白いカルテの冬 — つるぎの谷の病院(長編フィクション)
- 山崎行政書士事務所
- 2025年9月21日
- 読了時間: 6分
— 2021年10月31日に発生した徳島県つるぎ町立半田病院のランサムウェア事案(深夜に院内プリンタが犯行声明を印字、電子カルテ等が暗号化され長期停止/年明け1月4日に通常診療再開、のちの有識者会議報告で LockBit 2.0 とVPN装置の脆弱性悪用が示唆)を骨格にした創作。人物・会話はフィクションです。
00|未明 0:31 「出していないのに、出ている」
徳島の山を抱く谷あいの町。半田総合(架空名)の機械室で、夏芽は深夜勤の眠気を追い払っていた。ログは平常、端末は静穏。だがEMR(電子カルテ)の応答に、針先で突いたような遅延が混ざった。「回線、混んでない……なのに遅い。」
システム一覧を開いた瞬間、プリンタが唸った。ひとつ、またひとつ——十数台が同時に、白紙を吸い込み、英文を吐き出し始める。
“Your data has been stolen and encrypted…”“Pay or we will leak.”
夏芽は血の気が引いた。「やられた。」機械室の非常ボタンを押す。
「山崎行政書士事務所に、至急。」
01|0:58 “止める/伝える/回す”
静岡・山崎行政書士事務所。ホワイトボードの前に**律斗(りつと)**が立ち、太字で三行を書く。
止める/伝える/回す
止める:院内ネットワークを電源を落とさず分断。EMR セグメントから院外への線を遮断し、RAMダンプ/ディスク像を一方向で吸い上げる。Outboundは白(許可宛先のみ)。常時特権はゼロ、JIT特権(必要時のみ短期貸与)へ切替。
伝える:三文で院長/事務局/医局に同報。「確認された事実(プリンタ一斉印字/電子カルテ系の障害/隔離措置)」と「可能性(仮説)(ランサムウェア→横展開→暗号化)」を段落で分け、朝9時/正午/17時に時刻で更新する約束を置く。
回す:救急・新規受入を一時停止。外来は紙カルテと口頭復唱で最小運用。遅いけど確実に回す。
りなが頷く。「“声は鍵”——折り返し+二名承認を全窓口に。72時間の所管報告も回します。」
奏汰(そうた)は、構成図に赤を走らせた。「VPN装置の古い口、残ってない? そこから森に入られて、EMR と医事サーバに広がる線が見える。」
悠真(ゆうま)は短く言う。「電源は落とさない。証跡が道だ。」
02|1:46 紙の雨
看護師詰所にも、事務室にも、紙の雨が降り積もる。犯行声明の黒い文字、QR、脅迫の期限。夏芽はスイッチを引き、印刷ジョブを殺して回る。端末は動く、しかしEMRは応えない。「0:30に遅延、3:00までに遮断。」時刻は止めた。だが中は燃えている。
03|3:12 四つの数字(第一次)
律斗の白板に、**蓮斗(れんと)**が数字を書く。
MTTD(検知):約40分(遅延→印字→遮断)
一次封じ込め:約120分(隔離/白化/証跡保全/JIT化)
観測:EMR/医事/一部ファイルの暗号化、院内プリンタ一斉印字
初期対応:救急受入停止/外来の紙運用へ移行
律斗は短く言う。「勝ってはいない。でも**“間に合っている”**。」
04|朝 10:00 災害対策本部
院長室に災害対策本部が立つ。救急搬送は近隣へ振替。手術は出来るだけ延期。紙カルテが復活し、受付は長机に手書きの科名を貼った。会計の印字は切れている。オーダは口で出す。りなが一次報を読み上げる。
事実:院内の一部サーバ/端末が身代金要求型ウイルスに感染。ネットワーク遮断・証跡保全・JIT特権を実施。影響:電子カルテ・医事等が閲覧不可/停止。救急/新規外来の一時停止。対応:紙運用で最小診療を継続。次報 正午。
怒号はない。時刻が不安の終わりを作る。
05|昼 12:30 「木を、割る」
有識者とベンダが集まる。夏芽は**“森”の入口を指す。「VPNの古い枝**。パッチの当たっていない季節がある。」奏汰が頷く。「LockBit 2.0の手癖に似てる。プリンタにしゃべらせる、横展開、暗号化、“持ち出し”。まずは木を割る——院外との線を白で絞って、森の中を隔離しよう。」
