渋谷のガラス箱 — ホットウォレットの夜(長編フィクション)
- 山崎行政書士事務所
- 9月19日
- 読了時間: 8分
— 2018年「Coincheck における NEM(XEM)流出事件:ホットウォレット保管・マルチシグ未実装/大口不正送金→入出金停止→補償発表(88.549円/XEM)→金融庁の業務改善命令→NEMコミュニティのタグ付与追跡→のちの関係者検挙・起訴」を骨格にした創作
00|金曜 02:06 「出していないのに、出ている」
渋谷の交差点をガラス越しに見下ろす青蘭(せいらん)取引所の監視室は、深夜でも明るい。夏芽はアラートの波形に、一定の鼓動を見つけた。NEM(XEM) の出庫ノードから、未知のアドレスへ規則的な吐出が続く。出庫キューは空、APのログにも正規の注文はない。けれどチェーンは、等間隔の1000万XEM前後の移動を淡々と刻む。
「出していないのに、出ている。」
迷いはなかった。内線の短縮を叩く。
「山崎行政書士事務所に——“最短”で。」
01|02:14 “止める/伝える/回す”
静岡・山崎行政書士事務所。ホワイトボードの前に**律斗(りつと)**が立ち、太いペンで三行を書く。
止める/伝える/回す
止める:XEMノードの外向きを電源を落とさず遮断(ネットワーク隔離)。ホットウォレット・サーバを凍結保全し、秘密鍵の所在とアクセス経路を一方向で吸い上げる。他通貨の出庫系も段階停止。常時特権はゼロ化、JIT特権(必要時だけ短期貸与)へ。
伝える:三文の一次報を経営/当局連絡窓口/カスタマーサポートに同報。“事実”(XEM の不正出庫を確認、該当系を停止)と**“可能性(仮説)”(ホットウォレット秘密鍵の窃取/マルチシグ未実装の影響)を段落で分離**。正午/17時に時刻で更新、「支払い先変更メールは無効」を冒頭に。
回す:入出金・売買は最小構成で停止、コールセンターとFAQを紙の台本で立ち上げる。遅いけど確実に回す。
りなが頷く。「72時間(3日)の法・所管の時計を同時に回します。“声は鍵”(折り返し+二名承認)を対外連絡に。」
奏汰(そうた)は配線図に赤線を走らせる。「XEMはホットで一本化されてる。マルチシグなし。“鍵を持つ者”になられたら止まらない。API経路・SSH・運用端末、全部をふるいにかける。」
悠真(ゆうま)が短く足す。「コールドの石に触れられてなければ、戻れる。電源は落とさない。証跡が道だ。」
ふみかが一次報の三文を置く。
現状:NEM(XEM)の不正出庫を確認。該当ノードのネットワーク隔離、他通貨出庫の停止、証跡保全、JIT特権を実施。対応:取引・入出金の一時停止、コールセンターとFAQを段階稼働。正午に一次報、17時に更新。お願い:“返金・送金先変更”などメールのみの依頼は無効。必ず電話の二重確認を。
受付カウンターでやまにゃんのしっぽ(Type‑C)が、小さく光る。札には太い字。
「遅いけど確実。」
02|02:58 「ガラス箱」の弱点
監視室はガラス箱だ。透明にするために、多くをつないで動かす。青蘭取引所のNEM保管は、運用効率を優先してホットに寄っていた。マルチシグを仕組みとしては知っていたが、実施には手数と時間がいる——後回しにした判断が、今夜の刃になる。
夏芽はブロックエクスプローラの画面で、整然と並ぶ吐出を見つめる。感じが悪いほど整然だ。蓮斗(れんと)が白板に四つの数字を書く。
MTTD(検知):11分(出庫スパイク→チェーン相関)
一次封じ込め:37分(隔離/停止/保全)
推定流出量:約5億XEM超
他通貨影響:直撃なし(現時点)(関連系停止中)
律斗は短く言う。「勝ってはいない。**“間に合っている”**だけだ。」
03|03:41 タグという手紙
NEMコミュニティが動き始めた。“盗難タグ”をモザイクで付け、流出先アドレスを可視化する動きが、膜のように広がる。りなは広報台本に二行足す。
「コミュニティによる追跡連絡を受領」「当社は支援に協力、ただし補償・復旧は当社責務として独自に判断」
夏芽は深く息を吸う。世界が見ている。誤魔化しは刃にしかならない。
04|午前 09:00 “止める/伝える/回す”の午前
コールセンターが開く。FAQは短い文で**「事実/可能性/次の時刻」を言い切る。りなは“電話がつながらない怒り”を時刻で受け止めるよう表現を調整する。ふみかは当局連絡の文案に、“補償に関する当社の原則方針”**を置く。被害の算定方法、支払原資、時期。
奏汰は運用端末に異常を見つける。運用者の自宅PCとVPNのログに微かな乱れ。悠真は囁く。「**“鍵へ行く線”**が、数日前につながってる。」
05|正午 一次報(所外)
