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静岡鉄道ミステリー~後編~

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月28日
  • 読了時間: 43分


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第十話 「臨時列車に秘められた決戦」


 静岡鉄道で相次ぐ“時計異常”事件は、ついにクライマックスの舞台へと動き出そうとしていた。

 県総合運動場駅に設定された臨時列車――地元の大規模スポーツイベントにあわせて特別ダイヤが組まれるこの機会を、元メンテナンス業者・筧が狙っているのはほぼ間違いない。

 刑事・浜口修一は、被害者・山根豊の死の真相と、この“時間テロ”の核心を暴くため、大規模な捜査体制を整えていた。


準備の朝――“大集合”する思惑

 週末の朝。県総合運動場駅は、イベント観戦に訪れる人々で普段よりも賑わいを見せている。臨時列車の発着時刻が近づくにつれ、駅構内には静かな緊張感が漂っていた。

 - 警察の捜査員は制服・私服ともに増員され、要所に配置されている。

 - 鉄道会社も警備員を多く配し、配電ボックスや時計設備を厳重に監視する。

 - さらに、山根の同僚・秋吉洋介も「会社の不正を見届ける」と言って現場に足を運んでいた。


 一方、会社の経理部門トップ・下田の姿は依然として確認されていない。

 (やはり下田は逃げ続けるつもりか……。だが、筧からは“下田を引きずり出す”ための最後の仕掛けがあるかもしれない。)

 浜口はそう考えながら、駅長室のモニターを注視していた。


臨時列車と“発車標”の罠

 午前の便、午後の便、そして夕方の便――。臨時列車は三本運行予定で、特に昼過ぎの便は観戦を終えた観客が一斉に押し寄せるため混雑が予想される。

 それゆえ犯人が狙うとすれば、このタイミングが最有力と見られていた。

 「浜口さん、発車標に何か異常があればすぐ連絡します。時刻表どおりか細かくチェックを……」

 駅員がモニター前で緊張しながら報告する。


 浜口は腕時計を確認しつつ、部下の村瀬に指示を飛ばす。

 「監視カメラが捉える死角はホームの端と駅舎裏だ。筧がどこかから配電ボックスを開けようとするなら、必ず人目につきにくいルートを通るはずだ。気を抜くなよ」


悪意の前触れ――“小さな”停電

 そして、昼の便が到着する少し前。駅構内で一瞬だけ照明がちらつき、構内放送がかすれるように途切れた。

 (来たか……!)

 浜口と村瀬が配電ボックスに急行すると、確かに鍵穴は触られた形跡があるものの、まだ完全に破壊はされていなかった。

 「開けようとして途中で止めたのか? それとも、わざと警戒を逸らすために微弱な停電を起こしただけかもしれない」

 じりじりと焦る浜口の背後で、駅員が息せき切って走り寄る。

 「ホームの発車標に“3分遅れ”の表示が突然出ました! 実際に電車は定刻運行のはずなんですが……」


 偽の遅延情報で乗客を混乱させ、ホーム上に人が滞留する――パニックや転落事故を狙うには格好のトリックだ。筧は、時計の針をいじらずとも“発車標”を誤作動させる方法を見つけたのかもしれない。

 (このままだと人が押し寄せる時間帯に、大事故が起こりかねない……。)


人混みの向こうに見えた“帽子の男”

 12時45分。臨時列車の入線まであと15分ほど。すでにホームには多くの利用客が降り、改札へ向かう人波と、帰りの列車に乗るためホームへ上がってくる人波が交差しはじめていた。

 そんな中、秋吉が慌てた様子で駆け寄ってくる。

 「浜口さん、あっちで、帽子を深くかぶった男がホーム端の柱のところにいました! たぶん筧です。人混みに紛れていて、すぐ姿が見えなくなったんですが……」

 やはり現れたか。浜口は周囲の刑事と連携しながら、ホーム端を警戒する。まもなく列車が入線すれば、さらに視界は悪くなる。ここで確保できなければまたしても逃すことになる。

 (山根の死の真相を突き止めるには、何としても筧をとらえ、口を割らせねば――)


ホーム騒然――二重のアナウンス

 12時50分。あと10分で臨時列車が到着するはずなのに、ホームのスピーカーから「電車は13時10分に遅れます」というアナウンスが流れ始めた。

 (そんなはずはない! 公式には定刻通り12時59分頃に到着すると発表しているのに……)

 駅員が必死に訂正放送をかけるが、今度は別のスピーカーから同じような「13時10分遅れ」のアナウンスが重なり、まるでダブル放送のように混線状態になっている。

 乗客からは「どっちを信じればいいんだ!」という怒号が上がり、ホーム上は一気に殺気立つ。


 浜口はイヤな予感を噛み殺しながら、周囲を探す。

 (これも筧の仕業か? しかし、こんな混乱を起こして一体何が目的だ? 単なる嫌がらせにしては手が込みすぎている…)


“下田”の出現

 混乱がピークに差しかかろうという頃、改札近くで叫び声が起こった。

 「いたぞ、あれは下田じゃないか!」

 周りを見渡すと、確かにスーツ姿の男が群衆を掻き分けてこちらに向かってくる。顔には焦燥の色が浮かび、彼の視線の先には秋吉がいた。

 「秋吉……俺は騙されたんだ! 筧がこんな大それたことをするとは思わなかった。俺はただ、会社を守りたかっただけで……!」


 下田が息を切らしながらそう叫ぶが、秋吉は目を見開いて立ち尽くす。

 「何を言ってるんですか。あなたがやったのは、不正契約の隠蔽と証拠隠滅。筧を冤罪に陥れたのもあなたでしょう? 山根さんがあなたを告発しようとしていたのに……!」


 下田は混乱したまま叫ぶ。

 「ち、違うんだ! 俺は確かに筧を切り捨てようとした。でも、山根を殺すつもりなんかなかった。あの日、桜橋駅で筧と山根が会うなんて想定外だった。あれは全て筧の独断だ。俺はただ会社の不正がバレないようにしたかっただけだ! 山根が死んだのは、あいつが時計をいじったせいで……」


 その言葉を聞いた浜口が鋭く問う。

 「つまり、あの日の新静岡駅の時計“5分進み”も、筧がやったと? お前は一切関与していないとでも言うつもりか?」

 下田は唇を噛んでうつむいた。

 「……騙されたんだ。筧は“会社の不正を黙っていてやるから金を出せ”と脅してきた。俺は金を渡して、設備調整の仕事も表向き継続してやった。だけどやつはそれを逆手に取って、自分が自由に駅の時計をいじれるようにした。結果として山根が……」


迫り来る列車、追いつめられる“時間”

 下田の狼狽ぶりからして、彼が山根殺しの直接の実行犯ではない可能性が高まった。しかし、“口封じのために筧を利用した”罪は重い。

 一方で、この場に筧本人がいるのかどうか。混乱に乗じてすでに逃げ去ったのか。捜査員が必死にホームや改札を捜索しているが、目撃情報は錯綜している。

 「臨時列車、まもなく到着いたします……」

 やっと正常に戻った放送が流れる。既に時計は12時58分。まさに乗客が一斉にホームへ殺到し、足の踏み場もない状況になる。何かあれば大事故に繋がりかねない。


 浜口は下田の腕を掴み、怒鳴る。

 「筧は今どこにいる? さっき見かけたという報告があったが!」

 「わ、分からん……! ただ“臨時列車が着くときに真実が暴かれる”とか言ってた。駅の時計を見ろ、とも……」


刻々と進む“時計の狂い”

 そういわれて浜口がホームのアナログ時計を見上げると、針は既に“13時03分”を指している。実際にはまだ12時58分。5分ほど進んでいる――まさに、山根が死んだ時と同じズレの幅だ。

 (これは……再現か!? 筧は“あの日の再現”をしようとしているのか!)

