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セナバの奇跡──永遠の調律

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月25日
  • 読了時間: 11分



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プロローグ:遠い呼び声

 セナバの町に、澄み渡る初夏の空気が流れている。 数か月前、この地では時を越える力を宿した二枚の絵が封印され、17世紀から現代へ迷い込んだ画家の娘・ルチアは、最終的に故郷である過去へと戻った。 それ以来、表面上は平穏無事な日々が続いていた。しかし、**“セナバの奇跡”**を巡る物語は、まだ幕を下ろしていなかった。 ――封印されたはずの絵から、また新たな歪みが生まれつつある。それに気づく者は、まだごくわずかだったが。

第一章:残された痕跡

「ここが、以前に“門”が開いた場所ですか……」 大学院で美術史を研究する野々村遥(ののむら・はるか)は、美術館の特別保管室を訪れていた。彼女の隣には、同じく絵の力を巡る数々の事件に関わってきた淡路巧(あわじ・たくみ)の姿がある。 室内は厳重に管理され、扉には封印のシール、さらに最新の電子ロックが施されている。中央には例の二枚の絵が梱包されるように設置されていた。 そのどちらも、今は沈黙を保ち、かすかな気配すら感じられない。しかし、遥には拭えない違和感があった。

「気のせいかもしれないけれど……以前よりも、空気が冷たい気がするの」 彼女は小さくささやく。 巧も同意するように頷いた。「わかるよ。まるで何かが吸い込まれているような……静かながらも不気味な空気だ」

 数か月前、荒廃した未来と“栄光の未来”という二つの時間軸が存在し、その狭間をルチアが行き来しながら“鍵”を取り戻した。最後は絵の封印が再強化され、彼女は17世紀へ帰っていった。 にもかかわらず、部屋に満ちるこの微妙な違和感は、何を意味しているのだろうか。

第二章:届いた便り

 その日の夕方、遥のもとに一通の国際郵便が届けられた。差出人欄には見覚えのない名前。宛先は英語とイタリア語が混ざった筆跡で、どうやらヨーロッパのどこかから送られてきたらしい。 封筒を開けると、中には1枚の古い写真と短い手紙が入っていた。

「Gentile Nonomura Haruka,これはイタリアの小さな教会で見つけた古文書の写しです。記載によると、17世紀の画家 “Paladino Lusio” が“Senaba”という町で仕上げた最後の作品が、現在どこかで眠っている可能性がある。もしあなたが何かご存知でしたら、ぜひご教示ください。— Cordiali saluti, M. Santini」

 イタリア語の署名は「M. サンティーニ」とある。写真には、古い教会の壁画らしきものが写っていた。その隅にはルチアの父が使っていた紋章と酷似したマークがかすかに見える。

Paladino Lusio……まさか、ルチアの父の本名がパラディーノ・ルシオだったりするのかしら」 遥は胸の奥がざわつくのを感じた。「ルチアの話じゃ、彼女の父はセナバ近辺だけでなく、他国でも修行したことがあるって言ってた。そう考えると、あり得るね」 巧が唸(うな)る。

 もし、ルチアの父が描いた“最後の作品”がこの世界のどこかに残っているとしたら……。前回の事件でルチアは、その絵を携えて過去へ戻ったはずではなかったか。 何かが噛み合わない。だが、この手紙の存在は、再び大きな波乱が起きる予兆なのかもしれない。

第三章:混乱する情報

 翌日、遥と巧は美術館の館長であるアルベルト・バルタを訪ね、イタリアからの手紙の件を報告した。 アルベルトは目を丸くして、写真をまじまじと見つめる。「……確かに、これはルチアさんのお父上が使っていた紋章に似ています。時代考証が合えば、17世紀イタリアに滞在していた可能性は十分あり得るね」

 ただ、館長は首を傾(かし)げた。「しかし、最後の作品は、ルチアさんが“栄光の未来”から持ち帰り、そのまま17世紀へ持ち帰ったはずだ。それと同じものが、この現代に存在するとは考えにくいが……」

 そう、あり得ないはずの二重存在。どこかの時代の分岐で“もう一つの同じ絵”が生まれたのかもしれない。 そうだとしたら、またしても歴史の歪(ゆが)みが生じていることになるのではないか。

第四章:赤い教会の伝説

 手紙の差出人サンティーニの連絡先を辿り、メールを送ってみると、意外なほどスムーズに返信が返ってきた。どうやらイタリア北部、トレント近郊の小さな村にある教会で古文書を調査している研究者らしい。 その古文書には、「赤い教会」(Chiesa Rossa)と呼ばれる礼拝堂にかつて収められていた絵画が、行方知れずになっているという伝説が記されているという。 そして、その絵を描いたのが「Paladino Lusio」であり、時空を超える“何らかの力”が宿っているかもしれない――といった謎めいた言及が散見されるらしい。

