セナバの奇跡──受け継がれし記憶
- 山崎行政書士事務所
- 1月25日
- 読了時間: 9分

プロローグ:静寂の軋み
あれからさらに半年。 セナバの町は、かつての大規模アート展覧会の喧騒が嘘のように静まり返っていた。 不可思議な力を秘めた二枚の絵――「セナバの奇跡」と、“もう一枚の絵”――は、美術館の奥深くに厳重に保管され、あのときの騒動は収束したかに見える。 しかし、町の片隅には得体の知れない違和感が漂っていた。夜毎、どこからともなく不穏な声が聞こえるという噂が広がり、住民たちは小さな恐怖を抱き始めている。 ――遠い未来と過去を繋げた“何か”が、今も完全には眠りについていないのだろうか。
第一章:第三の報せ
ある秋の夕暮れ、野々村遥(ののむら・はるか)は小さな郵便物を受け取った。差出人は不明。中には英語とラテン語が混じった一枚のメモと、写真が入っている。 写真には、かつて事件の舞台となったセナバ美術館の中庭。その片隅に、見慣れない小像(ブロンズ像)が建っている姿が写っていた。 遥は首を傾げる。セナバの歴史を調べるうち、そんな像を見た記憶はない。しかも、メモにはこう書かれていた。
“時の門は、再び開かれようとしている。”“修正されたはずの未来が、まだ揺らいでいる。”
まるで誰かが警告を発しているような文面。遥はふと、あの廃墟の未来を目の前にした恐怖が蘇るのを感じた。 彼女はすぐに淡路巧(あわじ・たくみ)へ連絡し、翌日には二人でセナバへ向かう決断を下す。
第二章:封印の乱れ
日が暮れた頃、セナバ美術館を訪ねると、館長のアルベルト・バルタが迎えてくれた。以前の騒動以来、展示室は厳重に管理されているはずだったが、彼の表情は険しい。「実は、ここ数日で奇妙な出来事が起きているんだ。夜間に誰もいないはずの展示室で、足音や囁(ささや)き声が聞こえるという報告があってね……それに、あの二枚の絵を保管している部屋の封印が、なぜか少しずつ軋(きし)み出しているらしい」
心配そうに扉の奥をちらりと見るアルベルト。そこには、かつて「セナバの奇跡」と“もう一枚の絵”が掛けられていた特別保管室がある。 遥と巧はすぐに保管室に案内してもらった。分厚い扉には多重ロックが掛けられ、さらに専門家が設置した封印のシールが貼られている。しかし、そのシールの端が剥(は)がれかかっていることに、二人はすぐ気づいた。
「誰かが、無理やりこじ開けようとしたの?」 アルベルトは首を振る。「わからない。外部から破られた形跡はないんだ。けれど、何か“内側”から動いている気配があるように感じる」
第三章:かすかな呼び声
その夜、二人はまたしても保管室の近くに泊まり込み調査をすることになった。深夜、美術館が静寂に包まれる中、遥は廊下の先から妙な気配を感じ取る。風もないのに、まるで誰かの吐息が聞こえるような……。 巧に目配せし、ライトを手に廊下を進んでいくと、保管室の扉がわずかに開いていた。昼間は確かに閉じられていたのに。
慎重に中へ足を踏み入れると、暗がりの中にうっすらと二枚のシルエットが浮かんでいた。「セナバの奇跡」と、もう一枚の“時の門”を描いた絵。以前より少し色彩が薄れ、紋章の部分が微かに光を帯びている。 すると、保管室の奥から低くうなるような音が響き、床がかすかに振動した。
「また……“何か”が目覚めようとしているの?」 遥は息をのみつつ、そっと絵の表面に触れようとする。が、その瞬間、まるで拒否するように絵が歪(ゆが)んで見えた。頭が割れるような痛み、視界が暗転――あのときと同じ、時間旅行の前触れだ。
「まずい、引き込まれる!」 巧が手を伸ばすが、遥の身体はすでに揺らぎ始めていた。まるで絵の中に吸い込まれるように、彼女の姿が一瞬で消えてしまう。
第四章:孤独な過去――遥の視点
遥が気がつくと、そこは薄暗い路地裏だった。石畳こそセナバのものだが、街灯の様式や人々の装いがどこか古い。 通りを行き交う人々はランタンを手にし、女性は長いスカートを引きずるように歩いている。どうやら、少なくとも百年か二百年ほど過去のセナバに迷い込んだようだ。
