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セナバの奇跡――揺らめく残響

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月25日
  • 読了時間: 10分



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プロローグ:夜明け前の静寂

 セナバの町に、どこか満ち足りない空気が漂っている。 “時を超える”二枚の絵を封印したこの地では、いくつもの危機を乗り越えてなお、穏やかな日常が続いているように見えた。 しかし、まるで深い湖底に沈んだままの水草のように――新たな波乱の種が、ひそかにうごめき始めていた。

 イタリアの「赤い教会」で“未完の門”を封じ、セナバの絵との共鳴を止めることに成功した野々村遥(ののむら・はるか)と淡路巧(あわじ・たくみ)は、ほどなくして日本へ戻り、再びセナバの美術館で研究や修復の仕事に携わり始めている。 「もう危機は去った」――そう信じたい。しかし、夜毎に見えない亀裂の音を聞くような、不思議な予感が遥の胸を騒がせていた。

第一章:小さな異変

「これ、明らかにおかしいわね……」 ある朝、美術館の特別保管室から出てきた遥は、落ち着かない面持ちで巧に声をかけた。 扉やロックに異常はない。誰かが侵入した形跡もない。けれど、以前貼り直したはずの封印シールの端が、また少し剥(は)がれかかっている。 ちょうど数か月前、イタリアへ向かう直前にも同じことが起こった。あのときは、異国に眠る“未完の絵”との共鳴が原因だったとわかっている。

「でも、イタリアで未完の絵は封印したはず。共鳴の原因は断たれた……はずなのに」 巧も険しい表情を浮かべる。 中にある二枚の絵――「セナバの奇跡」と、その“もう一枚の絵”はいずれも沈黙を保ち、淡い気配しか感じられない。だが、それは“眠っている”にすぎず、再び目覚めたらどうなるかはわからない。

 館長のアルベルト・バルタに報告しても、先日に続き「封印は万全なはず」と首をかしげるばかりだ。 しかし、遥の胸騒ぎは強まるばかり。「何か見落としている可能性がある」――そう感じていた。

第二章:奇妙な手紙、再び

 その翌日。遥のもとに、またしても差出人不明の一通の封筒が届いた。 以前、イタリアからの手紙を受け取ったときと同じように、宛名は英語とラテン語が入り混じり、さらに見慣れぬ古いセナバ方言らしき文字も記されている。 開封すると、中には短い文書があった。

「扉はまだ閉ざされてはいない。“眠り”と“覚醒”は、同じ鍵が開く。新たな歪みが生まれる前に、あなたたちは “もうひとつの源流” を探せ。さもなくば、セナバは再び危機に陥る。」

 不可解な警告。この「もうひとつの源流」とは何を指すのか。 遥と巧は考え込む。イタリアで“未完の門”を封じたように、どこかにまだ“別の絵”や“別の紋章”が眠っているのだろうか。それとも、もっと別の形をした“力の根源”が存在するのか――。

第三章:過去の文献をたどる

 手がかりを求め、二人はセナバの古文書館を訪れた。ここには、ルチアの父――17世紀の画家パラディーノ・ルシオにまつわる資料も多く保管されている。 既知の資料はすべて調べ尽くしたと思っていたが、館長アルベルトの口添えによって、これまで未公開だった“修復待ちの古文書”が閲覧可能になった。 黄ばんだ羊皮紙の束をめくると、そこには奇妙な記述が散見される。

「セナバには、かつて “三つの門” が存在した。一つは大聖堂の壁画に、もう一つは町外れの修道院に、そして最後の一つは、光なき水底に隠されている――」

「三つの門……?」 遥が思わず声を上げる。これまで私たちが知っていたのは、セナバの町に関わる二枚の絵、そしてイタリアの“未完の門”。しかし、この文献ではさらに“三つ目”の存在が示唆されている。 しかも、“光なき水底”という不可解な場所。町の周辺には大小いくつかの湖があるが、どこに潜んでいるのだろうか。

第四章:封印された湖

 アルベルトに聞いてみると、セナバの郊外には古い伝承が残る“沈んだ礼拝堂”の話があるという。何世紀も前、大洪水か地盤沈下かで教会や集落が湖底に沈んだのだとか。 それが本当に存在するのかどうか、長らく都市伝説扱いされてきたが、「もしかすると、そこが“光なき水底”かもしれない」――二人はそう直感する。

