黒電話さん、その時空接続は許可申請が必要です!
- 山崎行政書士事務所
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〜2050年・草薙 山崎行政書士事務所のもしもし人情録〜
二〇五〇年の静岡市清水区草薙は、朝から妙にのんびりしていた。
草薙駅の上を、無人バスが「本日も安全運転です」と眠そうな声で滑っていく。歩道では、配達ドローンが富士山の見える角度で一礼し、県立美術館へ向かう坂道には、昔ながらの茶畑の匂いがまだ少し残っている。
その坂の途中、昭和から平成をまたぎ、令和をくぐり抜け、ついに二〇五〇年までしぶとく立っている二階建ての建物があった。
一階は、三十年前に閉店したはずの文具店の看板がいまだに半分残っている。
二階の窓には、少し傾いた文字でこう書かれていた。
山崎行政書士事務所
その下に、最近貼り足された丸いステッカーがある。
平成レトロ相談、承ります。ガラケー・プリクラ帳・MD・謎の充電器、心の整理も可。
「心の整理って、業務範囲に入るのかなあ」
山崎ひよりは、湯飲み片手にそのステッカーを見上げて、朝から小さくため息をついた。
ひよりは四十三歳。平成生まれの行政書士である。
祖母の山崎ハル子が開いたこの事務所を継いで、もう十年になる。
けれど今の時代、役所の手続きの九割は、市民ポータルAI「しみず君」が三秒で処理してくれる。相続も、許認可も、法人設立も、画面に向かって「はい」「いいえ」「まあまあです」と答えていれば、AIがそれらしい書類を作ってくれる。
行政書士の出番は減った。
人間の出番も、時々、減った気がする。
それでも山崎行政書士事務所には、妙な相談だけは舞い込んだ。
「亡くなった父の声が入ったMDを、遺産分割協議書に添付できますか」とか。
「母のプリクラ帳を家宝として法人化したい」とか。
「祖父のガラケーに入っている未送信メールを、遺言と呼んでいいのか」とか。
どれも、AIには「該当する手続きがありません」と言われるものばかりだった。
事務所の中も、時代に取り残されたものだらけだ。
壁には色あせたコギャル雑誌の切り抜き。棚にはMDコンポ、たまごっち、半透明のペンケース、シールで盛られたプリクラ帳。窓辺には祖母が使っていた竹の物差し。机の脇には、もはや誰も送信先を知らないファックス機。
そして、応接テーブルの隅に、黒電話が一台。
丸いダイヤル式の、昭和そのものみたいな電話だった。
祖母はそれを「クロちゃん」と呼んでいた。
ひよりが小学生だった頃、祖母はよく言っていた。
「この黒電話はね、急ぎすぎる人にはつながらない。でも、本当に困ってる人には、どこかにつながるんだよ」
「どこかって?」
「そりゃあ、どこかだよ。役所より遠くて、天国より近いところ」
当時のひよりは、祖母のそういう言い方が大好きだった。
今のひよりは、そういう言い方をすると市民ポータルAIに「意味不明瞭です」と赤字で怒られることを知っている。
「さて、と」
ひよりは古い机に座り、閉業届の下書きを開いた。
山崎行政書士事務所 廃業届
その文字を見ただけで、胸の奥が少し冷えた。
「おばあちゃん、ごめん」
ぽつりと呟いた、そのときだった。
ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ!
「うわあっ!」
ひよりは湯飲みを落としかけた。
鳴っていたのは、黒電話だった。
黒電話は、十年以上前に回線が切られている。
そもそも、コードの先は壁につながっていない。昨日掃除したとき、ひより自身が確認した。コードは丸まって、ファックス機の下で平成の埃をかぶっていた。
なのに、鳴っている。
ジリリリリリリリリリリリ!
