静岡伊勢屋 - 「エレガンスプラザの恋 〜それぞれの未来とつむぐ明日〜」
- 山崎行政書士事務所
- 1月22日
- 読了時間: 5分

空にかすかな星が瞬く静岡の夜。グループ百貨店合同のファッションショーを成功させた私たちは、人通りの落ち着いた街並みを歩いていた。彼が用意してくれたコーヒーの温かい湯気が、どこか心もほどいてくれる。 「本当にお疲れさま。ショー、大成功だったね」 彼の声は上機嫌だが、その奥にほんの少しの切なさを感じるのは、私の気のせいじゃないと思う。あと二か月で、彼はシンガポールへ赴任することが決まっているからだ。
「今日はありがとう。すごく忙しかったはずなのに、最後まで見てくれて」 私が礼を言うと、彼は軽く肩をすくめて笑みを浮かべる。 「それくらいしか、今の俺にはできないから。……でも、心から見たかったんだ。君の夢が大きく羽ばたく瞬間を、ちゃんと目に焼きつけておきたくて」
そんな言葉を聞けば聞くほど、私は胸の奥が熱くなる。お互い別の道を歩んできたけれど、こうしてまた“ふたり”の時間を過ごせることが尊く思えた。
翌週、エレガンスプラザのデザイナー兼販売スタッフとしての通常業務に戻った私は、連日バタバタと忙しく動き回っていた。ファッションショーでの評判を受け、店内にも私のデザインを求めるお客さまが増えつつある。さらに、次のシーズンに向けたポップアップショップの企画が大きく動き始めていて、打ち合わせや書類の作成に追われる日々だ。 「あなたにとっては追い風ね。大変だけど、頑張ってちょうだい」 店長の山口さんは、そう言って私の背中を押してくれる。 「はい。ありがとうございます。私、絶対成功させたいです」 まだ不安は大きいけれど、やる気はそれ以上に大きかった。かつては夢見るだけだった“小さな自分のブランド”が、こうして少しずつ形になり始めている。それが何より嬉しい。
ただ、その一方で、彼とはなかなか時間が合わなくなっていた。もうすぐシンガポールに発つ彼は国内業務の引き継ぎや海外出張の準備で多忙を極めており、私も新作デザインに追われている。たまにメッセージで互いの無事を確かめ合う程度になっていた。
そんなある日の夕方、ふいにスマートフォンが震えた。ディスプレイには彼の名前。 「久しぶり。今、会社から少し抜けられそうなんだ。君もまだ仕事中かな?」 小走りでバックヤードに移動し、電話に出る。彼の声は少し疲れがにじんでいるようだ。 「大丈夫だよ。ちょうど休憩に入ったところ。どうしたの?」 私の問いかけに、彼は少し言いにくそうに口を開いた。 「実は……海外赴任の準備が思ったよりも早く進んでいて、正式な出国日が前倒しになりそうなんだ。あと1か月もないかもしれない」
すでに心の準備はしていたはずなのに、やはり突きつけられると胸が締まる。ショーが終わってからまだほんの短い時間しか経っていない。もうすぐ離れ離れになるのだと思うと、言葉が出てこない。 「そっか。……うん、わかった。じゃあ、残りの時間、無理しないで……」 そう言いかけて自分の声が震えそうになるのを必死でこらえる。だけど、逆に彼は明るい声音で続けた。 「いや、むしろ今度の休みにでも会って話がしたいんだ。最後に伝えたいことがある」 “最後”という言葉にドキリとする。でも、彼の中ではこれが区切りなのかもしれない。
「わかった。今度の休み、予定を調整してみる。……待ってるね」 そう言うと、彼はホッとしたように「ありがとう。また連絡する」と電話を切った。
土曜日、私は早番のシフトを終え、夕方から駅前で彼と落ち合うことになった。落ちついたジャズが流れる小さなバーを彼が予約してくれたらしい。これまであまり行かなかった場所に、どこか“特別な夜”の予感がする。
店内に入ると、柔らかな照明の中、彼がすでにカウンターで待っていた。何度見ても洗練されたスーツ姿だけれど、今日はネクタイを少し緩め、前よりリラックスした雰囲気がある。 「お疲れさま。大丈夫だった? 忙しかったんじゃない?」 そう声をかける彼に、「うん、大丈夫」と笑顔で返す。だけど、その穏やかなやり取りの裏には、お互い言いたいことが山ほどあるのがわかる。
お互いの仕事の話や近況をひとしきり話したあと、しんと静まるような間が訪れた。店の奥ではグラスの触れ合う音と、低く流れるジャズのリズムだけが耳をくすぐる。 「あと数週間で、俺はシンガポールへ行くことになる。向こうに着いたら、しばらくはバタバタして連絡もままならないかもしれない。それでも……」 そこまで言って、彼はグラスを置く。揺れる琥珀色の液体が微かに光を反射している。 「それでも、君のことを想わない日はないと思う。もし、君さえ良ければ……遠距離になっても、俺たち、繋がっていられないかな」
覚悟していたはずなのに、彼の率直な言葉に胸が熱くなり、一瞬言葉を失った。私が驚いた顔をしたのを見て、彼は少し恥ずかしそうに続ける。 「昔は、仕事も夢も大事だからって、お互いの気持ちを曖昧にしたまま離れてしまったけど。今度は、失いたくないんだ。君がどれだけ忙しくなっても、どんな未来が待っていても、そばで応援していたい」
思わず頬が熱くなる。言葉にできないほど嬉しかった。私も同じ気持ちだった。大切な夢はある。でも、それと同じくらい、彼の存在も大きくなっている。 「……ありがとう。私も、同じように思ってたよ。お互いに夢を追いかけてるけど、その先で一緒に笑っていられたらって」
彼はホッとしたように微笑み、カウンターの上で私の手をそっと包む。 「それなら安心した。……いずれ俺が日本に戻るとき、きっと君はもっと大きなステージに立ってるだろうね。その時は、また隣で拍手していたい」
言葉にならない想いが胸に溢れ、私は小さくうなずくことしかできない。それでも、瞳が潤むのを隠しきれず、少しだけ視線を落とした。彼はそんな私の様子を見て、何も言わずに優しく手を握り返す。
夜風が涼しく頬をなでる帰り道、私たちは並んで歩きながら、新しい日々に向けての小さな誓いを交わした。 シンガポールと静岡、遠く離れた場所にいても、私たちには同じ未来を見つめられる絆がある――。 急ぎ足の人々が行き交う駅前の広場の灯りを横目に、そっと繋いだ手の温度が、次の朝に向けて優しく背中を押してくれているように感じられた。
エレガンスプラザでの日常はまだまだ続く。そして、私たちの物語もまた、新しい季節を迎えようとしているのだろう。夢と恋、ふたつの想いを同時に抱きながら、私は今、この瞬間を静かにかみしめる。これから先、どんな未来が待っていても、自分らしく歩んでいける――そう信じながら。




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