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AIより濃いめでお願いします

―草薙・山崎行政書士事務所、お茶とハンコの失踪事件―

二〇五〇年の静岡市清水区草薙は、朝から妙に静かだった。

いや、静かというより、音が上品になっていた。

草薙駅前を走る自動運転バスは「しゅるん」と絹みたいな音を立てて通り過ぎ、空には宅配ドローンが鰹節みたいに軽く舞い、県立美術館へ向かう坂道では、散歩中のロボット犬が本物の犬に吠えられて、困ったように尻尾のLEDを点滅させていた。

そんな未来めいた町の一角に、未来に背を向けているような建物があった。

木造二階建て。

軒先には風鈴。

玄関横には、少し傾いた看板。

山崎行政書士事務所

看板の下には、小さくこう書いてある。

「許認可・相続・遺言・外国人在留手続・近所の困りごと。ただし恋愛相談はお茶一杯分だけ」

「所長、また看板に変なこと書き足しましたね」

事務員の望月陽菜が、タブレットを小脇に抱えて言った。

山崎航平、四十六歳。

行政書士歴十八年。

趣味は古い万年筆の手入れと、依頼人の話を最後まで聞くこと。

本人いわく「話を聞けば、八割の書類は勝手に形になる」らしいが、陽菜に言わせれば「残り二割は先生の胃薬でできている」。

「恋愛相談だって、人生の重要書類みたいなものだろ」

「先生、先週その理屈で七十代のご夫婦の夫婦喧嘩を三時間聞いて、報酬がみかん五個でしたよ」

「甘かったぞ」

「経営判断が渋すぎます」

カウンターの上で、小さな狸型AI端末がぴこんと光った。

名前は「たぬ吉」。

山崎事務所の受付AIで、正式名称は「行政支援型対話端末K-77」だが、見た目が狸なので誰も正式名称で呼ばない。

たぬ吉は胸の液晶に「本日の予定」を表示しながら、合成音声で言った。

「午前九時三十分、青木ハル様。用件、遺言書保管相談。備考、持参物、茶筒。推定お茶度、九十二パーセント」

「お茶度って何」

陽菜が聞くと、たぬ吉は得意げに答えた。

「過去の来所時における茶葉持参確率、会話内『昔はねえ』出現頻度、ならびに湯のみ滞在時間から算出しています」

「行政AIじゃなくて茶飲み友達AIになってる」

山崎は笑って、急須に湯を注いだ。

その時、引き戸がからからと開いた。

入ってきたのは、小柄な老婦人だった。

青木ハル、八十二歳。

草薙で昔から小さな茶畑を守ってきた人で、最近は自宅の一部を改装して、近所の子どもや高齢者が集まれる「くさなぎ茶房」を開こうとしていた。

白髪をきれいにまとめ、背筋はしゃんとしている。

ただし両手に抱えている茶筒が、妙に大きかった。

「山崎先生、これ、預かってくれる?」

ハルは挨拶より先に、茶筒をどん、と机に置いた。

茶筒というより、もはや小型の金庫だった。

「遺言書ですか?」

「それも入ってる」

「それも?」

ハルはにっこり笑った。

「もし私が今日か明日、いなくなったって騒ぎになっても、死亡届は出さないでね」

事務所内の空気が止まった。

陽菜のタブレットが手から滑りそうになり、たぬ吉の胸の液晶に「緊急:縁起でもない発言」と表示された。

山崎は急須を置いた。

「青木さん。それは、どういう意味ですか」

「ちょっとした家出」

「八十二歳の家出は、ちょっとしていません」

「大丈夫。お弁当持ったから」

「そういう問題でもありません」

ハルは楽しそうに肩を揺らした。

「明日の午後三時まで、この茶筒を開けないで。誰かが私の土地を売るとか、同意書があるとか言ってきても、信じちゃだめ。山崎先生だけは、書類の顔色が読めるでしょ」

山崎は黙った。

行政書士は、紙の上の文字だけを見る仕事ではない。

印鑑の傾き。

署名の震え。

余白の不自然さ。

依頼人の言葉にならないため息。

そういうものを読む仕事でもある。

「何か、危ないことが起きていますか」

