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セナバの奇跡――神の子の目醒(めざ)め

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月25日
  • 読了時間: 9分



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プロローグ:夜明けに差す影

 ラゴ・ディ・フローラの水底礼拝堂を封じ、“三つの門”を閉ざしたことで、セナバの町は一時の安堵を取り戻したかに見えた。 しかし、美術館の特別保管室には再び不穏な気配が漂い始め、黒い封筒を運んだ謎の男は「神の子」の復活を暗示して消え去った。 「神の子」とはいったい何なのか――。 17世紀に描かれた絵を通じて封じられた存在なのか、あるいは新たに生まれ出ようとしている何かなのか。

 夜が明け切らぬ空には、かすかな星の残像がある。だがその光は薄暗く、影との境界が曖昧になりつつあった。 ――ひょっとすると、この町の“時間”そのものが再び大きく揺らいでいるのかもしれない。 セナバの奇跡はまだ終わらない。闇の底から忍び寄る“神の子”の影が、今、静かに目を開けようとしていた。

第一章:謎の男の正体

「そうか、あの洞窟の中で君たちを脅した男がいたのか……」 美術館の館長アルベルト・バルタは、野々村遥(ののむら・はるか)と淡路巧(あわじ・たくみ)から話を聞き、深く唸(うな)った。「『神の子』を復活させるために動いている勢力が、まだ生き残っているんだろう。以前の“時の門”を悪用しようとしていた連中の一部かもしれない」

 思えば、かつて盗賊や反乱分子が過去に干渉しようとしたり、未完の絵を使って未来を操ろうとした者がいた。最近は大人しくなったように見えていたが、すべてが消えたわけではなかった。「何かが彼らの背中を押している。“神の子”という言葉がキーワードなのは間違いないわね」 遥はそう言いながら、先日地底洞窟で見つけた石像の写真をアルベルトに見せた。

「この彫刻……本当に不気味なくらい精巧にできているな。まるで人間が一瞬で石化したみたいだ」 アルベルトは目を細めた。「神の子というと、宗教的ニュアンスも強いが、過去にこの地で“奇跡”を起こした人物を称えた伝承があったのかもしれない。あるいは、“絵”と同様、時間や運命を操る力を宿した誰かがいたのか……」

第二章:時を封じし芸術家の手記

 その日の夜、遥と巧は美術館の資料室で、かつてルチアの父――17世紀の画家パラディーノ・ルシオが残したとされる未整理の手記を再調査していた。 イタリアの研究者サンティーニから届いた断片的な記述をもとに、原文をつなぎ合わせて読解を進めると、やがて一つの章に行き当たる。 そこにはこう記されていた。

「かの“神の子”を描くことで、我が筆は門を閉じる力を得た。だが、その真髄を写し取れば、門は永遠に壊れるかもしれぬ。ゆえに、我は絵の内なる神の子を隠し、代わりに三つの門を築いたのだ。もしこの歪みが再び表層に現れんとするとき、我が娘、そして未来の人々が“神の子”の封印を守るほかない」

 三つの門――それこそがセナバの奇跡と、もう一枚の絵、そして湖底や洞窟に通じる扉たちだったのかもしれない。 しかし重要なのは、「神の子を描くことで門を閉じる力を得たが、同時にそれは危険でもある」という点。そして、その“神の子”が絵の中に隠されているという示唆。

「この文面だと、パラディーノは“神の子”をあえて“絵の中”に封じ、代償として三つの門をつくりあげた……ってことかしら」「でも、その三つの門はすでに封印された。となると、逆に“神の子”が解放されやすい状況になっている可能性があるのかも……」

 頭を抱えたまま、二人は深夜まで議論を重ねた。

第三章:割れる封印

 そして翌日、美術館の警備システムが緊急アラームを発した。 特別保管室の監視カメラには、人影のようなものが壁をよじ登り、絵に触れようと手を伸ばした瞬間が映っていたが、画面は激しいノイズでほとんど見えない。 駆けつけたときには既に姿はなく、代わりに封印シールが完全に破れ、床に散らばっているだけだった。