 もし多くの乗客が「まだ時間がある」と思い込んでしまい、実際には列車がすぐ到着してホームに殺到したら――パニックが起きる恐れは計り知れない。まるで山根が新静岡駅で倒れたときのように……。


 ホームには既に人があふれ、電車の到着を待っている。進んだ時計を信じている人が多ければ多いほど、危険は倍増する。


秋吉の叫び

 まさに臨時列車が視界に入る――ホームの先にライトが現れた瞬間、秋吉はホーム中央へ駆け出し、大声で叫んだ。

 「みなさん、時計が狂っています! 列車はもう来ます、危ないです! 下がってください!」

 突然の絶叫に人々はぎょっとして振り返るが、中には「何を言ってるんだ?」と怪訝な顔をする者もいる。混乱が拡大する前に、浜口もマイクを使ってアナウンスを試みる。

 「こちら警察です! ただいま駅のアナログ時計が進んでおります! 列車は間もなく入線しますので、黄色い線の内側までお下がりください!」


 ザワッ……と騒然とするホーム。

 まさにそのとき、列車がゴォーッという音を立ててホームに滑り込んできた。


筧の姿

 ホーム先頭に列車が止まり、ドアが開く。人々が乗り降りを始める中、ひときわ強い視線を感じて浜口が振り向くと、帽子を目深にかぶった筧が車両の連結部付近に立っていた。

 浜口が声を上げようとした瞬間、筧は帽子を軽く上げ、その素顔をさらす。痩せた頬、鋭い眼光――そして唇には薄い笑みが浮かんでいる。

 「惜しかったな、刑事さん。だがもう用は済んだ。俺が“再現”したいことは充分にできたからな」

 「再現……お前は山根が死んだ状況を、ここで再び起こそうと?」

 「そうだ。あの日、山根は俺に会うはずだった。下田を追及するために。だが、おまえら警察は俺を追い詰めるどころか、真犯人を取り逃がす結果になった。山根が死んだのは俺のせいじゃない。やつは“会社の裏切り”と“歪んだ時計”のせいで、もはやどうにもならなかったんだ」


 その声には憎悪と哀しみが混在していた。


迫る“真相”と逮捕の一瞬

 「山根は、会社の不正を暴くためにお前と手を組むはずだった。それでも彼が死んだのは、誰かの差し金があったからだろう?」

 浜口が問いただすと、筧はホームの混雑を横目に見ながら苦い表情を浮かべる。

 「俺は山根と接触するつもりだった。だが直前、下田から連絡があった。もし“桜橋駅の時計に細工”して山根を混乱させれば、もっと大きな金を出す、と。俺は、金をもらいさえすれば、あとはどうでもよかった。正直すまなかったと思ってる。だが下田は“山根を殺せ”とまでは言わなかった。……なのに、あいつは結果的に死んだ。あのときホームにいたのは俺じゃなく、別の誰かだろう」

 別の誰か――それは本当に下田の差し金なのか、それとも下田以上の黒幕がいるのか。


 だが、今ここで深追いしている暇はない。浜口は手を伸ばし、筧を確保すべく飛びかかる。

 「おとなしくしろ、筧! これ以上、乗客を巻き込むわけにはいかない!」

 筧は意外にも逃げるそぶりを見せず、目を伏せる。

 「ああ、もういい。俺は十分に会社にも警察にも報いさせたつもりだ。結局、山根の無念は晴れないかもしれないが、あの男(下田)も逃げ切れまい。おまえがしっかり締めあげろ」


 そう言い放った筧は、抵抗することなく手錠をはめられた。ホームに詰めかけた人々はまだ混乱の渦中にあるが、最悪の事態――転落や大規模パニック――は回避されたようだ。


さらなる闇と追及

 筧は逮捕された。だが、彼が口にしたのは“下田の依頼”で時計操作を行ったという事実。山根が死んだ経緯については「自分じゃない」と否定している。

 (では、山根が新静岡駅で倒れたあの瞬間、誰が“最後の一押し”をしたのか? 筧と下田に加え、さらにもう一人いるのか……?)


 ただ一つ確かなのは、“不正契約”と“冤罪”をめぐる闇が深く、筧はその犠牲者でありながら、手段を選ばぬ復讐に走ってしまったということ。

 そして下田もまた、“会社の不正”を守るための工作を越えて、何かもっと大きな陰謀を隠しているのではないか――そんな疑念が拭えない。


 “時間の罠”による連続テロは、ここで終結を迎えるかに見える。だが、真に山根の命を奪った犯人が不明なままでは、事件はまだ終わっていない。

 浜口は言いようのない不安を抱えながら、筧を護送するパトカーを見送った。次なるステージは、会社の闇――そして下田の背後に潜む“もう一つの影”を暴くことになるだろう。


新たな旅路の始まり

 こうして、臨時列車をめぐる大混乱は未然に防がれ、筧も確保された。しかし、その代償として明らかになったのは、会社の不正と複数の人間の利害が錯綜する、根深い闇だった。

 犯人逮捕の報道が駆け巡る中、秋吉は浜口に頭を下げる。

 「山根さんのこと、まだ何も解決していないんですね。でも、僕も最後まで協力します。下田さんが隠している真実を突き止めるまで……」

 浜口はうなずき、彼の肩を叩く。

 「本当の勝負はこれからだ。筧が語らなかった“別の誰か”――そいつが山根を死へと追い詰めた可能性は高い。引き続き、油断はできないぞ」


 刻まれる時計の針は、まだ真相を指し示してはいない。

 いったい誰が山根を“直接”殺めたのか。それとも事故だったのか。下田の失踪と会社の闇の行方は?

 静岡鉄道ミステリーは、いよいよ最終局面へと向かう。


第十一話 「暴かれる影、揺れる証言」

 静岡鉄道を翻弄し続けた“連続時計異常”事件は、ついに元メンテナンス業者・**筧(かけい)**の逮捕によって大きな転機を迎えた。 しかし、刑事・浜口修一は、その成果を噛み締めることもできず、やりきれない思いに囚われている。 被害者・山根豊が亡くなった真の理由は、依然として不透明なまま。筧は「自分は山根を殺していない」と言い、会社経理部門トップ・下田も決定的な証言を避けたまま休職扱いで姿を隠している。

 (まだ何かが動いている。時計を狂わせた犯人は捕らえても、事件そのものが解決したわけじゃない。)

取調室での筧

 警察本部の取調室。筧は両手を机の上に組み、うつむき加減で話していた。 「俺は確かに“駅の時計をいじって”人を混乱に陥れた。それは認める。しかし、山根が死んだのは俺の意思ではない。あの時、“あいつ”が現場に来ていたんだ」 「あいつ、というのは下田のことか?」 浜口が問い詰めるも、筧は曖昧に首を横に振る。 「違う。下田は確かに裏で糸を引いていたが、あの日、山根を追い詰めた“決定打”を放ったのは別の人物だ。……名前までは知らない。ただ、下田もその存在を警戒していたようだった」

 さらに筧は続ける。 「山根と俺が会う手はずだった桜橋駅の“13:05”。実は、その時刻を伝えたのは下田じゃない。別の誰かだ。そいつが“山根を確実に混乱させるため”に、新静岡駅の時計を5分進ませるよう工作しろと俺に指示してきた。俺は金が欲しかったし、下田にも弱みを握られてたから断れなかった。 ……正直、山根が死ぬとは思っていなかった。彼は会社の不正を暴こうとしていたし、俺にとっても“敵”ではなかったのにな」

 それ以上、筧は語ろうとしない。もどかしさを抱えつつ、浜口は取調室を後にする。

警察本部での捜査会議

 浜口が捜査会議室に戻ると、部下の村瀬や同僚の刑事たちが集まっていた。 「筧の供述では、“別の黒幕”が存在する可能性が高いです。下田以上に会社の不正を隠蔽しようとする勢力か……あるいは、下田ですら利用された立場かもしれません」 村瀬がホワイトボードに相関図を描きながら説明する。 - :駅設備を自由に操作する権限を(不正に)得ていた。山根殺害は否定。 - 下田:会社の不正契約の中核にいるが、山根殺害に直接関わったかは不明。 - “第三の人物”:山根と筧を翻弄し、時刻表トリックで山根を死に追いやった?