ハルは一瞬だけ、笑顔をしまった。

「人はね、困ると悪い人になるんじゃないの。困っている時に、悪い人の言葉を聞いちゃうの」

その言葉だけ残して、ハルは帰っていった。

たぬ吉がぽつりと言った。

「所長。今の発言を行政手続分類すると、何ですか」

山崎は窓の外を見た。

ドローンが青空を横切っていく。

「分類不能だな」

「では、近所の困りごとフォルダへ保存します」

「うちの事務所らしい」

その翌日。

事件は、茶柱のように突然立った。

午前十時過ぎ、事務所の引き戸が勢いよく開いた。

飛び込んできたのは、ハルの孫、青木蓮だった。

高校二年生。

草薙高校ロボティクス部所属。

背中には工具リュック、足元にはロボット犬。

そのロボット犬の首輪には、太字で「カラアゲ」と書いてある。

「山崎先生! ばあちゃんがいない!」

蓮は息を切らし、カラアゲは「ワン」と鳴く代わりに、なぜか唐揚げの匂いを噴射した。

陽菜が鼻を押さえた。

「何その機能」

「落ち込んだ人を元気づけるアロマです」

「胃袋に直接訴えるタイプね」

山崎は蓮を椅子に座らせた。

「落ち着いて。いつからいない?」

「今朝です。部屋にいなくて、見守り端末も反応なし。そしたら市の自動通知に、ばあちゃんの土地の開発同意書が提出されたって」

「開発同意書?」

蓮は震える手でデータを投影した。

空中に浮かんだ書類の画像を見た瞬間、山崎の表情が硬くなった。

草薙次世代物流ハブ整備計画 土地活用同意書

申請者は、未来都市開発株式会社。

対象地は、青木ハル名義の茶畑と自宅。

そして立会確認者の欄に、こう記されていた。

山崎行政書士事務所 行政書士 山崎航平

陽菜が声を上げた。

「先生、これ!」

「俺は立ち会っていない」

山崎は静かに言った。

静かすぎて、かえって怖かった。

たぬ吉の液晶には「所長怒り度:八十八パーセント。湯のみ破損リスク:中」と表示された。

「しかも、提出期限は今日の午後三時までです」と蓮が言った。「三時を過ぎると、事前協議が通るって」

午後三時。

ハルが茶筒を開けるなと言った時刻と同じだった。

山崎は時計を見た。

午前十時二十三分。

残り五時間を切っている。

「陽菜、うちの電子職印ログを確認。たぬ吉、昨日から今日までの外部アクセス履歴」

「了解です」

「承知しました。なお、私の昨日の外部アクセスは、天気予報、行政ポータル、狸の画像検索です」

「最後のは何だ」

「自己理解です」

陽菜が端末を操作する。

「先生、変です。昨日の午後一時五分、事務所IDから開発同意書の確認アクセスが出ています」

「その時間、俺は?」

「商店街の鈴木さんのキッチンカー営業許可の件で、保健所オンライン面談中です。私も同席していました」

「たぬ吉は?」

「私はその時間、所長の『コーヒーよりお茶派』発言を記録し、将来の裁判資料として保存していました」

「何の裁判だ」

「コーヒー派からの集団訴訟に備えています」

山崎は書類画像をじっと見つめた。

署名。

印影。

住所。

文面。

一見すると整っている。

整いすぎている。

「蓮くん、お父さんは?」

蓮の顔が曇った。

「父さんは……昨日から様子がおかしいです。土地を売れば、ばあちゃんの介護費も、茶房の改装費も、全部なんとかなるって。でも、ばあちゃんは絶対に売らないって」

陽菜が小声で言った。

「家族内のトラブルですかね」

山崎は首を振った。

「そう単純なら、青木さんは茶筒を置いていかない」

彼は立ち上がり、棚から一冊の古いファイルを取り出した。

紙のファイルだった。

二〇五〇年では、紙のファイルを使う事務所は珍しい。

たぬ吉はいつも「紙は検索性が低い」と文句を言うが、山崎は「紙は人間の嘘を吸う」と言って譲らない。

「青木さんが以前、くさなぎ茶房の申請相談に来た時の書類だ」

山崎はハルの自筆署名と、今回の同意書を並べた。