 アルベルトが目を見開く。「侵入者……? でも厳重なロックをこじ開けた痕跡がないし、扉も鍵がかかったままだ。いったいどうやって入ったんだ?」

 遥と巧は、不気味な胸騒ぎに襲われる。もしかすると、“門”を開く特殊な力を持つ者が紛れ込んだのだろうか。あるいは、**すでに絵の中に潜む“神の子”**の力が、外界へ影響を及ぼしているのかもしれない。 肝心の絵そのものには外傷が見当たらないようだが、微妙に表面が湿ったように曇っており、そこへ指を近づけると、指先がひどく冷たく感じられた。

「絵の中に、何かが動いている……」 遥はそう確信せざるを得なかった。

第四章:地下聖堂の封印儀式

「もう一度、封印儀式をやり直さなくちゃならない」 巧が決意を込めて言う。 これまでの事件で何度か行ってきた、古い祈祷書を用いた術式。イタリアの“赤い教会”で“未完の絵”を鎮めたときや、水底の礼拝堂で扉を閉じたときと同じやり方で、再び時の門を封じるしかない。 だが今回は、対象が“絵の中の神の子”――過去から綿々と封じ込められてきた核心部分だ。下手に手を出せば、逆に門を開放してしまう恐れもある。

 アルベルトは、美術館地下にある小さな倉庫を片付け、簡易的な“聖堂”のように改装することを提案した。そこなら人目をはばからず、時間をかけて儀式を行える。 さらに、封印の専門知識を持つ神父や、博物館の修復スタッフなど、信頼できる少数精鋭だけを集め、夜通しの作業に踏み切ることになった。

第五章:再び呼び起こされる力

 夜。美術館の地下に据えられた台座の上に、“セナバの奇跡”と“もう一枚の絵”が並べて置かれる。 周囲には幾つものろうそくが灯され、古い祈祷書と護符(ごふ)が用意された。巧はイタリアで学んだラテン語の詠唱を唱え、アルベルトらが周囲に結界を張る。 そして遥は、絵の表面に手をかざし、微かな振動を感じ取ろうと集中する。

 ――その瞬間、まるで電流が走ったかのような衝撃が全員を襲った。 蝋燭(ろうそく)の火が一斉に揺れ、床がミシミシと軋(きし)む。天井からは砂がこぼれ落ち、結界を描いたチョークの線が激しく乱れる。

「くっ……これは、想像以上の力だ!」 巧が声を上げる。 絵の中央部に、うっすらと人影のような模様が浮かんでいる。まるで“神の子”が、絵の中からこちらを覗(のぞ)き込んでいるようだ。

第六章:神の子、顕現

 さらに衝撃が増し、絵の表面から淡く光る紋章が紗幕(しゃまく)のように漂い始めた。 そこに、あの洞窟で遭遇した黒いコートの男が、いつの間にか地下室の入り口に姿を現した。「人智を超えた存在に、どうやって立ち向かうつもりだ? お前たちの儀式など、神の子の復活を阻むことはできない」

 警備員が制止しようと駆け寄るが、男はすっと手を上げただけで、その場で気を失うように倒れてしまった。まるで意志の力で人間を遠ざけているかのようだ。 男はなおも言葉を続ける。「パラディーノ・ルシオは、神の子を“絵”に封じることで時の門を操った。それは一種の芸術的奇跡だが、同時に大いなる冒涜(ぼうとく)でもある。 この封印が解かれれば、歴史は再び正しき流れを取り戻すのだ。……さあ、見届けるがいい」

 男が歩を進めるたびに、絵から放たれる光が強さを増していく。地面に描かれた結界のラインが焼け焦げるように黒く変色し、儀式を行う者たちを追い詰めていく。

第七章:選択の刻

 絶体絶命――と思われたそのとき、遥は不意に胸の内に湧き上がる感覚を覚えた。 かつてルチアが使っていた“鍵”のイメージ。過去と未来を繋ぎ、時の門を制御するための象徴……。それは、“絵を守りたい”という強い意志そのものだった。

「このままじゃ、神の子が解放されてしまう。だけど、きっと絵に残された“封印”は完全には失われていない……!」 遥はそう言うや、黒いコートの男を振り返った。「あなたたちは、本当に“正しい流れ”を望んでいるの? パラディーノは、歴史を滅ぼさないために神の子を封じたのよ。それを解放すれば、破滅が訪れるかもしれない」

