県庁勤めの安定を保ちつつ、家名を立て直すため小作地を買い集め、兄たちを上京させるなど奮闘してきたのである。が、その奮闘は外からみれば堅実に見えるかもしれないが、息子たちにとっては息苦しいほど厳格な“旧士族”の殻であった。

第三章 七間町のにぎわい

静岡の町は、大正三年の頃、徐々に市街地が広がり、電灯が灯る通りが増えてきた。七間町という場所には活動写真館や劇場が建ちはじめ、夜になると通りに人力車と洋装の青年たちが行き交う。

学校から帰る道すがら、幹夫は同級生の河合千之助に誘われて、そのにぎわいを覗きに行った。古い長屋や土蔵を残しながらも、洋館めいた建物も混ざり合う景観に、幹夫は胸を躍らせた。

とくに、小さな活動写真館から漏れ聞こえるピアノの伴奏に耳をそばだてたとき、幹夫は不思議な昂揚を覚えた。これまで武家屋敷の古風な庭しか知らなかった少年が、大正の新しい文化の香りを初めて手に触れるように感じたからだ。

「こんなに人が集まるんだな……」


幹夫が呟くと、千之助が笑う。

「最近は活動写真が流行だからね。外国の映画もあるらしいよ。フランスとか、アメリカとか……」

外国と聞いて、幹夫の心ははやる。士族としての古い“血”ばかりを押し付けられてきた彼にとって、それはまるで未知の宝島の噂のように輝いた。


第四章 父の試練

幹夫が家に帰ると、父が一頭の馬を屋敷の離れに引いてきていた。

「お前も十三になったのだから、馬の扱いを覚えろ。士族の家としては、昔なら小姓の頃から馬廻りの心得を得ていたものだ」

親房の言葉に、幹夫は戸惑うと同時に厳粛な気持ちを抱いた。馬は武家の象徴である。茶畑で農耕に用いる馬ではなく、旧士族が“体面”を示すために飼う馬というのは珍しく思えるが、父いわく「郊外の馬場で鍛錬し、己の弱さを知れ」ということだ。

馬の手綱を握ると、その鼻息が幹夫の掌に吹きかけられ、背筋が少し震えた。大人が乗るには小柄な馬だったが、力強い筋肉をもっている。父の背後には母や姉が心配げに見守っている。

幹夫は思う。自分はこの馬術を習得し、家の武士らしさを継承しろということなのか。それとも、これから変わりゆく時代に適応するための一歩なのか。いずれにせよ、父の静かな眼差しからは「今度こそ逃げるな」という無言の圧力を感じた。

第五章 米騒動の兆し

大正七年(1918年)夏、日本全国で米騒動の声が高まる。富山で始まった主婦らの米価引き下げ要求は、あっという間に全国の都市へ波及し、静岡の町にも人々の不満が伝播しつつあった。

父・親房も県庁から「県内各地で民衆が騒ぎ出す前に手を打たねば」という通達を受け、忙殺されていた。幹夫は、家の中が微妙に張り詰めた空気に包まれているのを肌で察する。

そんなある日、幹夫は人力車で通学路を急ぐ最中、市街地で警官隊が警戒態勢を取っているのを見かけた。河合千之助によれば「米屋に押しかける人々が増えている」らしい。

「わしらの米を安くしろ」という叫びが、街頭で響くのを遠目に見ながら、幹夫は胸をざわめかせた。おそらく、父が懸命に抑えようとしている事態だろう。これが社会の新たな動きなのか――少年は、夜の活動写真の喧騒とは別の形で「外の世界」を見せつけられた。


第六章 姉の決断


そんな騒然とした時期、幹夫の三番目の姉・文江が父母に「東京の女学校へ進みたい」と申し出る。すでに姉は高等女学校を卒業し、静岡で教師になるか家に残るかと考えられていたが、彼女はさらに上を見据えていた。

父は当初難色を示したものの、姉の強い覚悟を前にして黙考した末、「よかろう。ただし、家の名を辱めるような行いは許さんぞ」と告げる。母は密かに涙を浮かべていた。

幹夫にとっては、姉が東京へ行くというのは、自分にとっても“外の世界”への距離を縮めるように思えた。姉がもし成功すれば、幹夫の将来にも選択肢が増えるかもしれない。家に縛られただけの人生は、ひょっとしたら避けられるのではないか――そう期待するのだ。

司馬作品的視点:

伊藤家の中で、この姉・文江の行動は一種の“衝撃”であった。士族の旧家で、女子がさらに上の学校に進むというのは稀有だったからである。だが大正デモクラシーの風潮がそれを後押しし、親房も「流れに逆らうのは得策ではない」と考えた節がある。皮肉にも、この家の血を継ぐ人物が、その家の“旧態”を乗り越えるきっかけになるのであった。