陽菜が覗き込む。

「同じに見えます」

「同じに見えるように作ってある」

「違いは?」

山崎は指で署名の最後を示した。

「青木さんは、自分の名前の最後を少し跳ねる。昔、習字の先生に怒られた癖だと言っていた。これは跳ねていない」

蓮が身を乗り出した。

「じゃあ偽物?」

「まだ断定はできない。でも、もっと変なところがある」

山崎は書類の住所欄を指した。

そこにはこう書かれていた。

静岡市葵区草薙

陽菜が「あ」と声を出した。

蓮も気づいた。

「草薙は、清水区です」

「そう。地元の人間なら間違えない」

たぬ吉が得意げに胸を光らせた。

「補足します。地元の人間は草薙の読み方を聞かれると、少しうれしそうにします」

「それは補足じゃなくて偏見だ」

「統計的に七十四パーセントです」

山崎は同意書を閉じた。

「外の業者か、外の業者に言われた誰かが作った可能性が高い。問題は、うちの事務所IDをどう使ったかだ」

その時、カラアゲが机の下で「ピピ」と鳴った。

蓮が慌てて抱き上げる。

「すみません。こいつ、昨日ここに来た時から変で」

「昨日?」

陽菜が振り返った。

「蓮くん、昨日うちに来たの?」

「はい。ロボットコンテストの海外遠征許可書の相談で。先生いなかったので、たぬ吉に聞いて、プリンターだけ借りました」

たぬ吉が胸に「記録あり」と表示した。

「昨日十二時五十二分、青木蓮様来所。ロボット犬カラアゲ様、玄関マットを三回嗅ぎ、所長の靴を『敵性なし』と判定」

山崎はカラアゲを見た。

カラアゲはつぶらなカメラアイで見返してきた。

「蓮くん、その時、誰かに連絡した?」

「父さんから電話が来ました。書類を見せてくれって。僕、事務所のプリンターに出した遠征申請のQRを撮って送って……」

蓮の声が止まった。

山崎はゆっくりとうなずいた。

「そのQRに、一時認証コードが写っていたかもしれない」

陽菜が端末で確認する。

「先生、昨日発行された一時認証、十五分だけ有効です。外部からその時間内に入られたなら……」

「開発同意書に、うちの確認履歴を偽装できる」

蓮の顔から血の気が引いた。

「僕のせいで?」

山崎は即座に言った。

「違う。子どもが事務所のプリンターを借りただけで土地が売れる仕組みの方が悪い。それに、君はまだ何も悪くない」

蓮は唇をかんだ。

カラアゲが励ますように、また唐揚げの匂いを出した。

陽菜が顔をしかめる。

「今はちょっと重い」

「ワフン」

「反省してる音なの?」

山崎は茶筒を見た。

ハルが残した、大きな茶筒。

時刻は午前十一時四十分。

開けてはいけない約束は、午後三時まで。

だが、書類は午後三時に通ってしまう。

「先生、開けますか?」

陽菜が聞いた。

山崎はしばらく黙っていた。

そして、首を横に振った。

「青木さんは午後三時まで開けるなと言った。なら、午後三時までに、茶筒なしで解く」

「先生、かっこいいです」

「ただし胃は痛い」

「そこまで含めて先生です」

山崎たちは、ハルの自宅へ向かった。

草薙の古い住宅街を抜けると、斜面に小さな茶畑が広がっていた。

二〇五〇年、静岡の茶畑の多くは自動管理化されている。

しかしハルの畑には、古い手摘み用の畝が残っていた。

風が吹くと、茶の葉が銀色に揺れる。

家の前には、青木茂が立っていた。

ハルの一人息子で、蓮の父。

顔色が悪く、目の下に深い隈があった。

「山崎先生……」

茂は山崎を見るなり、視線を落とした。

「お母さんはどこですか」

「わかりません」

「開発同意書に関わりましたか」

茂は黙った。

蓮が叫んだ。

「父さん!」

茂は両手で顔を覆った。

「売るつもりは……なかった。ただ、話だけ聞いたんだ。未来都市開発の人が、今なら高く買うって。母さんの茶房なんて、採算が取れるわけがない。蓮の進学費もある。介護だって、いつ必要になるか……」