 遥と巧は、にわかには信じがたい思いで顔を見合わせる。「イタリアに“時を超える力”の伝承が残っているなんて……」「でも、ルチアのお父さんが何らかの形で描き残したんだとしたら、以前の“セナバの奇跡”と関わりがあっても不思議じゃない。あの人がセナバだけでなく、もっと広範な場所で絵の力を試していた可能性もある」

 ――歴史に再び亀裂が走る前に、何とか真実を確かめたい。そう思った二人は、イタリアへ渡って直接サンティーニを訪ねることを決意する。

第五章:封印のきしみ

 出発の前夜。二人は最終確認のため、再び美術館の保管室を訪れた。 そこには、例の二枚の絵が静かに佇む。だが、室内に入った瞬間、二人は息を飲んだ。前回感じた冷たい空気が、ますます強まっているではないか。 扉に貼られた封印のシールの一部が、またしても剥(は)がれかけていた。

「……アルベルト館長が毎日チェックしているはずなのに、どうしてこんなことに」 遥が不安げに呟く。「たぶん、外部からこじ開けたわけじゃない。中の“力”が増しているんだ」 巧も険しい表情で応じる。

 まるで時の門が再び動こうとしているようだ。イタリアの「赤い教会」に眠る“もう一つの絵”と共鳴しているのかもしれない――。 しかし、今は確証がない。二人は慎重に封印を貼り直し、美術館を後にした。

第六章:イタリアへの旅

 数日後、遥と巧はトレント近郊の村へ到着し、サンティーニと落ち合った。彼は中年の男性で、熱心な歴史研究家という印象を受ける。英語交じりのイタリア語で会話を交わしながら、目的の「赤い教会」へと車を走らせた。 教会は名前の通り、外壁が赤茶色に染められた小さな煉瓦造(れんがづく)で、古めかしいが荘厳な雰囲気を漂わせている。中に入ると、壁の一部が大きく崩れた跡があり、そこに保管されていた絵が失われたというのが地元の伝承だった。

「ここに“行方不明の絵”があったと記録されているんです。古文書によると、Paladino Lusio という画家がセナバを離れた際、一時期この地域に滞在していたらしい」 サンティーニは、教会の内部を示しながら説明する。 遠い異国の地で、まさかこれほど深く“セナバの奇跡”との接点があるとは思わなかった。

第七章:消えた肖像の謎

 教会の地下保管庫を調べると、古い木箱が見つかった。中には書きかけのスケッチが何枚か入っており、その端には見覚えのある紋章が微かに描かれていた。 ――あの紋章だ。ルチアの父が残した印。 さらに、スケッチの裏にはこう記されている。

「我が最後の肖像、未だ完成せず。しかし、この地で新たな時の門を開く“絵”を創らなければ、我が娘と、セナバの未来を守ることはできぬだろう。」

「……ルチアのお父さんが、この地でも“時の門”を開く絵を描こうとしていた?」 遥は言葉を失う。もしこれが完成していれば、セナバとは別の場所で、別の“絵の門”が機能する可能性があったということだ。 そして、その絵が今は行方不明。誰かが手にしているのだろうか。それとも、どこかに隠されたままなのか――。

第八章:封印破綻

 その夜、セナバの美術館では異変が起こっていた。封印を強化しても抑えきれないほどの力が、保管室の中で暴れ始めたのだ。 館長アルベルトは、あわてて警備員たちとともに室内を確認しようとするが、もはや近づくだけで耳鳴りがして意識が遠のきそうになる。 扉の向こうからは、低いうなり声のような振動が伝わってきた。まるで絵自体が“目覚め”を迎えたかのようだ。

「なんてことだ……あれほど厳重に封印したのに」 アルベルトは苦悶(くもん)の表情を浮かべる。遥と巧がイタリアへ向かった今、自分には止める術がない。 時を同じくして、遠くの異国でルチアの父が残した“未完の絵”が呼応しているのだとしたら――。

第九章:二つの“門”

 一方、イタリアの「赤い教会」。古い記録を調べるうち、遥と巧は驚くべき記述を発見する。 そこには、かつてこの教会で “時の門”を開こうとした者たちがいた と書かれている。彼らは何らかの理由で企みを中断し、その後、絵は行方不明になった。 もしその絵が今もどこかで眠っているなら、再び門が開かれ、セナバの絵と“共鳴”してしまう可能性がある――まさに今、セナバでは封印が破れかけているのかもしれない。

「どうにかして、この未完の絵を封印するか、破壊するか……とにかく、門が開かぬようにしないと」 巧が焦燥の声を上げる。「でも、私たちだけでできるのかな」 遥の問いに、サンティーニが静かに言った。「ここには古い祈祷書があります。この教会を建立した聖職者が、悪魔的な力を封印するために編み出した儀式だと。未完の絵が見つかったとして、その力を鎮めるには、おそらくこうした術式を使うしかないでしょう」

 決断は早かった。三人はこの教会に滞在し、未完の絵の手がかりをさらに探しつつ、儀式の準備を進めることにした。そうすることが、セナバに残された二枚の絵の暴走を抑える手段になるかもしれない――わずかな望みに賭けて。