「どうやって戻れば……」 不安に駆られながら路地を彷徨ううち、小さな礼拝堂らしき建物を見つける。扉の上には、あの紋章と似た意匠が刻まれていた。 恐る恐る中へ入ると、祭壇の奥に小さな額縁が飾られている。その中には、見覚えのある空と町並みを描いたスケッチがあった。スケッチの端にはラテン語で「porta temporis(時の門)」と記されている。
――ここでなら、現代に戻れるかもしれない。前にも大聖堂の壁画に触れて時間移動をした経験がある。 遥は祈るようにスケッチへ手を伸ばす。が、そのとき、後ろから男の声が聞こえた。
「――その絵に触れてはいけない。そうすれば、未来が変わる」
振り向くと、あの頭巾の集団と同じような装いをした人物がひとり、蝋燭の灯りの中に立っていた。鋭い眼差しで遥を見つめている。
「この時代にも……あなたたちは何を企んでいるの?」 男は薄く笑みを浮かべる。「いずれわかる。だが今は、我々の計画を邪魔されるわけにはいかない。ここで眠ってもらおう」
男が短杖のようなものを振りかざした瞬間、遥の周囲が闇に包まれた。倒れ込む意識の中、彼女は最後にスケッチの一部に手が触れた。瞬く間に暗転――次に目覚めると、遥はどこか知らない別の部屋で横たわっていた。
第五章:もう一つの世界――巧の視点
一方、現代の美術館では、遥を目の前で“消失”させてしまった巧が呆然と立ち尽くしていた。 すぐさま彼も絵に触れて後を追おうとするが、先ほどの激しい反発はすっかり消えており、今度は全く違う現象が起こった。絵の中の紋章が、まるで“閉じて”しまったかのように静まり返っているのだ。
「遥さん……戻ってきてくれ」 巧は思わず拳を握りしめる。そこへ慌てて駆けつけたアルベルトが声をかける。「なにか、絵の力を再び解放する方法はないのかい?」
巧はしばし沈黙したあと、ハッとしたように顔を上げる。「そうだ……今回、封印を強化するために色々な術式が施された。しかし、それが逆に『入口』を制限しているのかもしれない。もし封印の一部を解けば、再び“門”が開く可能性があります」
封印を解くリスクは大きい。だが、放っておけば遥はこのまま帰れない。二人は苦渋の決断を下し、夜明けを待って専門家の協力を仰ぎ、保管室の封印を一時的に解除する準備にとりかかる。
第六章:交錯する運命
時を同じくして、遥の意識がゆっくりと戻る。そこは広い石造りの部屋。柱には風化しかけた紋章の彫刻があり、壁には何枚もの古文書が貼られている。どうやら彼女を倒した男が、秘密のアジトのような場所へ連れてきたらしい。 男は部下とともに何やら書物を広げ、未来から持ち込んだらしき機器を組み立てている。やはり、この時代で何か大規模な歴史改変をしようとしているのだろう。
「大丈夫ですか?」 隣にもう一人、囚われの身となっている若い女性がいた。聞けば、この時代の画家の娘だという。偶然、礼拝堂で絵のスケッチをしていたところを捕まったのだ。 部屋の片隅には、先ほどの「porta temporis」のスケッチも置かれている。そこには微かに紋章が描かれており、今にも光を放ちそうに見えた。
――もしこれに触れれば、もう一度別の時代へ飛べるかもしれない。あるいは、現代への手がかりになるかもしれない。 遥は気力を振り絞り、縛られたロープをこじ開けようとする。遠くで男たちが立てる物音が徐々に近づいてくる。時間がない。
第七章:再び繋がる“門”
翌日の夜明け、現代の美術館。 巧たちは封印の一部を解除し、再び「セナバの奇跡」と“もう一枚の絵”の紋章を呼び覚ます儀式を始めた。古い文献を元に唱える言葉、配置する道具、すべてが綱渡りのような作業だ。少しでも手順を誤れば、門が暴走する危険すらある。
やがて、重く沈黙していた紋章がかすかに光を帯び始めた。「開いた……!」 巧が歓声とも安堵ともつかない声を上げる。その瞬間、再び空気が歪みだし、光の柱のようなものが絵の中央から立ち上った。