ひよりは恐る恐る受話器を取った。
「も、もしもし……山崎行政書士事務所です」
ザザッ、ザザザッ。
雑音の向こうから、懐かしい声がした。
「あら、やっと出た。ひよりかい?」
ひよりの背中が、ぴんと伸びた。
「……おばあちゃん?」
「そうだよ。黒電話を埃まみれにして。行政書士が備品管理を怠るんじゃありません」
「おばあちゃん、え、だって、おばあちゃんは……」
亡くなった。
そう言おうとして、ひよりは口を閉じた。
受話器の向こうの声は、祖母の山崎ハル子そのものだった。
少ししゃがれていて、笑うとお茶漬けの梅干しみたいに酸っぱくて温かい声。
「今、そっちは何年だい?」
「二〇五〇年」
「にせん……ごじゅう? あらまあ。こっちは昭和六十三年だよ。もうすぐ平成になるって、みんな大騒ぎしてる」
ひよりは椅子から半分ずり落ちた。
昭和六十三年。
祖母がまだ四十代で、山崎行政書士事務所を開いたばかりの頃だ。
「昭和と繋がる黒電話……」
ひよりは、思わず受話器を両手で握った。
「もしもしおばあちゃん、え、もしもし子供の私……って、そんなことある?」
「あるから電話してるんだよ。ところでひより、あんた今、事務所を閉めようとしてるね」
ひよりは閉業届の画面を慌てて閉じた。
「な、なんで知ってるの」
「黒電話をなめちゃいけないよ。昔の電話は重たいぶん、勘も重たいんだ」
「意味がわからない」
「役所の書類も人生も、意味がわからないところから始まるんだよ」
祖母の口癖だった。
ひよりの目の奥が熱くなった。
そのとき、電話の向こうで別の声が割り込んだ。
「もしもーし? おばあちゃん? MDの電池どこー?」
ひよりは固まった。
その声は、子供だった。
しかも、聞き覚えがある。
「……え」
「え、誰? おばあちゃんじゃないの?」
ひよりは受話器を見つめた。
「もしもし……子供の私?」
「えっ。なにそれ怖い。未来の詐欺?」
「詐欺じゃない。あなた、山崎ひより。平成二十七年、小学二年生。今、事務所の机の下に隠れて、チョコバットを二本食べたところでしょ」
沈黙。
それから、子供の声がひそひそ言った。
「おばあちゃーん! 未来の私が、チョコバットの本数まで知ってるー!」
遠くで祖母の笑い声がした。
「ほらね、黒電話はどこかにつながるって言ったろ」
ひよりは頭を抱えた。
昭和の祖母と、平成の子供の自分と、二〇五〇年の自分。
行政手続きでいえば、窓口が三つに分かれているのに、申請書が一枚しかない状態である。
「ちょっと待って。時空接続って、許可申請いるんじゃないの?」
祖母が即答した。
「いるなら、あんたが作りなさい。行政書士なんだから」
「そういう職域じゃないよ!」
そのとき、事務所の入り口のベルが鳴った。
チリン、と懐かしい音がして、ひよりは受話器を肩と耳で挟んだまま振り向いた。
入ってきたのは、白い髪の男性だった。
草薙商店会の元会長、望月源太郎さん。八十二歳。昔、駅前で駄菓子屋「もちづき屋」を営んでいた人だ。
隣には、孫の里帆がいた。二十代半ばで、耳に透明な翻訳ピアスをつけ、腕には空中ディスプレイを浮かべている。
「山崎さん、朝から悪いね」
源太郎は帽子を取って、深々と頭を下げた。
「相談があるんだ。草薙で、もう一回だけ祭りをやりたい」
「お祭りですか?」
「平成レトロ祭りだよ」
里帆が空中ディスプレイを指で弾いた。
「おじいちゃんが、昔の商店街みたいにしたいって言うんです。ガラケー射的、プリクラ帳展示、MDイントロクイズ、駄菓子屋復活、あと“黒電話で愛を叫ぶ大会”とか」
「最後のは何?」
「おじいちゃん案です」
源太郎は胸を張った。
「昔は電話一本で人が集まったんだよ」
「今も通知一本で集まりますけどね」
里帆が小声で言った。
ひよりは少し笑った。
「それで、手続きの相談ですか」
