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はじめに(当ブログについて)
山崎行政書士事務所は、
事業の「はじめる」「続ける」「育てる」各段階で生じる
法律・手続きに関する課題をサポートする行政書士事務所です。
許認可申請、契約書の作成・チェック、各種相談、
個人情報保護への対応、事業承継、知的財産の登録支援など、
事業者の皆さまが直面しやすい幅広いテーマを取り扱っています。
新規開業や事業拡大の場面で避けて通れない
行政手続きや法規制について、
専門的な知識と実務経験をもとに支援しています。
当ブログの位置づけについて
当ブログでは、
動画や記事を通じて 山崎行政書士事務所の考え方や取り組みを
できるだけ分かりやすくご紹介しています。
また、
理解を深めていただく目的で、
小説・フィクション形式の記事も掲載しています。
そのため、
一部の記事には 実際の事例とは異なる表現や
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死亡時刻は、次の電車で届く
――静鉄ゼロ分アリバイ連続殺人―― ※時刻・事件設定は小説用の架空設定です。 新清水駅のホームに、朝の光がまだ届かない時刻だった。 巴川の水面は黒く、清水港のクレーンだけが夜の残り火みたいに赤く瞬いている。始発前の駅には、鉄と潮と、雨に濡れたコンクリートの匂いがあった。 清水署強行犯係の刑事、望月烈は、改札の前で足を止めた。 駅員が青ざめた顔で指さしたのは、コインロッカーだった。 そこに、封筒が貼られていた。 赤いペンで、こう書かれていた。 一人目。死亡時刻は、二十時十二分。桜橋を通過する電車が、彼女の命を運んだ。清水署へ。時刻表ぐらい読め。 烈は封筒を引きはがした。 中には、静岡鉄道静岡清水線の簡易時刻表のコピーが入っていた。新静岡、日吉町、音羽町、春日町、柚木、長沼、古庄、県総合運動場、県立美術館前、草薙、御門台、狐ヶ崎、桜橋、入江岡、新清水。 桜橋の欄だけが、黒い丸で囲まれていた。 「……ふざけやがって」 烈の声は低かった。 その朝、桜橋駅近くの古いマンションで、渡会栞という二十七歳の女性が死んでいるのが見つかった。小学校の臨時教員で、近所
山崎行政書士事務所
5月15日読了時間: 12分


太陽が昇るたび、誰かが灰になる
―清水区連続失踪焼却事件― 五月の終わり、清水港の朝は、いつもなら潮と鉄と魚の匂いがした。 だがその朝、日の出埠頭に漂っていたのは、焦げた毛と薬品のような、胸の奥をざらつかせる臭いだった。 午前四時二十二分。 岸壁で釣り糸を垂れていた老人が、コンテナの陰から這い出してくる男を見つけた。 男は裸足だった。服は焼け焦げ、髪には灰がこびりつき、喉は潰れかけていた。それでも男は、海へ向かって逃げるように、アスファルトの上を這った。 老人が駆け寄ったとき、男は血の混じった唾を吐きながら、かすれた声で言った。 「……炉だ」 「炉?」 「犬じゃない……人間だ……三番炉……」 男は老人の腕をつかんだ。 その力は、死にかけた人間のものとは思えないほど強かった。 「失踪者は……まだ、燃えてる」 それが最後の言葉だった。 男の身元は、七年前に清水区内で行方不明になっていた佐伯柊だと判明した。 当時三十一歳。小さな運送会社に勤めていた。借金も、失恋も、家族との不仲もなかった。ある夜、巴川沿いのコインパーキングに車だけを残し、煙のように消えた男。 その佐伯が、死体としてで
山崎行政書士事務所
5月15日読了時間: 12分