悠真はEMR事業者と仮システムの相談を始める。「空の箱に既知良品だけ入れて、最小呼吸を戻す。」りなは広報台本の主語を太くする。
「当院は、いつ、何を、どう変えるか。」「帰属(誰がやったか)は当院が言わない。公的発表に歩調を合わせる。」
06|二日目 白い谷
紙が谷を埋める。受付で名前と住所を一人ずつ聞き、職員が手書きでカルテを綴じる。採血管のラベルも手書き。看護記録はA4の罫線。外来は数を絞り、救急は受けられない。産科の女性が言う。「お産も遠くへ行かれへん……」夏芽は首の裏に手を当て、「戻れる速さ」を紙で作ることを受け止める。
07|一週間目 数字になるもの/ならないもの
蓮斗が数字を並べる。
電子カルテ参照不能:約85,000人分(過去分を含む)
端末影響:約200台が暗号化対象
完全復帰目標:年明け(仮システム構築中)
数字にならないものがある。ため息、夜勤の沈黙、患者家族の目。りなは窓口の台本に、一行目を置く。
「当院からATM操作や送金依頼はしない」詐欺の追い打ちから守るための一行だ。
08|十一月下旬 「黒」の名乗り
闇サイトに名乗りが上がる。盗んだ/暗号化した/期限。所管は耳を立て、報道は騒ぐ。りなは二段落を崩さない。
確認された事実:犯行声明らしき掲示の存在を把握。法執行機関と連携。
未確定(継続調査):主張データの真正性・範囲。
混ぜない。時刻で切る。謝るときは主語を最初に置く。
09|十二月 “空の箱”が歌い出す
仮システムが息を吹き返す。過去から抽出していた最小のデータを載せ、新しい箱に呼吸を移す。バックアップはWORMに二経路、越境の呼吸はSOC、端末の微熱はEDRで拾う。奏汰が地図を描く。
“見る鍵/運ぶ鍵/署名する鍵”を分ける。
常時特権はゼロ、JIT貸与に押印。
Outboundは白だけ、DNSは未知を即死。
VPNは短く太く、古い枝は伐る。
やまにゃんの札が光る。
「遅いけど確実。」
10|年明け 1月4日 通常診療
掲示板に紙が貼られる。
「本日より通常診療を再開します」待合に小さな拍手が起きる。白いカルテは続くが、線は戻る。夏芽は最初の診療の終わりに時刻を押した。二ヶ月の紙は、新しい柵と新しい道を残した。
11|有識者会議の春
報告書が公開される。LockBit 2.0、VPN脆弱性の悪用、プリンタ一斉印字、遮断→紙運用→再開。費用は億の単位、完全復旧まで二ヶ月超。りなは講堂で三つの時計を示す。
現場の時間(診療・看護・会計)
規制の時間(継続報告/患者通知)
経営の時間(信頼・費用・再発防止)
そして、いつもの三行。
言い切る(事実と可能性を同じ文に置かない)期限を付ける(例外は48時間で自動失効)二重に確かめる(自動の前後に**“人の10分”**)
夏芽は機械室の引き出しに、厚い紙束を戻す。紙は遅い。でも、戻れる速さは紙から始まる。谷を渡る風は冷たい。だが、白いカルテの頁は、また一枚めくられる。
—— 完
参考リンク(URLべた張り/事実ベース・一次情報/主要報道・技術整理)
※物語はフィクションですが、骨格(2021/10/31 未明の一斉印字→ランサムウェア感染/電子カルテ等が不能→救急・新患受入停止→紙運用→2022/1/4 通常診療再開、LockBit 2.0 とVPN装置脆弱性の示唆 など)は以下に基づいています。
主な点:病院公式の有識者会議報告(プリンタ一斉印字/LockBit 2.0/VPN脆弱性の悪用の可能性、時系列・復旧)、Mainichi/朝日/NHKの現地・時系列報道、**MHLW(厚労省)**による医療分野の整理、CyberEnso/Acronisの英語記事が、本文の骨格(発見状況、診療影響、復旧時期、被害規模の目安等)を裏づけています。


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