白いプリンタ — SWIFTの土曜(長編フィクション)
- 山崎行政書士事務所
- 9月18日
- 読了時間: 6分
— 2016年「バングラデシュ中央銀行 SWIFT不正送金事件(週末の侵入/SWIFT端末の改ざん・プリンタ停止/FRBNYあて大量送金指図→一部はフィルタで差止め・一部が流出→スリランカでの誤記による返金、フィリピン・RCBC口座経由での資金洗浄/のちにCSP通達と帰属論)」を骨格にした創作
00|金曜 23:41 紙が出てこない
翡翠(ひすい)金融庁・国際決済室。夏芽はSWIFT端末の脇で、プリンタを叩いた。夜勤のルーチン——受発信の控えが出続けるのが普通だ。だが今夜に限って、紙は沈黙している。端末の画面ではキューが空だ。でも、Nostroの口座残は、わずかに減っていく。
「出ていないのに、出ている。」
ラックのファンが眠たい音を立てている。夏芽は内線を取った。
「山崎行政書士事務所に繋いで。」
01|00:03 “止める/伝える/回す”
静岡・山崎行政書士事務所。白板の前に**律斗(りつと)**が立つ。
止める/伝える/回す
止める:SWIFT端末(Alliance Access)と中継サーバを電源を落とさずネットワーク隔離。FRBNY(ニューヨーク連銀)等のコルレス先には即時の「Stop Payment/Recall」依頼を電話で打つ。送金キューは凍結、オペレーター権限を強制失効。プリンタ停止は意図的改変の疑いあり、証跡を一方向で吸い上げる。
伝える:三文で長官/財務局/主要コルレス先に同報。“確認された事実”(プリンタ停止/残高の乖離)と**“可能性(仮説)”(不正なSWIFTメッセージ発信)を段落で分け、正午/17時の更新時刻を約束**。「支払い先変更メールは無効」を一文目に。
回す:国内決済は紙台帳に切替。緊急の対外支払は停止し、例外は二名承認+折り返しで。遅いけど確実に回す。
りなが続ける。「72時間の法の時計を回します。“声は鍵”(折り返し+二名承認)を全窓口へ。」
奏汰(そうた)は回線図に赤を引く。「端末上の痕跡隠しとキュー改ざん、プリンタ無力化。週末を狙い、大量の送金指図をFRBNYへ投げる筋が濃い。」
悠真(ゆうま)が短く言う。「紙が沈黙しているのは、確認ループを奪うためだ。」
ふみかが一次報の三文を置く。
現状:SWIFT端末でプリンタ停止と残高の乖離を確認。端末隔離/権限失効/緊急のStop Payment依頼を実施。対応:国内決済は紙台帳へ。正午に一次報、17時に更新。お願い:“支払い先変更”などメールのみの依頼は無効。必ず電話の二重確認を。
受付の白い猫(やまにゃん)が、しっぽのType‑Cで小さく光る。札には太い字。
「遅いけど確実。」
02|00:48 “画面にないメッセージ”
FRBNYからの折り返しは早かった。MT103/202 COVに相当する複数の送金指図が立て続けに届いているという。宛先はアジアの商業銀行。金額は異様に大きい。夏芽は喉が乾く。「画面にはないのに、外には出ている。」
蓮斗(れんと)が白板に数字を書く。
MTTD(検知):19分(プリンタ停止+残高乖離)
一次封じ込め:42分(端末隔離/Stop Payment連絡網起動)
送金試行:数十件(総額 約$951M 試行)
初期差止:一部(フィルタ命中・要素不整合)
律斗は短く言う。「勝ってはいない。**“間に合っている”**だけだ。」
03|01:20 “Fandation”の綴り
コルレスのひとつが理由を教えてくれた。宛先名に綴り誤りがあり、審査で弾いたという。
“Shalika Fandation”——Foundationのoがaに化けていた。スリランカ行きの巨額は、Holdにかかって戻る線が見え始めた。
別の送金は、住所行の**「Jupiter Street」でフィルタに引っかかった。世界は単語ひとつで止まる**ことがある。
04|02:07 “白いプリンタ”の犯意
隔離した端末のログは薄かった。監査の鉛筆が消しゴムでなぞられたみたいに。プリンタは紙切れではない。確認ループという**“人の10分”を奪う刃だ。悠真が言う。「プリンタ停止は偶然じゃない。“見ていないことにする”ための作り込み**だ。」
05|朝 08:40 “止金”の線、そして穴
Stop Paymentは線だ。線は時刻で太くなる。だが、太くなる前に抜けたものがある。複数の送金がフィリピンの銀行の支店へ落ち、現地口座に分割されてカジノへ流れはじめたと連絡が入る。
蓮斗の数字が更新される。
差止・返金:約$20M(スリランカ方面)
流出確定:約$81M(フィリピン方面)
差止失敗:複数件(週末・時差による)
りなは深く息を吐く。「週末は人の時間を短くする。」
06|午後 “Jupiterの午後”
現地で口座開設に関わった支店の名が報じられる。Jupiter Street。通りの名前は偶然でも、連鎖は偶然ではない。口座は複数、名義は薄い紙のように軽い。カジノのチップの音が、紙の音をかき消す。