毒を許可したのは、死者だった
※以下は完全なフィクションです。実在の人物・事務所・団体とは関係ありません。 ――山崎行政書士事務所・毒劇許可事件―― 静岡市葵区、駿府城公園の堀に桜の影がまだ少し残る五月の午後、山崎行政書士事務所の扉が三度、正確すぎる間隔で叩かれた。 一度目と二度目の間が一秒。 二度目と三度目の間も、一秒。 その律儀さに、山崎澪は胸の奥で小さな警報を聞いた。 事務所は古いビルの二階にある。窓からは青葉通りの欅が見え、雨の日には濡れた葉が街灯を映して、書類の白さまで緑に染めた。父の周平が開いた小さな行政書士事務所を、澪が継いで七年になる。 父はよく言った。 「申請書は嘘をつかない。嘘をつくのは、申請書を使う人間だ」 澪はその言葉が嫌いだった。 書類は人を救う。営業許可も、相続も、在留資格も、補助金申請も、人生の崖っぷちで踏みとどまるための橋になる。 でも、橋は刃物にもなる。 扉を開けると、黒い傘を持った男が立っていた。 三十代前半に見えた。痩せているが、弱々しくはない。むしろ、余分な肉も感情も削ぎ落としたような体だった。瞳は静かで、こちらを見るというより、こちら
山崎行政書士事務所
5月15日読了時間: 13分


草薙に国境線を引いた死体
雨の降る草薙は、線路の音まで濡れていた。 静鉄草薙駅の北側、住宅街の奥にある細い道で、三本目の白い花束が置かれた夜、清水署刑事課の星野仁は、傘をささずに立っていた。 一人目の被害者は、松永琴葉。二人目は、小野寺芹。そして三人目は、まだ名前を公表されていない。 いずれも若い女性だった。いずれも夜道で襲われ、性暴力の痕跡を残され、命を奪われた。 新聞は言葉を選んだ。テレビは顔を伏せた。ネットは言葉を選ばなかった。 ――外国人グループによる連続暴行殺人。――草薙に潜む凶悪移民団。――日本人女性を狙った異常犯罪。 星野はスマートフォンに流れる文字を見ながら、奥歯を噛んだ。 「国籍が犯人なんじゃない。人間が犯人なんだ」 横に立つ若い刑事、桐野葵が言った。 「でも、先輩。防犯カメラには、外国人らしき男たちが四人映ってます」 「“らしき”で町は燃える」 星野は花束の前にしゃがんだ。 花の根元に、小さな紙片が挟まっていた。 雨に濡れ、文字は滲んでいた。 そこには、ひらがなでこう書かれていた。 ――くにを、しんじるな。 星野は紙片を証拠袋に入れた。 「国を信じるな
山崎行政書士事務所
5月15日読了時間: 11分


犯人の国籍は、死体だった
※以下は完全なフィクションです。実在の地域・団体・人物・事件とは関係ありません。 草薙の夜は、雨が降ると音まで濃くなる。 東海道線の高架を電車が抜けるたび、静岡市清水区草薙の細い路地に、鉄のうなりが落ちた。古い茶屋の軒先、濡れた自転車、閉店後の小さな総菜屋。そこへ、赤色灯が回る。 清水署強行犯係の刑事、真壁迅は、ブルーシートの隙間から現場を見た。 被害者は、大石質店の店主、大石源三。七十二歳。 金庫は開けられ、現金と時計が消えている。室内は荒らされ、壁には赤いスプレーで、四つの言葉が書かれていた。 カエセ。返せ。DEVUELVE.TRẢ LẠI. 鑑識の杉山灯里が、低い声で言った。 「外国語が混じっています。防犯カメラには、覆面の四人組。体格や服装から、外国人労働者のグループじゃないかと」 「じゃないか、で人は捕まえない」 真壁はそう言ったが、胸の奥に冷たいものが走った。 ここ一か月、草薙周辺では外国人労働者との小さな衝突が続いていた。コンビニ前の喧嘩、アパートの騒音、未払い賃金をめぐる口論。町内会では「昔の草薙じゃなくなった」という声が日に日に
山崎行政書士事務所
5月15日読了時間: 14分


