静岡伊勢屋 - 「エレガンスプラザの恋 〜ふたりの未来、海風に揺れて〜」
- 山崎行政書士事務所
- 1月25日
- 読了時間: 6分

東京の夜を肩を寄せ合いながら歩いたあの日から、数日が過ぎた。そろそろ彼がシンガポールへ戻る日が近づいている。私はポップアップ終了後の事務処理やバイヤーとの打ち合わせを片付け、彼は日本側のプロジェクトの報告会や上司への挨拶回りをこなしていた。あわただしい時間の合間に、「最後に静岡へ立ち寄ろう」という話が自然とまとまった。 やっぱり、私たちの“原点”はあの街にあると思えたからだ。
新幹線で静岡駅に降り立つと、東京の喧騒とは違う穏やかな空気が身体を包み込む。彼はスーツケースを引きながら、少し懐かしそうに駅の改札を抜けた。 「戻ってくるたび、空気が優しく感じられるよ。東京とはまた違う安心感があるな」 「わかる。私もここに帰ってくると、ほっとするんだ」
駅前の大通りを歩きながら、見慣れた店の看板や街路樹を目にするたび、心の奥で小さな安堵が広がる。東京ではポップアップを成功させた高揚感があったけれど、ここに帰ってきた瞬間、改めて“私らしさ”の原点を思い出せる気がした。
その日は、彼の希望で「エレガンスプラザをもう一度見たい」と言われた。 「実際のところ、日本にいられるのはあとわずかだし。せっかくなら君がいつも頑張ってる場所を目に焼きつけておきたいんだ」 そう言って微笑む彼を連れて、私は静岡伊勢屋へと向かう。店内に入り、忙しく立ち働くスタッフたちと挨拶を交わすと、皆が嬉しそうに「おかえり」「東京はどうだった?」と声をかけてくれた。 「盛況だったって山口店長からも聞いたわよ。すごいじゃない!」 同僚の熱のこもった言葉に、私は改めてポップアップを成功させた実感がこみ上げる。
そして彼は、店内のドレスやディスプレイを丁寧に見てまわり、にこりと笑ってつぶやいた。 「やっぱりここは、君の“居場所”なんだね。ふと目に入る服から、君らしさがにじんでくる」 その言葉が、まるで小さな勲章みたいに胸を照らしてくれる。嬉しくて、照れくさくて、でも誇らしい。
翌日は、私の仕事の都合を少しだけ調整してもらい、彼と一緒に静岡の海辺へドライブに出かけることにした。朝早くレンタカーを借り、駅前の喧騒を抜けて海へ向かう道を走る。 「ここから見える青い海が好きで、学生の頃、ふたりで来たことあったよね」 そう問いかける私に、彼は懐かしそうに目を細める。 「うん。……あの頃は、こうして再会して、一緒に遠くまで歩む未来なんて想像もしてなかった」
助手席にいる彼の横顔を見つめると、過去と今が重なって見えるような不思議な感覚が湧く。時間が経っても、私たちはこうして同じ空を見上げながら笑い合っている。
海辺に着くと、車を停めて浜辺の砂を踏みしめる。少し冷たい風が頬をかすめるけれど、空は晴れ渡り、潮の香りが清々しい。 「気持ちいいね。東京のビル群も好きだけど、やっぱり海の開放感は格別」 足元に打ち寄せるさざ波を見つめながら、私がそう言うと、彼は少し遠くの水平線に視線を向けた。 「海の向こうにある国へ、また戻らなきゃいけないんだな、って思うと……やっぱり少し寂しい」
私も胸がきゅっと締まる。けれど、それを紛らわすようにそっと彼の腕を掴んだ。 「でも、前と違って私たち、ちゃんと気持ちを通わせながら遠距離をやれてると思うんだ。孤独じゃないよ。いつでも繋がってるから」 「そうだね。今度こそ、お互いが歩む道をあきらめないまま、一緒に進んでいける……そんな確信がある」
そのままふたりでしばらく海を眺めた。穏やかに波打つ青が、まるで私たちの心の揺れを映しているみたいだ。
浜辺を後にして、少し遅めのランチをとろうと車に戻りかけたとき、不意に彼が口を開く。 「ちょっと、ここで話したいことがあるんだ」 そう言い、彼は私の手をそっと引いた。視線が絡むと、鼓動が早まるのを感じる。何か真剣な話をしようとしているのが、表情から伝わってくるからだ。