 そこに、山根の同僚・秋吉洋介が沈痛な面持ちでやって来る。 「会社に残されていた山根さんのメールや資料から、新しく気になる名前が出てきました。**『沖田(おきた)』**という人物です。実は、下田さんの右腕として動いていた経理担当で、外回りを任されていたらしいんです。だけど社内でもほとんど顔を知られておらず、山根さんが“怪しい”とメモを残している」

 (“沖田”――これが筧の言う“あいつ”なのか?)

沖田の存在

 秋吉の話によると、“沖田”は富士技研サービスとの交渉窓口にも出入りしていたとの噂がある。しかし社内の正式な記録には名が見当たらない。いわゆる“幽霊社員”のような存在だという。 「下田さんが全て仕切っていたので、僕も詳しくは知りません。ただ、山根さんの私的メモに『沖田=キーマン?』と走り書きがあったんです。しかも“新静岡駅の監視カメラに映っていた男に似ている”という記述まである」 新静岡駅の監視映像といえば、山根が倒れた当日の朝、コンコースをウロウロしていた複数の客の姿の中に、犯人と思しき不審者が映り込んでいたはずだ。しかし顔がはっきりと写らず、捜査は難航していた。 (もし、その不審者が“沖田”だとしたら? 下田だけでなく、さらに裏を操る存在があったとしても不思議ではない……)

会社周辺の聞き込み

 捜査方針は定まりつつある。浜口たちは早速、“沖田”を探すため、山根や下田の会社周辺で聞き込みを行うことにした。 ――ところが、会社の社員に聞いても「そんな人は知らない」「社内の名簿にも載っていない」との返答ばかり。 「でも、下田さんが外部の打ち合わせに同行してる男性がいたという噂は聞きました。人事や総務も把握してない“謎の男”がいる、と」

 やがて、契約先の一つだった業者の事務員から興味深い証言が得られる。 「確かに、“沖田”という男性が来社してました。名刺はもらってないですが、下田さんの代理人のような感じで。茶色い鞄を持って、常にキョロキョロしていたのが印象的でした。何だか人を観察してるようで、気味が悪かったです」

 (会社にも社員登録していない、“外部”から出入りしていた謎の人物。これが“第三の人物”なのか……?)

筧が示した場所――「安倍川橋梁」

 そうした中、取調室の筧から新たな言葉が飛び出す。 「もし“沖田”を探すなら、安倍川橋梁(あべかわきょうりょう)の近くをあたれ。そいつは夜、あの辺りで誰かと会っていたらしい」 安倍川橋梁は、静岡鉄道の線路が安倍川を渡るポイントの一つ。普段は人通りも少ないが、鉄道マニアが写真を撮りに来るスポットとして知られている。筧自身も、メンテナンス業者時代に橋の点検に出向いたことがあるらしい。 「下田と沖田は、俺には隠れて密会していたようだ。俺を利用するだけ利用して、最後は責任を全部押し付ける腹づもりだったんだろうな。だが俺はすでに捕まった身だ。あとはおまえらの仕事だろう」

 筧の表情はどこか諦めにも似た暗さを帯びている。しかし、その言葉は真実を匂わせる。 (安倍川橋梁……そこが次の捜査の焦点になりそうだ)

深夜の安倍川橋梁調査

 浜口は村瀬や数名の捜査員とともに、夜の安倍川橋梁付近を下見する。鉄道橋の下は川辺に通じる遊歩道があり、人目につかずに密会できる場所がいくつか存在していた。 「昼間はジョギングや散歩の人がいるが、夜はほぼ無人ですね。確かに、こっそり会合をするにはもってこいの場所かもしれません」 村瀬が懐中電灯で足元を照らしながら言う。

 橋脚の根元に回り込むと、ゴミや落書きが散見される一角があった。そこに、つい最近まで人がいた形跡――タバコの吸い殻やコンビニのレシートが捨てられている。 レシートの日付は山根が死んだ数日前の深夜。しかも、場所は駅近くのコンビニのもので、時刻が0時52分を示していた。 (こんな時間にここへ来て、誰と会っていた? 下田か、それとも“沖田”か?)

もう一人の死――衝撃の報せ

 翌朝、県警本部に衝撃的な連絡が飛び込む。 「浜口さん、大変です。昨夜、安倍川下流域で男性の遺体が見つかりました。身元はまだ確定ではありませんが、所持品から“下田”の名刺が……」 下田の名刺を持った男が遺体で発見された――。いったい、これはどういうことか。 「遺体の特徴からすると、年齢は40代くらい。下田よりは若い可能性があります。まだ顔が損傷していて断定はできませんが……」

 (まさか“下田”本人が殺されたのか? あるいは、“沖田”なのか?) 急いで現場へ駆けつける浜口。川辺に設置されたブルーシートの向こう側には、法医学者と鑑識班がバタバタと動く姿がある。 「現状、外傷の痕があるものの、直接の死因は溺死かもしれません。事件性が高いと見て、我々も慎重に捜査します」

 手掛かりと思われるスマートフォンは水に浸かって動かず、名刺入れだけが確認されている状態だ。だが、その名刺の束の中には“山根の会社”のロゴが入ったものも混ざっていた。おそらく下田の名刺だろう。 (この男は誰だ? 下田の関係者か、あるいは“沖田”なのか? そしてなぜこんな場所で死亡した?)

新たな闇、そして決意

 筧が暴露した安倍川橋梁周辺での密会情報。そこに関わる人物が何らかのトラブルで命を落とした可能性が高い。 山根の死をめぐる謎は、さらなる犠牲者を生むことになるのか――。 「下田の所在はまだ分からないのか?」 焦燥を隠せない浜口に、捜査員の一人が首を振る。 「今のところ、目撃情報もなく、携帯も繋がりません。彼自身、どこかへ逃げたのかもしれませんし、今回の遺体が下田だという線も捨てきれません」

 事件の迷宮入りを感じさせるような重たい空気が本部内に立ちこめる。 だが、浜口は拳を固め、静かに宣言した。 「どんな闇があろうと、必ず解き明かす。山根の死も、この“安倍川の謎”も、全部ひっくるめて真実を暴き出す。筧の連続テロを止めたところで、まだ事件は終わっていない。次こそ、決定的な証拠を見つけるんだ――」