黒電話はナポリタンの匂いで時を越える
―草薙・山崎行政書士事務所 昭和直通相談室― 2040年、静岡市清水区草薙。 山崎行政書士事務所の玄関には、なぜか平成の終わり頃から時間が止まったような空気が流れていた。 入口の横には、少し色あせた観葉植物。受付カウンターには、まだ現役の招き猫。壁には「書類は早めに、人生はゆっくり」と書かれた手作りポスター。そして応接スペースには、誰が置いたのか分からない黒電話が一台。 丸いダイヤル式の、重たくて、妙に威厳のある電話だった。 2040年の事務所では、電話はほとんど使われない。相談予約も、書類確認も、本人確認も、だいたいスマートグラスか音声AIで済む。 それでも代表の山崎は、その黒電話を捨てなかった。 「こういうのはな、置いてあるだけで相談者さんが安心するんだよ」 と、山崎はいつも言った。 職員のさくらは、毎回それを聞くたびに笑った。 「先生、それ、安心というより骨董品です」 「骨董品じゃない。平成レトロだ」 「黒電話は昭和です」 「じゃあ昭和平成ハイブリッドレトロだ」 そんな調子で、事務所の一日はいつも少しゆるく始まる。 その日も、草薙の空はよく
山崎行政書士事務所
5月15日読了時間: 9分


もしもし草薙、昭和何年ですか?――黒電話とひいおじいちゃんの未来相談
2040年の静岡市清水区草薙は、妙に新しくて、妙に古かった。 草薙駅前には自動運転バスが静かに滑り込み、コンビニのレジでは猫型の小さな案内ロボットが「お弁当、あたためますにゃ?」と聞いてくる。けれど、少し歩けば、昭和の看板をわざと残した喫茶店があり、平成の終わりごろに流行ったような分厚いスマホケースを売る雑貨屋があり、商店街のスピーカーからは、なぜか2000年代のJ-POPが薄く流れていた。 人々はそれを「平成レトロ」と呼んでいた。 山崎行政書士事務所もまた、その流行に少しだけ乗っていた。 入口には、木目調の看板。 受付には、令和初期のタブレット端末。 壁には、平成の香りがするカレンダー。 そして、応接室の隅には、黒光りする古い黒電話が置かれていた。 「先生、これ、完全にインテリアですよね?」 事務員のふみかが、書類棚を整理しながら言った。 「もちろん。昭和感が出るだろう」 山崎先生は、湯呑みを片手にうなずいた。 「でも、うち、平成レトロがテーマなんですよね?」 「昭和があって平成がある。つまり昭和を置けば平成も深まる」 「深ま
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5月15日読了時間: 14分


もしもし昭和、こちら草薙ゆる行政書士事務所です
―黒電話と、ひいおじいちゃんの味噌汁― 2040年、静岡市清水区草薙。 山崎行政書士事務所の入口には、少しだけ色あせた看板が掛かっていた。 「相続・契約書・許認可・クラウド法務 困ったら、まずお茶でも。」 最後の一行だけ、どう見ても行政書士事務所らしくなかった。 ただ、草薙の人たちはそれを気に入っていた。 困った顔で来た人が、帰るころには少し笑っている。怒って来た人が、帰るころには「まあ、まず家族と話してみるか」と言う。そして、ときどき何の相談か本人もわからないまま来た人が、なぜか人生相談をして帰っていく。 そんな、ちょっと不思議な事務所だった。 その日も、事務所の中には平成レトロ感が漂っていた。 受付の棚には、なぜかMDプレーヤー。壁には「平成最後の夏」と書かれた古い観光ポスター。打ち合わせ机の横には、誰が持ってきたのか、ガラケー型の置時計。そして応接スペースでは、山崎先生が湯呑みを片手に言った。 「やっぱり、平成の家電って丸みがあっていいんですよね」 事務員のふみかが、書類を整理しながら冷静に返す。 「先生、それは行政書士事務所の経営方針です
山崎行政書士事務所
5月15日読了時間: 10分


