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静岡伊勢屋 - 「エレガンスプラザの恋」 続編

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月22日
  • 読了時間: 6分


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土曜の夜、彼と食事をしてから、私たちは以前より気軽に連絡を取り合うようになった。彼の方は外資系企業の仕事が忙しく、出張やミーティングの合間にLINEや短い電話で近況を報告してくれる。私もエレガンスプラザでの業務や新作のデザイン作業に追われる毎日だけれど、夜寝る前のちょっとしたやりとりが、心を柔らかくほどいてくれるようだった。

 だけど、彼の転勤話は少しずつ現実味を帯び始めているらしい。確定はしていないと言いつつ、週末の予定が急にキャンセルになることもあるし、出張先が海外になり始めているのを感じる。ほんの少し寂しさを覚えながらも、私は「いつかまた会えるから大丈夫」と信じて過ごす日々だった。

 そんなある日の午後、店長の山口さんに呼び止められた。 「この前の秋冬コレクションのドレス、覚えてる? 上層部から連絡があって、大口の取引先の一つが“あなたのデザインしたドレス”を気に入っているらしいわ。近々、イベントで展示販売する候補にするって話があるのよ」 私は思わず息をのんだ。自分がメインで担当したドレスが、すでに店内や常連のお客さまから好評なのは知っていたけれど、大口の取引先にまで評価されるなんて。 「私の……ドレスが、ですか?」 「そう。詳しい話はこれからだけど、あなたにもイベント当日、プレゼンテーションに立ってほしいって。準備も含めると時間はそんなに長くはないわ。大変になると思うけど、頑張ってね」

 イベントは静岡伊勢屋が年に一度主催する、グループ百貨店合同のファッションショー兼販売会らしい。通常は有名ブランドのアイテムが主役を飾るのだけど、今年は“次世代の新進気鋭デザイナー”をフィーチャーするコーナーを作るのだという。そこに私のドレスが選ばれたのだ。 驚きと喜びが一気に沸き起こり、気持ちを落ち着けるのに数秒かかった。まるで夢を見ているようで、じわじわと実感が湧いてくる。 ――いつか自分のブランドを立ち上げたい。そんな大きな夢に向けて、ほんの小さな一歩だけど確かな前進だ。

 翌週、プレゼン資料をまとめたり、展示用のサンプルを再調整したりと、私は慌ただしく動き回っていた。休憩時間も返上してコツコツと作業しながら、ふとスマートフォンを見ると、彼からメッセージが入っていた。 「元気にしてる? 週末の予定、もし空いてたら少し会えないかな? 大事な話があるんだ」 “大事な話”――それが何かは、想像できるようで、したくないようで、胸がきゅっとなる。けれど、新しいステップを踏み出そうとしている自分をちゃんと見てほしい気持ちもあった。

 土曜の夕方、仕事を早めに切り上げて駅前のカフェへ向かうと、先に着いていた彼が奥の席で私を待っていた。相変わらず端正なスーツ姿だけど、いつもより少し疲れがにじんでいるような気がする。 「ごめん、忙しいのに呼び出して。仕事、大丈夫?」 「うん、ちょっとバタバタだけど大丈夫。むしろ気分転換になって助かったよ」 笑顔を返すと、彼はほっとしたようにテーブルの上のコーヒーカップを手に取った。

 「実は、シンガポール転勤の話……ほぼ内定したんだ。来月中には正式に辞令が出ると思う」 彼の声は静かで、ちょっと低く響いた。心のどこかで覚悟していたつもりだったけれど、実際に聞くと想像以上に寂しさがこみ上げてくる。 「そう……そっか。いつから行くの?」 「まだ正確な日は出てない。早くて数か月後、遅くても年内には向こうへ移ることになると思う」

 店内の柔らかな照明が、お互いの顔に切なく影を落とす。カウンター越しのエスプレッソマシンの音だけが、やけに大きく感じられた。 「でも、できれば時々帰ってくることになるし、その時は……また会いたいと思ってる。こんな遠い場所で働くことになるなんて想像もしなかったけど、やっぱりキャリアとしては大切なチャンスなんだよね」 彼はそう言いながら、口元に苦笑を浮かべる。喜ばしい話なのに、まるで申し訳なさそうにしている姿が、胸に痛いほど沁みる。