「ああ。公園の使用、臨時出店、商店会の同意、食品関係、道路の関係、いろいろAIに聞いたんだがな」
里帆がため息をついた。
「市民ポータルAIに企画趣旨を入力したら、三回連続で却下されました」
「理由は?」
里帆はディスプレイを見せた。
赤い文字が浮かんでいる。
申請目的が情緒的すぎます。“みんなで懐かしく笑うため”は、行政上の目的として不明瞭です。
源太郎は悔しそうに唇を曲げた。
「みんなで懐かしく笑うのが、そんなに不明瞭かね」
ひよりは言葉に詰まった。
すると、受話器の向こうで祖母が言った。
「明瞭だよ」
ひよりはびくっとした。
源太郎が首をかしげる。
「山崎さん、電話中かい?」
「ええ、まあ、昭和と平成と少々」
「忙しそうだねえ」
子供のひよりの声が受話器から聞こえた。
「ねえ未来の私、平成レトロ祭りってなに? 平成って今なんだけど」
「あなたにとっての日常が、未来ではレトロなの」
「えー。じゃあ、このシールだらけのガラケーも?」
「宝物扱い」
「このプリクラ帳も?」
「博物館級」
「宿題も?」
「それはただの宿題」
「ちぇっ」
祖母が笑った。
「ひより、源太郎さんの祭り、手伝っておやり」
「でも、AIが却下してるんだよ。今の申請は全部、数値と根拠と形式が必要で……」
「昔もそうだったよ」
祖母の声が静かになった。
「形式は、人の気持ちを冷たくするためにあるんじゃない。人の気持ちを、ちゃんと届く形にするためにあるんだ」
ひよりは、受話器を握る手に力を込めた。
その言葉も、祖母の口癖だった。
源太郎が帽子を膝の上で丸めた。
「山崎さん。実はな、俺が祭りをやりたいのは、ただ懐かしいからじゃないんだ」
源太郎は窓の外を見た。
草薙の坂道を、無人バスが音もなく通り過ぎていく。
「昔の商店街には、用がなくても人が来た。買うものがなくても、顔を見に来た。子供が十円玉握って、婆さんが夕飯の愚痴を言って、学生がプリクラ見せびらかして。そういう場所が、いつの間にかなくなった」
里帆が黙った。
「里帆は東京の宇宙建築会社に行く。めでたいことだ。でも、その前に一回だけ、この子に見せたいんだ。人が集まる場所って、便利だからじゃなくて、誰かが待ってるからできるんだって」
里帆は困ったように笑った。
「おじいちゃん、それ先に言ってよ」
「言ったら泣くだろ」
「今言っても泣くよ」
「じゃあ申請書には書くな。恥ずかしいから」
ひよりは胸の奥が温かくなるのを感じた。
その瞬間、黒電話の向こうで子供のひよりが叫んだ。
「あっ! 思い出した!」
「何を?」
「おばあちゃんが言ってた。源太郎さんの商店会の古い書類、ファックス台の下の、たまごっちの箱に入れたって!」
ひよりは目を丸くした。
「たまごっちの箱?」
「うん。おばあちゃんが、“大事な書類は、誰も捨てなさそうで、誰も開けなさそうな箱に入れるのが一番だ”って」
祖母の声が得意げに言った。
「ほら、私の危機管理能力」
「おばあちゃん、それ普通に紛失寸前だよ」
ひよりは受話器を置かないまま、ファックス台の下にしゃがみ込んだ。
平成の埃が、ふわっと舞った。
古い箱がいくつもある。
「MDクリーナー」「プリントゴッコ用品」「謎のケーブル」「平成二十一年 年賀状素材集」。
その奥に、見覚えのあるピンク色の箱があった。
たまごっち 祝・復刻版
ひよりは箱を開けた。
中には、小さな機械ではなく、茶色い封筒が入っていた。
封筒には、祖母の字でこう書かれていた。
草薙商店会 ふれあい市関係源太郎さん、いつかまた使うかも
ひよりは息を呑んだ。
中には、昭和六十三年の商店会規約、平成初期のふれあい市の写真、手書きの開催趣旨、近隣同意書の控え、そして祖母が作った申請書の下書きが入っていた。
一枚目の上に、赤鉛筆でこう書かれている。
“懐かしい”は目的にならない。でも、“人がもう一度つながる”は目的になる。