もしもし、ひいばあちゃん。相続のハンコ、雲の上にありますか?
2040年の静岡市清水区草薙は、未来になったわりに、朝の空気だけは昔とあまり変わらなかった。 草薙駅の改札では無人案内AIが「本日もご安全に」と言い、駅前のたこ焼きロボットは「外カリ中トロ、平成味」を売り文句にしている。空には宅配ドローンがすいすい飛び、県立美術館へ向かう坂道には、相変わらず緑の匂いが残っていた。 そんな草薙の商店街の端っこに、時代から三周遅れたような事務所があった。 山崎行政書士事務所。 入口のガラス戸には、金色の丸文字でそう書かれている。横には、平成二桁の頃に流行ったイルカのシールと、「ホームページ開設しました!」という色あせた貼り紙。なお、そのホームページのアクセスカウンターは、2040年現在も「0000128」のままだった。 所長の山崎まどかは、四十六歳。行政書士歴二十年。口ぐせは、 「書類は紙より、人の気持ちが折れやすい」 である。 事務所の中は、平成レトロ博物館みたいだった。MDコンポ、ガラケー、プリクラ帳、たまごっち、折りたたみ式のピンクの電子辞書、そしてなぜか壁には「冬ソナ」のポスター。最新の市役所AIポータルとつ
山崎行政書士事務所
5月15日読了時間: 13分


草薙黒電話相談所
〜死んだひいばあちゃんと若いお母さん、ついでに営業許可もお願いします〜 2040年の静岡市清水区草薙は、思ったより未来で、思ったより昔だった。 草薙駅前には無人バスが音もなく滑り込み、宅配ドローンがみかん色の尾翼を光らせて空を横切る。市役所の窓口は半分がAIになり、住民票はまばたき三回で取れる時代だ。 なのに、駅から少し歩いた路地裏にある山崎行政書士事務所だけは、平成の終わりで時間が止まっていた。 入口には、色あせた青い看板。 『相続・許認可・内容証明・困ったら山崎へ』 その下には、なぜか手書きの貼り紙。 『FAXあります』 2040年において、FAXがあることを誇る事務所は、たぶん文化財か意地っ張りである。 山崎湊は、三十四歳の行政書士だった。 祖母の代から続く事務所を継いで三年。スーツは着ているが、足元は健康サンダル。机の上には電子認証端末、隣には平成レトロ雑貨として買ったスケルトンカラーのペン立て。壁には「がんばれ自分」と書かれた謎の色紙。棚にはMDコンポ、カセットデッキ、ガラケー、そして、丸っこいブラウン管テレビ型の空気清
山崎行政書士事務所
5月15日読了時間: 19分


もしもし相続、平成からです!山崎行政書士事務所の黒電話騒動
2040年、静岡市清水区草薙。 草薙駅前では、無人バスが「次は県立美術館前でございまーす」と妙に人間くさい声で案内し、空には宅配ドローンが桜えびせんべいを運んでいた。 そんな未来のど真ん中で、山崎行政書士事務所だけは、なぜか平成に取り残されていた。 入口には色あせた看板。 「相続・遺言・各種許認可山崎行政書士事務所FAXあります」 最後の一行だけ、やたら誇らしげだった。 事務所の中には、木目調の応接セット、ガラス戸の本棚、フロッピーディスクの箱、MDコンポ、使えるのか怪しいラミネーター、そして壁には平成31年4月のカレンダーが掛かったまま。 さらに、机の真ん中には黒電話。 丸いダイヤル式の、あの黒電話である。 「先生、これ、本当に電話なんですか?」 高校生の職業体験で来ている杉山ほのかが、黒電話の受話器を持ち上げて言った。 「電話よ」 山崎灯里は、書類の山から顔を上げずに答えた。 「でも画面がないです」 「電話に画面はいらないの」 「じゃあ、どうやって既読をつけるんですか?」 「心で」 ほのかは尊敬とも不安ともつかない顔で、黒電話をそっと戻した。
山崎行政書士事務所
5月15日読了時間: 12分


