セナバの奇跡──封印された軌跡
- 山崎行政書士事務所
- 1月22日
- 読了時間: 9分

あの不可思議な事件から半年が経った。 野々村遥(ののむら・はるか)は大学の研究室で、幾度となく「セナバの奇跡」の資料を読み返していた。奇妙な時間旅行を経験して以降、変わらず平穏な日常が続いている。それでも、彼女の心にはふとした拍子に疑念がよぎる。本当に、すべては終わったのだろうか。
一方、淡路巧(あわじ・たくみ)は故郷の京都へ戻り、家業の美術修復を手伝いながら自分の将来を模索していた。過去と未来を巡る旅から戻ったときのあの感覚は、時の流れに埋もれつつある。しかし、心の奥底には、未だに消えない光がある。あの絵の持つ力は、本当に消失したのか。
そんなある日、遥のもとに一通の手紙が届いた。差出人はセナバの美術館館長であるアルベルト・バルタ。彼こそがあのアート展覧会の統括責任者であり、「セナバの奇跡」を展示していた人物だった。 手紙にはこう書かれている。
親愛なる野々村博士候補殿(および淡路殿へもお伝えください)。「セナバの奇跡」を収蔵していた特別展示室の壁に、新たな亀裂が生じました。そして、その亀裂の奥から “もう一枚の絵画” が発見されたのです。一見、「セナバの奇跡」と酷似していますが、微妙に異なる点が多々ある。これが何を意味するのか、私には皆目見当がつきません。ぜひお二人の知見をお借りしたく存じます。
新たに見つかった“もう一枚の絵画”。遥はただならぬ予感を抱き、すぐさま巧に連絡を取った。二人の胸には、疑問と好奇心、そして一抹の不安が入り交じった感情が湧き上がっていた。
再会と新たなる発見
セナバの町は、相変わらず石畳の美しい古都の姿を保っているが、前回訪れた時ほどの喧騒はない。アート展覧会も既に閉幕していた。 美術館に到着すると、館長のアルベルトが憔悴しきった表情で出迎えた。
「ようこそ、お二人とも。……実は、新しく見つかった絵を展示室に移そうとした矢先、妙な出来事が立て続けに起こっていてね。人影が消えたとか、展示室の空間がゆがんだように見えたとか……まるで幻覚のような噂が絶えないんだ」
案内されたのは、前回「セナバの奇跡」が掛けられていた特別展示室。奥の壁には古い扉があり、普段は封印されていたという。それがひび割れを起こし、中から真新しい空気が流れ込んだような痕跡がある。その奥から発見されたのが問題の絵である。 暗がりの中でスポットライトに照らされているその作品は、「セナバの奇跡」に確かに似ていた。しかし、色彩はどことなく暗く、中央には半ば消えかけた紋章のようなものが浮かんでいる。
「これが……」 遥が思わず息を飲む。「たぶん、“もう一つのセナバの奇跡”と言うべき存在でしょう。だが、タイトルは一切不明だ」
巧は近づいて観察すると、絵の一部にわずかな盛り上がりを見つけた。指先で触れてみると、はがれかけた絵の具の下から、文字らしきものが覗いている。
「……これはラテン語でしょうか。確か『porta temporis』――“時の門”という意味だと思います」
二人は顔を見合わせた。“時の門”という言葉に、いや応なく前回の出来事が脳裏を過(よ)ぎる。あの絵画から感じた異様な力との符合。そして――再び過去や未来へ飛ばされるかもしれない、という予感。
再び開かれた“時の門”
その夜。アルベルトの計らいで展示室に泊まり込み、二人は徹底的に調査を進めることになった。 深夜、人気の途絶えた美術館は静寂に包まれている。かすかな風の音と照明の唸(うな)りだけが耳を打った。ふと、巧が何かに気づいたように絵の前で立ち止まる。
「遥さん、見てください。……絵の中央部分、さっきより紋章がはっきりしてきていませんか?」