 湖の名前は「ラゴ・ディ・フローラ」。セナバ中心部から車で1時間ほどの場所にあり、観光スポットとしてはマイナーだが、自然が豊かで人里離れた湖畔らしい。 不安を抱えつつも、二人はすぐに現地調査を決めた。“もうひとつの源流”がそこにあるのかもしれない。それが、未だ終わらぬ時の歪みを沈静化させる鍵となるだろうか。

第五章:湖畔の謎

 翌日早朝、車を走らせてラゴ・ディ・フローラへ向かう。町の喧噪を離れると、道は次第に狭くなり、周囲は鬱蒼(うっそう)とした森林に包まれる。 やがて視界が開け、美しく静かな湖が姿を現した。水面は鏡のように穏やかで、わずかな風がさざ波を起こす程度。すぐそばにはキャンプ場があり、少し観光客の姿も見える。 けれど、どこをどう見ても“沈んだ礼拝堂”のようなものは見当たらない。古文書の伝承通り、水底に眠っているのだろうか。

「ダイバーを雇って探すにしても、湖底全域を手当たり次第に……となると途方もないわね」 遥がため息をついたそのとき、巧がキャンプ場の管理人らしき初老の男性に声をかけてみた。すると、意外な話が返ってきた。

「たしかに、この湖の南岸のほうには『沈んだ祠(ほこら)』があるという伝承があるよ。昔、近所の漁師が水中で何か見つけたとか……。ただ、近寄ると呪われるって言い伝えがあって、皆敬遠してるんだ」

 男性は苦笑いしながらも、南岸の方角を教えてくれた。呪われた祠――それこそが、古文書の“光なき水底”の正体かもしれない。

第六章:水面下の遺構

 カヌーを借りて湖面を漕ぎ進むうち、南岸近くで水深が急に深くなっている箇所を見つけた。そこだけ湖の色が濃い緑から、暗い青黒に変わっている。 慎重にダイバーの案内を依頼し、調査を進めると――水中に朽ちかけた石造りの壁がうっすらと見えてきた。どうやら本物の遺構らしい。 岸へ戻り、遥と巧は興奮を抑えきれない。もしかすると、こここそが“三つ目の門”と関わる場所なのだろうか。

「ただ、どうやって潜って調べれば……。素人が水中遺構を探索するのは危険すぎるわ」 遥が不安を口にすると、巧は考え込んだ末、「できる限りの装備を整えて、プロの協力を得るしかない」と提案する。 だが、時間はあまり残されていない。セナバの封印は、いつまた暴走してもおかしくない状態だ。

第七章:祠の扉

 翌朝、手配したダイバー二名とともに潜水を開始する。浅瀬からゆっくりと下ると、視界は次第に暗くなり、水温も下がっていく。 水中ライトで照らす先に、崩れた石柱やアーチ状の入り口が浮かび上がる。まるで小さな教会か礼拝堂の跡だ。 さらに奥へ進むと、半ば土砂に埋もれながらも、扉のようなものが見えてきた。扉の上部には、例の紋章とそっくりの意匠が彫られている……!

 思わず息が詰まる。水中で声こそ出せないが、遥と巧は目を合わせて確信した。「ここだ……。ここが“三つ目の門”の遺構だ」。 扉に近づいて手を触れると、一瞬、冷たい震動が指先から伝わってきた。しかし開く気配はない。固く閉ざされ、何世紀もの間、沈黙を続けているのだろう。

第八章:目覚めの気配

 潜水調査を終え、地上へ戻った二人はキャンプ場の管理人にお礼を言いつつ、どこか妙な疲労感に襲われていた。まるで扉に触れた瞬間、“何か”にエネルギーを吸い取られたような……。 その夜、テントで休んでいると、突然地鳴りのような低い音が湖の方から響いてきた。風もないのに、水面がざわざわと波立つ。

「まさか……扉が動こうとしているの?」 遥が寝袋から飛び起きる。 巧も懐中電灯を手にテントを出るが、あたりは暗闇に包まれ、湖畔からは不気味な響きだけが伝わってくる。

 そのとき、彼らのスマートフォンが震え、セナバのアルベルト館長からの着信を告げた。慌てて電話を取ると、勢い込んだ声が耳を打つ。「大変だ! 今、美術館の保管室で封印が破れかけている! 突然、絵から強烈な光が走って、警備員が気を失ってしまった……もう持ちこたえられないかもしれない!」

第九章:裂かれる時空

 やはり“三つ目の門”が反応したせいで、セナバの絵が暴走を始めているのだ。遠く離れた湖と美術館のあいだで、時を超える力が干渉し合っている。 すぐにでもセナバへ戻りたいが、あの扉を放置すれば、さらなる歪みが拡大しかねない。 迷う二人のもとへ、突如として不可解な声が響いた。――頭の中に直接語りかけてくるような、古の囁(ささや)き。