 “時間の罠”を生んだ真の黒幕は誰なのか。会社の不正、桜橋駅の13:05、そして安倍川橋梁の闇…。 連続時計異常事件は、さらなる深層へと進んでいく。


第十二話 「安倍川に沈む真実」

 静岡鉄道を揺るがした“連続時計異常”事件は、元メンテナンス業者・筧の逮捕によってひとまずの区切りを迎えた。だが、刑事・浜口修一は事件の終結をまったく感じられないでいた。 被害者・山根豊が倒れたあの日、新静岡駅で“5分進み”の罠を仕掛けたのが筧であったにせよ、「山根を直接死に追いやった真犯人」が別にいるかもしれない――という疑念が日に日に強まっているからだ。

 さらに、新たに安倍川下流域で見つかった男性遺体は、会社経理部門トップ・下田が裏で動かしたとされる“幽霊社員”沖田かもしれない。あるいは下田本人の可能性すらある。 山根と筧を翻弄し、不正契約を隠そうとした“第三の影”。この闇を暴き出さない限り、山根の無念は晴れず、真に事件は終わらない――。

深夜の安倍川堤防――現場検証

 翌朝、浜口は部下の村瀬らとともに、再び安倍川下流域へと足を運んだ。 遺体のあった場所は、堤防から少し下った川辺の砂利混じりの岸辺。夜間はほとんど真っ暗になる。そこに痕跡を示す警察のマーカーが点々と並び、捜査員が足早に行き交っている。 「夜間の目撃証言はゼロ。同じような時間帯に“白い車”が止まっていたという通報が一件あるだけです。車種やナンバーは確認できず……」 村瀬が報告するが、手掛かりは乏しい。

 鑑識係からの仮報告では、遺体に明らかな刺し傷や銃創はなかったものの、頭部に軽い打撲痕が認められ、溺死か外部からの力による転落の可能性があるという。 「所持していた名刺入れには、下田の名刺と山根の会社のものが混在していた。身元確認の決め手はまだですが、“沖田”か“下田”か、あるいはまったく別人か――早急に身元を割り出す必要があるな」

捜査本部での報告

 一度署に戻った浜口は、早速、法医学教室に身元鑑定を急がせるよう依頼した。DNA照合や指紋採取などの手続きには多少時間がかかる見込みだが、いずれ結果は出る。 「問題は、それを待っている間にも何かが動くかもしれないってことだな……」 浜口の脳裏には、取調べ中のの言葉がこびり付いていた。

 > 「“沖田”って男が、本当のキーマンだ。俺は下田の存在しか知らなかったが、あの日、山根を混乱に陥れた“指示”は、下田じゃなく沖田のほうから来たようにも思える。 >  どこか別の“黒幕”が指示していたかもしれないがな……」

 いったい、下田と沖田の関係とは何だったのか。山根殺害に至るプロセスで、どんな“契約”や“指示”が飛び交っていたのか。会社内部の闇は、まだ深い。

秋吉からの連絡

 夕方、山根の同僚である秋吉洋介が警察本部を訪れた。目の下にクマができており、相当疲れている様子だ。 「社内のパソコンを必死に調べていたら、怪しい経理データのバックアップが見つかったんです。正式なシステムにはもう消されていたものですが、復元したら“沖田”の名前で出入り記録が残っていました。会社の社員IDじゃなく“仮ID”のような形でね」

 秋吉の声には震えが混じる。 「そこには、筧さんから部品を受け取っていた痕跡や、下田さんと外部で合流したと思われるスケジュールのメモもありました。要は“会社公認ではない取引”を担当していた人物、と推測できます。山根さんは、それに気づきかけていたんです……」

 もしそれが事実ならば、“沖田”は単なる幽霊社員ではなく、“会社のブラック業務”を処理する専門要員だった可能性がある。下田が正面から動けない仕事を、影で片付けていた――。

生きていた下田

 そんなとき、捜査本部に一報が入る。 「下田と名乗る男が出頭してきました! 先ほど受付に姿を見せ、“自分は逃げていたわけではない”と……」

 下田が自分の意思で警察に来るとは意外だ。だが、このタイミングで姿を現したということは、安倍川で見つかった遺体が“下田”自身ではなかったことだけは確かだ。 浜口はすぐに取調室に向かう。するとそこには、うなだれた様子の下田が、静かな口調で言い訳を始める。 「私は逃げていません。会社の顧問弁護士と相談していて、無断で外出していたのは事実だが……この一連の不正契約に関して、私は“強要された”立場でもあるんです」

 「強要された、とは?」 「“沖田”ですよ。あいつは会社の上層部から裏で指示を受けていて、私に“水増し発注”や“筧への口止め”をやらせていた。私は従わざるを得なかった。……そうしなければ、私自身が切り捨てられるから」

 浜口は眉をひそめる。 「会社の上層部? 誰だ? 具体的に名前はあるのか?」 しかし下田は歯を食いしばり、焦点の定まらない目で首を横に振る。 「そこまでは知らない。上層部と沖田が直接つながってる。私は単なる“中間管理職”だ。山根が死んだこともショックだった……だが私は殺していない。筧とは金銭のやり取りはあったが、あくまで“時計を細工させる”程度の指示しか出していない」

 (山根が死んだ当日、新静岡駅の時計が進んでいたのは事実。しかし、それだけなら“殺意”までは読み取れない。それに“桜橋駅13:05”への誘導自体が、筧か沖田の指示だったらしい。)

遺体の身元

 そこへ捜査員が慌ただしく駆け込む。 「身元が判明しました。安倍川で見つかった遺体は、やはり沖田です。DNAを会社の健康診断データと照合した結果、一致しました!」

 ドン、と下田の肩が落ちる。 「沖田が……死んだ、だと? どうして……」

 下田は明らかに動揺している。 (ということは、“沖田”は下田よりもさらに上の存在――“会社の上層部”とつながっていた人物……。彼が川で殺害されたか、あるいは事故かは分からないが、少なくとも重要な証人を失ったのは痛い。)

下田の供述と“会社の上層部”

 下田はしばし沈黙したのち、ぽつりぽつりと語り始める。 「沖田は、社長室や幹部とも直接連絡をとれる立場にあったらしい。私などよりもはるかに上層部に食い込んでいた。筧への対処も、山根の調査も、実は沖田が全て指示していたんだ。私はただ従っただけだ……」

 そして“あの日”――山根が命を落とす日、下田は沖田から“新静岡駅の時計を故意に進めさせろ”と指示されたという。 「俺は最初、なぜそんなことをする必要があるのか理解できなかった。だが沖田は“会社にとって厄介な動き方をしている山根を、駅で足止めできればいい”と……。まさか殺そうとまでは思ってなかったんだ。もし焦って列車に乗り遅れさせれば、山根の行動を数時間先延ばしできる。会社としてはその間に何とか書類を処理するとか、そういう算段だったらしい」 (だが結果として、山根は駅で倒れて亡くなった。ここには想定外の“何か”が起きたはずだ。)

 浜口が問い詰める。 「では、桜橋駅13:05の待ち合わせを設定したのも沖田か?」 「そうかもしれない。俺は“桜橋の時計にも細工しろ”と言われただけで、詳しい待ち合わせの事情は知らない。実際、桜橋駅では筧に少し時計を遅らせるよう指示したと思う……」

 これまでの証言とつじつまは合うが、山根が死亡した“直接の原因”が未だ定まらない。沖田が操作した“時間の罠”があったのは間違いない。だが、沖田本人はすでに安倍川で遺体となって発見された――。