 男は嘲笑(ちょうしょう)するように低く笑う。「破滅か救済かなど、我らの求めるところではない。すべては時の巡りが決めること。いずれにしろ、この世界は変革を迎えるのだ」

 しかし、その言葉と裏腹に、男の表情には微かな迷いが見える。――本当に“正しき流れ”が何かを確信しているわけではないのかもしれない。

第八章:封じられた一瞬

「巧さん、今しかないわ!」 遥が叫ぶ。巧は全身に力をこめ、強引に結界のラインを修復しようと走る。足元のチョークは崩れかけているが、ほんの一瞬でも形を保てば、儀式を続行できる。 アルベルトや神父、修復スタッフたちも必死に耐える。床が揺れ、天井から落ちてくる石くずが耳を打つ。

 その隙に、遥は絵の中央へ両手を伸ばす。 眩い光の中、確かに“神の子”のシルエットが浮かび上がり、こちらへ手を伸ばし返してくるように見えた。柔和とも禍々(まがまが)しさともつかない、不思議な存在感――。 けれど、その瞬間こそが封印を完成させる鍵だった。

「パラディーノの意思に背かせない! ここで、終わらせるの……!」 遥が心の中で叫ぶと同時に、絵全体がバチッと弾けるような衝撃波を放った。

エピローグ:神の子の目醒め、あるいは――

 後に、倒れ込むようにして意識を取り戻したとき、遥と巧は地下室の光景を呆然と見渡した。 黒いコートの男の姿は消えている。地面に引かれた結界は微かに残っており、蝋燭はほとんどが消えていた。 だが、二枚の絵は無傷のまま台座に据えられ、先ほどまでの激しい振動や発光はすっかり消失していた。

「……やったのか? 封印が、完成したのか?」 巧が戸惑いながら呟(つぶや)くと、アルベルトが深い息をつきながら頷く。「おそらくね。ただ、神の子が“目覚めた”のか、“再び眠りについた”のかはわからない。何が起きたのか、誰にもはっきり説明できそうにない」

 それでも、確かに激しい危機の波は去った。あの不可視のエネルギーは、再度絵の中に吸い込まれ、静かに沈殿しているようだ。 少なくとも今このとき、セナバの町を揺るがす“時の門”の乱れは食い止められた――そう感じられる。

 ただ、目を閉じると薄闇の中に、先ほどの“神の子”のシルエットが瞼(まぶた)に焼き付いて離れない。 ――あれは本当に「封じ込められた」のか、それとも「覚醒を先延ばしにした」だけなのか

 夜が明ける頃、アルベルトたちは倒れた警備員やスタッフを介抱しながら、館の被害状況を確認する。外からはいつもと変わらぬセナバの朝の光が差し込んでいた。 遥と巧は顔を見合わせる。まだ終わったわけではない――そんな予感が胸に宿っていた。

あとがき:新たな夜明けを待ちながら

 水底の礼拝堂、三つの門、洞窟の石像、そして絵の中に封じられた“神の子”。 すべてはパラディーノ・ルシオの芸術がもたらした奇跡であり、呪縛でもある。時を超える力を操る代償は、決して小さくないのだ。

 黒いコートの男はどこへ消えたのか。再び“神の子”を解放しようとする勢力は潰えたのか。それとも今も暗躍を続けているのか。 ――答えはまだどこにもない。

 朝の冷たい風が、美術館の廊下をすり抜けていく。 セナバの奇跡。その深き闇と輝きを抱えながら、町は今日も石畳に陽ざしを受けて目を覚ます。 誰しもが表向きは何事もなかったかのように振る舞うが、その奥底には、先ほどまで起きていた“非常事態”の余韻がわずかに残っている。

 遥と巧は、封印が一応の成功をみたことを確認しつつ、なおも気を緩めずに日常に戻る。再び“門”が乱れるとき、あるいは“神の子”が完全に目覚めるとき――その刻は必ず訪れる。 だが、そのときこそ二人は揺るがぬ意志をもって立ち向かうだろう。ルチアやパラディーノ・ルシオが守ろうとした“今”を引き継ぐために。

 セナバの奇跡――神の子の目醒め。 それは新たな始まりを告げる夜明けの調べだったのかもしれない。 暗闇の向こうに、淡い光が射し込んでいる――次なる物語が、その先で静かに息づいているのだ。

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