三月の蜜柑畑
昭和三十年の三月、静岡県庵原郡蒲原町の朝は、海の匂いをふくんで淡く光っていた。 幹夫は十二歳で、まだ子どもであることを惜しむような背丈をしていた。手足ばかりが先に伸び、着物の袖口からのぞく手首は細く、寒い日にはそこだけが心細げに赤くなった。だが目だけは、誰よりも先に春を見つける目だった。 家の裏手から山へ向かって段々に続く蜜柑畑は、冬のあいだに実をもがれ、今はしずかな緑の波のように広がっていた。葉は厚く、陽を受けると裏側に小さな金色をためた。ところどころに摘み残された蜜柑があり、ひと冬を越した皮は少し硬く、けれど朝露をまとえば、まるで誰かが忘れていった小さな灯のように見えた。 遠くには駿河湾がひらけていた。海は青というより銀に近く、その上を春霞が薄い布のように漂っている。さらに北には、雪をかぶった富士が、雲の間から静かに顔を出していた。幹夫はいつも思った。富士山は山ではなく、大きな白い生き物で、蒲原の町や畑や人々の息づかいを、じっと聞いているのではないかと。 その日、幹夫は父に頼まれて、蜜柑畑へ剪定した枝を集めに来ていた。...
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5月15日読了時間: 9分


青い蜜柑の声
昭和二十八年の六月、静岡県庵原郡蒲原町のみかん畑は、雨の匂いを深く吸いこんで、山肌いちめんに青く光っていた。 駿河湾からあがってくる風は、まだ夏になりきらない塩の匂いを含み、葉の裏をくすぐっては、濡れた土の上へ小さな雫を落としていった。山の斜面に段々と続く石垣は、雨に洗われて黒く艶を帯び、その隙間からは、名も知らぬ草が細い首をのぞかせていた。 幹夫は十歳だった。 背は同じ年の子より少し低く、肩もまだ丸かったが、目だけはいつも何かを聞いているように澄んでいた。大人たちが「この子はぼんやりしている」と言う時、幹夫はたいてい、ぼんやりしているのではなかった。畑の中にひそむ音を聞いていたのである。 雨粒が葉に当たる音にも、強いものと弱いものがある。蜘蛛の巣にぶら下がる雫が重みに耐えかねて落ちる時には、ほんの少し、ため息に似た音がする。みかんの若い実が風に揺れる時、枝は小さく軋み、それはまるで、まだ声変わりをしていない少年が内緒話をしているようだった。 その朝、幹夫は祖父に言われて畑へ来ていた。 「大きゅう育てるにはな、いくつか落としてやらにゃならん」..
山崎行政書士事務所
5月15日読了時間: 8分


みかんの木が耳をひらくころ
昭和二十六年の四月、静岡県庵原郡蒲原町の朝は、海のにおいをすこしだけ含んでいた。 駿河湾から吹いてくる風は、まだ春の冷たさを手のひらに残していて、それでいて、みかん畑の土の上を渡るころには、陽にあたためられて、やわらかい綿のようになった。山の斜面に段々と続く畑には、ところどころに石垣があり、その隙間から小さな草が顔を出している。草の先には朝露がのっていて、幹夫がしゃがみこむと、一粒一粒が、まるで小さな目のように彼を見返した。 幹夫は八つだった。 町の人は、幹夫のことを「よく気のつく子だ」と言った。母は「胸のなかに耳がある子だね」と言った。たしかに幹夫は、ほかの子どもよりも、ものごとの気配を早く感じた。戸口に置かれた草履の向きで父の機嫌がわかり、湯気の立ち方で母の疲れがわかり、学校の帰り道にすれちがう犬の尻尾の揺れ方で、その犬が人恋しいのか、ただ腹をすかせているのかまでわかるような気がした。 その朝、幹夫は父に頼まれて、みかん畑へ水を見に来ていた。父は畑の下の家で、古い鍬の柄を直している。母はかまどの前にいて、煮えはじめた味噌汁の音を聞いて
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5月15日読了時間: 9分