思わぬ告白

 下田は苦しげに唇を噛みしめ、声を絞り出す。 「山根が死んだあの日、俺は実は新静岡駅のコンコースにいたんだ。沖田に言われて“念のために行動確認をしろ”と。だが俺の目の前で山根は急に胸を押さえて倒れ、慌てて救急を呼んだ。正直、パニックだった。 ……もし俺がその場で“時計が狂っている”と叫んで止めていれば、あるいは彼は死ななかったのかもしれない。でも、怖くて何も言えなかったんだ。会社の不正を表に出すわけにはいかなかったから」

 そう言った下田の目には、後悔とも悔恨ともつかない暗い色が宿っている。 (つまり、山根を“直接的”に殺したわけではないが、見殺しにしたのと同然……。そして沖田という男が仕掛けた“時間操作”が原因で、山根は致命的なタイミングのズレに囚われてしまった。)

 だが、沖田がなぜそこまで執拗に山根を足止めしようとしたのか、下田には分からないという。会社の上層部の指示を受け、単に“山根の行動を阻む”ためだったのか、あるいは“殺意”まで含んでいたのか――それはもう、沖田本人に聞くことができなくなってしまった。

謎の「会社の上層部」

 “沖田”が死んだ以上、捜査の矛先は“会社の上層部”へ向かう。だが、彼らがどのような形で不正契約に関わっていたのか、あるいは山根殺害にどこまで関与していたのかはまだ見えない。 秋吉は表情を強張らせながら、浜口に問いかける。 「じゃあ……山根さんは、会社にとってそれほど危険な存在だったから、沖田はわざわざ駅の時計を狂わせて彼を混乱させようとしたんでしょうか? その結果、体調不良か何かで倒れて……本当に“事故”だったのかもしれないけれど、これは殺人に近い行為じゃないでしょうか」

 浜口は静かに肯定する。 「そうだな。法的にどう裁かれるかはともかく、実質的には会社が“殺した”も同然だ。だが、その会社を代表する“上層部”が誰なのか、何人なのか。それを突き止めなければ、山根の無念は晴れない」

差し出される“大口契約”ファイル

 下田の弁護士が持参した書類の中に、“大口契約”というラベルが貼られた分厚いファイルがあった。そこには、富士技研サービスだけでなく、別の複数の下請け会社との契約も含め、“静岡鉄道関連の工事案件”が大量に羅列されている。 下田いわく、「沖田はこれらの契約を差配していた。水増し分をどこへ流していたのかは自分も把握できない」という。 紙面をパラパラとめくる浜口の目が、ある駅名で止まった。 「……“柚木(ゆのき)駅 耐震工事”?」 柚木駅は静岡鉄道の沿線でも比較的小さな駅で、特に大規模な工事が必要とされているとは聞いていない。 (怪しい……。ここにも時計に関連する設備が紛れ込んでいる可能性がある。)

 浜口はファイルのページをさらにめくる。そこには別の駅の名も並んでいる。いつの間にか膨れ上がった“設備更新”や“配線交換”の項目があり、明らかに不自然な費用が計上されているのが見て取れた。 (会社の不正――それが静岡鉄道沿線の複数の駅を巻き込む形で進められていたとしたら、筧がいじった時計の裏にも、もっと大きな利権が隠されているのかもしれない。)

最後の謎

 山根を死に至らしめた“時間の罠”は、沖田と下田、さらには会社の上層部が仕組んだ“とにかく足止め”の戦術だった。だが、それが意図した以上に山根の体調を悪化させ、結果として命を落とさせる“事件”へと転じた。 その背景には、どれほど巨大な不正が眠っているのか。なぜそこまで危険な手段をとらなければならなかったのか――。 「筧は連続テロを通じて“会社に報復”したかっただけじゃない。“会社のさらに上”を揺るがしたかったんだろう。だが、それでも山根を救うことはできなかった……」 浜口は冷たい怒りを胸に抱きながら、下田の提出した“大口契約”ファイルをじっと睨む。もしここにある書類が正しければ、沿線の駅全体で不正な金のやり取りが行われてきたことになる。

 そして、次なる捜査ターゲットとなる「柚木駅」。不自然な耐震工事の実態を追えば、“会社の上層部”へと繋がる糸口が見つかるかもしれない。 (まだ終わらせるわけにはいかない。山根の死がただの“事故”として処理される前に、この闇のすべてを暴く――。)

 こうして、“沖田”というキーマンの死を経て、事件は再び鉄道沿線へ回帰する。柚木駅の工事計画に潜む闇を探ることで、山根の無念、そして“時間の罠”が仕掛けられた真の理由が暴かれようとしていた。


第十三話 「柚木駅に眠る闇」

 静岡鉄道の沿線で起きた一連の不可解な事件は、ひとまずの区切りとして犯人の一人・筧(かけい)が逮捕され、真実の一端が明らかになったかに見えた。 しかし、刑事・浜口修一の胸には、まだ拭いきれない違和感が残っている。被害者・山根豊の死は、駅の時計を狂わせただけで説明がつく“偶然”にしては、あまりにも綿密で、意図的に仕組まれていたとしか思えないからだ。 そんな中で明るみに出た存在――“沖田”。会社経理部門トップ・下田をも操っていたとされる、正体不明の“幽霊社員”は、安倍川の岸辺で遺体となって発見されてしまった。もはや直接の証言は得られない。 だが下田が提出した“大口契約”ファイルの中には、いくつもの疑わしい工事案件が並んでいた。その中でも**「柚木駅 耐震工事」**という項目は、特に不自然な金額が計上されている。

 (山根が命がけで暴こうとした会社の闇。筧が引き起こした“時間テロ”。それらは、もっと巨大な利権を隠すための手段にすぎないのかもしれない。)

柚木駅への視線

 柚木駅は、静岡鉄道沿線でも比較的小さな無人駅に近い形態で、日中の利用者はそれほど多くない。 ある朝、浜口は部下の村瀬とともに現地を訪れた。改札口は簡素で、駅舎と呼べる建物もほとんど見当たらない。耐震工事を行った痕跡など、一見するとまるでなかった。 「村瀬、ここで本当に“大規模工事”が実施されたという記録があるのか?」 「ええ、下田のファイルには“10ヶ月前に施工完了”と書かれていました。かなりの金額が支払われたはずなんですが、見たところ……大きく手を入れた形跡はありませんね」

 駅構内の柱や壁を見渡しても、最近リニューアルしたような箇所は見当たらない。むしろ築年数相応の古い造りが残っている。その違和感は明らかだ。 (これほどあからさまな“架空工事”が見逃されてきたのはなぜだ? 会社側の内部に、よほど強力な“隠蔽”が働いていたとしか思えない。)

駅近くの倉庫の鍵

 駅のホーム端には、小さな倉庫のような建物があった。普段は駅員の巡回時やメンテナンス業者が道具を置くために使う簡易倉庫らしいが、無人化が進んでからほとんど使われていないという。 錆びついた扉には固そうな南京錠が掛けられている。村瀬が駅関係者に聞き込みをすると、返ってきた答えはこうだった。 「ここの鍵、もう何年も開けていませんよ。工事の時も使った記憶がないですね」

 (しかし、その“工事”自体が偽装である可能性が高い以上、この倉庫に何か隠されているかもしれない。) 浜口は駅関係者の了承を得て、錠前の開錠を依頼した。もし中に怪しい資料や工具が保管されていれば、会社の不正を証明する手掛かりとなるだろう。 扉が開けられると、埃まみれの空間が現れる。棚や段ボール箱が雑然と置かれ、空気は長らく滞ったままだ。内部に足を踏み入れた瞬間、湿気とカビのにおいが鼻を突いた。