「……何かな?」 「次に日本に戻れるのは年末になるって言ったけど、その時は少し長めに滞在できそうなんだ。……もしよかったら、ちゃんとお互いの両親に会って、挨拶をしよう」
胸がドキリと大きく鳴った。以前、都会の夜景を見下ろしながら将来の話になったときも、彼は「家族に紹介したい」と言ってくれた。でも、改めてこうして正式に告げられると、幸せと緊張が混じった熱がこみ上げる。
「私……いいのかな。まだ自分のブランドだって始まったばかりで、夢を追ってばかりで落ち着きがないし……」 不意に弱気になりかけた私に、彼は少し苦笑して頭を振る。 「そういうところも含めて、ずっと応援したいと思ってるんだよ。君が夢に向かっている姿を誇りに思う。だから、俺は君をちゃんと家族に紹介したいし、いつかは俺たちの道を重ねたい」
彼の瞳はまっすぐで、少しの迷いもないように見えた。海からの風が吹き抜けて髪を揺らす。その瞬間、私の胸に揺れ動いていた不安が、潮騒とともにどこかへ溶けていく。 「……わかった。私も会わせたいと思う。父も母も、私の夢をずっと応援してくれてるし、あなたに会ったらきっと喜んでくれると思う」
そう答えると、彼は安堵したように微笑んで、「ありがとう」と小さくつぶやいた。言葉少なに握られた手の温度が、さらに愛しさを増していく。
夕方になり、少し暮れかけた空のもと、私たちは車を返却しに街中へ戻った。別れの時刻は少しずつ近づいてくる。次に会えるのは、まだ少し先――それでも、心には確かな希望が灯っていた。 「今回の滞在、短かったけど、すごく濃い時間だった。東京のイベントも見届けられたし、静岡でも君の頑張りが見られたし、こうして海辺で未来の話もできたし……」 彼は駅へ向かうタクシーの中で、少ししみじみとした声を出す。私も同じ気持ちだった。
「また行ってしまうのは寂しいけれど、次に帰ってくる時は一段と成長したあなたに会えるんだろうな。私も負けないように頑張る。そう思うと、なんだか楽しみだよ」 窓の外を流れる街並みは、オレンジ色の街灯と夕日の名残をまとって、どこか懐かしさを孕んでいる。
静岡駅に着き、改札口に向かう前、彼はスーツケースの取っ手を握りながら、私に向き直った。 「ありがとう。君の夢が大きく膨らむのを、遠い場所からでもずっと見守ってる。……でも、できるだけ早くまたここに戻ってきたいと思う。今度は、もっと長く一緒にいられるようにするから」
笑顔でそう言われると、胸がほんのり熱くなる。私も彼のネクタイの端を軽く引っ張り、恥ずかしそうに視線を落とした。 「うん……待ってる。私も次に会う時は、もっと成長した姿を見せられるようにする。エレガンスプラザでも東京でも……そして、家族への挨拶も、ね」
その言葉に、彼は目を細めてうなずく。そして、人目を憚るようにそっと私の手に触れ、短く「またね」と微笑んだ。背筋を伸ばして改札へ向かっていく彼の背中を見つめながら、涙ではなく微かな笑みがこぼれるのがわかる。
――遠距離であっても、私たちは確かにつながっている。夢も恋も、まだ道半ば。それでも、お互いの未来を重ねたいと願う気持ちが、この街の風と海が、きっとずっと応援してくれる。 改札を通り抜ける彼の姿が見えなくなるまで、私はその場を離れずに立ち尽くしていた。まるであたたかい潮の香りがまだ身体を包んでいるような、不思議な感覚とともに。
駅構内からは、列車の発着を知らせるアナウンスが鳴り響く。次に会える日を思い描きながら、私は静かに深呼吸をする。ふたりが紡ぐ小さな奇跡は、この先もきっと形を変えながら続いていくのだろう。
少し肌寒くなりかけた秋の風に、かすかな甘さを感じながら、私は静岡の街の夜の灯を目指して歩き出した。いつもの景色が、ほんの少しだけ輝いて見える。私の心の奥で、新しい明日へのときめきが静かに弾んでいた。




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