一日の息 — サプライヤの土曜(長編フィクション)
- 山崎行政書士事務所
- 9月19日
- 読了時間: 7分
— 2022年「小島プレス工業への不正アクセス・ウイルス感染→トヨタ自動車 国内14工場28ラインを1日停止→翌3月2日再開」という実際の事案を骨格にした物語
00|土曜 21:03 消えたかんばんの息
愛知・豊田。プレスと内装の工場が肩を寄せ合う一画で、夏芽はモニタに浮かぶ発注EDIの波形を見ていた。かんばんの電子版は呼吸するように一定のリズムで到来する。受けた数だけ、次工程と物流に指示が走り、夜勤のプレスが鋼板を咀嚼し始める。
その息が、突然、途切れた。
順序番号の刻みが一つ飛び、再実行を掛けても戻らない。ストレージは健康の表示、CPUも平坦、監視の色は緑だ。——静かすぎる。
「かんばんが来ない。」
若い保全員が駆け込んできて、手のひらに乗せた紙のかんばんを震わせた。
「山崎行政書士事務所に。最短で。」
01|21:22 “止める/伝える/回す”
静岡・山崎行政書士事務所。ホワイトボードの前に**律斗(りつと)**が立つ。太いペンで三行。
止める/伝える/回す
止める:受発注セグメントを電源を落とさずネットワーク隔離。ファイルサーバと受発注ゲートウェイのRAMダンプ/ディスク像を一方向で吸い上げる。Outboundは白(許可宛先のみ)にし、DNSの未知の連鎖を即死に落とす。常時特権はゼロ、JIT特権(必要時だけ短期貸与)へ。
伝える:三文を経営/一次取引先/最終組立に同報。“事実”(受発注EDIの停止/脅迫文らしき印字)と**“可能性(仮説)”(不正アクセス→マルウェア感染→ファイルサーバ暗号化)を段落で分け、正午/17時に時刻で更新**。「支払い先変更メールは無効」を一文目に。
回す:夜間の受発注は紙かんばん+電話復唱に迂回。遅いけど確実に回す。
りなが頷く。「72時間の所管報告も同時に回します。“声は鍵”(折り返し+二名承認)を全窓口に。」
奏汰(そうた)は配線図に赤を走らせる。「脅迫文をプリンタから吐かせるのは典型。土曜、夜、再起動で表示。眠らせて、見回って、燃やす。」
悠真(ゆうま)が短く言った。「電源は落とさない。証跡が戻る道になる。」
02|21:47 白い紙の黒い英語
工場の共有プリンタから、勝手に紙が吐かれた。黒い四角の中に、粗い英語。
“Your files are encrypted...”「三日以内に連絡しなければ…」に類する文言。ファイルサーバ上の拡張子は見慣れない姿に変わり、ジョブ管理の識別子が転げ落ちる。
夏芽は喉の奥が冷えた。
「扉は、さっきじゃない。もっと前に開いていた。」
03|22:35 四つの数字(第一次)
蓮斗(れんと)が白板に数字を書く。
MTTD(検知):32分(かんばんの欠落→相関)
一次封じ込め:68分(隔離/白化/証跡保全/JIT化)
暗号化範囲:ファイルサーバ/一部仮想基盤
影響:受発注EDI停止→翌日の最終組立の可能中断
律斗は短く言う。「勝ってはいない。でも**“間に合っている”**。」
04|日曜 00:10 紙が現場をつなぐ
かんばんの紙束が現場に戻る。誰がいつ何を受け渡したか、鉛筆で時刻が刻まれる。物流は無線で番地を呼び、プレスは段取り替えを止め、安全停止へ。
りなは一次取引先と最終組立への短文を整える。
「当社受発注システムの障害により、電子かんばん停止。紙運用へ切替。詳細は正午に更新。」
やまにゃんの札が光る。
「遅いけど確実。」
05|日曜 09:30 “春の置き手紙”
監査ログの底から、二日前(土曜21時)より少し前の**“短い呼吸”が上がってきた。社外の装置から共有フォルダに不自然な列挙**、プロセスの生成、サービス名の偽装。
眠らせて、見回って、夜だけ起きる。古典の手つきだが、一台で足りる時もある。
悠真は受発注ゲートウェイの鏡に糸を垂らしながら言う。「脅迫文が本体じゃない。本体は**“受発注が止まる”で、連鎖の起点**を狙ってる。」
06|日曜 正午 一次報(所外)
事実:当社ファイルサーバに不正アクセス/ウイルス感染。受発注EDIが停止。ネットワーク隔離/証跡保全/JIT特権化を実施。影響(現時点):最終組立に部品指示を出せない可能性。情報流出の確認なし(継続調査)。対応:紙かんばん+電話復唱で作業継続。次報17:00。
怒号はない。時刻が不安の終わりを作る。
07|月曜 08:00 “止める/伝える/回す”の二日目