事実:NEM(XEM)の大口不正出庫を確認し、該当系を停止・隔離。他通貨出庫も停止。証跡保全と当局連絡を実施。コミュニティによる追跡に協力中。影響(現時点):XEMの出庫系のみ。入出金/売買は停止。方針:全対象のお客さまに補償。補償額は日本円での一律レート(参考値)で算定し、後刻、時刻と方法を示す。
怒号はある。けれど、時刻が不安の終わりをつくる。
06|午後 「88.549」という数字
経営会議。為替と板をにらみながら、補償レートが決まる。
88.549円/XEM。りなは文案の語尾を整える。“お返しします”を主語で言い切る。
蓮斗が数字を更新する。
補償レート:88.549円/XEM
対象残高:お客さま保有の全XEM
実施予定:時刻入り(近日)
当局対応:現地検査・業務改善命令の可能性(想定線)
やまにゃんが札を揺らす。
「速さは、戻れるときだけ味方。」
07|夕刻 “紙の台本”と“声の鍵”
コールセンターには二種類の声が来る。「生活が止まる」と「市場が怖い」。紙の台本は短文明確、折り返しは二名承認、“声は鍵”のルールが全席で生きる。自称・当局からの電話をやり過ごす術も、台本にある。
08|二日目 10:30 白いジャケット
当局の白いジャケットが来る。業務改善命令の言外を読み、必要な是正線(ホット/コールドの分離、マルチシグ実装、監査のWORM化、JIT特権の常設)を**“地図”に落とす。りなは所外への言い回しから主語**を抜かない。
「当社は、いつ、何を、どう変えるか」だけを時刻で言う。
09|三日目 11:40 “72時間”の線
所管への報告が二段落で確定する。
確認された事実:不正出庫、該当系の停止・隔離、補償レートの決定、当局の検査、是正計画の骨子。
未確定(継続調査):初期侵入経路の細部(運用端末/VPN)、第三者関与線、外部機関連携の最終結果。
講堂に三つの時計が並ぶ。
現場の時間(売買・入出金・お客さま対応)
規制の時間(72時間と継続報告)
経営の時間(信頼・是正・再発防止)
りなは三行で締める。
言い切る(事実と可能性を混ぜない)期限を付ける(例外は48時間で自動失効)二重に確かめる(自動の前後に**“人の10分”**)
10|数週間後 返金の朝
口座に日本円が戻る。88.549という数字が現実になる。XEMは**“盗難タグ”で世界の水面に波紋を残し続け、交換所は入庫拒否の線を太く引く。夏芽はオフィスのガラスを覗く。渋谷の人混みは戻る**。でも、自動ドアに二重の鍵が増えたように見えた。
11|一巡後 “鍵束”という設計
青蘭取引所の保管は三つの鍵に分かれた。
見る鍵(残高照会・モニタリング)
運ぶ鍵(出庫・入金反映)
署名する鍵(コールド署名・マルチシグ)
常時特権はゼロ、JITで短く貸す。台帳はWORMで二経路、“署名だけ”では通さない(署名+再現が合格)。ホットは浅く、コールドは深く、コールドの鍵は人の間で物理に渡す。
やまにゃんの札は変わらない。
「速さは、戻れるときだけ味方。」
12|その後の紙
紙は、のちに別の紙を生む。業務改善命令の是正報告、監査報告、有価証券報告書の注記。報道は**“仮想通貨冬の時代”と書き、コミュニティは“透明性の設計”と書く。数年後、資金洗浄に手を貸した人たちが検挙される記事が出る。夏芽は古い夜を思い出す。“出していないのに、出ている”——あの違和感が最初の鍵**だった。
13|エピローグ ガラスの向こう
渋谷のガラスは、相変わらず透明だ。でも中には、目に見えない壁がいくつも増えた。速いことが正義だった場所に、“戻れる速さ”が同じ大きさで置かれた。
青蘭取引所は小さく歌い直し、鍵束は人の手順で強くなった。世界はなお騒がしい。けれど夏芽は、紙と時刻の静かな力を知っている。
—— 完
参考リンク(URLべた張り/事実ベース・公的資料・主要報道・技術整理)
※物語はフィクションですが、骨格(2018年の Coincheck における NEM(XEM)流出、ホットウォレット保管・マルチシグ未実装、入出金停止、補償レート 88.549 円/XEM の発表・実施、金融庁の業務改善命令・立入検査、NEM コミュニティによるタグ付与・追跡、のちの関係者検挙)は以下に基づいています。
主な点:金融庁(関東財務局)の行政対応(業務改善命令・立入検査)、Coincheck 公式発表(補償方針・実施)、Nikkei/Reuters/Japan Times/NHK/朝日による額・時系列、NEM 公式ブログの**“タグ付与による追跡”**が、本文の骨格(ホット/コールド、補償レート、当局対応、コミュニティの追跡、のちの検挙)を裏づけています。


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