07|二日目 11:30 “誰がやったのか”は、誰が言うのか
セキュリティ企業は過去の破壊・窃取で知られる道具箱との共通性を指摘する。政府は具体名を挙げ始め、のちに起訴状が一人の名を掲げる。帰属はわたしたちが言わない。公的発表に歩調を合わせる。言うのは**“何が起き、何を止め、どう変えたか”**だ。
08|三日目 11:40 “72時間”の線
所管への報告が二段落で確定する。
確認された事実:SWIFT端末の改ざん(プリンタ停止・監査痕薄)、FRBNY向け大量送金指図、フィルタによる差止・返金(誤記・住所等)、一部資金の海外流出、Stop Payment/Recallの発動。
未確定(継続調査):初期侵入の経路、端末改ざんの詳細、第三者提供の最終範囲、関係国・機関の連携結果。
講堂に三つの時計が並ぶ。
現場の時間(決済・コルレス・照合)
規制の時間(72時間)
経営の時間(信頼・補償・再発防止)
りなは三行で締める。
言い切る(事実と可能性を混ぜない)期限を付ける(例外は48時間で自動失効)二重に確かめる(自動の前後に**“人の10分”**)
09|数か月後 “CSP”の窓
SWIFTは顧客セキュリティプログラム(CSP)を強く打ち出す。「端末の隔離」「二人承認」「プリンタ等の確認ループの強制」「既知良品のハッシュ検証」「最小限のOutbound」「監査のWORM化」。翡翠金融庁は、鍵束を三つに分けた。
“見る鍵/運ぶ鍵/署名する鍵”常時特権はゼロ、必要時だけ(JIT)に短く貸す。貸与の記録は消せない箱へ二経路。
やまにゃんの札が光る。
「速さは、戻れるときだけ味方。」
10|エピローグ 白い紙、黒いインク
プリンタは動く。紙に黒いインクが載る。その一枚で、送金は人の目と耳を取り戻す。SWIFTの画面は正しく、紙も正しい。週末に奪われたのは時間だった。わたしたちは紙で取り戻す。
—— 完
参考リンク(URLべた張り/事実ベース・一次情報/主要報道・公的資料・技術分析)
https://www.reuters.com/investigates/special-report/cyber-heist-bangladesh/https://www.reuters.com/world/asia-pacific/exclusive-bangladesh-bank-asks-new-york-fed-setup-mechanism-recover-stolen-funds-2022-02-09/https://www.nytimes.com/2016/03/17/world/asia/swift-bank-bangladesh-ny-fed-robbery.htmlhttps://www.swift.com/news-events/news/swift-statement-cyber-fraudhttps://www.cisa.gov/news-events/alerts/2016/05/13/malicious-cyber-activity-targeting-swift-systemhttps://www.justice.gov/opa/press-release/file/1092091/downloadhttps://www.justice.gov/opa/pr/north-korean-regime-backed-programmer-charged-two-major-cyber-attackshttps://baesystemsai.blogspot.com/2016/04/two-bytes-to-951-million.htmlhttps://securelist.com/operation-lazarus/74676/https://www.reuters.com/article/us-usa-bangladesh-bank-fraud-srilanka-idUSKCN0WG2KQhttps://www.swift.com/myswift/customer-security-programme-csp
主な点:Reuters特集とNYTが**$951M試行→$81M流出→$20M返金(誤記“Fandation”)やRCBC/Jupiter支店**・カジノ流入の流れを時系列で整理。SWIFT公式が顧客向けサイバー詐欺声明・CSPを提示。CISA/US‑CERTがSWIFT関連の悪性活動を注意喚起。BAE/Kasperskyが端末改ざん・ツール共通性(Lazarus系)を分析。米司法省の文書が帰属を含む訴追/**二大事件(Sony、Bangladesh等)**の関連を示しています。


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