第七章 海のかなた


幹夫はある日、父の留守を見計らい、清水港へ足を伸ばした。汽車で二駅ほど行けば港町であり、そこで外国船が出入りしていると聞く。

港では荷役人足が忙しく働き、異国の船員らしき姿も混じっている。遠くに碇泊する大きな黒塗りの汽船が、幹夫の想像をかきたてた。

「世界には、自分が見たこともない場所が果てしなく広がっているんだろうな」

少年の胸は高揚しつつも、一方で「自分は士族の家に生まれて、一生ここから出られないのでは」といった不安もよぎる。しかし、波止場で潮の香りを嗅いだとき、幹夫の脳裏には“背中を押すような”力強い気分が走った。

帰りに乗った小さな汽車が、幹夫を揺らしながら静岡市内へ戻していく。その車窓を眺めながら、少年はふと「いつかこの線路ではない別の船で、ずっと遠くへ行くのかもしれない」と夢想する。彼の中で何かが変わり始めていた。

第八章 荒馬の奔走

馬術の稽古は続いていた。父は馬場で幹夫を鍛え、少しでも手綱が緩むと厳しく叱咤する。

「馬を支配するには、己を律する心と、馬の気性を見極める勘が要る。武家の嗜みとしてだけではなく、お前の魂を鍛えるためでもあるのだ」

幹夫は何度か落馬の痛みを味わいつつ、いつしか馬を操る快感を知った。立ち上がる風が頬を打つとき、地面との距離が平時よりはるかに高いというだけで、少しばかり世界が広がったように思えるからだ。

ある夕刻、父と幹夫が馬場を離れ、自宅に戻る途中、田畑から引き上げる農夫たちがちらほら見える。彼らの汗と泥にまみれた姿を見て、父は呟くように言った。

「昔は武士と百姓は身分が違った。だが今は、立場は同じようになりつつある。世は変わるものだな……」

それは父自身の嘆きにも聞こえた。幹夫は馬上で揺れながら、その父の横顔に一瞬の虚ろを見出した。

第九章 米騒動の嵐

やがて、富山から始まった米騒動は全国に飛び火し、静岡でも民衆が高騰する米価に怒りを見せ始めた。七間町の商店街には「米を安くせよ」という横断幕を掲げる者も現れる。

ある晩、幹夫が河合千之助と連れ立って町を歩くと、米屋の前に騒然とした人波ができていた。声を張り上げる主婦たちや、煽動する若い男たち。警官隊がそれを制止しようとする。

「まるで戦場みたいだな……」

幹夫は喉が渇くような感覚を覚える。そこへ奇しくも父が県庁から駆けつけたようで、役人仲間とともに混乱をなだめに入る。父の声が雑踏の中、幹夫の耳にかすかに届いた。

「騒ぎを大きくしては民衆自身が苦しむことになる」

しかし群衆は納まらず、警官と揉み合いを起こす。幹夫は父の姿を見失い、一抹の恐怖を抱えながら、千之助とともに路地へ退避した。大正デモクラシーの時代であっても、社会は不安定に揺れている――幹夫はその事実をまざまざと見せつけられた。

視点:

ここで筆者は、少年の目に映る米騒動の混乱が、彼の「家の誇り」と「外の社会」のギャップをさらに深める契機になったと考える。親房の官吏としての苦労は、これまで家の中では“立派”とされてきたが、米騒動の最前線で、実際に何ができるのか。幹夫はその父を見つめながら、多くの疑問を抱き始めるのである。


第十章 姉の旅立ち

騒動がひとまず沈静化したころ、姉・文江はついに東京へ出発する日を迎えた。静岡駅には母が涙ながらに見送りに来ており、父は役所の仕事の都合で姿を見せられないという。

幹夫は姉の荷物を手伝いながら、駅のプラットフォームで彼女に言う。

「東京って、どんなとこなんだろうね。姉さんがどんな生活をするのか、俺には想像もつかないや」

姉はにこやかに笑う。

「きっと、静岡よりずっと大きな人の波があって、いろんなものに触れることができるはず。あなたもいつか上京してきなさいな」

その言葉が、幹夫の心を大きく揺さぶる。家の敷居を越えた先にある自由――そんな空気を、姉がまとっているようだった。

汽笛が鳴り、列車が動き始めると、姉は窓から幹夫に向かって手を振った。母は隣でハンカチを握りしめ、涙をこらえている。少年の胸にはどこか旅立ちへの羨望が混じった複雑な感情が湧いていた。

第十一章 父との対話

姉がいなくなり、家の中は静かになった。母は淋しさを拭いきれず、幹夫に対する干渉が少し強くなったようにも感じる。そんなとき、父は幹夫に向かい、少し意外な言葉を投げかけた。

「お前はどう考えている。いずれ陸軍に行きたいのか、県庁に入りたいのか、それともほかの道を望むのか」

幹夫は答えられないまま俯く。父はそれを見て、唸るように言った。

「わしはもはや昔の武士としての生き方に未練があるわけではない。ただ、伝統と誇りは大切にしてきた。だが、この大正の世の変化は想像以上に速い。お前はその変化を、どう受け止めているのか――」

幹夫ははじめて、父が“迷っている”ように思えた。米騒動の渦中で、父もまた無力感を味わったのだろうか。家を守るという一点では揺るぎないが、息子たちに旧来の道を押し付けることにも限界を感じているように思える。