「それで認証コードを渡した?」

山崎の声は責めるようではなかった。

だからこそ、茂の肩が震えた。

「書類の確認だけだと言われた。正式な提出には使わないって。母さんを説得する材料にするだけだって」

「正式な提出に使われました」

茂は膝から崩れ落ちた。

「そんな……」

蓮は父を見て、拳を握った。

でも殴らなかった。

ただ、泣きそうな顔で言った。

「父さん、ばあちゃんは土地より、俺たちに相談してほしかったんだよ」

その時、家の奥から物音がした。

全員が振り返る。

「お母さん?」

茂が駆け出す。

しかし現れたのは、隣に住む八百屋の杉山トメだった。

手には、おにぎりが山ほど入った籠。

「おやまあ、みんな集まって。ハルさんなら、朝からいないよ」

「杉山さん、何か知っていますか」

山崎が聞くと、トメは籠を抱え直した。

「知ってるも何も、ハルさんに頼まれておにぎり作ってるの。午後三時に、茶房の試食会やるって」

「試食会?」

「子ども食堂の練習だって。場所は、ほら、昔の草薙商店街の空き店舗。あそこ、電波が入りにくいから、見守り端末も圏外になるんじゃないかね」

茂がぽかんとした。

蓮もぽかんとした。

陽菜が山崎を見た。

「先生」

山崎は深く息を吐いた。

「家出じゃなくて、開店準備だ」

たぬ吉が通信越しに言った。

「分類を修正します。近所の困りごとから、近所の巻き込みごとへ」

一同は、草薙商店街の空き店舗へ急いだ。

そこはかつて乾物屋だった古い店で、シャッターにはまだ薄く「山海珍味」と文字が残っていた。

中に入ると、だしの匂いと、ほうじ茶の香ばしい匂いがした。

そして奥の台所で、青木ハルが割烹着姿で立っていた。

鍋をかき混ぜながら、振り返る。

「あら、早かったね」

茂が叫んだ。

「母さん! 何やってるんだ!」

「お茶漬け百人分」

「そうじゃない!」

ハルは涼しい顔で言った。

「だって、三時にみんな来るから」

蓮が涙目で駆け寄った。

「ばあちゃん、心配した!」

「ごめんごめん。カラアゲに見守り端末の充電器をかじられちゃってね」

全員の視線がカラアゲに集まった。

カラアゲは「ピ」と鳴り、胸の小さな画面に表示した。

反省しています。唐揚げを一個ください。

陽菜が言った。

「反省の取引が早い」

山崎はハルの前に立った。

「青木さん。未来都市開発が、同意書を提出しました」

「やっぱり」

ハルは鍋の火を弱めた。

「茂」

茂は顔を上げられなかった。

「すまない、母さん」

「うん」

「俺、怖かったんだ。金のことも、これからのことも。母さんが夢みたいなこと言ってると思って……」

ハルは息子の頭を、ぽんと叩いた。

軽い音だった。

でも、茂は子どものように泣き出した。

「馬鹿だねえ。親の夢を心配するなら、まず親に文句言いなさい。詐欺師に相談する前に」

「ごめん」

「それにね、夢っていうのは、だいたい採算が取れないところから始まるの。だから行政書士さんがいるんじゃない」

山崎は少しだけ笑った。

「過大評価です」

「いいえ。山崎先生は、夢を申請書にする人でしょ」

その言葉に、陽菜が小さくうなずいた。

時計を見る。

午後二時三十五分。

まだ間に合う。

山崎は事務所に戻ると、茶筒を机の上に置いた。

約束の午後三時まで、あと二十五分。

だが、今度はハル本人が一緒にいる。

「青木さん。開けても?」

「ええ。私がいるから、約束違反じゃないね」

茶筒の蓋を開けると、中には遺言書、古い写真、そして市の地域共生事業補助金の内定通知データが入っていた。

陽菜が目を丸くした。

「補助金、通ってるじゃないですか!」

ハルは得意げに笑った。

「くさなぎ茶房、子ども食堂兼高齢者サロンとして採択されたの。改装費の半分は出る」

茂が呆然とした。

「なんで言ってくれなかったんだ」

「言おうとしたら、あんたが『土地を売るしかない』って言うから腹が立って」

「母さん……」

「だからちょっと家出した」

「八十二歳の家出、強すぎるだろ」

蓮が泣き笑いした。

ハルはさらに古い写真を取り出した。

若い頃のハルと、亡き夫が茶畑の前で笑っている。

裏には、震える字でこう書かれていた。

この畑は、誰かが帰ってくる場所にする。

ハルは言った。

「おじいさんがね、最後にそう言ったの。土地は守るためだけじゃなくて、誰かを迎えるためにあるって」

山崎は遺言書を確認した。

内容は明確だった。

青木家の土地は、ハルの死後、家族で管理しつつ、地域の居場所として活用すること。