受発注は紙で回るが、連鎖は太い。最終組立は計画を修正し続け、在庫を数える。夏芽は代替連絡線を用意するが、常の速度には戻らない。
最終組立から告げが来る。
「国内14工場28ライン、明日3月1日を停止。明後日再開を目指す。」
工場の空気が少し低くなる。連鎖は一本のケーブルで繋がっている。
08|月曜 14:30 「紙の港」と「紙の工場」
名古屋港の三日間を経験した夏芽は、港の紙と工場の紙が同じ速さを持つことを思い出す。紙は遅い。でも、戻れる速さはそこから生まれる。奏汰は更地の箱を立ち上げ、既知良品だけで最小復帰の地図を引く。
09|火曜 07:00 静かなテレビ
ニュースが流れる。最終組立の全14工場28ライン停止。原因は**「国内サプライヤのシステム障害」。夏芽は工場のテレビの音を絞る**。現場は見出しより紙が大事だ。
りなは所外文面の主語を太くする。
「当社は、いつ、何を、どう変えるか。」「帰属(誰がやったか)は当社が言わない。公的発表に歩調を合わせる。」
10|火曜 12:10 四つの数字(第二次)
蓮斗が数字を更新する。
停止:国内14工場28ライン(3月1日)
再開予定:3月2日(第1シフト)
情報流出:現時点確認なし(継続)
更地復帰:受発注の最小機能を新箱で立上げ
悠真は古い箱を凍らせ、証跡をWORMに二経路で送り出す。
11|火曜 18:00 夜の紙
プレスは紙で段取りを続け、物流は紙で順番を決める。現場監督は手の甲に油を伸ばし、安全を口で回す。夜の工場は小さく歌い、夏芽は更地の箱が息を吹き返すのを待つ。
12|水曜 06:30 再開
最終組立から無線が鳴る。
「本日第1シフトから、全工場再開。」
工場の空気が少し高くなる。紙を片付ける音、モータの立ち上がり、プレスの最初の一打。夏芽は胸骨の裏の冷えが、ゆっくり温度を戻すのを感じた。
13|その後の白図
報告書は白図に時刻を刻む。
2/26 21:00:障害検知
2/26 23:00:再起動→ウイルス感染と脅迫文確認
2/27:ネットワーク遮断/全サーバ停止→一部復旧
2/28:代替手段検討
3/1:国内14工場28ライン停止
3/2:全面再開
小さな会社の一台が、大きな連鎖を引き、一日の息を止めた。——止めたのは一日、戻したのも一日。
14|講堂 “三つの時計”と三行
現場の時間(受発注・プレス・物流・最終組立)
規制の時間(72時間と継続報告)
経営の時間(信頼・費用・再発防止)
りなは三行で締める。
言い切る(事実と可能性を混ぜない)期限を付ける(例外は48時間で自動失効)二重に確かめる(自動の前後に**“人の10分”**)
奏汰は黒で縁取る。
“見る鍵/運ぶ鍵/署名する鍵”を分け、常時特権ゼロ/JIT特権。
Outboundは白だけ、DNSは未知を即死。
証跡はWORMで二経路、更地復帰の演習を四半期に一度。
プリンタは紙の確認ループのために残す——が、勝手に喋らせない。
サプライヤには**「紙運用の手順」を契約に同梱**する。
やまにゃんが静かに札を揺らす。
「速さは、戻れるときだけ味方。」
15|エピローグ 一日の息
豊田の朝。プレスは鋼板に最初の光を落とし、かんばんは再び、一定の息で流れ始めた。夏芽は紙かんばんの最後の束に割印を押し、引き出しに戻す。遅いけれど戻れる速さは、いつでも引き抜ける場所に置いておく。連鎖は一本のケーブルで繋がる。だからこそ、一本の紙で守れる日がある。
—— 完
参考リンク(URLべた張り/事実ベース・一次情報/主要報道・公的整理)
※本作はフィクションですが、骨格(小島プレス工業の不正アクセス・ウイルス感染/脅迫文の確認、トヨタ自動車の国内14工場28ラインの1日停止(2022/3/1)→翌3/2再開、「サプライヤのシステム障害」公表など)は下記に基づいています。
主な点:Toyota Globalの「3/1停止/3/2再開」発表、小島プレス工業の「ウイルス感染被害によるシステム停止事案のお知らせ」(3/1)および調査報告書(第1報/3/31)が脅迫メッセージの確認や遮断・復旧の経緯を明記。Reuters/朝日などが国内14工場28ラインの停止と翌日の再開を報道。Toyota Timesは2/26の不正アクセス→2/28〜3/2の対応を振り返り、piyolog等が時系列を整理しています。


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