謎のカタログ群

 倉庫内を懐中電灯で照らしながら、浜口と村瀬は奥の棚を一つずつ確認していく。古い備品や破損した看板の一部、さらには使われていない料金表などが積み重なっている。 やがて、段ボール箱の一つを開封すると、そこには鉄道設備用のカタログが大量に詰め込まれていた。メーカー名や部品番号がズラリと印字されているが、どれも新品のように折り目がなく、使い込まれた形跡がない。 「これは……時計や制御装置の部品カタログですね。しかも、数年前からの型が混在している。どういうつもりでこんなに集めたのか……」

 さらにページをめくると、“見積依頼書”の写しらしき紙が何枚か挟まっている。そこに記載された金額は、明らかに相場を超えた過大な数字だ。 「やはり“水増し工事”用の資料か。こんな小さな倉庫に保管していたとは……」

目撃証言――夜に現れる不審車

 倉庫を調べ終えた浜口が駅前に出ると、近隣の住民らしき高齢の男性が声をかけてきた。 「刑事さんですか? 何やら騒がしいねぇ。柚木駅で事件でもあったのかい?」 「ええ、ちょっと事情がありまして……。最近、夜中にこのあたりに不審な車が止まっていたとか、怪しい人物を見かけたという話はありませんか?」 その男性は少し考え込んでから言った。 「たまに、夜遅くに黒っぽいワゴン車が駅前に来て、車から誰かが降りて倉庫のあたりに行くのを見たことがあるよ。ほら、ここの街灯は暗いから、顔まではよく見えなかったんだが……」

 “夜間のワゴン車”。思い出すのは、安倍川下流域で目撃された“白い車”の話。色は異なるが、似たような夜間の動きが複数あるのは確かに不自然だ。 (誰かがここで書類や物品を受け渡ししていたのか。会社の不正を隠すために、別ルートで工事関連の物資を動かしていた?)

上層部の影――社長室からの圧力

 夕刻、警察本部に戻った浜口は、新たに“会社の上層部”を洗うため、経営陣のリストを総ざらいする捜査をスタートさせた。社長、副社長、専務、常務……。その中でも特に“経理・総務”部門を束ねているのが、**専務の大森(おおもり)**という人物らしい。 会社の登記資料や財務諸表を調べると、大森専務はここ数年で急速に権限を拡大し、複数の子会社を立ち上げるなど積極的な経営を主導しているという。 (下田が言う「上層部からの強要」を実行できる立場にあるのは、この大森という専務かもしれない。)

 だが、会社側も警察の動きを察知し始めたようで、これまで協力的だった窓口が突然、“広報を通してください”と連絡を遮断してきた。 「……これは、会社ぐるみで圧力をかけてきた可能性がある。こうなると、強制捜査に踏み切らない限り、決定的な証拠は得られないかもしれないな」 浜口は苦い表情を浮かべながら、捜査会議で上司にそう進言する。

秋吉の焦燥

 その夜、山根の同僚・秋吉洋介が連絡を寄こした。声はかなり取り乱している。 「浜口さん、僕……会社で上司に呼び出されました。“余計なことを嗅ぎまわるな”って。どうやら専務クラスが直接目を光らせているみたいで……。このままだと、僕、クビどころか命に関わることになるかもしれません」 山根の件を機に、不正を暴こうとする秋吉。だが彼は会社内では弱い立場であり、圧力をかけられれば簡単に追い詰められる。 浜口は励ますように言葉をかけた。 「大丈夫だ。警察が動いていることは会社も分かっている。無茶はさせられないはずだ。俺たちが確実に証拠を押さえてみせる。それまで持ちこたえてくれ」

 秋吉は怯えながらも、そこで電話を切る前にこう告げた。 「実は、山根さんのパソコンデータのバックアップをさらに調べていたら、“柚木駅の工事”に関する“写真”が見つかったんです。工事前の駅の写真はたくさんあったのに、“工事後”とされる写真は一枚もない。……そういう意味でも、この案件は完全に架空だと思います。下田さんの話が本当なら、やっぱり会社の上層部の誰かが……」

狙われる現場――緊急の足音

 深夜、浜口が資料をまとめていると、駅員から緊迫した電話がかかった。 「刑事さん、大変です! 柚木駅の倉庫が何者かに荒らされました! 外から鍵を壊して侵入されたようで、中にあった段ボール箱がひっくり返されて……書類らしきものはほぼ持ち去られています!」

 すぐに村瀬とともに現場へ向かうと、倉庫の扉はこじ開けられ、内部は大きく荒らされていた。昼間、浜口たちが調べたばかりの段ボール箱は空っぽになり、残されたのはわずかなカタログの切れ端や、粉々になったファイルだけ。 (明らかに証拠隠滅を狙った犯行だ。しかも、俺たちが調べたことを知っていたようだな……)

 周囲に目撃者はいない。しかし、先の住民が言っていた「夜中に現れる車」を彷彿とさせるタイミングだ。誰かが会社側に情報を流し、上層部がすぐさま動いた可能性が高い。

新たな局面へ

 現場を検証し終え、浜口は改めて思う。 (ここまで強引に証拠を消されるということは、やはり“柚木駅の水増し工事”が会社の不正の核心を象徴しているのだろう。そして、この裏で暗躍するのは専務クラス――大森か、それともそのさらに上の人物か。)

 山根豊を死に追いやった“時間の罠”は、単に沖田や下田の思惑だけではなく、巨大な利権を守るための“一つの手段”だったかもしれない。 だが、これ以上隠蔽される前に、警察として強制捜査に踏み切るしかない――。浜口の決意は固まっていた。 (山根が命を賭して暴こうとした“真実”を、ここで途切れさせるわけにはいかない。)

 連続テロの犯人・筧は逮捕された。だが、事件の本丸はなおも“会社の上層部”にある。このままでは山根の死も闇に葬られかねない。 刻まれた時計の針は、次の展開を急き立てるかのように進み続ける。すべてが白日の下にさらされる日は、果たしていつになるのか――。


第十四話 「強制捜査へのカウントダウン」

 静岡鉄道沿線で相次いだ「時計異常」事件。その陰には、会社の不正を隠すための大規模な“利権工作”が潜んでいた。 被害者・山根豊の死は、偶然ではなく意図的に仕組まれた“時間の罠”によるもの――。そう確信する刑事・浜口修一は、ついに警察の威信をかけて“会社上層部”への強制捜査を準備し始めていた。

疑惑の柚木駅、再び

 夜が明けて間もない頃、浜口は再度柚木駅へ向かった。前夜に荒らされた倉庫はすでに周囲をロープで囲われ、捜査員が警戒に当たっている。 「おはようございます、浜口さん。あれから倉庫の施錠を強化しましたが、新たに侵入された形跡はありません」 部下の村瀬が報告する。 だが、その口調には落胆が混じっていた。――というのも、倉庫の中からは既に“証拠になりそうなもの”がほぼ全て持ち去られていたからだ。 「何も残っていない……か。やられたな。敵は動きが素早い」 (とはいえ、完全に手がかりが失われたわけでもない。わずかに残った紙片やファイルの断片、足跡。これらを鑑識が分析すれば、誰の仕業か特定できる可能性はある。)

 倉庫から視線を上げると、柚木駅のホームがひっそりと見える。通勤客がまばらに往来し、のどかな雰囲気が漂う。その景色に“架空の耐震工事”や“水増し契約”などという闇が潜んでいるとは、にわかには信じがたいほどだ。 しかし、山根が命を落とした原因を探るためには、こうした“地味な”不正の実態を暴かねばならない――浜口は改めて決意を固めた。