言われてみると、確かに消えかかっていたはずの文様が際立ってきている。 その瞬間、前回味わったような不可思議な浮遊感が、足元から泡立つように湧き上がった。息をのむ間もなく、視界が一気に暗転する。激しい風が耳を裂き、重力が捻じ曲げられるような感覚――そして次の瞬間、二人の目に飛び込んできたのは、見覚えのあるセナバの町……ではなかった。
辺りには廃墟と化したビルらしき構造物、荒涼とした大地に舞い散る灰。空は鉛色の雲に覆われ、そこから降る細かな砂が風に乗って舞っている。大気は乾燥しきり、人の気配どころか生物の痕跡すら感じられない。
「ここは……未来のセナバ? でも、前に見た未来よりも、もっと荒廃している」 遥の声は震えている。唇が乾いて、ひび割れそうだ。
どうやら自分たちは、この“もう一枚の絵”によって、はるかな未来へ放り出されてしまったらしい。これほど荒廃しているのは、歴史上のどこかでさらに大きな歪(ゆが)みが起こったからなのか。 二人は砂塵に耐えながら、わずかな手がかりを求めて荒野を進んだ。
歴史を歪める者
どのくらい歩いたのかもわからない。やがて、崩れた建物の瓦礫(がれき)の奥で、かろうじて形を保っている地下への入り口を見つけた。そこにはかすかな灯りが漏れている。恐る恐る降りていくと、薄暗い空間の奥から声が聞こえてきた。
「……我らの狙い通り、紋章の力はもう一度開いた。次は、あの絵を完全に操り、この世界を自分たちの理想に変えるのだ」
声の主は二人の人間。頭巾を被り、何やら古い書物を広げている。どうやら“もう一枚の絵”の存在を知っている者たちのようだ。気配を悟られないよう物陰に隠れると、耳を澄ませる。
「ただ、邪魔をする存在が一組いる。前の絵のときに歴史を修正し、我々の計画を台無しにした連中だ」
その瞬間、遥と巧は胸の奥が凍りつく。どうやら彼らは、二人が過去に盗賊を止め、未来を修正した一件に何らかの形で関わっていたらしい。
「“時の門”を完全に制御すれば、過去のどの瞬間にも干渉できる。新しく見つかった絵画は不完全だが、既に封印は解けかけている。あの二人が再び現代で余計なことをしないよう、奴らの干渉を阻止しなければ」
どうやら、彼らは絵を使って意図的に歴史を操作し、自分たちの都合のいい未来を作ろうとしているようだ。だからこそ、遥と巧が過去を修正したことが妨害行為となったのだろう。
選択と覚悟
聞くべき情報は手に入った。だがこのままでは、現代に戻ることすらままならない。前回の「セナバの奇跡」のときと同様、絵に刻まれた文様を使いこなさなければならないのだ。 二人は地下空間をこっそり離れ、暗い廃墟の町を抜け出した。砂嵐が一段と強さを増す。視界はますます悪くなり、息をするのも苦しいほどだ。
「僕たちがこの未来に来たのは偶然じゃない。必ず意味があるはずだ」 巧は唇をかみしめながら言う。「きっと、ここまで荒廃した世界を見せられたのは、彼らが歴史をゆがめている証拠。私たちが阻止しなきゃ」 遥も荒涼とした景色を見つめ、決意を新たにする。
だが、どうやって現在(現代)へ戻るのか。もう一枚の絵がセナバの美術館にある以上、ここでは目の前に何もない。 そのとき、何かが閃(ひらめ)いたように遥は思い出した。“porta temporis” というラテン語の刻印。それは、かつて教会の壁画でも見かけた記憶がある。前回の出来事の際、大聖堂に描かれていた紋章と同じ可能性が高い。
「もし、この未来のどこかに、その大聖堂の廃墟がまだ残っていれば……」
大聖堂が崩れ去ったとしても、壁画の一部が残っているかもしれない。それに触れれば再び時を越えるチャンスがあるだろう。
荒廃した大聖堂
砂嵐の中を彷徨いながら、二人はかつてセナバの中心にあった大聖堂の場所を探した。目印だったはずの塔は半分以上崩落し、廃墟と見分けがつかないが、かろうじて形の残るドーム状の屋根を発見することができた。 瓦礫を乗り越え、崩れかけた壁をそっと撫でる。そこには微かに、あの紋章に似た模様が浮かんでいた。