三月の蜜柑畑
昭和二十六年の三月、蒲原の山裾には、まだ冬の名残が薄い煙のように残っていた。 庵原郡蒲原町は、海と山とが互いに声をかけあうような土地だった。朝になると駿河湾から湿った光が上がり、昼には蜜柑畑の葉の上でそれが細かく砕け、夕方には富士の白い肩が、遠くの空に静かに灯った。東海道を通る人の足音も、浜から聞こえる波の音も、山の斜面に植えられた蜜柑の木々のあいだでは、どこか遠い昔話のようにやわらいで聞こえた。 幹夫は八つだった。 背は小さく、膝のあたりにいつも土をつけていた。母はそれを見るたびに、「幹夫は畑に根っこを生やしてるみたいだね」と笑った。幹夫はその言葉が好きだった。根っこを生やしているなら、風の来る方角も、雨の匂いも、土の中で虫が動く音も、きっとわかるようになると思ったからである。 その日、学校から帰ると、幹夫はランドセルを土間に置き、母の声を背中で聞きながら、家の裏手の坂道をのぼった。 「暗くなる前に戻るんだよ」 「うん」 返事はしたが、声はもう蜜柑畑の方へ走っていた。 三月の畑は、実りの季節のように賑やかではなかった。冬のあいだ枝にぶら下がって
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5月15日読了時間: 11分


みかん畑の耳
昭和二十六年の二月、庵原郡蒲原町の朝は、海から来る白い息で始まった。 駿河湾のほうから吹き上げる風は、まだ冬の骨を持っていて、みかん畑の葉をこすり合わせるたび、しゃら、しゃら、と小さな鈴のような音を立てた。けれど、その音の底には春の気配が沈んでいた。土の中で何かが目を覚まそうとしている匂い。霜の解けた畦から立つ湿った甘さ。遠く、東海道線の汽車が山裾を抜けると、煙は薄い雲になって、まだ眠そうな空へほどけていった。 幹夫は八歳だった。 背はまだみかんの木のいちばん低い枝より少し高いくらいで、頬には冬になると赤みが差した。母はそれを「寒さに負けん顔」と言ったが、幹夫は自分の頬が熱くなるたび、胸の中で何か言葉にならないものが燃えているのだと思っていた。 その朝、幹夫はひとりで畑にいた。 家の者は納屋のほうで籠を直していた。父は戦争から帰ってきて以来、時々、海を見たまま黙ることがあった。母はそんな父の背中へ、何も言わず湯気の立つ茶を置く。幹夫はその沈黙が少し怖く、けれど嫌いではなかった。沈黙の中にも、葉の裏に隠れた小さな虫のように、何かが生きてい
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5月15日読了時間: 8分


蜜柑の灯
昭和二十五年の十二月、静岡県庵原郡蒲原町の山すそには、蜜柑畑が小さな灯をいくつもともしていた。 海から吹いてくる風は、昼を過ぎると少しずつ冷たくなった。けれど山の斜面に並ぶ蜜柑の木々は、そんな風をものともせず、青い葉を厚く重ね、そのあいだに丸い実を抱いていた。冬の日は低く、雲の切れ目から注ぐ光は、葉の先でこまかく砕け、蜜柑の皮に金色の斑を落とした。遠くには駿河湾が見えた。海は冬の色をしていたが、ところどころ銀紙のように光り、まるで畑の蜜柑たちに返事をしているようだった。 幹夫は七つだった。 まだ背は低く、蜜柑の木の下にもぐりこむと、枝が天井のように頭の上で広がった。葉の匂い、土の匂い、熟れた実の甘い匂いが混ざりあい、幹夫にはそこが家の中よりも静かな、もう一つの部屋のように思えた。 その日、幹夫は母に頼まれて、小さな竹籠を持って畑へ来ていた。 「落ちている蜜柑だけでいいからね。木になっているのは、大人が採るから」 母はそう言って、幹夫の首に古い毛糸の襟巻きを巻いてくれた。襟巻きは少しちくちくしたが、母の手の温かさが残っていたので、幹夫は何
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5月15日読了時間: 8分