売却する場合は、茂と蓮だけでなく、地域運営委員会の同意も必要にすること。

そして最後に、家族宛ての手紙が添えられていた。

茂へ。困った時に黙る癖は、お父さんそっくりです。でも、黙っていると、お茶も人も冷めます。熱いうちに相談しなさい。

茂はまた泣いた。

たぬ吉が胸に「感動検知」と表示したあと、小さく言った。

「涙の量から判断して、湯のみ三杯分です」

「そこは測らなくていい」

陽菜がすかさず突っ込んだ。

午後二時五十分。

山崎は行政ポータルに接続した。

虚偽の疑いがある開発同意書について、本人による否認申述を提出。

事務所IDの不正利用記録を添付。

住所誤記、署名癖の相違、一時認証コードの流用可能性を記載。

さらに、ハル本人の意思確認映像も送付した。

映像の中で、ハルは堂々と言った。

「私は土地を売りません。売るとしたら、まず山崎先生にお茶を三杯飲ませてから考えます」

行政ポータルのAI審査官から、即時返信が来た。

申請は審査保留となりました。不正利用調査へ移行します。

陽菜が両手を上げた。

「止まりました!」

蓮が跳び上がった。

カラアゲも跳び上がろうとして、充電ケーブルに足を引っかけ、見事に転んだ。

たぬ吉が言った。

「転倒届を作成しますか」

「いらない!」

全員で声をそろえた。

午後三時。

草薙商店街の古い空き店舗には、人が集まり始めた。

子どもたち。

一人暮らしの高齢者。

仕事帰りの人。

ロボット犬を連れた親子。

山崎事務所の面々も、手伝いに駆り出された。

陽菜は受付。

蓮は配膳。

茂は黙々と椅子を並べる。

山崎は、ハルに言われて「お茶漬け相談コーナー」という謎の席に座らされた。

そこへ近所の男性がやってきて、真剣な顔で言った。

「先生、相談があります」

「どうぞ」

「妻に内緒で買った盆栽ドローンが、今朝、隣の松に恋をしまして」

山崎は目を閉じた。

「それは行政手続ではなく、家庭内調整です」

「看板に恋愛相談はお茶一杯分って」

「ドローン同士の恋愛は想定外です」

たぬ吉が横から口を出した。

「新分野です。許認可の可能性があります」

「ない」

ハルが台所から笑った。

その笑い声につられて、店中がやわらかく笑った。

ほうじ茶の湯気が天井へ上っていく。

外では、自動運転バスが静かに通り過ぎる。

ドローンが空を飛び、AIが手続きを処理し、町はどんどん便利になっていく。

それでも、人の心のややこしさは、まだ自動化されていない。

困る。

黙る。

すれ違う。

間違える。

でも、顔を合わせれば、ほどけることもある。

山崎は湯のみを手に取り、ハルの淹れたお茶を飲んだ。

少し渋い。

けれど、後から甘い。

「いいお茶ですね」

ハルはにっこり笑った。

「人生と同じでしょ」

その隣で、カラアゲが唐揚げの匂いを噴射した。

陽菜が叫んだ。

「だから今はお茶漬けの匂いで十分!」

店中がまた笑った。

数日後。

山崎行政書士事務所の看板には、新しい一文が書き足された。

「土地の相談はお早めに。家出の相談は家族にも」

陽菜はそれを見て、ため息をついた。

「先生、また変なこと書いてますね」

「大事なことだ」

「今度は報酬、ちゃんともらえたんですか?」

山崎は机の上を見た。

そこには、ハルから届いた包みがあった。

中身は、茶葉と、おにぎりと、手紙。

そして小さな封筒に、きちんと報酬が入っていた。

手紙には、こう書かれていた。

山崎先生へ。おかげさまで、くさなぎ茶房は無事に開店しました。茂は最近、困ると黙る前に「困った」と言うようになりました。蓮はカラアゲに充電器を食べさせない訓練を始めました。またお茶を飲みに来てください。ただし、恋愛相談はお茶二杯分に値上げしました。

山崎は笑った。

「経営判断がうちより上だな」

たぬ吉が胸を光らせた。

「所長、当事務所も値上げしますか」

「何を」

「近所の困りごと相談を、お茶一杯から茶菓子付きへ」

陽菜が頷いた。

「それは賛成です」

山崎は急須を手に取った。

窓の外では、草薙の町が午後の光に包まれている。

未来は便利になった。

でも、誰かが誰かを心配して、誰かが誰かのために書類を整え、誰かが誰かにお茶を淹れる。

そういう手間だけは、まだ人間の仕事でいい。

山崎行政書士事務所は、今日も草薙で営業中。

AIより少し不器用で、AIより少しおせっかいで、そしてたぶん、AIよりお茶が濃い。

 
 
 

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