ひよりは、笑った。
泣きそうな顔で、笑った。
「おばあちゃん、ずるいよ」
受話器の向こうで祖母が言った。
「行政書士はね、ちょっとずるいくらいでちょうどいい。人の本音を、役所に届く言葉に変えるんだから」
ひよりは席に戻り、空中キーボードを開いた。
「源太郎さん。申請目的、書き直します」
「おお」
里帆が覗き込む。
ひよりは入力した。
本事業は、草薙地区における世代間交流、地域商店街の活性化、高齢者の社会参加機会の創出、及び地域記憶の継承を目的として実施する臨時催事である。
市民ポータルAI「しみず君」が即座に反応した。
目的の明確性:良好。地域性:良好。情緒成分:やや多め。しかし許容範囲です。
「情緒成分って何よ」
里帆が笑った。
ひよりは続けて、必要な書類を整えた。
公園使用の申請、臨時出店の届出、近隣説明資料、商店会同意書、食品提供リスト、音響使用計画。
そして最後に、ひよりは一枚の任意様式を作った。
タイトルは、少しだけ迷ってからこうした。
草薙平成レトロ祭り 思い出承継ノート
源太郎が首をかしげた。
「これは何の書類だい?」
「役所に出す書類じゃありません。里帆さんに渡す書類です」
「私に?」
ひよりはうなずいた。
「おじいちゃんが、何を残したかったのか。祭りが終わったあと、忘れないようにするためのものです。法的な効力はありません。でも、たぶん大事です」
源太郎は黙って、その紙を見つめた。
里帆も黙っていた。
やがて里帆が、小さく言った。
「おじいちゃん。私、宇宙建築会社に行くけどさ」
「うん」
「草薙に帰ってくる場所、残したい」
源太郎は帽子で顔を隠した。
「年寄りを泣かすんじゃない」
「先に泣かせたの、おじいちゃんでしょ」
ひよりは、そっと黒電話を見た。
祖母の声が聞こえた。
「いい書類だね」
子供のひよりも言った。
「未来の私、ちょっとかっこいいじゃん」
「ちょっとだけ?」
「うん。髪の毛は寝ぐせだけど」
ひよりは慌てて頭を押さえた。
「平成の私、余計なこと言わない」
「あと、算数の宿題って未来で役に立つ?」
「消費税と報酬額表で役に立つ」
「最悪の未来だ」
祖母が大笑いした。
その笑い声で、事務所の空気が一気にやわらかくなった。
申請は、その日の夕方に通った。
市民ポータルAI「しみず君」から、正式な通知が届いた。
許可。備考:本申請には、通常様式外の温度が含まれています。地域活性化に資する可能性があるため、許容します。
「AIが温度って言った」
里帆が画面を二度見した。
源太郎は胸を張った。
「ほら見ろ。AIにも人情がわかるんだ」
ひよりは笑った。
「愛とAIは、紙一重ですからね」
それは、祖母が言いそうな駄洒落だった。
一週間後。
草薙平成レトロ祭りは、想像以上の盛況になった。
駅前から続く小さな通りには、ガラケー型の提灯が揺れた。
駄菓子屋の屋台には、子供たちが十円玉ではなく電子コインを握って並んだ。MDイントロクイズでは、若者が「この丸いの、石器時代の音楽ですか」と言って、五十代の大人たちを本気で怒らせた。
プリクラ帳展示では、平成の盛りすぎた目元を見た小学生が叫んだ。
「昔の人、全員宇宙人みたい!」
それを聞いた里帆が笑って言った。
「未来の宇宙建築士としては、かなり親近感あります」
源太郎の駄菓子屋も復活した。
「はい、当たり。もう一本」
「おじいちゃん、今の子、当たりの概念知らないよ」
「知るところから祭りだ」
山崎行政書士事務所は、通りの端に小さな相談ブースを出した。
看板には、ひよりの手書きでこう書かれている。
もしもし相談室書類のこと、家族のこと、昔のこと。急ぎすぎない相談、承ります。
机の上には、例の黒電話が置かれていた。
コードは、どこにもつながっていない。
けれど子供たちは面白がって、受話器を持ち上げた。
「もしもし、未来のぼくですかー?」