第十章:見えざる導き

 その夜、教会の内部で祭壇にロウソクを並べ、サンティーニが古い祈祷書の文言を読み上げ始めた。遥と巧は周囲を見渡しながら、微かな異変に気を張り詰めている。 やがて、祭壇の奥、石壁の隙間からかすかな光が漏れているのに気づいた。先ほどまで気づかなかった場所だ。 近寄ってみると、そこには小さな石扉があり、鍵もかかっていない。そっと開くと、埃っぽい空気の中に、布で包まれたキャンバスが横たわっていた。

「これ……まさか」 布を取り払うと、現れたのは古びた油絵。途中まで描かれた街の風景や空の青が、今にも動き出しそうだ。中央には、はっきりとあの紋章。まさに**“未完の門”**を描いた絵だった。 だが、その絵は不思議な熱を帯びている。遠くから、耳鳴りのような音が響き、視界が揺らぐ。まるで、こちら側の世界と、もう一つの時空をつなぎかけているように――。

「これが……ルチアのお父さんが描きかけた、“もう一つの門”……」 遥が息を飲む。直感的に、これがセナバの封印に干渉しているのだと確信した。 もしここで、この未完の絵の力を封印できなければ、セナバ側の二枚の絵も抑えられなくなり、再び過去や未来、あるいは別の時間軸が混乱をきたすだろう。

終章:永遠の調律

 サンティーニの先導で儀式が始まる。ロウソクの明かりが揺れる教会の中、古い祈祷書を読み上げる声が、重々しく響いた。 巧は儀式の円陣の中心に“未完の絵”を置き、遥はルチアの父の残したスケッチや紋章の原図を慎重に重ね合わせる。 すると、絵の紋章が青白く発光し始めた。まるで最後の抵抗を試みるかのように、空間に軋(きし)むような振動が走る。

「今だ……!」 サンティーニの合図で、遥と巧は絵に両手を当て、深く呼吸を整える。かつて“セナバの奇跡”を封印したときと同じように、心を落ち着かせ、意志を込める。 ――ルチアが戻った先の時代を守るためにも、決して時間の乱れを起こしてはいけない。

 やがて、祈祷書の朗唱が最高潮に達した瞬間、未完の絵が大きく明滅し、教会の内部に稲妻のような光が奔(はし)る。危うく目が眩(くら)みそうになるが、意を決して視線を外さない。 次の瞬間、絵は急速に熱を失ったかのように暗く沈黙し、紋章も輪郭を失って消えていった。

「終わった……のか?」 巧が慎重に絵へ近寄る。かつて感じた強烈なエネルギーは、すっかり消えている。どうやら未完の門は完全に“閉じられた”ようだ。

エピローグ:帰還と未来への光

 数日後、セナバからアルベルト館長より連絡が入った。

「あれから保管室の封印は安定し、二枚の絵も沈黙したままだ。まるで、何事もなかったかのように落ち着いているよ。お二人のおかげだ、ありがとう……!」

 遥と巧は安堵の笑みを交わす。イタリアの教会で“未完の絵”を封印したことで、セナバの絵と共鳴していた余波が鎮まったのだろう。 そして、二人は改めて確信する――ルチアの父は、万一セナバの絵が暴走したときに備え、遠く離れた地で“補完の門”を描こうとしていたのだ。もしものとき、この絵を封印することで、本来の門が安定する仕組みを残そうとしたのかもしれない。

 夕陽に染まるイタリアの山々を背に、教会の階段で風を感じながら、遥はそっと呟(つぶや)く。「セナバの奇跡って、ただの絵じゃない。時を超え、人と人とを繋ぐ、不思議な力があるのね」 巧は微笑みながら応える。「だからこそ、悪意ある者が利用すれば未来を壊し、善意で使えば誰かを救う――そういう危うさも含めて、ずっと見守る必要があるんだろう。ルチアのお父さんも、それを望んでいたんじゃないかな」

 これで本当にすべてが終わったのか、それとも新たな幕が開く前触れなのか。 どちらにしても、遥と巧は心に誓う。再び時の門が開いたとしても、セナバの歴史を歪めることなく見届けようと。 ――遠い17世紀のセナバで、ルチアはどんな未来を描いているのだろう。きっとその一筆一筆が、今の時代にも微かな光となって注がれているに違いない。

 “セナバの奇跡”は、生きている。 目には見えなくとも、それは人と時を優しく繋ぐ“永遠の調律”として、これからもずっと世界の何処かで呼吸を続けるだろう。

 茜空(あかねぞら)を見上げながら、二人は静かに思いを馳せる。明日へと伸びる道は無数にある――だけど、どんな未来を選ぶにせよ、人は希望を胸に前へ歩み出せるのだと。 時の流れがいかに交錯しようとも、“今”を生きることが奇跡の証なのだから。

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