「開かれぬ門に鍵は不要。だが眠るだけでは、時はまた乱れる。汝らが想いで門を“再び閉じる”のだ。

 誰の声なのか。ルチアの父か、それとももっと古い時代の祈り手か。はたまた、“門”そのものの意思か――。

「“再び閉じる”……どういうこと? 門はそもそも開いていないのに……」 遥は呆然とするが、巧がハッと気づく。「もしかして、水底の扉を正式に“封印”しないと、“眠り”が浅いまま残り続けて、セナバの絵を刺激し続けるということじゃないか? 前にイタリアでも、未完の絵をしっかり封印したからこそ、セナバの封印が落ち着いたんだ」

 つまり、ここ湖底の扉に対しても、何らかの“儀式”を行い“閉じた状態”を確定させる必要があるのだ。そうでなければ、時の門はじわじわと姿を現し、セナバを再び巻き込むだろう。

第十章:封じの祈り

 夜明け前、再度潜水の準備をする。管理人やダイバーには「少しだけもう一度調べものをしたい」と伝え、遥と巧だけで湖へ赴く。 水に潜ると、昨日より一層闇が濃い。濁ったような冷たさが全身を覆い、息苦しさまで感じる。 水中ライトをかざして扉へ近づくと、紋章が幽かに青く光っている。まるで門が“開きかけ”ているのを見せつけるように。

(ここで放置すれば、セナバの絵も完全に暴走する……) 決意を固め、巧が懐から取り出したのは、イタリアの「赤い教会」でサンティーニから譲り受けた古い祈祷書の写し。未完の絵を封印した儀式と同様の方法を、水底でも施そうというのだ。 遥は手早く小さな護符(ごふ)を紋章に貼り付け、水中でできる限り祈祷書の文言を心の中で唱える。泡が口元からこぼれるたびに肺が痛むが、なんとか最後まで集中を切らさないよう踏ん張る。

 ――すると、扉の縁からきしむような震動が伝わり、紋章の青い光が徐々に薄れていく。視界にちらつく黒い影が、水底の闇へ溶けるように消えていった。 次の瞬間、扉の表面にひび割れが走り、大きく崩落する。立ち上る泥と砂が激しく舞い、二人の体を包む。

エピローグ:朝日の岸辺

 なんとか湖面へ戻ると、息を荒げながら岸に倒れ込むように上陸した。まだ夜明け前で薄暗いが、東の空は少しずつ白み始めている。 すると、ポケットのスマホが振動し、アルベルトからの着信が鳴った。呼吸を整えながら出ると、館長の明るい声が飛び込んでくる。

「封印が安定したよ! さっきまで激しく光っていた絵が、急に静かになったんだ。警備員も意識を取り戻して、みんなほっとしてる!」

 やはり水底の扉を正式に封じたことで、セナバに残る絵の“時の門”への刺激が消えたのだろう。長かった夜の恐怖から、一筋の光が差し込んだような安堵が二人を包む。 遥と巧は、まだ体の震えが止まらないまま、湖のほとりからゆっくりと朝焼けを見上げた。

「これで……本当にすべての門が閉じた、のかな」 遥が呟く。巧は少しだけ微笑んで答える。「三つの門がすべて“眠り”についたわけだから、少なくとも大きな歪みは治まったはずだ。あとは、二度と暴走しないように見守り続ける必要があるね」

 こんこんと続く湖のさざ波。その先には、永い時を経ても消えなかった礼拝堂の遺構が静かに眠っている。 セナバの奇跡は、これで完全に終幕を迎えたわけではない。いつかまた、“時の門”が開くときが来るかもしれない。 だがそのときこそ、遥と巧はこの経験を糧に、迷うことなく行動できるだろう。絵に秘められた力が、人々の希望であり続けるように。

 ――東の空が黄金色に染まる。湖面に反射した朝日が、まるで新しい夜明けを祝福しているかのようだった。 世界は今も、過去・現在・未来を繋ぐささやかな奇跡を隠している。大切なのは、どの時代を生きても、“今”を選び取る意志。 それこそが、この長い物語が示し続けてきた真実なのかもしれない。

 セナバの奇跡――揺らめく残響。 その一瞬の光とともに、一つの夜が明け、また新たな章がどこかで始まりを告げるのだろう。

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