「もしもし、宿題なくなってますかー?」
「もしもし、ママの怒りは何年で時効ですかー?」
ひよりは一人ひとりに答えた。
「宿題はたぶん残ります」
「ママの怒りは、謝ると半分になります」
「未来のあなたは、今のあなたが思ってるより、けっこう頑張ってます」
そのたびに子供たちは、よくわからない顔で笑った。
夕方、祭りの灯りがともり始めた頃。
黒電話が鳴った。
ジリリリリリリリリリリリ。
ひよりは静かに受話器を取った。
「もしもし、山崎行政書士事務所です」
ザザッ。
懐かしい雑音。
そして、祖母の声。
「ひより」
「おばあちゃん」
「事務所、閉めるのかい?」
ひよりは、祭りの通りを見た。
源太郎が子供に駄菓子を渡している。
里帆が祖父の隣で、思い出承継ノートに何かを書き込んでいる。
平成レトロの提灯の下で、知らない人同士が笑っている。
ひよりは、ゆっくり言った。
「閉めない」
受話器の向こうで、祖母が小さく息を吐いた。
「そうかい」
「でも、ちょっと変える。書類だけじゃなくて、書類になる前の気持ちも聞く事務所にする」
「いいねえ」
「名前も少し変えようかな。山崎行政書士事務所・もしもし相談室」
「長いね」
「おばあちゃんのネーミングセンスも大概だったよ。“ハルちゃん法務っぽい相談所”って看板案、残ってたからね」
「それは斬新だろ」
「斬新すぎて不許可です」
祖母は笑った。
それから、電話の向こうに子供のひよりが出た。
「未来の私」
「なに?」
「大人になっても、笑ってる?」
ひよりは少しだけ黙った。
そして答えた。
「うん。時々、泣きそうな顔で笑ってる」
「それ、変な顔?」
「たぶんね」
「じゃあいいや。私、変な顔で笑う大人になりたい」
ひよりは空を見上げた。
草薙の夕方の向こうに、富士山の影がうっすら見えた。
「なれるよ」
「ほんと?」
「うん。保証する。未来の行政書士として」
「じゃあ、申請しといて」
「何を?」
「変な顔で笑う大人になる許可申請」
ひよりは吹き出した。
「それは即日許可です」
黒電話の向こうで、祖母と子供の自分が同時に笑った。
雑音が少しずつ遠ざかっていく。
「ひより」
祖母の声が、最後に言った。
「人の気持ちはね、時々、時代をまたぐんだよ。書類より強く、電話より遠く」
「うん」
「でも、控えはちゃんと取っときなさい」
「そこは行政書士なんだ」
「そこが行政書士だよ」
プツン。
電話は切れた。
ひよりはしばらく受話器を持ったまま、祭りの音を聞いていた。
笑い声。
駄菓子の袋が開く音。
古いMDから流れる、少し音飛びした音楽。
「おじいちゃん、これ何味?」
「それはな、平成の味だ」
「平成って甘いの?」
「甘くて、ちょっと粉っぽい」
ひよりは受話器を戻した。
そのとき、机の下から小さな電子音がした。
ピピッ。
ピピピッ。
ひよりがしゃがむと、たまごっちの箱の中で、古い本体が光っていた。
電池など、とっくに切れているはずだった。
画面には、ドット文字で一言だけ表示されていた。
おなかすいた
ひよりは目を細めた。
「……おばあちゃん?」
黒電話は黙っている。
たまごっちは、またピピッと鳴った。
ひよりは空に向かって言った。
「黒電話さん、次の時空接続は、ちゃんと事前相談してください」
返事はない。
ただ、草薙の夕暮れに、平成レトロの提灯がぽんぽんと灯り、山崎行政書士事務所の古い看板が、少しだけ誇らしげに揺れていた。
翌日。
事務所の入り口には、新しい紙が貼られた。
山崎行政書士事務所・もしもし相談室未来に残したい気持ち、書類にします。
その下に、小さな文字で追記があった。
時空をまたぐご相談は、黒電話の機嫌によります。なお、許可申請は未整備です。





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