強制捜査の準備

 同日夕刻。県警本部で開かれた捜査会議には、浜口の上司である捜査一課長の姿もある。 「浜口、状況はどうだ? 会社上層部への事情聴取は進んでいるのか?」 課長の問いに、浜口は苦い顔をする。 「下田からの証言は得られたものの、“沖田”が死亡した今、証拠が薄い状態です。会社側も弁護士を立て、警察の動きを警戒している。だが、これ以上遅れると証拠隠滅がさらに進む恐れが大きい。強制捜査に踏み切るべきです」

 会議室の空気が一気に引き締まる。強制捜査――つまり、家宅捜索や関連施設への踏み込みには裁判所の令状が必要だ。それを実行するからには、確実な“犯罪の端緒”を示す資料が求められる。 「下田の証言や、“柚木駅の耐震工事が実体のない架空契約”という状況だけでも十分だと思うが……裁判官を説得するためには、もう一押し欲しいところだな」 課長が天井を仰ぎながら、渋い表情を浮かべる。

 そんな中、村瀬が手を挙げる。 「実は、倉庫の床に付着した泥のサンプルを鑑識が調べた結果、特徴的な土壌成分が検出されたそうです。県総合運動場駅付近の特定の場所――以前、筧が狙っていたエリアの川沿いとよく似た組成だとか」 浜口の頭に、臨時列車を巡る混乱が蘇る。事件の裏で暗躍していた人物が、県総合運動場駅周辺を拠点にしていた可能性は高い。 「これも会社が借りている倉庫か何かが、そちらにあるのかもしれない。そちらも合わせて令状を取れば、確実に捜査できるだろう」

秋吉からの“最後の切り札”

 その夜、捜査本部に駆け込んできたのは、山根の同僚・秋吉洋介。息を切らし、顔には汗が浮かんでいる。 「浜口さん、社内サーバーに残されていたデータを、もう一度バックアップから掘り起こしました。どうやら“専務の大森”が、静岡鉄道沿線に関する大型開発計画を極秘に進めていた形跡が見つかったんです。そこにはいくつかの駅整備が含まれていて、柚木駅も名指しされていました」

 大森専務――会社経営陣の中でも特に権力を持ち、下田や沖田を裏で動かしていた可能性がある人物。 「どうやら将来的に、柚木駅近辺の商業施設を統合して大規模なショッピングモールを立ち上げるという計画があり、そのために周辺地権者の買収や“耐震工事”名目での工作が進められていたのかもしれません」 秋吉は震える声で続ける。 「山根さんはその事実を嗅ぎつけ、会社が裏で不正な金のやり取りをしていると疑ったのでしょう。もしこれが公になれば、会社の評判は地に落ちる。だからこそ……あの人は殺されたんじゃないでしょうか」

 不正を暴かれれば、地元自治体や鉄道会社との大規模プロジェクトは頓挫する。利権が絡む以上、何十億という金が動いている可能性もある。 (そうだ。沖田が時計を狂わせ、山根を翻弄したのも、単に会社の不正契約がバレるだけでなく、“大型開発計画”そのものが立ち消えになるリスクがあったから……。) これこそが“大森専務”が守りたかったものなのか。

最終準備――捜査令状の申請

 翌朝、浜口は強制捜査令状の申請に向けて奔走した。秋吉が提供した“極秘開発計画”のデータ、下田の証言、“柚木駅耐震工事”が実体を伴わない水増し契約であること――これらの要素を結びつければ、裁判所も捜査令状の発付を検討せざるを得ないだろう。 「もう時間はない。会社がこれ以上証拠を隠す前に、突き止めなければ山根の死は闇に葬られる。下田も秋吉も、また口封じに遭う危険性がある」

 浜口の焦燥を汲み取りつつ、上司は冷静に頷く。 「準備が整い次第、捜査一課で大森専務の自宅、会社役員室、関連施設への一斉捜査をかける。そうなれば大きなニュースになるだろうが、仕方がない。山根のため、そして市民の安全のためにも、ここで一気にケリをつけるんだ」

“最後の警告”の予感

 しかし、捜査令状の請求手続きが進む中、浜口のもとに不可解な連絡が入る。非通知の番号、低い声――どこか、あの筧を思わせるような抑揚に乏しい口調。 「静岡鉄道はまだ終わりじゃない。柚木駅だけじゃなく、他の駅も『計画』に含まれている。おまえらが強制捜査をかけても、全てを押さえられると思うな……。山根の死の本当の裏側には、もっと大きな権力が潜んでいる」

 声はそれだけを告げると、一方的に通話を切る。 (筧はすでに逮捕されている。なのに、これは誰だ? 同じグループの人物か、それとも会社上層部の差し金か――?)

 だが、浜口は怯むわけにはいかない。 (巨大な権力が何だろうと、違法なことを許すわけにはいかない。山根はそれを阻止しようとして命を落としたんだ。俺は最後まで諦めない。)

決戦の行方

 静岡鉄道の小さな駅から始まった一連の事件は、いつしか会社の上層部と大規模開発計画を巻き込む“巨悪”との戦いへと発展していた。 - 山根の死――時計操作という巧妙なトリックで誘発された可能性。 - 沖田の存在――会社の“裏業務”を担い、下田を操っていた謎の“幽霊社員”。  - 大森専務――大規模プロジェクトの要として巨額の利権を隠し持つキーマン。

 これらが複雑に絡み合い、“時間の罠”を生み出した犯人像は、もはや個人の範疇を超えている。 それでも、浜口は部下たちとともに確実に動きを進めていた。強制捜査が決行されれば、いよいよ事件はクライマックスへ突入する。 (山根が追いかけていた“真実”を白日の下にさらす。そのためには、覚悟を決めて巨大な権力と対峙せねばならない。)

 すべての歯車が最終決戦へと向かい始めた今、静岡鉄道ミステリーは最大の山場を迎えようとしていた――。


第十五話 「強制捜査の序章」

 静岡鉄道沿線を震撼させた“時計異常”事件は、はるかに深い闇――会社上層部による巨大な利権隠蔽へと突き当たっていた。 被害者・山根豊を死に追いやった“時間の罠”。それを操ったのは元メンテナンス業者・筧や経理部門の下田、そして謎の“沖田”だけではない。最大の黒幕として、大森専務の名が浮上した。 そして今、刑事・浜口修一は捜査一課を率い、ついに強制捜査の準備を整えつつあった。

捜査令状、下りる

 午後遅く、県警本部の一室で浜口は判事の署名済みの令状を手にした。 「よし……大森専務の自宅、そして会社役員室、関連施設への捜索令状が下りた。これで一気に踏み込める」 上司である捜査一課長は、令状を確認すると力強く頷く。 「浜口、準備は万端か? 会社側がどんな妨害をしてくるか分からない。万全の態勢で臨んでくれ」

 だが、捜査員たちの間には奇妙な緊張感が走っていた。相手は地元を支える大企業。警察としては異例の“強攻策”だ。政治的にも大きな波紋が広がりかねない。 (それでも――やるしかない。山根の死が闇に葬られようとしている以上、ここで動かねば真実は永遠に封じられる。)