「遥さん……聞こえるか?」 巧は半ば祈るように、絵へ向かって呼びかける。すると、微かに誰かの声が返ってきたような気がした。
第八章:時をこえて
一方、過去の礼拝堂で、スケッチを必死に握りしめている遥。男たちの隙を突いてロープをほどき、画家の娘を連れて脱出を試みるものの、出口は既に塞がれている。「これしかない……!」 遥はスケッチの紋章に手を当てる。すると、絵が薄青い光を帯び、視界がぐにゃりと歪んだ。
男たちが襲いかかろうとする刹那、遥は娘の手を握ったまま強く念じた。「現代へ戻らなきゃ。巧さんのいる場所へ」。 頭の奥に響く眩暈(めまい)、瞬間的な無重力感。次に目を開けたとき、そこは……美術館の特別保管室、まさに光の柱が立ち上っている中心だった。
「遥さん!」 巧の声が耳を打つ。遥は勢いで床に崩れ落ち、連れてきた娘も怯えたまま立ちすくむ。 だが、彼女たちは確かに戻ってきたのだ。この現代のセナバに。
しかし、その背後から、同じく歪んだ空間を通って複数の男たちがなだれ込もうとする。まだ門は完全には閉じていない。
終章:受け継がれし記憶
混沌の最中、巧と館長のアルベルト、警備員たちが必死に男たちを取り押さえる。封印を一時的に解いたとはいえ、ここは現代の強固なセキュリティ下だ。逃げ場はない。 そうして、紋章が再び収束を始めると同時に、男たちの企みは霧散した。時間の門はゆっくりと閉じられ、元の静寂が保管室を包む。
「……ただいま、巧さん」 遥はほっと微笑む。「おかえり。無事でよかった」 二人の言葉にかけるまでもなく、お互いが抱える安堵は、言葉にならないほど大きかった。
助けられた画家の娘は呆然としている。彼女にとっては、ほんの数分前まで“自分の時代”にいたのだ。帰るべき場所は数百年前。 だが、門はすでにほとんど閉ざされてしまい、再び開く気配はない。遥と巧は苦悩の末に、アルベルトに事情を打ち明け、館側の判断で彼女をしばらく保護することになった。
――元の時代に戻せない。だが、もし再び門が開くことがあるなら、そのとき彼女を送り返すこともできるかもしれない。 彼女の目には不安と恐れが宿る一方で、なぜかほのかな好奇心も感じられる。まるで、新しい世界の扉を開いた人の瞳のように。
エピローグ:新たな一歩
それから数日後。セナバの町は、またいつもの静かな日常を取り戻しつつある。 美術館は、再び二枚の絵を封印すべく動き出した。今回の事件を通じて、時間を安易に操作しようとする危険性がより明確になったのだ。 遥と巧は、しばらくセナバに滞在して画家の娘をサポートしながら、今後の対策を協議している。
「歴史を変えるなんて、やっぱり簡単にやっていいことじゃない。私たちはそれを改めて学んだのかもしれないね」 遥が夕陽に染まる石畳を見つめながらつぶやく。「うん。けれど、こうして人が違う時代を行き来できるという事実は、決して悪いことばかりじゃないはずだ。もし正しい目的に使えるのなら……」 巧は隣に立つ娘の姿を見つめながら、優しく微笑む。
どこからともなく、教会の鐘の音が響いてきた。ゆっくりと落ちる黄昏のなか、風が二人の足元をかすめていく。その風の中に、微かに聞こえる“誰か”の囁(ささや)きがあった。
――「時の門は、常に人の心の中にある。」
闇に沈む町を照らし始める灯火(ともしび)。これが終わりではなく、新たな始まりなのだ――そう確信するかのように、遥と巧は並んで歩き出した。 「セナバの奇跡」はまだ、その謎のすべてを明かしてはいない。そして、いつの日か再び門が開かれたとき、どんな“奇跡”が待ち受けているのかは、誰も知らない。
ただ一つ言えるのは、それを選び取るのは、私たち自身の意思であるということ。 ――たとえ、過去と未来が交錯しようとも。私たちが生きるこの“今”こそが、奇跡の証なのだから。





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