 「うん。私、ちゃんと応援したいよ。それに、私も今度のイベントでドレスを発表することになったの。実は、エレガンスプラザ代表の一つとして出品することになって……。来月末にはプレゼンやファッションショーがあるんだ」 そう伝えると、彼は目を見張った。 「すごいじゃないか! やっぱり、君の作品は認められてるんだな」 心から驚いているようで、思わず私も顔がほころぶ。ふと、あの学生時代、私の服のデザインを見て「すごい」「いいね」と目を輝かせてくれた彼の顔を思い出す。変わったようで、根本は何も変わっていないのかもしれない。

 しばらくお互いの近況や想いを語り合い、時間も忘れて話し込んだ。最後に「イベント、もし都合がついたら見に来てほしい」と言うと、彼は迷いつつも、 「日程が合えば、絶対に行くよ。たとえ当日じゃなくても、君が創ったドレスは、また直接見てみたい」 そう答えてくれた。その言葉を聞いて、胸にあたたかな希望が芽生える。

 イベントの当日まで、あっという間だった。準備は想像以上に大変で、会場づくりやモデルとのフィッティング、メディア用の資料作成など、ほとんど寝る間もないほど動き回る日が続く。それでも不思議と疲れよりも充実感が勝っていた。

 ファッションショー本番の朝。まだ観客のいないメインステージで、私は出品するドレスを最終チェックしていた。シルエットの流れや、スポットライトの下でビーズがどんな輝きを放つのか――細かいところまで一度確認しないと落ち着かない。 「あともう少し……これで大丈夫」 思わずつぶやいたその時、誰かが後ろから声をかけてきた。 「完璧じゃないか。このドレス、実物で見るとさらにいいね」

 振り返ると、そこには彼が立っていた。スーツ姿のまま、出張先から駆けつけたのだろうか、ネクタイは少し緩んでいて、どこか急いで来てくれたのがわかる。 「え……来られないって言ってたのに……!」 驚きと喜びで言葉が詰まる。彼は照れくさそうに笑いながら、視線をドレスに移した。 「正直、仕事のスケジュールがギリギリだったんだけど、どうしても見たかったんだ。……だから、いま東京駅から新幹線に飛び乗ってきたよ」

 息を弾ませながら、ステージ上のドレスを見つめるその横顔に、私は胸が熱くなる。 こんなふうに、私の夢を見つめに来てくれる人がいる。それだけで、自分が歩んできた道は間違っていなかったと思える。

 「ありがとう……ほんとに嬉しい」 そう呟いたまま、私たちはしばらく無言でドレスを見つめた。会場のスタッフやモデルたちが忙しそうに行き交う中、まるでそこだけ静寂が宿っているみたいに感じられる。

 やがて、司会のリハーサルを告げるアナウンスが響く。私は舞台袖の方へ向かう前に、そっと彼の方を振り返った。 「終わったら、また話したい。そこで待っててもらってもいい?」 「もちろん。ここで君が輝く瞬間を、しっかりと見届けさせてもらうよ」

 彼はそう言って、まっすぐにこちらを見つめる。私も力強くうなずいて、リハーサルへと向かった。

 何度も遠ざかったはずの二人の人生が、再び交差し、新しい物語を紡ごうとしている――そんな予感がする。ステージの上でライトを浴び、私は胸の奥で静かに意気込む。 ――大切なものを見失わないために。お互いが、お互いの道を歩みながら、支え合える関係になれるように。

 スポットライトが当たるステージの中央に立つと、まぶしい光とともに、私のデザインしたドレスがゆっくりと華開いていくのが見えた。同時に、観客席の向こう、ひときわ目立つ場所に立つ彼の姿が瞳に映る。 夢と恋が交錯する瞬間の鼓動は、静岡の街の空気よりも濃密で、私を次の未来へと後押ししてくれているように感じられた

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