秋吉への警告

 令状を受け取り、強制捜査を明朝に執行することが決まったその夜、浜口のスマートフォンに再び秋吉洋介からの着信があった。 「浜口さん……今、会社に残ってデータを整理していたら、見慣れない男に『すぐ帰れ』と脅されました。きっと専務の差し金です。僕は明日から出社停止を命じられました――もう完全に目をつけられてる」 電話越しの秋吉の声には恐怖がにじみ出ている。とはいえ、彼はこの数日間、会社内のバックアップファイルを何とか確保し、警察に渡そうと奔走していた。 「大丈夫だ、秋吉。明日の朝には大森専務たちへの捜索を開始する。おまえが集めた証拠は必ず活きる。そっちも気をつけて身を隠しておけ」

 秋吉は緊迫した沈黙のあと、意を決したように口を開く。 「分かりました。僕は……山根さんの無念を晴らしたい。その一心です。どんな圧力があっても、もう引けません。明日、全部が決まるんですね……」

専務邸への道

 翌朝、空は薄い曇りに包まれていた。早朝の静かな時刻、浜口は捜査一課の面々と警察車両に乗り込み、大森専務の邸宅へ向かう。 「ターゲットは豪邸らしい。隠し倉庫や地下室がある、という噂もあるが……とにかくあらゆる場所を徹底的に調べるぞ」 手元の資料を見ながら村瀬が気合いを入れる。会社幹部クラスとなると、家に企業関連の資料を持ち帰っているケースも多い。特に“架空工事”や“水増し契約”に関わる原本を隠し持っている可能性は十分にある。

 程なくして専務宅へ到着。高い塀に囲まれた屋敷には、防犯カメラがいくつも設置されている。一行が門を叩くと、インターホン越しに執事らしき人物が声を上げた。 「ど、どちら様ですか?」 「静岡県警だ。令状がある。大森専務に伝えてくれ」

対峙する大森専務

 門が開くと、背筋の伸びた初老の男が現れた。ダークグレーのスーツに身を包み、鋭い目つきで捜査員たちを見渡す。 「これはご丁寧に……まさか警察が押しかけてくるとは。私は忙しい身なんだがね」 その男こそ、噂の大森専務である。浜口は動じず、無表情を貫いて令状を示した。 「会社の不正契約に関し、あなたの自宅や関連する保管資料を捜索します。ご協力いただきましょう」

 大森専務は溜息交じりに静かに言い放つ。 「どうぞお好きに。私はやましいことなど何もない。あなた方が無駄な時間を費やすだけだろう」

 その言葉通り、家中をくまなく捜索しても目立った“不正書類”らしきものは出てこない。書斎の本棚や金庫の中をチェックしても、会社の正式な決裁文書しか見当たらないのだ。 (やはり簡単には見つからないか。だが、何もないなんてありえない……)

書斎の“細工”

 隊が一通りの捜索を終えようとした時、村瀬が書斎の床に目を留めた。微妙な段差があるように見える。静かにカーペットをめくってみると、そこには正方形のフタが切り取られたようなラインが走っていた。 「浜口さん、ここ……床下収納かもしれません」 村瀬の声に、大森専務がピクリと眉を動かす。だが何も言わない。 複数の捜査員が工具を使ってそのフタをこじ開けると、そこに現れたのは鍵付きのロッカーである。金属製の簡易ボックスのような形で、床下のコンクリート部分にしっかり固定されていた。

 「専務、これを開けてもらおうか」 浜口が静かに語気を強める。大森専務は短い嘆息をつきつつ、仕方なさそうにポケットから鍵束を取り出した。 「まったく……人を泥棒扱いとはね。分かった、開けるよ」

決定的証拠

 ロッカーの扉が開かれ、中を覗き込んだ捜査員たちの目が見開かれた。そこには様々なファイルや帳簿類が整然と詰め込まれている。タイトルには、見慣れた言葉がちらほら――「耐震工事」「配電設備更新」「開発関連プラン」。 さらに、その一角に“柚木駅”や“桜橋駅”など、静岡鉄道沿線の駅名が明確に記載された書類が山積みになっていた。そこには、不自然な見積金額や下請け業者との契約日程などが詳細に記されている。どう見ても“正規”とは言い難い金額が並んでいるのは一目瞭然だった。 (……あったな、やはりここに隠していたか!)

 大森専務は眉間に深いシワを寄せながら、言い訳を並べ立てる。 「これは……会社の“仮段階の試算”だ。まだ正式には使われていない。資料を引っ張り出したら誤解を招くと思って、私的に保管していただけだ」 だが、その言葉を信じるほど捜査陣は甘くない。少なくとも水増し請求の形跡があり、それを示す証拠が続々と出てくる。

迫り来る真相――山根の死の理由

 膨大なファイルの中には、かつての“沖田”や下田の署名らしきものが確認できる書類もあった。そこには具体的な施工日や金の流れが記されており、“会社が静岡鉄道沿線の駅を利用して不正利益を得ていた”という確たる証拠と言えそうだ。 さらに、山根豊の名が小さくメモされている書類も発見される。そこには**「動きに注意」**という付箋が貼られ、日付は山根が死ぬ少し前のもの。 「つまり、会社が山根を“監視対象”として記録していたということか……」 村瀬が吐き捨てるようにつぶやく。

 大森専務は沈黙したままだったが、その視線はうろたえを隠せていない。 (これが決定打だ。専務は会社の利益を守るために、山根の動きを遮る指示を出していた。その結果、沖田や下田を使い、時計のトリックをも利用して山根を“始末”しようとした……!)

大森専務の拘束

 こうして警察は、大森専務を本格的に事情聴取するため、その場で身柄を確保した。形ばかりは「任意同行」だが、実質的には拘束に近い。 「あなたには会社法違反、横領、詐欺行為等の疑いがある。さらに山根豊さんの死にも関わりがあるかもしれない。詳しく話を聞かせてもらいます」 浜口が淡々と言い渡すと、大森専務は観念したように視線を落とした。 「……私がしたのは会社を守るためだ。山根くんが死んだのは不慮の事故だった。私は“少し足止めをかけろ”と沖田に言っただけで、殺すつもりなど……」

 虚ろな声が書斎に響く。下田や沖田と同じ言い訳――“殺す意図はなかった”という言葉。だが、山根は実際に駅で倒れ、命を落としている。時計のトリックで時間を乱し、動揺させた結果とも言える。 (会社の汚職と山根の死との関連は、これで明確になった。だが実際に“殺人罪”が適用されるのか、それとも“過失”や“業務上過失致死”のような形になるのか――そこは法廷で争われることになるだろう。)

次なる行方

 こうして捜査一課が大森専務の自宅から押収した資料は、想定以上に大量だった。いずれ会社本部への家宅捜索も加えれば、すべての不正が白日の下にさらされるに違いない。 連続時計異常という奇妙な事件の裏には、想像を超える大規模な裏取引が潜んでいたのだ。 しかし、浜口の胸にはまだわだかまりがある。大森専務は“殺す意図はなかった”と強く訴え、沖田や筧も“自分は直接手を下していない”と言い続けてきた。 もし“誰か”が山根を明確に殺害しようと計画していたなら、それは誰なのか――。既に逮捕された複数の関係者、それともまだ姿を見せていない、さらなる黒幕がいるのか。

 (だが、もう逃がすわけにはいかない。山根が掴みかけた真実は、確かにここにあった。捜査はこれから裁判の場に移り、一つずつ真相を解き明かすことになるだろう。)

 巨大な権力構造との戦いは、まだ終着を迎えたわけではない。だが、少なくとも“静岡鉄道”を舞台にした“時間の罠”は、これで大きく崩れた。山根の無念を晴らすためにも、浜口たちは最後まで追及の手を止めない――。

 
 
 

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