視点:

親房が息子に自分の将来を問いかけるのは、それまでの士族の家ではあまり考えられぬことだった。武家社会なら、当主が決めた道を子が疑うことなく進むのが常。しかし、大正という新時代の空気は、かつての武家の習慣を柔らかく崩していったのである。


第十二章 青年の死

ある日、幹夫は馬場の稽古帰りに、河合千之助から訃報を知らされる。活動写真館でピアノ伴奏をしていた青年が、肺病で急逝したというのだ。わずか二十代半ばでありながら、郷里を離れ、音楽家を志していたらしい。

夜、幹夫は夢にその青年の姿を見た気がした。どこか青白い笑みを浮かべ、ピアノを鳴らしている。それは幹夫がはじめて“西洋の音楽”を耳にしたときの記憶と重なり、妙な悲しみを呼び起こす。

「人の命はこんなにも脆いのか。それでも、人は自分の道を選び、目指すところへ進むのか」

少年の胸のうちに、漠然とした人生観の問いが生じる。

第十三章 馬で海へ

それから数日後、幹夫は自身の馬を駆り、清水港のほうへ向かった。父の制止を振り切り、夜明け前の薄暗い道をひたすら走る。

茶畑を抜け、川を越え、港に着くころにはちょうど朝日が昇り始めていた。背に汗を浮かべた馬は荒い呼吸をし、幹夫はその首筋を撫でながら、海の潮騒に耳を傾ける。

港には船乗りたちが泊まる宿がいくつかあり、旅装の人々も行き来している。少年が馬上でそれを眺めていると、奇妙な感覚に捉われた。

「いつか、この海を渡る術を、自分も得るのだろうか」

家に押し留められ、士族としての道を歩むのか。それとも姉のように外の世界へ出るのか。父は幹夫の道を縛らなくなった。ならば幹夫は自由を得たのか、あるいは父の期待を裏切ってしまうのか。

馬が軽く鼻を鳴らし、波止場の方へ歩み寄る。朝の澄んだ海風が幹夫の額を撫でたとき、少年は漠然と“自分はここでは終わらない”と確信に近い思いを抱いた。


第十四章 旅立ちの書状

家に帰ると、姉・文江から一通の書状が届いていた。東京での暮らしぶりと、女学校で学んでいる内容が細やかに綴られ、「もし幹夫が東京を見たくなるなら、いつでも来なさい」と結ばれていた。

母は苦笑いを浮かべながら「文江は本当に活発だこと。あんたも姉さんみたいになりたいのかい?」と問う。幹夫は即答できないが、否定もできない。

その夜、父は静かに言った。

「お前が東京へ行く日が来るなら、わしは止めぬ。しかし、何事も自分で決めろ。士族であろうとなかろうと、時代に応じて己の力を尽くすほかあるまい」

それは、父なりの最終的な“許し”だった。かつては旧習に拘泥していた父が、米騒動や子どもたちの旅立ちを経て、考えを変えつつあるのだろう。幹夫はもう子ども扱いされてはいないと感じた。


第十五章 家を出る朝

大正十四年のある朝、幹夫は父母に別れを告げた。家といっても、まだ十三から十四になる少年である。正式に東京で学ぶには時期尚早かもしれないが、姉の助力と家の多少の援助があれば道は拓ける。それを父が黙して認めているということは、幹夫の意思を尊重するということだ。

母は玄関で小さな包みを手渡した。中には家伝の短刀と、父の書状が入っているらしい。

「お父様からもらった大事な品だから、邪険に扱わないでおくれ。もし何かあれば、いつでも戻っておいで」

幹夫は頷き、馬を厩から連れ出す。しばらくは馬上の旅を続け、途中で汽車に乗り換えて東京へ向かうつもりだ。父は廊下からその様子を見守り、ただ一言「気をつけて行け」とだけ呟いた。

終章 青嵐の茶畑

馬の蹄が地面を打ち、幹夫は城趾を見下ろす高台に差しかかる。そこから見える静岡の茶畑は、朝露に濡れて瑞々しく青く霞んでいる。風が吹き渡ると、その香りが少年の鼻腔をくすぐり、胸を締め付けるような郷愁と期待が入り混じった感覚を呼び起こす。

「自分はこの町から出て、もっと広い世界を見に行く。そしていつか、また帰ってくるかもしれない――」

そんな思いを抱きつつ、幹夫は馬を進める。後ろを振り返ると、静岡の旧士族屋敷が朝の陽光に包まれ、父母がそこに立っているように感じられた。

風がまた吹き抜け、枝葉を揺らし、幹夫の背を押す。十数年を過ごした家からの脱皮、そして大正という時代に生きる少年の旅立ちが、今始まる。

彼が抱える父の伝統と姉の革新。それらを統合して自分の道を切り開くことが、この先の人生での命題となるだろう。茶畑を越え、海を越え、あるいは外国にまで足を伸ばすかもしれない――その可能性を、静岡の青い風が象徴していた。

 
 
 

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