「やっぱり、ここにも “porta temporis” が……」
意を決して、二人はそっと手を重ね合わせる。すると、鈍い響きと共に紋章が淡い光を放った。まるで呼応するように、遥と巧の周囲で空気が振動し始める。
突如として視界がホワイトアウトし、激しい頭痛が襲った。体が宙に浮いたような感覚――そして、次に目を開けると、そこは元の美術館の展示室だった。 むせ返るほどの砂塵はもうない。アルベルトが驚いたように駆け寄ってくる。
「お二人とも、大丈夫ですか? 急に倒れ込んだかと思えば、光が弾けたように見えて……」
どうやら廃墟の未来から、無事に戻ってこられたらしい。心の臓がドクンドクンと高鳴っているのがわかる。
阻止と決断
しかし、まだ何一つ解決していない。未来を捻じ曲げようとする者たちが、この時代にも潜んでいるかもしれない。 そのとき、展示室の扉が荒々しく開いた。先ほど地下で見かけた頭巾の男が、何やら黒い筒状のものを手にして現れたのだ。
「やはり戻ってきたか。だが、ここで消えてもらう!」
男は怪しげな光を放つ筒を掲げる。何か特殊な道具だろうか、床に陣を描くように動かすと、先ほどの絵がグラグラと揺れ始める。その力で紋章を強制的に開こうとしているのだ。 ――もしここで紋章が開けば、過去や未来の通路が再び暴走し、歴史が大きく乱れるに違いない。
「やめて!」 遥が声を張り上げる。 巧は男に掴みかかろうとするが、相手の仲間が横から押さえ込もうとする。展示室は一瞬のうちに混乱状態に陥った。しかし、すぐにアルベルトが警備員を呼び寄せ、なんとか男たちを取り押さえる。
その間に、遥と巧はかろうじて揺れ動く絵に駆け寄り、その中心の紋章に手を当てた。すると、前回の絵と同様の柔らかな光が走り、紋章が収縮するように消えていく。まるで完全に力が封じられたかのようだった。
エピローグ――封じられた軌跡
騒ぎが収まった後、美術館はしばらくの間休館となり、警察や専門家による調査が行われた。男たちは「時を操る力を手に入れるために、二枚目の絵を探し出し歴史を操作しようとした」と供述しているらしい。 しかし、詳しい動機や背後関係は未だ解明されておらず、絵に秘められた真の力も依然として謎のままだ。
翌朝、少しだけ疲れた表情の遥と巧は、アルベルト館長と共に展示室に立っていた。壁には依然として二枚の絵が並んでいるが、その紋章の気配は完全に消え、ただの美しい油彩画としてしか見えない。
「もう二度と、この絵の力が目覚めることはないのでしょうか」 館長がつぶやくように言うと、遥は少し遠い目をしながら首を横に振った。「わかりません。でも、少なくとも私たちがその選択を誤らなければ、時は静かに流れていくはずです」
巧も微笑みを浮かべる。「世界を変えるのはいつだって、一人ひとりの意思の積み重ねだと、今回のことで改めて感じました。――もう一度、歴史を荒らされたくはないですね」
しばしの沈黙の後、三人は長い廊下を歩き出す。窓の外には、優しい朝日がセナバの町を照らし、石畳を黄金色に染め上げている。 遠くから聞こえる鐘の音に耳を澄ませながら、遥と巧は互いの顔を見合わせた。あの廃墟の未来を思い出すたびに心は痛むが、だからこそ、今この瞬間を大切に生きることが重要なのだと強く思えた。
――“セナバの奇跡”。それは、ただの絵画ではなく、時のゆがみを通じて私たちに「未来を選び取る」責任を提示する存在なのかもしれない。 たとえ封印されても、そのメッセージはこれからもずっと、人々の心を揺さぶり続けるに違いない。
どこか遠くから、風に乗って囁(ささや)く声が聞こえた気がした。 「時の門は、いつだって心の中にある」。
朝の光の中、二人はそっと目を閉じ、その言葉を胸に刻むのだった。





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