蜜柑の耳
昭和二十五年の十月、蒲原の朝は、海からそっと息を吹きかけられるように始まった。 みかん畑の葉は、夜のあいだに降りた露を小さな鏡のように抱いていた。山の斜面に並ぶ木々は、まだ青みを残した実をいくつも吊るし、薄い光の中で、ひとつひとつが眠たげに揺れていた。 幹夫は七つだった。 背はまだ畑の低い枝より少し高いくらいで、歩くたびに葉の先が頬を撫でた。葉は冷たく、けれど痛くはなかった。まるで、誰かが「おはよう」と言う前に、そっと指で合図してくるようだった。 幹夫は、その合図を聞き分けることができた。 母はよく言った。 「幹夫は、風の音まで気にしすぎる子だねえ」 それは叱る声ではなかったが、幹夫には少し恥ずかしかった。風の音を気にしないでいられる人のほうが、不思議だった。風は黙っている時もあれば、急に畑じゅうを駆けて、葉の裏を一斉にめくる時もある。泣いているような日も、笑っているような日もあった。 その朝の風は、何かを探していた。 幹夫はそう思った。 父はまだ家の裏で籠を直していた。竹のささくれを小刀で削る音が、乾いた虫の声のように、ぱちり、ぱちりと聞こえて
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5月15日読了時間: 8分


八月のみどりの蜜柑
昭和二十五年の八月、静岡県庵原郡蒲原町の朝は、海のほうから先に明けた。 駿河湾の水面はまだ夜の青を少し残していたが、波の上には薄い銀の粉がまかれはじめ、遠くの船の影が、眠たいまぶたをこすっているように揺れていた。山の斜面にはみかん畑が段々にひらけ、石垣のあいだから、昨夜の雨を含んだ草が、しっとりとした匂いを立てていた。 七歳の幹夫は、素足に草履をひっかけ、祖父の家の裏手から畑へ上がった。 幹夫は、何でも大きな声では聞こえないことを、よく知っている子どもだった。人が怒鳴る声や、蝉がいっせいに鳴く声よりも、土の中で小さな虫が向きを変える音や、青い葉の先から水滴が落ちる前の、あのためらうような静けさのほうが、幹夫の胸にははっきり届いた。 みかんの実は、まだ青かった。 冬になれば町の人々の手に渡り、甘く明るい香りをこぼすはずの実は、八月の今、硬く、つややかで、葉と同じ色をしていた。幹夫はそれを見るたびに不思議に思った。こんなに青くて、こんなに黙っているものの中に、どうして冬の陽だまりのような甘さが隠れているのだろう。 畑の上のほうに一本、幹の
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5月15日読了時間: 8分


五月の白い声
昭和二十五年の五月、静岡県庵原郡蒲原町の丘には、みかんの花がこぼれるように咲いていた。 海から上がってくる風は、まだ朝の冷たさを少しだけ含んでいて、それが畑のあいだを通るたび、白い花びらが小さくふるえた。風は蜜の匂いを抱いて、石垣の苔や、濡れた土や、遠くの駿河湾の青さまでを、ひとつのやわらかな息にして運んでくる。 七歳の幹夫は、畑のいちばん上の段に立っていた。 足もとの草は夜露に濡れ、足袋の先をしっとりと冷やした。みかんの木々は、低い背をまるくかがめるようにして並んでいた。幹夫にはそれが、何か大事なことを小声で相談している大人たちの背中のように見えた。 「おはよう」 幹夫がそっと言うと、いちばん近くの木の葉が、さわ、と鳴った。 返事があった、と幹夫は思った。 家では、あまり大きな声を出さない子だと言われていた。母は「幹夫は耳がよすぎるんだねえ」と笑った。けれど幹夫は、耳だけではないと思っていた。目も、鼻も、胸の奥の、名前のないところも、みんな少しずつ開きすぎている気がした。 父が鍬を振るう音。祖母が台所で味噌汁をかきまぜる音。隣家の赤ん坊の泣き声
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5月15日読了時間: 7分

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